第2話:首謀者たち

 途方も無い絶望感に包まれながら学院の廊下を歩く。


 クビだなんてありえない。俺にはまだやらなければならない事が山程残っている。


 そんな俺の心情を表しているのか、学校とは思えない高級な装飾品の数々に彩られ、いつもは輝いて見える豪華絢爛な廊下も今は妙にくすんで見える。


 私物の回収に教員室に寄ろうかと考えたが、全会一致で俺のクビに賛同した奴らとは顔も合わせたくない。

 どうせ大した物は置いていないし、いっそ捨ててもらった方が清々する。


 俺の真後ろには妙な気を起こさないように監視するためか、二人の衛兵がついている。


 昨日までは先生だったのが今や犯罪者予備軍扱いだ。


 いや、もしかしたら公に事件化しなかっただけで内々では本当に犯罪者として扱われているのかもしれない。


 失意の中、再び学院の外へと向かって歩を進める。

 そうしていると、これまでなんとか考えずにいようと思っていた一つの答えにたどり着いてしまう。


 誰かが仕組んだのではないか。


 どれだけ考えても自分が何かやった記憶がない俺にはそう結論づけるしかない。


 貴族によって支配されているこの学院において、平民の出である俺が目障りだと思う人間はいくらでもいる。


 全会一致で俺の追放が決まった事からも分かるように、表面上だけは上手く付き合っていた奴らですら今となっては裏で何を考えていたのか分からない。


 しかし、それももう終わった事でこれ以上考えても益はない。


 もし俺が何らかの証拠を掴んで理事会に突き出したとしても、もみ消されて判断は覆らないだろう。


 嫌な考えを振り払いながら廊下を進んでいると、突き当たりの陰に人の気配があるのを感じた。


 一つ、いや二つの気配は自分たちの存在を隠そうとせずに俺の方を見ている。


 更に近づくとその正体はすぐに顕になった。


「アリウス……」


 二人の内、一人は同僚。


 いや、元同僚のアリウス・フォードだった。


 この学院においては俺とは対極の存在。


 超がつく程の名家の出身で、それを鼻にかけまくる嫌味な男だ。


「嗚呼……フレイか。話は聞いたよ。平民の出でありながら、努力を積み重ねてこの地位まで上り詰めた君の事を私は尊敬していたというのに……まさか生徒に手を出すなんて……。実に残念だ」


 いつもと全く変わらないキザったらしい所作で金色の髪の毛を掻き上げながら、間違いなく微塵も心にも無いであろう言葉を口にする。


「先生。私、怖いですぅ……。フレイ先生がまさかあんな事をする人だったなんて」


 続けてそう言ったのは元教え子の一人であるマイア・ジャーヴィスだった。


 同じく名家の出身で、平民の出である俺に対してはいつも不遜な態度を取っていたその女生徒。


 彼女ははわざとらしく身体を震わせながらアリウスにその身を寄せる。

 その目にはまるで犯罪者を見るような色が浮かんでいる。


 だが紫色の長い髪の毛を指先で弄りながら、言葉とは裏腹に口元があざけるように歪んだのを俺は見逃さなかった。


「大丈夫、心配いらないさ。僕がいる限りは君に指一本だって触れさせやしない」

「お前ら、休日のこんな時間に何をしてるんだ……?」


 休日、それも日の沈んだこの時間帯に教師はともかく生徒が学院内にいるのは明らかに不自然だ。


 疑念がふつふつとこみ上げてくる。


「部外者の君にはもう関係のない事だ。分かったなら早く消えたまえ」

「そうですわ。へ・い・み・ん・さん」


 しっしっと追い出すような所作をするアリウスの横で、ほとんど抱きついているような形でアリウスに身を寄せながらマイアはくすくすと嘲笑っている。


「なるほど、お前らか……」


 疑惑はほぼ確信へと変わった。


 ここまであからさまだと怒りを通り越して清々しさまである。

 

