第42話:一方その頃
フレイがフェムに付きっきりの指導をしていた頃。
ルクス武術魔法学院の廊下に木造の扉が軽く叩かれる音が数度響く。
「誰だ?」
その扉の向こう側、部屋の中から中年男性の若干くぐもった声が聞こえてくる。
「リリィ・ハーシェルです。学部長から私にご用件があるとの事でお伺いに参りました」
「入ってよし」
再び扉越しに中年男性の声が聞こえてくる。
リリィは取っ手を掴んでゆっくりと扉を開く。
「失礼します」
「掛けたまえ」
一礼し、入室したリリィを少し腹の出かかっている中年の男性教諭が迎える。
男性教諭は来客の正体を確認すると、机を挟んで向かい側にある椅子へと腰掛けるように促した。
「早速だが、ヴィルダネス卿が主催の武術大会が今年も行われる事は当然知っているな?」
「はい、存じています」
リリィは考える事もなく、すぐに答える。
この学院においてその言葉が指すものと言えばただ一つである。
フェルド武術大会。
それはかつて魔族の軍勢に大打撃を与え、人類に反攻の希望をもたらした勇者ルクス・メサイアの仲間である戦士フェルド・ヴィルダネスの名を冠した武術大会。
出場出来るのは国内にいる将来有望な若者のみではあるが、この学院にいる者だけでなく、武の道を志す者なら誰もが知っている大会である。
「知っての通り、今回は十回目の記念開催でな。例年よりも大規模に開催される事になったらしい」
「そうなのですか」
「ああ、急に知らされたものだからこっちも大わらわだ」
「それと私への用件に何か関係が?」
要件を早く聞き出してすぐに訓練に戻りたいと思っているリリィは話の核心を急かすように男性教諭に向かって尋ねる。
そんな彼女の態度に対して、男性教諭は顎を触りながら僅かに眉をひそめる。
「君への用件というのは、我が学院の代表者の一人として、君が選出されたのがまず一つだ」
「ほ、本当ですか!?」
男性教諭の口から出た言葉に対して、リリィは勢いよく椅子から立ち上がって大きな声を上げた。
「本当だ。それから、まず落ち着いて座りなさい」
「し、失礼しました……」
突然の事に興奮してしまったリリィが顔を少し赤らめながら再び着席する。
入学してから三年近く。
彼女は実技成績に置いて常に学院で最前をひた走りつつも、これまで代表として選出された経験は一度も無かった。
今年も平民の出自である自分は間違いなく選ばれないと考えていた彼女にとって、その一報は完全に予想外の出来事だった。
「本来ならば他の候補者が選出される予定だったのだが……、どこで知ったのか……ヴィルダネス卿が是非君をと言ってな。それで優先して選出される事になった、光栄に思いなさい」
「ヴィルダネス卿が……、はい!」
フレイが居なくなって以来、初めてといえる心からの笑顔をリリィが見せる。
彼女の胸中にあるのは当然、これでフレイとの約束にまた一歩近づけるという想い。
もし優勝する事が出来れば、平民の彼女であっても貴族から一目置かれるようになるほどの権威がその大会にはある。
それどころか、もしかしたら公爵閣下の目に止まって騎士として登用されるかもしれない。
そうなれば胸を張ってフレイを迎えにいけると彼女は考える。
どれだけ遠いかも分からなかった夢が、現実のものとして突然手の届く範囲に現れた。
彼女の心が小躍りするように色めき立つ。
しかし、男性教諭の口からそんな彼女の想いを打ち砕くような言葉が続けて発せられた。
「だが、選出に当たって一つ条件がある」
「条件……ですか?」
「そうだ。もし、決勝が我が学院の生徒同士による試合になった場合、そしてその場に君がいる場合は……」
男性教諭がリリィの顔をじっと見る。
それ以上は言葉を紡がずに、ただ察しろと言わんばかりの雰囲気を発する。
「……わざと負けろという事ですか?」
リリィはその意図をすぐに察した。
それがこの学院の、この国のあり方だと嫌というほどに知っているが故に。
言ってしまえば、大会自体が貴族による大規模な示威行為に過ぎないと彼女は勘付いていた。
平民がどれだけ鍛錬を積もうが、有り余る金と時間を費やして教育された貴族たちには敵わない知らしめるための大会である事に。
実際、初回開催から成績上位はほぼ全てがルクス学院の生徒によって占められている。
時折現れるリリィのような例外も、強大な富と権力によって丸め込まれて来たことまでは彼女が知る由もないが。
「そこまでは言っていないが、君はあくまで出場させてもらう立場であるということだ。それを十分に理解しておきなさい」
目の前の男の言葉は、教師のそれとは思えない八百長の申し入れなのは間違いない。
リリィはそれを受け入れるのはフレイの意志に反する事になるのではないかと考える。
しかし、一方では準優勝であってもフレイとの約束に大きく近づけるのではないかとも考え、その心は強い葛藤に苛まれはじめる。
「大会まではまだ期限がある。それまでじっくり考えたまえ」
男性教諭はそう言って、言外にリリィに退出するように促す。
「最後に一つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだね?」
「もし、決勝の相手が我が学院の者で無かった場合はどうなりますか……?」
「我が学院の者で……ふっはっはっ! 同院で無かった場合か、そうだな……」
そんな可能性は微塵も考えていなかったのか男性教諭は笑い飛ばしながらも少し考え込む。
「ありえないとは思うが……その時は君の好きにしたまえ」
「分かりました。では、失礼します……」
リリィは椅子から立ち上がり、一礼して入ってきた扉へと向かう。
「自分の将来の事を考えた決断を下したまえよ」
強い葛藤を抱えながらも、凛とした姿勢で歩く彼女の背中に向かって男性教諭は最後にもう一度告げた。
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