第16話:もう一人のメイド

「それでサン様を格闘術で、イスナ様を魔法で打ち負かしたと……」

「はい、そうなります……」


 机以外は何もない取調室のような部屋で、昨日と同じくロゼと対面する。


 その顔からは相変わらずどんな感情を抱いているのか読み取れない。


 狭い部屋で距離が近い事もあってか、高級な石鹸のような甘い香りがロゼの方からほんのりと漂ってきているのだけが分かる。


「何故、敬語なのでしょうか?」

「いや、それは……勢いのままついやりすぎたなーと今更ながら反省というか……」


 よく考えれば、いやよく考えなくてもいくら時間がないとはいえやりすぎた感がかなりある。


 特にイスナはあの後授業が終了するまで、一言も発する事は無く顔を伏せて黙り込んでいた。


 何を考えていたのかは分からないが、想定以上に彼女の自尊心を傷つけてしまった可能性がある。


「反省? 何故ですか?」


 手元にある調査書に何かを書きながら、ロゼが俺の顔を見てそう言う。


「いや、その……流石にやりすぎたかなと……」

「問題ありません。この調子で明日以降もお願いします」

「問題ない? まじで?」

「はい、まじです。もっとお嬢様方の鼻っ柱を折ってくださっても大丈夫です」


 ロゼは顔色一つ変えずにそう言った。


 このメイドは冗談を言わない。


「てっきり大事なお嬢様たちに何をしてくれてんだってくらいは言われるかと……」

「その程度で心まで折れるような方々ではありません。それに教育方針に関しましてはフレイ様に一任しております。如何様にでもなさってください」

「俺に一任か……」


 そう言ってくれるのは非常に楽でありがたいが、当然かかってくる重圧も大きくなる。

 何故そこまで信頼されているのかも不気味に思えてくる。


 これでもし三ヶ月後の試験で失態を晒せばどうなるのか、今はあまり考えないでおこう。


「それでは、夕食のご用意を……と言いたいところなのですが」

「なのですが?」

「一人、ご紹介しなければいけない者がいるのを忘れていました」

「紹介?」

「はい。リノ、入ってきてください」


 ロゼが出入り口である扉の向こうにそう声をかけると――


「はいはーい! こんにちはー! あれ、もうこんばんはかな? まあどっちでもいいや! ロゼお姉様のお呼び出しにお答えして、リノちゃんただいま見参致しましたー!」


 勢いよく開かれた扉の向こうから変な奴が現れた。


 桃色のショートヘアの中から生えた猫のような耳。

 スカートの脇からはみ出て、ひょこひょこと存在感を主張している猫のような尻尾。

 サンと同じくらいの大きくない身体をロゼと同じメイド服で包んでいる。


 いわゆる獣人と呼ばれている亜人種だ。


 実際に見るのは初めてだが、あいつらで散々驚いたので今更驚かない。


 それよりもこの妙な調子の方に戸惑いを覚える。


「もしかして、が前に言ってたもう一人の使用人か?」

「はい、私の補佐を務めてもらっているリノと言います」


 そういえば、以前にもう一人使用人がいると言っていたな。

 あの姉妹の事で頭がいっぱいで完全に忘れてしまっていたが、まさかこんな奴だったとは。


「はーい! どうぞよろしくでーす!」


 そう言って、リノは手を後ろに大きく上げながら一礼する。


「彼女は主に屋敷内の清掃などを担当しています。フレイ様のお部屋の清掃がご入用でしたら気兼ねなくお申し付けください」

「はーい! いつでもお掃除しちゃいまーす! あっ、でもでもえっちな本はちゃんと隠しておいてくださいね! 見つけちゃったら机の上に並べないといけないので!」

「こんな子ですが、仕事は確かですので」

「はーい! 確かでーす!」


 リノが座っているロゼの隣まで移動し、その肩に手を乗せながら言う。


 そのお調子者という表現ではもはや収まりきらない人となりは見ているだけで心配だ。

 けれど、ロゼのお墨付きがあるということは仕事に関しては確かなんだろう。


 一見すると相性が悪そうな二人に見えるが、この感じからすると意外と長い付き合いのようだ。


 いつも無表情なロゼとは真逆に、リノは部屋に入ってきてから人懐っこい小動物的な印象を受ける笑顔を絶やさずに浮かべている。


 このくらい凸凹な方が意外と相性がいいのかもしれない。


「……何か?」

「いや、なんでもない」


 そんな事を考えながらロゼの方を二人を見ていたら、ロゼから逆に訝しげな視線を向けられてしまう。


「優秀な人間のセンセーって聞いてたから、どーんなもやし眼鏡野郎が来たのかと思ってたらー、意外と正統派のイケメンさんでびっくり!!」

「はぁ……」

「結構タイプかもー! もしかしてもしかしてー、ひとつ屋根の下で暮らす間に恋に発展! なーんてことになったらどうしましょー! きゃー! でも、ダメ! リノにはお姉さまが! あ~ん、でもでも~!」


 リノは完全によく分からない一人の世界に入ってしまっている。


 本当に大丈夫なのか、こいつ……。

 これでよく魔王の娘の世話なんて大役を任されたな……。


「ダメ! ダメよリノ! 深呼吸! 深呼吸よ! ひっひっ、ふぅ……よし! なんとか誘惑を乗り切りました! というわけで! お掃除以外のデリバリーなご奉仕は受け付けていませんからね! そこのところ勘違いしないでくださいね!」


 リノが俺にビシっと指を突き立ててそう宣言する。


「そもそも何も言ってないんだけど……」

「え? 本当ですか!? この尻尾がどこから生えてるのか気になったりしないんですか!?」


 リノが自分の尻尾を触りながら大真面目な顔でそう言ってくる。


 未知の人種にどう対処すればいいのか本当に全くわからない。


「いや、全く気にならないな……」

「こんなに可愛いメイドさんに手を出そうとか思わないんですか!? 男の夢じゃないんですか!?」


 リノが互いの息が吹きかかりそうな距離までぐいぐいと詰め寄ってくる。


 どう答えても藪蛇になりそうで返答に窮する。


 と言うかされたいのかされたくないのかどっちなんだ。


 いや、そもそもしないけども。


「それでは私は夕食の準備に参ります」


 ロゼはそう言って、リノの相手を押し付けて行くように立ち上がり、部屋の出口の方へと向かっていく。


「どうなんですか!? 本当は尻尾の根元がどうなってるのか気になってるんじゃないですか? 大人しく白状してください!」

「いや! 本当に気にならないから! 大丈夫だから!」


 そんなよく分からない押し問答を繰り広げていると不意に――


「フレイ様、もしそう言った処理が必要でしたらいつでも私にお申し付けください。お嬢様方に手を出されると困りますので」


 想定外の方向から飛んできたとんでもない言葉が耳を通り抜けた。


 リノと二人揃って、全く同じ動きでぎこちなくロゼの方へと顔を向ける。


「ロ、ロゼさん……?」

「お、お姉さま……?」


 部屋の出口の前に立っているロゼは極々僅かな照れを含んだような無表情で俺の顔を数秒ほどじっと見つめてから――


「冗談です。それでは失礼致します」


 間抜けな顔を並べている俺たちを置いて部屋の外へと出ていった。


「……はっ! お、お姉さまー! 待ってくださーい! 今のはどういう事ですかー!?」


 それから一拍置いて、リノがロゼの後を小走りでぱたぱたと追いかけて行く。


「一体何だったんだ……」


 また妙な同僚が増えたなと思いながら、あの無表情なメイドは時々とんでもない冗談をぶちこんで来る事実を新たに学んだ。

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