第13話:授業の一環

 屋敷の裏手側にある大きな広場。

 

 まるで森の一部を大規模な炎系魔法で焼却してから整備したように余分な物は一切ない。

 

 学院にあった校庭と比べると幾分か小さいが、俺を含めた六人で使う分には十分すぎる程の広さを有している。


 武術や魔法と言った戦闘関連の授業を行うには持ってこいの場所だ。


「いやー、いい天気だなー」


 天気は快晴、加えて程良い風も吹いていて外で授業をするには絶好の日和だ。


「そんな事いいからさっさとやるぞ!」


 陽の暖かさを感じながら軽くストレッチをしていると、サンがそう言ってくる。


 俺を早くぶちのめしたくて、もう我慢できないらしい。


 他の姉妹達四人は少し離れたところから見物している。


 サンを除いた上の二人はともかく、フェムまでちゃんと来ているのは予想外だった。

 この子も俺がやられるところが見たいのか、それとも意外に真面目なのか。


「あの、先生……やっぱり止めた方が……」


 その中で、フィーアだけが心配そうに声をかけてくる。


「ん? どうしてだ?」

「サンちゃん、すごく強いですし……それにやっぱり喧嘩は……」


 喧嘩。


 なるほど、この子の目にはそう映っているわけか。


「大丈夫だ。これは喧嘩じゃなくて授業の一環だからな。ひどい怪我をするような事にもさせるような事にもならない」

「フィーア! 邪魔すんな! お前だって本当は人間の先生なんて嫌だって思ってんだろ!?」

「私は別に……そんな……」


 フィーアはサンの言葉をすぐに否定しようとするが、そう思っていても不思議ではない。いや普通なら思っていて当然だ。


 だからこそ俺は今から証明しなければならない。


 お前らの先生を任された男は意外とすごい男だと。


「イスナ、審判はお前に任せるぞ」

「は!? なんで私がそんなことしなきゃならないのよ!」

「格闘術の授業が見たいって言ったのはお前だろ?」

「……分かったわよ!」


 数秒の逡巡の末に、イスナが渋々その役割を請け負ってくれた。


 俺の言う事を聞くのは嫌だが、断って話が無くなるのはもっと嫌らしい。


「イスナ姉ぇ! あたしはいつでもいいよ!」

「俺もいつでも大丈夫だ」


 互いに準備が完了して、向かい合う。


 距離はおおよそ10メルトル。


 実際にこの目で見たわけではないが、サンの身体能力が書類通りであるなら殆ど無いに等しい間合いだ。


「それじゃ……」


 イスナが気だるげに手を高く上げ、サンが身を低くして構える。


 その細く引き締まった四足の獣のようなふくらはぎが収縮し、膨れ上がっている。


「はじめ」


 イスナの手が振り下ろされる。


 同時にその下半身に溜められていた力が爆ぜ、一陣の風の如き素早さで俺へと飛びかかってくる。


「ぶっ飛べ!!」


 予想通り、サンの身体が一瞬にして俺の目の前に到達する。

 そのまま右拳を俺の顎下に向かって振り上げてくる。


 慌てずに各可動部を素早く動かして上半身を反らし、その一撃を避ける。

 まるで小型の台風が身体のすぐ側を通ったような風圧が、首から頭にかけてを撫でていく。

 格闘には自信があると言っていただけはある。

 まともに当たれば常人なら首から上が無くなってもおかしくない程の一撃だ。


 まともに当たればな。


「あ、あれ……?」


 完全に捉えたと思った一撃を外し大きく体勢を崩したサン。


 その顔には大きな困惑を浮かんでいる。


「狙いが馬鹿正直すぎる。いくら身体能力が高くてもそれじゃあ宝の持ち腐れだぞ」

「う、うるせぇ! それならっ!」


 崩した体勢を即座に回復させると、今度は右足を軸にして左腕に大きな溜めを作り始める。


「遅い」


 だが攻撃を空振ったサンに対し、俺の軸足は体勢を立て直す必要もなくしっかりと残っている。


 そのままサンよりも一手先に、まだ十分に戻りきっていなかった彼女の軸足を横から軽く小突くように蹴る。


「わっ!」


 想定外の方向から力をかけられたその足はあっさりと地面から離れる。

 自分の溜めた力を支える軸を無くしたサンは、ストンと地面に向かって落ちた。


 そして、そのお尻を地面に強く打ちつけた。


「いったた……。なんであたし、コケて……」


 サンは自分の身に何が起こったのかも気づかずに、強く打ち付けたお尻をさすっている。


「審判? 今のは一本じゃないのか?」


