第66話:決勝直前
アンナと二人、用意された控室で次の対戦相手が決まるのを待つ。
「むっ、あまり旨くないな……」
用意された香草茶を飲んでアンナが顔をしかめている。
そんな姿を眺めながら、先刻の啖呵を思い出す。
あれで観客は大いに沸いたし、俺としてもかなり痛快な出来事ではあった。
だが、一方でこの子の意欲がかなり低下していそうなのが少し心配だ。
流石に準決勝までアンナの相手がまともに出来る者がいないのは誤算だった。
「次はいよいよ決勝だな」
「そうだな。しかし……このままでは決勝も歯ごたえはなさそうだ。フレイ、これで本当に父上は私を認めてくれるのか……?」
アンナが心配そうに尋ねてくる。
その一心で遥々とここまでやって来たのだから当然だ。
しかし、アンナは俺と魔王の取り決めを全て知らない。
故にこの大会で優勝すればすぐに再試験の機会が与えて貰えると思っているようだ。
だが、本当に認めてもらうために必要なのは勝つことではない。
必要なのは正しい成長であり、勝敗自体はさして重要ではない。
「なあアンナ、俺と賭けをしないか?」
残した茶を机に置いたアンナへと問いかける。
「賭け? いきなりどうした? 藪から棒に……」
いきなり妙なことを口走りだしたと思ったのか、訝しげな目を向けてくる。
「いや、実は決勝に来たら言おうと思ってたことだ。賭けの条件は決勝の結果。お前が勝ったら……試験に合格したってことにしてやる」
「合格!? それは本当か!?」
予想通りに一転して前のめりに食いついてきた。
そのために遥々とここまでやってきたのだから当然か。
「ああ、本当だ。お前の親父にも……ちゃんと話は通してある」
通してはあるが、向こうとしてはそれは不本意な形になる。
だから、もしそうなった場合は俺の首が飛ぶ可能性がある。
それも物理的な意味でだ。
「父上にも……ならば受けよう。私としては願ってもない話だ」
希望に満ちた表情を浮かべてアンナが俺の申し出に応えた。
これでやる気が上がってくれるならまずは一つ解決だ。
「負けた時の話しは聞かなくていいのか?」
「ああ、どうせ勝つからな」
アンナが自信に満ちた表情でそう答えたのと同時に、入り口の扉が開いて案内係の女性が室内に入ってきた。
「準決勝第二試合も終わりましたー。決勝は二時間後になりまーす」
彼女は俺たち二人へと向かって軽快な口調でそう告げてきた。
「二時間後か……」
「はーい、それまではごゆるりとお休みくださーい。ではでは~」
「それで、第二試合の勝者は?」
部屋から出ていこうとした女性を呼び止めるように、アンナが女性へと尋ねる。
「あっ、ごめんなさい。そうですよね。えーっと、アンナさんの決勝の相手はルクス学院のリリィ選手になりました。女性同士の決勝は初めてだそうですよ! 頑張ってくださいね! ではでは~」
対戦相手の名前を告げた女性が改めて退室していく。
少し馴れ馴れしい口調は、彼女が個人的にもアンナを応援しているようにも聞こえた。
「……何やら君は聞くまでもなく、その者が相手であると分かっていたようだな?」
「まあな」
準決勝の相手は確か同じ学院の俺もよく知る有力な男子生徒だったはず。
それでも、勝敗は聞くまでもなく分かっていた。
「君が前に言っていた手強そうな相手というのがその者か?」
「ああ、そうだ。そいつは……俺の昔の教え子でもある」
「ほう……昔の……それは楽しみだな……」
その情報を聞いたアンナが、ここに来て初めて興味深そうな表情を見せた。
妹たちを合格に導いた俺の教え子を下せば、父親に自分の実力を認めさせる事が出来る。
きっとそんな事を考えているのだろうが、今度こそは本当に一筋縄ではいかない相手だ。
それにアンナがリリィとどう戦うのか、リリィがアンナとどう戦うのかは立場を抜きにして俺も楽しみだ。
決勝戦の戦いを想像すると、年甲斐もなく胸が高鳴った。
**********
大観衆が生み出す熱気に包まれた決勝の舞台でアンナとリリィが向かい合う。
陽の光を浴びて輝く金色の髪、背筋が真っ直ぐに伸びた凛とした立ち姿。
数カ月ぶりに見る元教え子の姿は何一つ変わっていない。
本当なら声の一つでもかけてやりたいが、今の立場でそれは出来ない。
だから試合を通して成長した姿だけを見せてもらおう。
「か、閣下……ご、ご心配なく……優勝は我が校の生徒に間違いありません」
「だが、あれは平民の出なのだろう?」
「そ、それは……その……あの……」
すぐ近くにある来賓席から漏れた会話が聞こえてくる。
目を向けると、そこには苛立つフェルドとなんとか機嫌を取ろうとしているアリウスの姿があった。
決勝の晴れ舞台に残ったのは片や得体の知れない平民。
片やルクス学院の生徒ではあるが平民の出自。
貴族の力を見せつける大会であるという連中の思惑は完全に外れてしまっている。
そんな事を知ってか知らずか、観客たちは過去最高に活気づいている。
だが、ここに来て一つ、大きな問題が発生してしまっている。
それは舞台に立つリリィの顔に、目の前に迫った決勝戦に対する意欲が全く見られない事だ。
理由は全く分からないが、その顔には若干の陰りさえ見える。
決勝戦までは必ず来てくれると確信していたが、これは完全に予想外だ。
このままもしアンナがあっさりと勝つような事になってしまったら非常に困る……。
もちろん、いくらやる気がないとはいえ手を抜くような性格ではない。
それでも意欲の有無というのは否応無しに実力に影響してしまう。
そんな俺の不安を他所に、試合はもうすぐ開始されようとしている。
大歓声に包まる舞台の上でリリィがアンナの方へと握手を求めて近づいていく。
近づいてくるリリィに気づいたアンナも一歩前に出て握手に応じる。
二人の手が舞台の中央で重なる。
その光景に感慨深い思いを抱いた時だった。
リリィが驚いたように目を見開き、アンナへと向かって何か言葉を発した。
その言葉は歓声にかき消されて俺には何を言ったのか聞こえなかった。
ただアンナの方は若干困惑しているような反応を見せている。
そこから更に数度のやり取りが行われる。
次第にリリィの表情が鬼気迫るものへと変わっていく。
対するアンナは何故か自分の服の袖を鼻に当てている。
一体、何をしているんだ……。
穏やかな握手から始まったと思えば、急に謎の前哨戦が始まって大きな困惑を覚える。
二人が手を離した直後、リリィの表情が覇気の溢れるものへと変貌した。
それは紛れもなく、目の前の相手と全身全霊を以て戦う必要があると理解した顔だった。
二人がどんな会話をしたのかは分からない。
だが、これで最後の懸念事項は消えて舞台は整ったと言える。
所定の位置へと戻った二人が向かい合う。
最初から全力で行くことを決めたのか、アンナは既に剣の柄に手を添えている。
それは準決勝までは見ることの出来なかった姿だ。
対するリリィもあらゆる邪念を捨て去ったかのような迷いのない所作で剣に手をかける。
「それでは! 決勝戦! ミラジュ学院アンナ選手とルクス学院リリィ選手の試合……開始です!」
そうして決戦を告げる合図が場内に響き渡った。
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