第10話:一方その頃
――フレイが魔王の娘たちと二度目の顔合わせをしていた頃。
ルクス武術魔法学院の校庭に、数十人の生徒たちが集まっていた。
数人単位の班が集まって組まれた方陣。
一糸乱れぬその統率は既に正規軍の一部隊と変わらない程に完成されている。
「えー……、今日は班単位での動きを学ぶ模擬戦闘訓練を行います」
中年の男性教諭が整列している生徒たちに向かって告げる。
「えー……、今年も開催される国内の全学生を対象とした武術競技会。『フェルド武術大会』ですね。今日の訓練が我が校からの参加者を選考する意図も兼ねているので、手を抜く事の無いように」
「はい!」
男性教諭の言葉に、整列した生徒たち――大会への出場を目標としている者から大きな返事が戻ってくる。
勇者ルクスの戦友であった戦士フェルドの名を冠したその大会は今年で十度目の開催となり、これまで開催された全大会でこの学院の生徒が優勝している。
優勝者にはただ名誉が与えられるわけではなく、観戦に訪れる国内の有力者たちの目に留まり、それらと深い繋がりを得る機会にもなっている。
それは名家の者にとっては家内における立場の向上に、そうでない者にとっても成り上がる絶好の機会となる。
故に限られた出場枠を得るため、学内でも熾烈な争いが繰り広げられていた。
「えー……、それで今から呼ぶ班の代表者は前方に。えー……まずはアリウス班!」
「はぁ~い」
気の抜けた軽い返事と共に、マイア・ジャーヴィスが紫の髪を弄りながら、ゆったりとした足取りで列の前方に躍り出る。
本来なら教師としては指導を行わなければならない態度。
しかし、国内における剣術の大家として知られるジャーヴィス家の長女に対してそれを行える者はこの学院をしても居なかった。
指揮を執っている男性教諭も若干眉を顰めるだけに留め、何も言わずに次の班の呼び出しへと移った。
「えー……対するはフレ……ではなく、アトラ班!」
「はい!」
マイアのものとは正反対の、凛とした返事が校庭に響く。
列の中から、リリィ・ハーシェルがその返事に違わない毅然とした態度で前方へと進み出てきた。
そのままマイアの前方に立ち、互いに向かう合う形になる。
「あら、
「そうみたいですね。お手柔らかにお願いします」
「うふふ、愛しの先生があんな事になってしまって、す~っごく気落ちしてたって聞いてましたけど、大丈夫なのかしら?」
マイアはくすくすと嘲るように笑いながら挑発的な言動を行う。
リリィがフレイから特に目をかけられていた生徒であったのは学院の誰もが知っていた。
「ご心配なく。先生の教えは全て、私の身体に刻み込まれています」
マイアのあからさまな挑発に対して、リリィは淡々と切り返す。
「刻み込まれているなんて意味深ねぇ。あっ、もしかして……貴方もあの平民に不適切な指導をされていたのかしら……。でも、平民同士ならお似合いかもしれませんわね」
全ては自分の企てた謀略である事を棚に上げながら、マイアはくすくすと嫌味な笑みを浮かべる。
しかし、そんなマイアに対してリリィはそれ以上は何も言わなかった。
マイアがリリィに対してこれ程に悪辣な振る舞いをする理由。それは二人が入学した直後の頃まで遡る。
当時のマイアは名家の出自である事に加えて、その類まれな剣の才能から周囲の誰からも新入生の筆頭として扱われていた。
本人も、ジャーヴィス家の長女として生まれた自分がそうあるのは当然だと考えていた。
自分に謙らない者や歯向かう者に対しては、時には学内だけで収まらない手法を使ってまで追い込みもかけた。
そんな増長の極みに達していたマイアの前に現れたのが、平民の出自である同級生のリリィだった。
分をわきまえずに入学してきた平民に対して身の程の違いを教えよう、そう考えたマイアは剣術の授業中に行われた模擬戦の相手として彼女を選んだ。
生まれてから常に最高の環境で、最高の教育を受けてきた最悪な性格の貴族による残虐な平民虐めが始める。
本人を含めた誰もがそう思っていた中でマイアを待っていたのは手も足も出ない完敗。
これ以上にない屈辱的な敗北だった。
それから間もなく、世代の筆頭だと呼ばれていたマイアの名前は消え、いつしかリリィが代わりにそう呼ばれるようになっていた。
更に数ヶ月か経過すると嘗てはマイアを取り巻いていた貴族の中からもリリィを慕う者が出てくるほどになっていた。
その屈辱的な状況の中でマイアは決意した。
あの女から全てを奪ってやると。
その手始めとして選ばれたのが、リリィが最も敬愛していた同じ平民である教師のフレイだった。
マイアの担当教諭であり、婚約者でもあるアリウスとも利害が一致し、その謀略はいともたやすく達成された。
誰からも疑われる事無く、誰にも惜しまれる事無く、フレイ・ガーネットは学院からも街からも消え、リリィの心にだけ大きな傷跡が残った。
しかし、それでもマイアは全く満足しなかった。
フレイと同じようにリリィを謀略にかけて学院から追放するのは容易だったが、その選択はしなかった。
マイアの心にあるのは、どんな手を使ってもリリィを自分の前に跪かせて敗北を認めさせる願望。
そうすればようやく失われた自尊心を取り戻せる。
そう考えながら、マイアはリリィと向かい合う。
一方でリリィは恩師との約束を守る為に絶対に負けるわけにはいかないと考えながら、マイアと向かい合う。
二人に用意された戦いの場は班と班による三対三の多人数戦を想定した訓練。
頭部か胴体に一太刀を入れられるか、もしくは攻撃の手段を失った時点で戦闘不能。
