第3話:元教え子

 学院の正門から外に出ると、日は完全に落ち切り、すっかり夜になっていた。


 正門側の厩舎には昨日まではよく利用していた馬車が停まっているが、今や部外者となった俺に送迎があるわけもない。


 まるで今の俺の心情を表しているような肌寒さを感じながら自宅へと向かって足を動かそうとした時――


「先生! 先生! 待ってください!」


 背後から声が聞こえた。


 振り返ると、教え子の一人で最も目をかけていた生徒――リリィ・ハーシェルがこちらへと向かって走ってきているのが目に入る。


「リリィか……どうしたんだ?」


 俺の目の前までやってきた彼女に声をかける。

 

 全速力で走ってきたからか、自慢の長く綺麗な金髪は大きく乱れ、息も絶え絶えになっている。


「はぁはぁ……ど、どうしたじゃ……はぁ……ないですよ……。先生が学校からいなくなるって……聞いて……」


 どういう経緯で知ったのかは定かでないが、それで寮からこんなになるほどの全速力で走ってきたらしい。


「ああ、その宣告をたった今受けてきたところだ。情報が早いな」

「本当……なんですか?」


 呼吸を整えて顔を上げた彼女と目が合う。


 教師と生徒という立場でなければ思わず見惚れてしまいそうな整った顔立ち、そこにある青い瞳は涙で滲んでいる。


「ああ、本当らしい」

「らしいって……なんでそんな……他人事みたいに……」

「んー……、それは俺にも全く身に覚えがない罪を着せられたからかな」

「そんな……、先生は無実なんですよね!?」

「ああ、誰も信じてはくれなかったけどな。これが平民の辛いところだな」

「だったら! 私が抗議してきます!」

「おい、待て」


 そう言うや否や、何の考えも無さそうに正門の方へと向かって走り出そうとしたリリィを制止する。


「どうして止めるんですか!?」

「……もうどうにもならないからだ。理事会と教員会の全員が俺の追放に賛成したらしいからな」


 全会一致で下された決断が生徒一人の抗議で覆る道理がない。


「でも……」

「でもじゃない。そんな事をしてお前の立場まで悪くなったらどうする。ここまで頑張ってきたのは何のためだ? 俺の指導を無駄にするつもりか?」


 俺と同じ平民の出であるこの子が不祥事を起こして追放された平民上がりの教師を庇った、なんて噂が立てばどうなるのかは火を見るよりも明らかだ。


 ただでさえこの子は目立つのだから、これ以上妙な重荷を背負わせるわけにはいかない。


「でも、先生がいなくなるなんて……私……」


 遂に我慢が出来なくなったのか、その丸々とした目からぽろぽろと大粒の涙を零しはじめる。


 ここまで思ってくれるのは教師冥利に尽きるが、教え子の無意味な自己犠牲は止めなければならないのもまた教師の仕事だ。


「リリィ……、俺の教えた事はちゃんと覚えてるよな?」


 頭に手を当てて、その柔らかい髪の毛をぽんぽんと軽く撫でながらそう言う。


「はいっ……、全部覚えてます……。私の……ぐすっ、半分は……先生で出来てます……」


 涙ぐみながらそう返事をしたリリィを見て、彼女が入学してきた時の事を思い出す。

 

 入学してくる者のほとんどが貴族である中、平民の出だったこの子は当時はまともな指導すら受けられずによく一人で泣いていた。


 そんなリリィから底知れない才能を見出し、周りからは贔屓だと思われる程の指導を行った。


 今では名家の出である生徒達からも一目置かれる存在まで育て上げたのは間違いなく自分だという自負がある。


 妙に勘違いされそうな言い回しだが、彼女の半分が俺で出来ているというのもあながち間違ってはいない。


「じゃあ大丈夫だ。俺の言った事をずっと守っていればお前はもっと高い所まで登れる」


 この子はこんなところで収まっているような器ではない。

 ましてや今、俺のために捨てるなんてありえない。


「でも……先生がいないと私……」

「それも大丈夫だ。お前が俺の教えた事を守っていればまた必ず会える。ほら……これを持ってろ」

「これは……?」


 リリィが涙を拭いながら俺の差し出したそれを受け取る。


 それはどこにでもあるような普通の髪飾り。

 誕生日が近いと聞いていたのでひそかに準備していた物だ。


 教師と生徒という立場で渡せば妙な疑念を生みかねないかと悩んでいたが、今となってはそれも無駄な悩みになった。

 なんせ俺はもう教師じゃない。


「一足早いが俺からの誕生日プレゼントだ」

「プレゼント……?」

「ああ、こんなものを買ったのは初めてだったからセンスは保証しないけどな」

「髪飾り……ですよね? つけてみてもいいですか?」

「ああ」


 彼女はまだ乱れたままだった長い金色の髪を手櫛で少し整えてから俺が渡した白い花を模した髪飾りをつける。


「どう……ですか?」


 少しはにかみながら俺に感想を求めてくる。


「なかなか似合ってるぞ。うん、俺のセンスも捨てたもんじゃないな」

「なんですか、それ」


 口に手を当てて、くすくすと上品な笑みをこぼすリリィ。


「それをつけて、俺の教えを守ってればまた必ず会える」

「必ず……。本当ですか?」

「ああ、俺が嘘をついた事があるか?」

「……割とあります」


 リリィは数秒程、顔を伏せて考え込むような仕草をしたかと思えばきっぱりとそう言った。


「おかしいな……そうだったか……?」

「はい、この前だって――」


 昔話に花を咲かせて、互いに顔を見合わせてけらけらと笑い合う。


 この子の成長を見守れなくなるのは残念だが、互いに折れなければいずれまた道は交わるはずだ。


「さて……と、そろそろ戻らないとまずいんじゃないか?」

「……はい」


 正確な時刻は分からないが、そろそろ寮の門限が迫ってきているはずだ。


 早く戻らないといくら優等生であっても懲罰を受ける事になる。


 それにクビになったとはいえ、心持ちはまだ教師のままだ。

 生徒が規律を破る事を良しとするわけにはいかない。


「先生、本当にまた会えますよね?」

「ああ、その時にはお前がめちゃくちゃ偉くなってて俺の事を雇ってくれると助かる」

「それじゃあ今度会う時は先生とは比べ物にならないくらいす~っごく偉くなってますね。それで先生の事をお茶汲みとして雇ってさしあげます」


 リリィがまた溢れ始めた涙を拭いながら笑顔でそう言う。


「お茶汲みか……。それは教師と比べて気苦労が少なくて済みそうだな」

「はい、約束します」

「頼んだぞ。それじゃあまたな」


 そう言って背中を向ける。


「はい。どうか、お元気で……」


 背後からリリィの震える声が聞こえてくるがそのまま振り返らずに、歩みを進めた。

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