第18話「召喚士、牛を食べる。」
ミノタウロスのお姉さんが一人で切り盛りしているという小さな宿【歌う小牛】は、三人までが寝泊まりできる個室が四つと、雑魚寝のできる大部屋が一つというささやかな規模の建物だった。
けれど、今夜は私たち以外のお客さんはいないらしく、部屋に入って腰を落ち着けると静寂がやってくる。
「あんまり人気ないのかな。ベッドもシーツもよく手入れされてるし、部屋も狭くないのに」
私から見れば特に欠点らしい欠点が見当たらない言いお宿だ。
支払いはいつものようにシスティナがやってくれたので相場はよく分からないけど。
「価格も普通。強いて言うなら、ごはんが食べられない」
システィナもぽんぽんとベッドを叩きながら首を傾げている。
レストニエルで泊まった宿も、ロゼトニエルで泊まっていた宿も、一応宿に簡単な食堂が併設されていた。
とはいえ大体の人は外のちゃんとしたお店に食べに行くし、【歌う小牛】の外にもそういったお店はたくさんあった。
「そういえば、あのお姉さん人見知りっぽかったなぁ」
あれは私が騒ぎすぎたせいでもあるのかもしれないけれど。
ミノタウロスのお姉さんは大柄な背中をきゅっと丸めてしまっていた。
宿屋の主人というのは人と話すのに慣れているイメージがあったし、今までの宿は実際そうだったんだけど、あのお姉さんはどうも人見知りっぽい。
「ま、考えても仕方ないか」
「うん。それよりごはん食べに行く」
「さんせー!」
システィナが立ち上がる。
私も荷物を持ち、彼女と連れだって部屋を出た。
「少し外に、食事に行ってきます」
「い、いってらっしゃいませ」
受付で椅子に座っていたお姉さんに声を掛け、【歌う小牛】を出る。
お姉さんは驚いた様子で立ち上がり、小さく手を振って見送ってくれた。
「あ、あの!」
「ぴっ!? な、なんですか?」
扉へ手を伸ばしかけた時、お姉さんが突然大きな声で呼び止める。
思わず悲鳴を漏らして振り返ると、彼女は恐縮した様子でぺこぺこと頭を下げていた。
「こ、今夜はおに、身内の者が大部屋とお客様の隣の個室に泊まるので、少し騒がしくなると思います……」
「へ? ああ、大丈夫ですよ。ここの騒がしさにも慣れてきましたから」
というより魔界に来てから騒がしくなかった日がない。
空を舞う魔族やら血みどろで倒れている悪魔なんてそう珍しくもなくなってきたくらいだし。
私がそういって頷くと、隣でシスティナも顎を下げる。
ミノタウロスのお姉さんは、大きな背中をきゅっと丸めて「ありがとうございます」と小さく呟いていた。
「それじゃ、行ってきまーす」
「はい。行ってらっしゃいませ」
改めてそんな言葉を交わし、私とシスティナは夜のロゼトニエルへと繰り出す。
少ししか経っていないと思っていたけれど、町の明かりが増え、微かにお酒の匂いが漂い始めている。
悪魔たちの陽気な歌声が遠くの方で響き、客寄せの声が重なる。
「何食べよっか?」
「なんでもいい」
隣を歩くシスティナに尋ねると、そんな声が返ってくる。
なんでもいいっていうのが一番困ったりするんだけどなぁ。
「じゃあ何にしようか……。あっ、システィナ! あれ!」
大通りの両脇に並ぶ看板を眺めながら歩くこと数分。
私はとあるメニューの文字を見つけてシスティナの手を引っ張った。
「……いいよ」
システィナもそれを見て首肯する。
そうと決まればあとは早い。店先に立っていた店員さんに声を掛け、店内へと誘われる。
テーブルで注文するのは、看板に書かれていたおすすめメニュー。
待つこと数分。それは大きなお盆にのってやってきた。
「へいおまち! 鎧牛のテールスープとサーロインステーキ。それと白角牛乳のミルクパンと特製バターだよ」
「やった! まってましたっ」
カエルのような顔の店員さんの声に、思わず歓声を上げて手を叩く。
テールスープは陶器の器で白い湯気を立て、サーロインステーキは熱された鉄板の上でじゅうじゅうと脂を弾けさせている。
籠に積まれた大きな白いパンとバターも良い香りだ。
「牛、食べたかった?」
「えへへ。ちょっとね」
