第45話:四女の相談

「フィーアか、こんな時間にどうした?」


 こんな時間に尋ねてきた二人目の少女を迎える。

 扉を開けてすぐに目の前に現れた顔は、その声から想像していた通りに大きく項垂れていた。


「その……先生にご相談したい事がありまして……」

「相談? 分かった。じゃあ、とりあえず中に入ってくれ」


 そうしないと今にもどこかに消え去ってしまいそうな雰囲気のフィーアを室内に迎え入れる。


「はい、失礼します……」


 フィーアは今朝と同じような重たい足取りで椅子へと向かって歩いていく。

 椅子の元まで辿り着くと、倒れ込むようにそれに腰かけた。


「ほら、これでも飲みなさい。落ち着くわよ」


 イスナもその雰囲気を察したのか、気遣う言葉と共にフィーアの前に置いたカップにお茶を注ぎ始めた。

 温かい紅茶から白い湯気が立ち上り、フィーアの顔を覆う。


「はい、ありがとうございます……」


 フィーアは礼だけ述べると、お茶に手つけず顔を伏せた。

 イスナが何故か俺の部屋にいるのかということにさえ気が回っていないように見える。


「それで、どうしたんだ?」


 再び椅子に腰をかけて、机越しにフィーアへと尋ねる。


 彼女はすぐには答えずに、黙ったまま、液面に映っている自分の顔を見つめている。


 相談というのがどういう話なのかは概ね想像はつく。


 しかし、迂闊に繊細な部分へ踏み込むわけにはいかない。

 今はフィーアの方から話してくれるのを待つ。


 隣にいるイスナも神妙な表情で妹の姿を眺めている。


「私……」


 そして、しばらくの沈黙の後。

 フィーアがゆっくりとその口を開いて喋り始める。


「どうすればいいんでしょうか……」

「……それはまた随分漠然とした相談だな」


 だが言いたいことは痛いほどに理解できた。


 頑張っても頑張っても先の展望が見えない自分への不安。


 言葉だけでなく、纏っている雰囲気からもそれが伝わってくる。


「ごめんなさい。でも、本当にもうどうすればいいのか分からなくなってしまいまして……」


 顔を伏せる角度が更に深くなる。

 かなり思いつめてしまっているようだ。


 心なしか普段はふわふわと柔らかそうな髪の毛もいつもより重たそうに見える。


「そうか、分からなくなったか……」

「はい、何も分からなくなりました……」

「ってことはつまり、それまではどうしたいのかはっきりとした目標があったのか?」

「私は……お母さんみたいになりたかったんです……」


 下手すれば呼吸の音にかき消されてしまいそうなか細い声で呟く。


 フィーアの母親。


 それが目の前で項垂れているこの少女とは、何をとってもまるっきり正反対の人物なのはさっき知ったばかりだ。


 だが、この温厚な性格だからこそ憧れているというのは不思議ではない。


「強くて……いつも自信に溢れていて……色んな人に慕われてるお母さんみたいに……。でも……私には無理なんだって、今朝分かってしまいました……」


 フィーアはそう言うと、その目からぽろぽろと大粒の涙を机の上に零し始めた。


「私にはフェムちゃんみたいな魔法の才能も……、サンちゃんみたいな運動……神経も……ないどころか……。頑張っても簡単な魔法も碌に使えない事が分かってしまって……ひぐっ……もう目の前が真っ暗になってしまいました……」


