第64話:因縁の相手

 それからは会場が大きくなっただけで予選とほとんど同じ事が続いた。


 アンナは携行が許可された武器を使う事もなく、徒手空拳のみで対戦相手を倒し続けた。


 その度に彼女を取り囲む記者や支持者たちの群れは増大していった。


 反対側の山ではリリィも順調に勝ち進んでいる。


 気付かれる僅かな可能性も潰す為に、その試合の観戦はしていない。

 だが話を聞いている限りではアンナと同じく余裕で勝ち進んでいるようだ。


 元教え子が成長した姿を見てやれないのは残念だが、今はとにかくアンナの事だけに集中しよう。


 アンナはその後も正体がバレることも苦戦することもなく、あっという間に準決勝まで駒を進めた。


「いよいよ準決勝か、次の相手は……あいつかぁ……」


 勝ち進んで組み合わせ表の中央まで大きく近づいたアンナの名前。

 その隣にある次の対戦相手の名前を複雑な心境で見つめる。


 それは俺にとっては嫌な因縁があるルクス学院の女子生徒だった。


「ふむ、マイア・ジャーヴィスと書いてるな……知っているのか?」

「ああ、嫌ってくらいにな」


 俺があの学院から追放される事になった元凶の一人。

 忘れろと言われてもなかなか忘れられるような相手ではない。


 すぐにでもあの毒々しい紫色の髪をした少女の憎たらしい笑みを思い出せる。


「この者は強いのか?」


 アンナが短くそう尋ねてくる。

 その言葉からそろそろまともな相手と戦いたいと思っているのがはっきりと伝わってきた。


「ああ、学院では二番手の実力者だ。剣と魔法の実力もあるが、一番気をつけるべきなのはその性格だな」

「性格?」


 純粋な武を競い合う場でそれが関係があるのか、と言わんばかりの表情をアンナが向けてくる。


 しかし、それは支配する側の人間の手で整えられたこの場では大いに関係あると言える。


「どんな些細な事にでも、自分の家柄による力。つまりは権力を使う事を厭わない性格だ」

「なるほど……、権力か、つまり不正の入る余地がある戦い方をしてはならないというわけだな」

「まあ、有り体に言うとそうなるな」


 それを存分に使われて追放されたのが俺なので説得力はあるだろう。

 如何に武を競い合う場とはいえ、判定員などの主催側の人間が買収されている可能性は十分にある。


 仮にそうだとすれば判定の面ではかなりの不利を背負っている前提で戦う必要が出てくる。


「つまりは言いがかりの入る余地が無いほどに、完膚なきまでに叩きのめす必要があると言うことか……」

「おお! 閣下! お久しぶりです!」


 アンナがそう言ったのと同時に、右の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ん? 貴様は確か……」