システィナの声に頭を掻きながら、早速食べ始める。
初めにスープを口に含むと、じっくりと染みだした肉と幾つもの野菜のうま味がぎゅっと凝縮されていて豊かな色彩を見せる。
その余韻を感じつつ、ステーキに刃を入れる。
「わ、柔らかい」
すんなりと通るナイフに驚き声を上げる。
開くと、内部はじんわりと赤みがかったミディアムレア。肉汁が染みだし、ばちばちと鉄板の上で踊る。
「はふっ。ふわぁ」
しっかりとした噛み応え。甘い脂が融け、喉を流れる。
筋がぷちぷちと千切れるような食感は、初めてのものだった。
「あ、システィナそれ美味しそうだね」
ふと前を見ると、システィナが一口大に千切った白パンをテールスープに浸して食べていた。
私もそれを真似しようとパンに手を伸ばす。
ふわふわの生地に甘い香り、小麦と牛乳の優しい香りだ。
少し千切って、まずはそのまま。
「ん~~~!」
ぎゅっと目を閉じて噛み締める。
脂だらけだった口の中をパンの優しさが満ちていく。
これはいい。
思わずもう一口放り込む。
咀嚼しながら手に残った方を少しだけスープに浸ける。
ふわふわの生地の中にぐんぐんとうま味の塊が吸い込まれていく。
それをこぼさないように気をつけながら、口へ。
「おいしい!」
じゅわりと溢れ出す圧倒的な美味。
小麦と牛乳の包容力に中にある、明確な存在感。
二つの牛が手を取り合って踊る、歌う。
「――ごちそうさまでした」
気付いた頃にはテーブルの上は綺麗になっていた。
確かな満足感にお腹を撫で、心地良い満足感に身を任せる。
美味しかったね、とシスティナに言うと、彼女もこくりと頷いた。
「それじゃあ、戻ろうか」
「うん」
席を立つ。
気がつけば、店内には沢山のお客さんがいて、外でも待っている人が見えた。
システィナが手早く会計を済ませて、私たちは帰路につく。
「あれ、明るくなってる?」
通りの先に見えた【歌う小牛】の窓や扉から、明るい光が漏れ出していた。
近づくと、壁越しに騒がしい声も聞こえる。
二人で顔を見合わせ、恐る恐る扉を開く。
「ぎゃははははっ!」「酒だ! もっともってこい!」「メイロン、肉も持ってきてくれ!」
途端に耳へ流れ込む声の濁流。
呆気にとられていると、両腕に大きな籠を抱えたミノタウロスのお姉さんが私たちに気がついてやってきた。
「お、お帰りなさいませ。さっき言っていた、身内です……。少し騒がしくなりますが……」
「ああ、そういう」
よく見れば、テーブルを囲んでいるのはみんなミノタウロスの男性だった。
岩みたいな筋肉の浮き出た上半身を露わにして、飲めや喰えやの大騒ぎである。
「おいメイロン、何してるんだ」
「お兄ちゃん。お客さんが戻られたの」
立ち話をしていると、テーブルの方からガツガツと蹄の音を立てて大柄なミノタウロスがやってきた。
彼はお姉さんの話に金属の輪っかを付けた耳をピクリと動かし、ぎろりと私たちを見下ろした。
二人の言動から察するに、お姉さんの名前がメイロンで、彼はメイロンさんのお兄さんらしい。
「あぁん……。めずらしいな、この店に俺たち以外の客が来るなんて」
「それはお兄ちゃん達が毎夜毎夜騒がしくて眠れないからでしょう」
「へっ。俺たちゃ長旅の途中じゃ満足に寝れねえんだ。たまに帰ってきた時くらい騒がせろ」
唇をとがらせ苦言を呈するメイロンさん。
お兄さんは悪びれる様子もなくフンと鼻を鳴らす。
「私たちは大丈夫ですよ。それより、お兄さんは旅人なんですか?」
「あん? 旅人なんかじゃねえよ。俺たちゃ、【金角の雄牛】だ」
「【金角の雄牛】!?」
彼の口から飛び出した名前に思わず飛び上がる。
私の反応に、ミノタウロスの男性は怪訝な目つきになった。
「なんだ。俺たちの事を知ってんのか?」
「知っているというか……」
【金角の雄牛】は、私たちがベリトから教えて貰った名前だ。
「
それは、私たちが次なる目的地を目指すために同行させて欲しかった隊商だった。
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