第43話:訓練の成果

 サンが自身の身体よりも二回りは大きな幹を持つ木と向き合う。


「よし、見せてみろ」


 サンに向かって言う。


 今から俺が見れていなかった期間にどれだけ成長してもらうのかを見せてもらう。


「うん! 見てて! ……ふぅ」


 サンが小さな身体をゆったりと弛緩させ始める。


 その身体から力が抜けていき、大きく息を吐いた直後――


「エンハンス・クルス!」


 二つのルーンを組み合わせた魔法の詠唱を行った。


 周囲の魔素がサンの身体へと取り込まれていく。

 その体内へと受容された魔素は放出されずに脚部へと向かって流れていく。


「うしっ!」


 サンがその場で軽く二回跳躍する。


「とりゃあああああッ!!」


 張り上げられた声と共に、木へと向かって右回し蹴りが繰り出された。


 細くスラリとした木の枝のような褐色の脚が何倍もの太さのある幹へと叩きつけられる。

 凄まじい蹴撃を受けた木は、因果が逆転したかのように太い幹はまるで枝のように砕け散る。

 そのままバキバキと澄んだ破裂音を立てながら地面へと横たわっていった。


「へへ~ん! どうよ!」


 完全に横臥した木が地面をズシンと揺らすと同時に、サンが振り返って得意げな笑顔を向けてきた。


「すごいじゃないか!」


 俺がフェムに付きっきりになっている間にサンも見違えるほどの進歩を遂げていた。


 基本は教えていたとは言え、流石は魔王の娘という他ない。

 若さも余って、その成長速度は目を見張るものがある。


「でしょでしょ~。だから、ね? フェムみたいにさ、あたしにも何か作って? ね?」


 よく懐いた犬のように俺の身体へと擦り寄りながらねだってくる。


「作ってやりたいのは山々だが……まだ早いな」

「えー、どうしてー? すごいって言ったじゃーん」

「格闘術に魔法を交えられるようにはなったのは確かな成長だけども……、第二位階で足を止めて詠唱しているようじゃまだまだだ」


 実戦であんな隙だらけの詠唱を待ってくれる敵はいない。


 無詠唱とまでは言わないが、せめて自分の動きを阻害せずに詠唱を出来ないと実戦では使い物にならない。


「今、ようやく応用術に一歩足を踏み入れたって段階だ。道具を欲しがるにはまだ早い」

「えー、ケチー……」


 サンが不服そうに目を細める。


「戦闘中に無駄のない詠唱と強化部位を最適に切り替えられてようやく一段落ってところだ」

「うへぇ、じゃあまだまだじゃん」

「ああ、道のりは険しいぞ」


 サンは甘やかしすぎるとダメなタイプなのでそうは言ったが、この成長速度なら遠くはないだろう。


 そうなったらまた数日はまともに寝られない日が来るなと考えながら、今度は杖を作ってやったばかりの末妹の方を見る。


 いつの間にか姉妹の前でも顔を隠す事をやめていたフェムは、長椅子に座って笑顔を浮かべながら黒光りする杖を布で磨いている。


 あの子に関してはもう存分にその訓練の成果を見せてもらったので、今からわざわざ見せてもらう必要は無い。


「イスナもよくやってくれたな。俺の代わりに二人の面倒を見てもらって助かった」

「お礼には及ばないわ、他ならぬ貴方の頼みだもの。それに……むふふ……」


 さっきからずっと俺の腕に絡みついているイスナに改めて礼を言うと、何やら妖しげな笑みを浮かべる。

 何故か絶大な好意を抱かれてるのにはそろそろ慣れてきたが、相変わらず何を考えているのかはよく分からない。


「何で笑ってるんだ……」

「それは当然、約束の事よ。や・く・そ・く」

「あー……約束……。あれな」

「何よ。その気のない返事は……まさか忘れてないわよね?」

「覚えてるから安心しろって、何回目だこれ」


 イスナと顔を合わす度に聞かれている気がする。

 そんなに楽しみなものなんだろうか……。


 でも二人の訓練をつけていてくれたのは間違いないから無下にするわけにはいかない。


「イスナ姉ぇもまだまだ子供だねぇ」

「うるさい! あんたに言われたくないわよ!」


 冷やかすサンに対して、イスナが語気を強めて反論をする。


「それでどうする? 今からやればいいのか?」

「それはダメ! まだ! まだよ!」


 俺にべったりと張り付いているその身体を抱えてやろうとすると、さっと飛び退かれる。


