第5話 昼休みの屋上

「思い出した!」

 隣で直尚が急に声を上げたので、びっくりしてパックのコーヒーミルクを握り潰しそうになる。

「おい」

「あ、悪い。大丈夫か?」

 屋上の床に少しこぼれただけで、昼飯のパンや晃の制服が無事であることを確認した直尚は話を続けた。

「この前すれ違った女子高生、見たことある気がするって言っただろ。思い出した」

「なんだ、俺たちの他にも"あの世界"から戻って来た奴がいたのか」

「もしかしたら俺らが知らないだけで結構いるのかもしれないな……皇太子の元婚約者だ、あれ」

「はあ?」

 皇太子の元婚約者といえば、完全に貴族の令嬢だ。そんな人間が異世界からの来訪者であれば長く王城にいた晃の耳にも届いたはずなのだが。

「あー、そうか。隠していたのか」

「だろうな」

 異世界からの来訪者として魔王を倒す伝説の勇者扱いされた直尚は、それはそれで大変な困難にも面倒なことにも巻き込まれていたが、まだマシな方であった。不運が重なっていたとはいえ直尚に引き取られるまで奴隷扱いを受けていた自身の過去を顧みれば、異世界から来たことは隠しておくべきであろうと晃は納得する。

「いや、でもそうか。あの時の。そうだったのか」

 晃とは別の方向で何かをしみじみと納得している様子の直尚に、食べ終えた菓子パンの袋を畳んで縛りながら晃は問いかける。

「何が?」

「魔王討伐の褒賞に何を望むか聞かれた時にな、俺、少し悩んでたんだよ。仲間たちのこともあるから即答は出来ないって。そしたら横から声がかかったんだ」

 王との謁見の間で、まだ皇太子の婚約者でしかなかった彼女がいたのは偶然だと思っていたのたが。もしかしたら彼女が望んであの場にいたのかもしれない。

『我が国のため、長旅の末に大儀を果たした大事な勇者様です。しばらくは陛下ご自慢の貴賓室で、ゆっくりとお過ごしいただくのはいかがでしょうか』

 その間に考えれば良いと、助け舟を出してくれたのだろう。けれども彼女の進言はそれだけに止まらなかった。

『魔王を倒すために異世界から来た、伝説の勇者様と伺っております。陛下のご寵愛を受けていらっしゃる"彼"とも、積もる話があるのではないでしょうか』

 令嬢の言葉に、臣下たちが少しざわめく。彼? と若い王妃が不思議そうに首を傾げるのを見て、何かを閃いた様子の王が、そうしよう、そうするように、と令嬢の進言を受け入れて臣下たちに指示を出した。

「あれ、王妃の態度も含めて、あの時の俺には全然意味がわからなかったんだけど」

「あーーーー、思い出した。そう、新しい王妃な。めっちゃ若くて可愛い子もらってご機嫌のクソ王が、やっと俺のところに来なくなったんだよ。自分の息子より若い娘だぜ最低だよなマジで。いや最低なのはよく知ってたけど」

「つまり、新しい王妃に存在がバレる前に、お前を俺に押し付ける気だったんだな」

「それをけしかけたのが皇太子の婚約者だった?」

 そうだ。彼女のあの進言がなければ直尚が晃に会う機会は二度となかったかもしれない。

 同郷かもしれないとはいえ見ず知らずの青年と積もる話などあるはずもない、と直尚が断ろうとしたところで、強い視線を向けられた。

 それはほんの一瞬。けれども、力強く射抜くような視線だった。魔王を倒した勇者をも黙らせるほどの。

 なぜ彼女がそんな視線を自分に向けて来たのか、直尚はずっと不思議に思っていたのだが。

「お前をこの城から連れ出せって。そういう目配せだったんだな、あれ」

「同じ異世界からの来訪者……まあ、同郷? とはいえ、なんで貴族の令嬢が俺なんかを」

「だから、お前に悪いことをしたと、ずっと思っていたんだろ」

「………………あー、」

 なんとなく、わかった。

 きっと彼女が自分も同じ異世界からの来訪者であると秘密を暴露したところで、晃の状況が改善することはなかっただろう。彼女もそれはわかっていたはずだ。

 けれども、晃の状況を知っていながらそれを黙り続けることは、見殺しにし続けることと同じで。

「俺の自業自得だから、そんな風に負い目に思わなくても良かったのにな」

「だけど、その彼女のおかげで俺はお前に会えた」

「……そんで俺の首輪を見てブチギレて王に殴り込みしようとして、仲間の呪術師に全力で止められたんだよな」

「若かったなぁ」

 あははと笑って見せる直尚に、笑い事じゃないだろうと晃はいつかのようにため息を吐いた。それからぽつりと呟く。

「また、会えるかな」

「どうかな。今まで遭遇しなかったってことは、いつもあの駅前にいるわけでもないだろうし。会ってどうするんだ?」

「お礼を……いや、困らせるだけか」

 彼女は彼女が成すべきだと思ったことをやっただけなのだろう。異世界で自分の身を守りながら、その中で出来るだけのことをして勇者に託した。

 すれ違った時に直尚に視線を向けたということは、彼女の方はすぐに気が付いたのだろう。けれどもそのまま声をかけることはなかったのだから、こちらからわざわざ探し出すのは迷惑であるかもしれなかった。

「それでなくても男子校の生徒が女子高生を探し回るのは、ちょっと」

「理由がどうであれ外聞悪いよな」

 そう言って苦笑して。さて、そろそろ昼休憩もおわりだな、と立ち上がった晃はふと思い出したように直尚に尋ねた。

「もしかして他にも心当たりがあるのか? こっちに戻って来そうな、"あの世界"で会った人間」

「心当たりがないわけじゃない。というか、確実に一人はいそうなんだがそいつには絶対に会いたくない」

 苦虫を噛み潰したような顔で断言する直尚に、彼にしては珍しい顔だなぁと思いながら晃は首を傾げる。

「なんで?」

「魔王の忠臣で、向こうで俺が殺したから」

「それは、」

 確かに会いたくないなと、晃も神妙に頷いた。

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