 審判を務めているイスナに向かってそう言う。


 魔族界でのルールは知らないが、人間界での模擬格闘戦ならあれだけ派手に尻もちをつかされた時点で勝負有りだ。

 もしここが沢山の生徒がいる学校か、格闘大会などの場であればサンには大きな嘲笑が浴びせられている。


「え? あ……、え?」

「おいおい、まさか見てなかったのか?」

「いや、見てたけど……え?」


 イスナは唇に手を当てて、困惑の声を上げている。

 彼女は俺がサンに軽くのされる想定しかしていなかったらしい。


「い、今の無し! あんなの全然効いてないし! もう一回!」


 そう言って飛び跳ねるように立ち上がるサン。


 再び戦闘体勢が取られる。


 しかし、威勢の良い言葉とは裏腹に強く打ったお尻を何度も痛そうにさすっている。


「まあ……審判が見てなかったのなら仕方ないな。イスナ、次はしっかりと見てるんだぞ?」

「え、ええ……」


 再び試合開始の合図が下される。


 またも真っ直ぐに突っ込んできたサンを適度にいなして、足払いをかけて転ばす。


「も、もう一回!」


 その後もサンの攻撃は俺に掠ることさえなく。


「どうした? 自信があるんじゃなかったのか?」

「もう一回!」


 サンはただひたすら尻もちをつき続ける。


「そろそろ疲れてきたんじゃないか? もうやめとくか?」

「まだ! まだやる!」


 そんなやり取りはあっという間に二十回近くに及んだ――


「もう満足したか?」


 遂に起き上がる気力も無くし、大の字になって地面に寝転ぶサンを見下ろしながら尋ねる。


「なんでぇ……なんで勝てないのぉ……」


 息を荒らげながら泣きべそをかいてしまっている。


 少し大人気なかった気もしてくるが、三ヶ月という短い期間でこの子たちを成長させるには必要な試練だ。


「なんでだと思う?」


 その場にしゃがんで、サンの潤んだ目を見て質問を投げかける。


「お前が……ずるした……。そうじゃないとあたしが人間なんかに負けるわけがないもん……」


 涙が溢れるのを堪えるような震える声でサンが言う。


「と言う事らしいが、審判的にはどうだったんだ?」

「……魔力を行使したような気配は無かったわね」


 イスナに尋ねると、彼女は少し悩んでから不満げに答えた。


 ずるというのが魔法による身体強化などを指すのであれば、俺は一切やっていないので当然だ。


「うそだ……。絶対ずるしてる……」

「ずるじゃない。俺とお前の差はつまり、理合いの差だ」

「……りあい? ……何それ?」


 その言葉を聞いたサンが身体を起こし、俺と目線の高さを合わせて尋ねてくる。


 自信のあった格闘戦で俺に手球に取られたのが余程悔しかったのか、その目には涙が溜まっている。


「身体の動かし方から相手との間、相手の動きに至るまで、戦闘に纏わる一つ一つの事にもっと頭を使えって事だ」

「頭……? 頭突き……?」


 なんでそうなる……。

 身体能力は抜群なのにこれじゃあ宝の持ち腐れだ。


「全然違う、もっと考えて戦えって事だ」

「考えるの苦手だもん……」

「知ってる。でも、もっと強くなりたいだろ?」

「……うん」


 涙が零れ落ちそうになるのを堪えた表情のまま、サンは小さく頷く。


「よし、それじゃあちゃんと俺の言う事を聞け。そしたら絶対に強くしてやる」

「ほんとに……?」

「本当だ、ちゃんと座学も頑張ったらな」

「考えとく……」


 考えとく……か。

 まあ、教室での態度からすれば大きな進歩だ。


「フィーア、サンの手当をしてやってくれ」

「え? あ……は、はい!」


 フィーアがサンの方へと向かって小走りでやってくる。


「サンちゃん、大丈夫?」

「へ、へーきだし。泣いてなんてないし……」

「え? 泣いてたの?」

「ち、違う! そういう事じゃなくて! 自分で立てるから!」


 フィーアが手を貸そうとしたのを跳ね除けて、サンは自力で立ち上がる。


 手心を加えたとはいえ流石にあれだけ繰り返せば、どこかに怪我を負ったんじゃないかと思ったが、そうでもないらしい。


 流石は魔族、頑丈だ。


 さて、それじゃあ次は……。


「よし、イスナ。次はお前の番だな」


 審判の役割など一つも果たさずに、ただ呆然と俺の方を見ていただけのイスナに向かってそう告げる。

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