第3話 クローゼットと休日デート
自室のクローゼットを開けて、しばらく眺めて、首を傾げる。
「俺、何着てたっけ?」
麻の筒袖は頭からかぶって着たあと襟元の開き具合を紐で調節し、その下に履いた筒袴の裾は皮を重ねて作ったブーツに入れてしまう。腰に巻いた帯に鞘付きの短剣を押し込んで、伸びた後髪は適当に結ぶ。村外れの家に二人で暮らしていた頃は、お互いにそんな格好をしていたはずだ。
魔王討伐の褒賞のひとつであった城からの仕送りは、魔王とは関係なく当時の王家が滅んだ時に途絶えていたから晩年は質素な生活をしていた。しかしそもそも「静かに暮らしたい」というのが地位も名誉も財産も断った元勇者の希望だったので、特に問題もなく二人で穏やかな日々を送っていた。当然、たくさんの衣装や装備、装飾品など必要があるはずもなくて。
王都から遠く離れた村外れの家と小さな畑。それから、王に飼い殺されていた一人の奴隷。
世界の脅威であった魔王を倒した勇者が、褒賞として自ら望んだのはそれだけだった。
結局、適当なTシャツにパーカーを羽織り、ジーンズにスニーカーというひたすらに無難な格好で晃が待ち合わせ場所へ行けば、先に待っていた直尚も似たり寄ったりな格好をしていた。
「こうなると制服の便利さを実感する」
「毎日何も考えずに着るだけで良いもんなー。でもお前、勇者時代はそれなりの格好してたんじゃねぇの?」
「性能重視。あと予算」
「ああ、お前のパーティーの呪術師、その辺だいぶ厳しそうだったな」
転移魔法を使ってよく遊びに来ていた男の値切り術の数々を思い出して笑ってしまう。世の冒険者は金貨の価値を忘れてバカスカ買い物するから嫌いなんだ、お前また冒険者に戻らないかナオヒサ、と冗談まじりに話していたのはいつも半分本気だったのだろう。
けれども元勇者が隠遁生活を選んだ理由は、かつての仲間であった彼の方が晃よりもずっとよく知っていたはずで。だからその話はいつも、「もう無理だって」と笑う元勇者の言葉であっさりと終わってしまった。
魔王討伐のために賑やかに王都を出発した勇者御一行のうち、魔王の首を手にして再び王都まで戻って来たのは勇者と呪術師の二人だけだった。
「手持ちの服が着られないわけじゃないんだけどさー。なんか好みが変わった気がする」
「中身の年齢が」
「それは仕方ねぇだろ」
そして言うまでもなくお互い様である。何かしらの妥協点を模索するしかないか、と二人で覗いた店の服の値段を見て、自身の財布の中身を思い出す。
「……やっぱり、そろそろ新しいバイト探さないとな」
「あ、それなんだけどさ。夏休みにリゾートバイトってやつ一緒にやらないか。お袋の知り合いがやってるペンションで、泊まり込みのスタッフ募集してんだって」
「出稼ぎ……報酬金……」
「魔獣狩りはしねぇから」
確かに山だけど。猪くらいは出るかもしれないけれど。
「こっちでも狩猟許可証とかがいるんだっけ。いや取らないけど」
「確か。あっちはなんだったっけ、冒険者登録証?」
「そうそう。まあギルドに金を払えば誰でもなれるんだけどな、あれ」
だから有象無象の者が多かったし、魔王討伐など誰も考えなかった。魔獣狩りによる報酬金だけで十分に暮らしていけるからだ。直尚が伝説の勇者と呼ばれて魔王を倒しに行く羽目になったのは、彼が異世界からの来訪者だったからで。
「マジで本当に何の能力もなかったのにな……」
ラノベやアニメなら異世界に飛ばされるついでに何かしらの特殊な能力が付与されていそうなものだが、彼は本当に鍛錬と努力と仲間たちの協力だけで勝利を掴み取ったのだ。
「あっちでは見慣れない学ランを着てただけで伝説の勇者扱いだもんな。たいへんだよなー」
「お前だって、」
「なに?」
「……いや」
何でもない、と曖昧に言葉を濁す。あからさまな様子だが、"それ"については今でも話したくない晃も特に何も言わない。
沈黙は、けれども二人には慣れたものだったので、話題を変えるために直尚が口を開いた。
「ペンションってどこにあるんだ?」
「長野だったかな。いつもはスキー客のために冬場だけやってたんだけど、今年から試しに夏場もやろうかって話になったらしい」
「それで期間限定スタッフの募集か」
「そういうこと。行く?」
「行くか。どうせ他にやることもないからなぁ」
そうぼやいた直尚の顔を見上げながら、そういえば、と晃は尋ねる。
「部活はもういいのか? お前、元エース部員だったんだろ」
「加減の仕方がわからない」
「あー、……」
他の部活動ならともかく、彼が所属していたのは剣道部だ。剣から竹刀に持ち替えたところで、数多の魔獣たちを、魔王に忠誠を誓う臣下たちを斬り殺してきた腕そのものは変わらない。
まだまだ戻ってきたばかりのこの世界に慣れるだけで精一杯だった。
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