 静かな部屋の中、嗚咽の混じった泣き声が響く。


 年上の二人にはまだしも、同じ年のサンと年下のフェムが瞬く間に才能を開花させていく中で自分だけが同じ場所で足踏みしている。

 いつもニコニコと朗らかな笑みを浮かべている裏で、フィーアがそこまで思い詰めるほどの強い劣等感や焦燥を覚えているのに気がつかなかったのは俺の失態だ。


「なのでもう……みんなや先生の迷惑にならないように、このままお家に帰ろうかと思いまして……」

「ちょ、ちょっと! 何を言い出すのよ、あんたは!」


 俺が何か言うよりも先に、イスナが立ち立ち上がって声を荒らげた。


「だって……」

「だってじゃないわよ! 途中で逃げ帰るなんてそれこそお父様やノイン様、それにこの人の顔に泥を塗る事になるわよ!?」


 イスナが更に声を荒げてフィーアを叱責する。


「イスナ、落ち着け」

「でも!」

「いいから、落ち着くんだ」

「……はい」


 二度目の諫言でイスナが大人しく座る。


 気持ちは分かるが、フィーアも生半可な気持ちでその選択を口にした訳ではないはずだ。

 でも、だからと言って教師役を務める身としては俺もそれを黙って受け入れるわけにはいかない。


「確かに、フィーア。お前には武術や魔法の才能は無い」


 はっきりと告げる。

 それはもう誰の目から見ても明らかでどうしようもない残酷な事実だ。


「やっぱり、そう……ですよね……」


 更にしゅんとするフィーア。

 しかし、それは今この子の為になると思ったからこそ俺は告げた。


 ただ、それにはもちろん嫌味や侮蔑の意味は全く込めていない。


「でも、俺はフィーアがそれに気づけて良かったと思ってる」

「え? よかっ……?」


 フィーアが俺の言った事を確かめるように顔を上げる。

 目は真っ赤に腫れ、頬には涙の流れた痕が残っている。


「自分が苦手な事を自覚するのは、得意な事を見つけるくらいに大事だ。しかもフィーアはこれまでそれと真剣に向かい合ってきて、その上で認められたんだからな」


 俺の知る限りに置いても、この子は不得手なりに努力を積み重ねていた。

 それが実を結ぶ事こそ無かったが、無駄だったわけではない。


「それは間違いなく今後の糧になるし、本当に得意な事を見つける為にも役立つはずだ」

「でも……もうお母さんみたいには……」

「フィーアの中で母親みたいになるってのは、その足跡をそっくりそのまま辿るって事なのか?」


 その質問の返事を待たずに更に次の言葉を投げかける。


「フィーアは母親が単に腕っぷしに優れているところだけに憧れたのか? 自信に溢れていて、みんなから慕われている母親に憧れたんじゃないのか?」


 そうだとしたら、それを裏付ける物が武術や魔法に限る必要はないはずだ。


 その目をしっかり見つめて、更に続ける。


「俺にはフィーアが一つの道ばかりに目を向けて、それ以外の可能性を自分から潰しているように見える」


 道は決して一つではない。


 過去の自分と重ねながら、言葉を紡いでいく。


 俺が新たに選んだ道は、かつてのそれよりも遥かに険しく。

 誰からの理解も得られない地獄へと繋がっている道かもしれない。

 それでも諦めて後悔を抱えたまま生きていく事だけはしたくなかった。


 だから、この子にも出来れば悔いのない選択をしてもらいたい。


「でも……他の道があるどうか……」

「確かにそれは分からないな。でも、フィーアがそれを見つける手助けするために俺は今ここにいる。知ってたか?」


 フィーアの悩みに対して、どこまでいっても他者でしかない俺が出来る事は限られている。

 しかし、それでも一緒に立ち止まって周りを見回してやるくらいは出来る。


 それこそが教師の大事な役割であると俺は思っている。


「だから、もう少しだけ一緒に頑張ってみないか?」

「先生と……一緒に……」

「ああ、それとも俺だけじゃ不安か?」


 そう尋ねると、フィーアはふるふると首を小さく左右に振った。


「……彼だけじゃないわよ。私も手伝ってあげるから、早く泣き止みなさい。それと……さっきは怒鳴って悪かったわね……」

「イスナ姉さん……」

「ほら、早く飲まないと冷めて美味しくなくなっちゃうわよ」


 イスナがカップを指先で押して、フィーアの側へと寄せる。


 ちゃんと『姉』をやっているイスナを見ていると、言葉や態度がきつい時はあるが妹たちを大事に思っているのがよく分かる。


 イスナに促されたフィーアは、服の裾で目を擦ってからまだ僅かに湯気の立ち上っているカップの持ち手を指先で摘む。

 そのまま何かを決心したように、ぐっと一気に飲み干した。


「……美味しいです」

「でしょ? 私の淹れたお茶を飲めば嫌な気分も綺麗サッパリ無くなっちゃうわよ。貴方は姉妹の癒やし担当なんだから、しょげられてるとこっちも困るのよ」


 イスナはそう言いながら、空になったフィーアのカップにおかわりを注いでいる。


 言葉通りに嫌な気分もすぐにすっ飛びそうな良い香りが、湯気に乗って鼻へと運ばれてくる。


「まだ、頑張れそうか?」


 もう一度、尋ねる。


 フィーアは二杯目の紅茶に口をつけながら小さく頷いた。

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