第25話:合格

 二人だけになった室内は随分と静かに感じる。


 ロゼの事も気になるが、俺に何か出来るわけでもないので今は後を追っていったリノに任せるしかない。


「ふぁ……、私もお腹いっぱいで眠くなってきちゃった……」


 隣ではエシュルさんが口に手を当てて小さなあくびをしている。


 そんな細かい所作にもいちいち妙な色っぽさがある……。


「お疲れなら今日はもう休んだ方がいいのでは?」

「うん……そうかもぉ……。先生、お部屋まで運んでくれる~?」


 そう言って甘えるような仕草で両手を俺に向かって突き出してくる。


「そ、それは流石に……」


 何度も言うが人妻。それも魔王の嫁だ。


 立場上、この人が部屋に戻るまでは付き合う必要はあるがそこまでは流石に出来ない。


「うふふ、冗談よ。それにしても先生はもう随分とここでの生活に慣れてるみたいね~」

「最初はかなり戸惑いましたけどね……。それで……今度は俺からエシュルさんに一つ聞きたい事があるんですけど……」

「なぁにぃ?」

「エシュルさんは人間の俺が娘の教育係をやっている事をどう考えているんでうsか……?」


 誰も居なくなったタイミングでこの人に一番聞きたかった事、自分でも正直まだ腑に落ちていない事を切り出す。


「んー……、そうねぇ……。最初にその話を聞いた時は正直すっごく驚いちゃった」

「まあ、そうですよね……」


 逆に立場になって考えるまでもなく分かる。


「でも、ダーリンの決めた事だからとりあえずは従うしかないわよねぇ」

「では、つまり……今も納得はしていないと……?」


 更に切り込む。


 藪をつついて竜が出てくる可能性を考えなかったわけではないが、上手く行けば魔王が俺を指名した理由の一端くらいは掴めるかもしれない。


「それなんだけど~……、実はイスナちゃんに会いに来たっていうのはここに来た理由の半分」

「では、残りの半分は……?」


 会話の流れからして概ね見当はついているが敢えて尋ねる。


「もう半分は先生がどんな人なのかを確認するため、イスナちゃん達を預けるに相応しいかどうかを見極めるために来たの。それで、もし相応しくないと判断したらぁ……」

「……したら?」

「食べちゃおうかな~って……うふふ」


 俺を見るエシュルさんの目がこれまでにない冷たいものへと変わっていく。


 背筋に冷たい何かが触れたようなゾクっとした感覚が走る。


 夢魔の言う『食べる』という表現が穏当なものではないのが嫌でも伝わってくる。


「それで……、俺はどうでしたか?」


 強い緊張感に身体が強ばる。

 エシュルさんはすぐに答えを述べずに、その冷たい目でじっと俺の目を覗き込んでいる。


「んっふふ……さて、どうなのかなぁ……」


 身体を更に近づけて、全身を上から下まで舐めるような目つきで見てくる。


 その身体から漂ってくる脳をとろけさせてくるような甘い香りが鼻孔をくすぐる。


 そして、しばらくの静寂の後にゆっくりとその瑞々しい唇が再び開かれた。


「先生は~…………合格っ!」


 言った直後、彼女の顔から一瞬にして先の冷酷さが消えて元の穏やかな表情へと戻る。


「ふぅ……あんまり脅かさないでください」


 緊張から開放され、一息つく。


 大人しくなすがままにされる気は無かったが、もし不合格ならどうなっていたのかと考えるとゾっとする。


「こんなに早くサンちゃんとフィーアちゃんにも好かれてるみたいだし、頼りになりそうな先生で良かったわ~」

「恐縮です」

「だけどぉ、イスナちゃんに関してはちょっと苦労してるみたいね~」

「……それはやっぱり、分かりますか?」


 そうでもないと取り繕う事も考えたが、この母親相手に上手くそれが出来る気は全くしなかった。


「当然、だって親子ですもの」


 と言いながら、娘には絶対ありえない柔らかい笑みを作っている。


「でも~、表面上はあんな感じだけどイスナちゃんは先生の事をそんなに悪く思ってないわよ?」

「そ、そうですか……?」

「うん、本当は仲良くなりた~いってのが顔に出てるもん」

「顔に……」


 そう言われてイスナの顔を思い浮かべるが、あの自分以外の全て見下しているようなキツイ印象を受ける顔しか思い浮かばない。


 到底、俺と仲良くなりたいと思っているだなんて考えられない。


「あ~! この顔は信じてない顔~!」


 エシュルさんは俺の顔を下から覗き込みながら、指先で頬をツンツンと突いてくる。


「いや、まあ……」

「じゃあ~、そんな先生にイスナちゃんと仲良くなれる簡単な方法を教えてあ・げ・る」


 俺の頬を指先で突きながら、それに合わせて言葉を区切る。


 お酒は出ていなかったはずだが、まるで酔っ払いの相手をしているような気分になってくる。


「仲良くなれる方法……ですか?」

「うん、知りたいでしょ?」

「ええ、まあ……」


 仲良くというと少し語弊があるかもしれないが、ちゃんと認めてもらいたい気持ちは当然ある。


 この際、それを自分だけで成し遂げるのは二の次だ。


「んふふ、それじゃ~あ~、後で教えてあげる」

「後で……ですか?」


 今は教えられないとは一体どういう方法なんだろうか。

 全く見当もつかない。


「うん、楽しみにしておいてね~。よいしょっと……それじゃあ、おやすみなさ~い」


 そうして、エシュルさんは意味深な言葉だけを残して室外へと出ていった。

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