第12話:計画通り

 白墨が黒板に当たる小気味の良い音が室内に響く。


 この屋敷に来て、魔王の娘たちの教育係として初めての授業は算術を選んだ。


 俺に対して最も露骨な悪感情を抱いている二人が来るかどうかが焦点だったが、父親の命令だという話が効いているのか五人全員がきちんと揃っていた。


「あのー……、先生? これで……どうでしょうか?」


 黒板の前、俺が示した算術の問題を解き終えたフィーアが隣から声をかけてくる。


「……すまん、少しだけ待ってくれ」


 自信有りげな表情で俺の沙汰を待つフィーアを一旦待機させて、まるで巨大な獣が唸り声を上げているかのような大きないびきをかいているサンを見据える。


 教壇の上に備えられている小さな箱から、ひとかけらの白墨を取り出す。


 そのまま心地よさそうに寝ているご令嬢の一人に向かって手首のスナップを利かせて投げる。


 古来より伝わる教師だけが使用可能な奥義。


 こちらを向いている青い髪の真ん中――つむじの辺りに命中する。


「いてっ!」


 眠り姫が飛び起きる。


 椅子と机をガタッと揺らし、机の上にあった本や筆記具などが木目調の床へとばらばらと落ちていく。


 目が覚めたサンはきょろきょろと辺りを見回し、自分の身に何が起こったのかを確認し始める。


 まず軽く握った手を口元に当てて失笑を漏らしているアンナを。


 次にいびきがうるさかったのにイライラしてたのか胸がすいたような表情を僅かに浮かべているイスナの方を。


 そして、最後に正面俺を見ると――


「お前かぁ!! 何しやがった!!」


 俺に向かってビシっと人差し指を突き立てながらそう叫んだ。


「それはこっちの台詞だ。初めての授業中に堂々と寝るな」

「ふんっ! 知るか! お前の話がつまんないのが悪いんだよ!」


 サンはその鋭利で長い耳をピクピクと動かしながら立腹している。


「つまらない? 単に算術が苦手なだけじゃないのか?」

「そ、そんなわけないだろ! 人間ごときが偉そうな口を利くな!」

「そうか、なら……」


 新しい白墨を手に取り、それで黒板に問題を書いていく。


 人間の学校なら中等部で習うような簡単な問題だ。


「これを解いてみろ。解けたらお前だけ座学は全部免除にしてやる」

「ほ、ほんとか!?」

「ああ、本当だ。俺はそんなつまらない嘘はつかない。だけど不正解だったら大人しく授業を聞いてもらうからな」


 それを聞いたサンの顔がぱぁっと明るくなる。


「二言はないからな!」


 険しい表情を浮かべながらゆっくりと黒板へと向かうサン。


「よ、よし……。こんくらい……出来るに決まってんだろ……」

「ならさっさと解いてみろ」


 勢いよく白墨を黒板に突き立てる音がシンとした教室に響く。


 しかし、勢いが良かったのはそこまで。


 次の瞬間にはまるで時間が止まったか、あるいは故障した自動人形のようにその身体が固まった。


「えっと、2が3で……5が……」


 浅黒いその肌にじめっとした汗を浮かべながらうわ言のように何かをつぶやき始める。


「どうした? そのまま夕飯の時間まで突っ立ってるつもりか?」


 挑発の言葉を口にするが、サンの耳には届いていないようだ。


 いつもの憎まれ口は返ってこない。


 サンを挟んだ俺の向かい側では、フィーアがどうすればいいのか分からずにあたふたしている。

 一番真面目に授業を受けてくれているフィーアには申し訳ないが、今日は授業が目的じゃない。


 まずは今後のために、この環境をどうにかしなければならない。


「ににんがし、にさんが……だから……こうだ!」


 屋敷中に聞こえそうな程に大きな声で叫ぶと同時に、サンが白墨を黒板の上で滑らせる。


 そして、黒板の空白を使い切るかのように大きく書いた……。


 『2』と。


「ふふん! どうだ!」


 まるで大きな偉業を成し遂げたように、腰に手を当てて胸を張っている。


「残念ながら大外れだ」


 どう計算したらこうなるのか逆に教えて欲しいくらいの大間違いだ。


「ええー!? 嘘だ! お前、免除したくないからって嘘をついてるな!」

「嘘じゃないし、そもそも途中式も無しに答えだけを書くやつがあるか。とにかく間違いは間違いだ。約束通り大人しく授業を受けてもらうぞ」

「嫌だ! そもそもこんなもん出来たからって何の役に立つんだよ!」


 出た、勉強嫌いの定型句。


「算術の能力は役に立たなかったとしても、問題に直面した時の解決能力が培われる」

「問題? そんなもんぶっ飛ばしてやればいいだろ、こうやって! こうやってさ!」


 そう言いながら、何もない中空に向かって殴る蹴る動作を繰り返す。


「なるほど、サンはそっちの方に自信があるってわけか」

「当たり前だろ! あたし達は人間とは違うんだよ! 父様だってそうやって王様になったんだからな! ていうか馴れ馴れしく呼び捨てに……すんなッ!」


 そう言いながら一気に蹴り上げられた足が俺の顔の真横でピタりと止まる。


 一拍遅れて右半身に強い風圧。

 吹かれた前髪が額を撫でる。


「ふんっ! どうだ! 見えなかっただろ!?」


 自慢気にしているだけあってなかなかの上段回し蹴りだ。


 それをこの限られたスペースで出来る天性の柔軟性も備えているのが分かる。


 当たっていれば常人なら一発で昏倒、下手すれば首の骨が折れて死ぬ可能性まである。


「ああ、なかなかいい蹴りだ」


 率直に褒めてやると、サンは得意げに鼻を鳴らしながらその足を下ろす。


 予想通り、この子が一番分かりやすい。


「ねえ、じゃあ次はそれで白黒つければいいんじゃないの?」


 目の前にいるサンからではなく、座っているイスナがそう言う。


「それ?」

「そう、格闘術だって立派な武術の授業でしょ? それでサンに負けるような人に教えを請うなんてのは到底無理な話よね。それとも、か弱い人間さんには算術以外で魔族の相手は荷が重いかしら?」


 そう言うイスナの顔からは先程までの気だるさは消え、ニヤニヤと嘲るような笑みを浮かべている。


 その表情からは、この挑発に乗った俺が格闘戦でやられるのを心待ちにしているのがはっきりと伝わってくる。


「そうだそうだ! イスナ姉ぇの言う通りだ! 弱っちい奴の言う事なんて聞きたくもないだけで、別に勉強が出来ないわけじゃないんだからな!」


 それは嘘だ。


 例の書類にもはっきりと勉強ができないと記されていた。


「あ、あの……サンちゃんもイスナ姉さんもあんまり先生を困らせるような事を言うのは……」

「「フィーアは黙ってて!」」

「はぅ……」


 二人同時に凄まれたフィーアが一瞬にして萎縮している。


 かわいそうに……。


 本来止めるべき立場の長女はいつもと変わらずに薄らとした笑みを浮かべながら我関せずとことの成り行きを眺めている。


 サンやイスナのように突っかかってくるわけではないが、俺がやられて消えるのなら、それはそれで一向に構わないと思っているようだ。


「分かった」

「え?」


 その言葉は予想外だったのか、中空に向かって何度も拳を突き出していたサンがその動きを止める。


「算術は一旦中断して外に出るぞ。予定ではもう少し先だったが、今から戦闘訓練の授業を始める」


 ここまでは完璧に俺の計画通りに事が進んでいる。

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