最終的に一人でも残っていた班の勝利という単純な形の模擬戦である。
「えー……、それではアリウス班とアトラ班による模擬戦を始める。両者、礼」
男性教諭が宣言すると、リリィはしっかり深々と、マイアは浅く一瞬だけ頭を下げた。
学年の筆頭を争う二人の戦いを前にして、整列している他の生徒たちも興奮を隠しきれずにただの観客と化している。
そうして互いの頭の位置が元に戻ったと同時に――
「開始!」
試合の開始が告げられた。
先手を取ったのはマイア班の三人だった。
予め決められていた一対一を三つ作るという動きで分かれ、リリィにはマイアが対応して、他の二人への介入を防いだ。
そして、予め決められていた通りにリリィの班員二人が開始の合図から間もなく武器を弾かれて戦闘不能となった。
当然、それは実力によるものではない。
ここでリリィを見捨てれば後で十分な見返りを用意するとマイアが事前に因果を含めていた故の出来事である。
マイアにとって勝利とは、正々堂々とした勝負の末に勝ち取るものではなかった。
それはただ相手を自分の前に跪かせる事であり、過程には何の意味もなく、どんな手を使っても良いと考えていた。
「あら、お仲間はもうやられてしまいましたわよ」
マイアは相対する仇敵の太刀筋に、以前対面した時の重さも鋭さも無いと判断して更に攻勢をかけ続ける。
自分が強くなったのか、それとも傷心のリリィが弱くなっているのか。
そんな事は彼女にとってどちらでも良かった。
頭にあるのは、今がこの憎い女をいたぶって跪かせる好機である事実のみ。
「くっ……!」
マイアの攻撃を一度大きく弾いたリリィが後方へと大きく距離を取る。
「あら、リリィさんともあろう方が逃げられるなんて……情けないですわね……。でも……もうお終いですわね……」
マイアがその紫の髪を優雅に翻しながら、ゆっくりとリリィに近づく。
もう二人の班員も合流して、完全な三対一の状況になる。
見ている者の誰もが終わりだと思った。
ここからあの残忍な女による趣味の悪い見世物が始まると。
だが、窮地に立たされているリリィの頭の中にあるのは、この戦いの勝敗でも、武術大会の出場枠でも、ましてやマイアの事でもなかった。
先生。
先生。
先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生。
フレイは今どこで何をしているのか。無事でいるのか。何を考えているのか。自分の事を忘れていないか。
リリィはただそれだけをあの時から今の今までずっと考え続けていた。
離れれば離れる程、会えない時間が長くなればなる程に。
その想いは強く、重くなっていく。
リリィはあの時に貰った髪飾りに触れながら、同じく貰った言葉を頭の中で反芻する。
教えを守っていれば、必ずまた会える。
何度も反芻しながら剣を正眼に構えてマイアを含めた三つの障害に対して向かい合う。
「ぷっ……あっはっは! まだやるつもりですの? 往生際が悪いですわね!」
勝利を確信している三人が、取り囲むようにじわじわとリリィへ近づいていく。
後は猫が瀕死のネズミで遊ぶように、ただ時間をかけてじっくりといたぶればいい。
そう考えながらマイアは、一歩、また一歩と天に至る階段を上るような気分で歩みを進めていく。
リリィが大きく深呼吸をする。
そして、両者の距離が2メルトル程まで近づいたその瞬間――
一閃。
相対しているマイアたちだけでなく、観ていた者ですらリリィが三人の後方に瞬間移動したようにしか見えなかった数度に及ぶ神速の斬撃。
模擬戦用の剣を鞘に収める心地の良い音が無音の校庭に響いた。
それに合わせて、マイアを挟むように立っていた二人の生徒が糸の切れた人形のようにその場に倒れた。
「え? な、何……がっ……い゛っ……」
目の前からリリィが消えた状況を飲み込めずに、左右を一度ずつ見回したマイアを次に襲ったのは腹部への強烈な痛み。
耐えきれずに、マイアは膝から崩れ落ちる。
「今のは、有効な一撃ではありませんでしたか?」
目と口を丸くして呆然と事態を見つめている男性教諭に向かってリリィが尋ねる。
「え、えー……しょ、勝負有り! フレ……アトラ班の勝利! 全員、せいれ……つは無理か。誰か! 医務室に運んでやってくれ!」
アリウス班の三人、その内の二人は完全に気を失って地面に倒れている。
なんとか意識は保っているマイアも地面に膝をついて悶絶している。
もし訓練用に魔法の保護が剣にかけられていなければ三人は間違いなく即死していた。
リリィはそんな無様な姿を晒しているマイアの横を通り過ぎて定位置へと向かう。
「こ、こ……の……へ……み……のぶんざ……で……また……」
痛みによって言葉すらまともに紡げずにいるマイア。
彼女は勝利を我が物として優雅に歩いていく仇敵の姿をただ見上げる事しか出来なかった。
その姿を見て、整列していた生徒たちからも揶揄と同情の入り混じった笑い声が漏れ出してくる。
「剣の大家なんて言ってるけど、ジャーヴィス家の案外大した事ないんじゃないか?」
「いやいや、あれは流石に相手が悪すぎるだけだろ……」
「でも見ろよあの無様な姿、散々調子に乗ってたからいい気味だ」
「はぁ……リリィさん素敵……。どうにかして私の婿養子に迎えられないかしら……」
「婿って……それは無理だろ……」
そのままリリィはマイアに一瞥をくれる事もなく、男性教諭に向かって一礼すると列の中へと戻っていった。
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