「フォードです! アリウス・フォードであります! 閣下!」

「おお、フォード家の次男か。久しいな」


 声のした方向に振り返ると、まず目に入ったのはよく知った金髪の憎らしい顔をした男だった。


 それは俺を追放した元凶のもう一人。

 アンナの次の対戦相手であるマイアの担当教員であり、婚約者でもある男だ。


 高そうな服に身を包んだアリウスは相変わらずのキザったらしい身振りを交えながら、目の前にいるブクブクと醜く肥え太った中年の男に媚を売るように話しかけている。


 アリウスに誘導されるがままに肥えた男が用意された座席へと座る。

 その顔がこちらへと向けられた瞬間、心臓が氷のように冷たい手で鷲掴みされたように跳ね上がった。


 それは公爵フェルド・ヴィルダネスに間違いなかった。


 それはこの大会が冠している名前を指す人物そのものであり、拝名五大貴族にもその名を連ねるこの地域一帯を治める男。

 この国、いやこの世界においては勇者ルクスの仲間として人類に反抗の希望をもたらした一人とされている男。


 そして、あの夜に俺たちを――


 服の内側に忍ばせた剣の柄を握る。


 心臓の鼓動が歓声の中でもうるさいくらいに聞こえる。

 無意識の内に強く噛んでいた歯が軋む音が鼓膜を震わせる。


 当然、向こうは俺のことなど歯牙にもかけていない。


 だが、俺の刃が届く距離にその男は確かにいる。


 今ならその喉元に剣を突き立てられる。

 あの醜い顔に向かって呪詛の言葉を吐き捨て、絶望に打ちひしがれるその首を跳ね跳ばせる。


 今の俺ならそれが出来る。

 そうする為にこの道を歩んできた。


 剣を更に強く握りしめて、脚部に魔力を込める。


「おい、――老師……? フー老師! フレイ! どうした!?」

「え? あ、ああ……アンナか……?」


 俺の名前を呼ぶ声と共に肩を叩かれる。

 振り返ると、怪訝な目で俺を見つめるアンナの姿があった。


「一体何をしているんだ?」


 俺の殺気と魔力に気づいたのか、肩に置かれた手からは俺を止めようとしている力強さを感じる。


「い、いや……なんでもない……大丈夫だ……」


 大きな呼吸をして昂ぶる感情を落ち着かせる。


 そうだ、今この場にいるのは俺だけではない。

 もしここで奴を討てば俺の連れとして認識されているアンナにも危険が及ぶ。


 それに捨て身で奴一人を討っただけでは何の意味もない。


「本当か?」

「ああ、ちょっと気分が優れなかっただけだ。まだ飛竜酔いの影響が残ってるのかもな……」

「全く……情けないな……」

「すまんすまん……」


 その嘘の言い訳で一応は納得してくれたのか、アンナが俺の肩から手を外す。


 俺も汗でびっしょりと濡れた手を柄から離す。


 視線の先、来賓席ではまだあの二人は会話を続けている。


「しかし、これは一体どういう事だ。今年は粒ぞろいと聞いていたのだがな……」


 フェルドの豚はその顔に不満を顕にして、アリウスに詰め寄っている。


「え、えー……閣下。ご心配なく! こ、これも全て想定通りであります! ここまで勝ち進んだ平民が我が校の生徒に叩きのめされるという演出です!」


 こいつらにとってやはりこれは武術大会とは名ばかりの、貴族の力を見せつける催しでしかないようだ。


 実際、いつもは準々決勝にもなると大半がルクス学院の生徒によって占められ、こいつらの思い通りの結果になっていた。


 いくら平民が努力を積もうと、生まれ持った身分と質の高い教育の前にはその全ては無意味だと観客たちは思い知らされる結果に。


 しかし、今回は違う。


 準決勝に残った四人の内の一人に得体の知れない平民がいるというのは前代未聞の事態だ。


 しかも、それがルクスの生徒を含む貴族の子息たちをいとも簡単に倒して勝ち上がってきている。


 敗退した生徒の担当教員たちや、今まさに来賓席で他の貴族の目に晒されているアリウスは甚だ決まりが悪い心境に陥っているだろう。


 一方、奴らとは対照的な一般民衆の観客たち。


 いつもなら今年も優勝は勇者学院の生徒かと消沈した様子も見せている頃だが、今回は過去に類を見ないお祭り騒ぎになっている。


 実はその応援している相手は平民どころか人間でもないわけだが、まあそれはいいだろう。


 とにかく、連中がこの事態に憤慨していることには清々しさを覚える。


「まあよい。それで、次の試合は誰が出るのだ?」

「閣下、次は私が担当している我が校随一の実力を誇るマイア・ジャーヴィスでございます」

「ほう、ジャーヴィスの娘か。それは楽しみだ」

「はい、閣下。それはつまり平民の快進撃もここまでということでございます」


 アリウスが自慢げに隣に座っているフェルドに対して告げている。

 その声は近くとはいえ俺の方まで丸聞こえだが、全く気にしているような素振りはない。


 マイアの方は一足先に試合の舞台へと上がり、来賓席へと向かって鬱陶しいくらいに優雅な身振りで自身の存在をアピールしている。


 今これから行われるのが自分の為の舞台である事を疑っている様子は微塵もない。


「さて……出番だな」

「アンナ、ここからは全力でやってもいいぞ」


 準決勝の場へと赴くアンナの背中へと向かってそう告げる。


 残すはもう一つの準決勝を含めても三試合。


 連中を完全に敵に回したとしても、その偽装された素性を調べ尽くされる時間はもう残っていない。


 つまり、どれだけ目立っても大丈夫というわけだ。


 いや既に散々目立ってはいるが……。


 アンナは何も答えずに、舞台へと上がる。

 ここからでは見えないが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいるように感じた。

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