「まだって……じゃあいつならいいんだ?」

「私にも心の準備ってものがあるのよ……。されたくなったら私から言うから……」

「はあ……。まあ約束だからな。されたくなったらいつでも言えよ」

「ええ、いつでも言うわ……いつでもね……。んふふ……」


 イスナが再び不敵に笑う。

 やっぱり何を考えているのか分からない。


 年頃の女子を抱っこするなんてのは正直恥ずかしいからさっさと終わらせたいもんだが……。


「さて……」


 続けて、フィーアの方に視線を移す。


 俺が見ていない間、イスナにみっちりとしごかれたはずの四女。


 緊張しているのか、身体をガチガチに強張らせて虚空を見つめながら呪文のように独り言を呟いている。


「それじゃあ、フィーアにも俺が見てなかった間の成果を見せてもらおうか」

「え……? は、はひ!!」


 心配だ。


 フィーアが手足をぎこちなく動かしながら、さっきまでサンが立っていた場所に移動しはじめる。


 同じ側の手と足が同時に前に出てるのを見て更に心配になってくる。


「フィーア、落ち着いて深呼吸しろ。深呼吸だ」

「は、はひ! 深呼吸……深呼吸……。ひっひっふー、ひっひっふー」

「大丈夫かしら……あの子……」


 イスナも心配そうに見つめる中、何かちょっと違う呼吸法を終えたフィーアが集中し始める。


 サンがしていたのと同じように、緊張を解きほぐし、自然と一体化するように身体から力を抜いている。


「イグニ・ランシア!」


 呪文を詠唱した。

 組み合わされた呪言は炎を放出する単純な魔法のものだ。


 ……が、突き出されたフィーアの手からは炎どころか欠片程の魔力も放出されなかった。


「あ……あれ……?」

「大丈夫だ。慌てなくていいからもう一回だ」

「は、はい!」


 そう言ってやると、フィーアが今度はすーはーすーはーと正確な深呼吸を行う。


 そして、もう一度全く同じ動作を行うが――


「イグニ・ランシア!」


 何も起こらない。


「そうだ……血だ。血が足りてないんじゃないのか?」


 今日は太陽が出ている。

 もしかしたら、その影響で吸血種として力が弱っているのかもしれない。


「そ、そうかもしれません。では、ちょっと補給させてもらいます」


 フィーアはそう言うと、服の内側からあの飴玉のような血の塊を取り出して口に放り込んだ。


 カリカリと小気味の良い音を鳴らして何度か咀嚼をすると一気に飲み込まれた。


「よし、もう一度だ!」

「は、はい!」

「フィーア~、頑張れ~」


 しゃがみながらそれを眺めていたサンからも声援が飛ぶ。


 少し離れた長椅子に座っているフェムも杖を磨く手を止めて、心配そうに姉の姿を眺めている。


「いきます! イグニ・ランシア!」


 しかし、やはり何も出ない。


「なあイスナ……、昨日まではどんな感じだったんだ?」


 昨日まで教師役を担ってくれていたイスナに尋ねる。


「昨日は一応出来てたけど……」

「一応ってどのくらいだ?」

「えっと……、なんとかロウソクに火が点けられそうなくらい……」


 少しバツの悪そうな表情でイスナが呟く。


「ロウソク……」


 ある程度は悪い方への予測もしてはいたが……。

 これはその更に下を潜っていってしまってるかもしれない。


 その後もフィーアは何度も詠唱を繰り返したが、その手からはたまに煙が出る程度で炎が出ることは無かった。


「今日は調子が悪かったみたいだな。そういう時もある」


 疲れ果て、肩を大きく上下させながら呼吸を整えているフィーアに優しく声をかけてやる。


「はい……。ごめんなさい……」


 けれど、そんな言葉が気休めにもならない事はかけた俺でさえ分かっている。


 姉妹たちも今はかける言葉が見つからないのか、ただ黙ったままその姿を見つめている。


「少し、お手洗いに行ってきます……」

「あ、ああ……」


 目線と肩を大きく落としながら、フィーアはとぼとぼと屋敷へと向かって歩き出す。


 そんなフィーアにどう声をかければいいのか分からずに、今は黙ってその背中を見送る事しか出来なかった。

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