 こいつらも俺が何を言ったところで判断が覆る事は無いのを理解しているのか、隠す気はさらさらないようだ。


 こんな場所で出会ったのは偶然でもなんでもなく。


 俺の落ちぶれた姿を見て、実質的な勝ち名乗りを上げるためにここで待っていたという事だろう。


「おお、怖い怖い」

「きゃ~、せんせ~。私こわ~い」


 わざとらしい口調でそう言いながら、マイアがアリウスに更に強く抱きつく。


「私の可愛い生徒に手を出すような真似は許さないぞ」

「先生、かっこい~」


 反吐が出そうな三文芝居だ。


 こいつらの方がよっぽど不適切な関係を匂わせている。


「……ぷっ、あっはっはっは!」


 だが、白々しくマイアを守るように前に立つアリウスを見て、思わず盛大に吹き出してしまう。


「な、何がおかしい!?」


 俺が急に笑い出したのに困惑したのか、アリウスが狼狽えながらそう食いかかってくる。


「いや……お前に守れるのかって思ってな。前みたいに“可愛い生徒”の前で無様な姿を晒すだけにならないかってな」


 あの時の事を思い出すと更に笑いがこみ上げてくる。


「き、貴様ぁ……。平民の分際で私を愚弄する気か? あの時は少し調子が悪かっただけでだな――」


 血が滲みそうな程に下唇を強く噛み締めながら俺の方を悔しそうな表情で睨まれる。


 どうやらあの出来事はこいつにとっても思い出深い出来事だったらしい。


 あれは確か生徒たちが実技訓練に入る前に、俺とこいつが手本として模擬戦を行った時の事だった。


 本来なら生徒達に分かりやすいように互いに手を抜きながら実演するところを、何を思ったのかこいつは本気で俺を倒しに来た。


 当時はただ困惑するばかりだったが、今思えば平民上がりにも拘らず同じ立場にいる俺が疎ましかったんだろう。


 しかし、立場は同じだったがその実力に大きな差がある事までには気がついていなかったらしい。


 本気で向かってくるこいつに対して俺も手加減が出来ずに本気で向かった結果……。


 こいつは生徒たちの前で完膚なきまでに叩きのめされ、まるで踏み潰されたカエルのように無様な姿を晒すことになった。


 この反応を見るに、もしかしたらあれを今の今まで引きずり続けた結果がこの状況なのかもしれない。


「なるほどな……。あの時負けてやれば良かったって事か」


 そうしていれば、今こうなることも無かったのかもしれない。


 いや、目の前にいる男の矮小さを考えればいずれは同じ結果になっていたか……。


 それに今、現実としてこうなっている以上はあの時ああしていれば良かったなんてのは無為な話だ。


「はっ! その減らず口も今日までよ! 貴様は今この時点を以てただの平民へと逆戻り! 最後に勝ったのはこの私という事だ!」


 最早自分が仕組んだ事であるのは隠そうともせずに、声を震えさせながらそう宣言する。


「ああ、そうだな……」


 こればかりは悔しいがその通りだ。


 今まで俺が積み上げて来た物はこいつらの謀略によってあっさりと崩れ去った。


 仮に俺がその事を予期して動いていたとしても結果は変わらなかっただろう。


 この国において大貴族と平民の間にはそれほどに大きな力の差がある。


「分かったならさっさと出ていくがいい! ここは貴様のような賤しい生まれの者が居て良い場所ではない!」


 アリウスは震える声でそう言いながら、大きく手を振り上げてから出口のある方向を指差す。


「そうそう、貴方みたいな貧乏臭い方にうろつかれると私たちの品位まで疑われてしまいますわ。そもそもあの子といい、平民がこの学院にいることが何かの間違いなのよ」

「その通りだ! さぁ出ていけ! この敗北者が!」


 そう言い放ったアリウスを強く睨みつけると、奴はその身体をビクっと震わせる。


 あの時に刻みつけた実力差はまだ身に染みているらしい。


 しかし、ここでこいつをぶっ倒したところで俺の気分が晴れるだけ。


 監獄送りにでもなれば今度こそ二度と立ち直れない本当のになる。


「ああ、そうさせてもらう。じゃあな」


 そう言って再び、出口へと向かってゆっくりと歩を進める。


 アリウスとマイア。


 二人の勝ち誇る嘲笑を背中に受けながら、もう二度と俺の事を歓迎する事はない正門から学院の外へと出ていった。

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