第17話「召喚士、牛魔に会う。」

「すまんね。でけえ奴が突っ込んできたせいでどの部屋も壊滅状態なんだ」

「――――へ?」


 ベリトと別れ、金剛晶山を降りた私たちは、夜を明かすためにロゼトニエルの宿に戻った。

 けれど、宿の通りに面した壁に大穴が開いていて、カウンターで店主に聞いたらそのような答えが返ってきて、私はあんぐりと口を開ける。


「じゃ、じゃあ今夜は泊まれないんですか?」

「三日くらいは営業できねえな。石工を手配してるが、他にも被害に遭ってるところがあるからなぁ」


 全身を鱗で覆われた蜥蜴みたいな、細身の店主はチロチロと二股に分かれた舌を覗かせながら言う。

 彼は風通しの良くなった宿の一階から通りに立ち並ぶ他の建物を見渡す。二、三軒隣の建物まで全部、壁が粉々に破壊されて爽やかな風が吹き抜ける。


「これあげるから、他の宿探してくれよ」


 そう言って、彼はカウンターの下から二枚のチケットを取り出した。


「これは?」

「この町の宿屋ギルド加盟店で使える無料券だ」

「用意が周到すぎる……」


 こういう不慮の事故で部屋に泊まれなくなるという事態は良くあるのか、私以外のお客さんたちは特に慌てた様子もなくチケットを受け取って出て行く。

 システィナを見ても、特に驚いた感じはなかった。


「壁に大穴開いててもいいなら、瓦礫を退けた部屋があるぜ?」


 いつ崩れるかは知らんがね。と蜥蜴店主は目を細める。


「いえ、探します……」

「そうか。悪いな」


 丸い吸盤のついた手を振る店主。

 私は背中を丸めてとぼとぼと宿を出た。


「まさか宿が無くなるなんて……」

「寝てるときに飛んでこなくて良かった」

「ポジティブだなぁ」


 淡々と言うシスティナの屈強な姿勢に、尊敬の視線を送る。

 こういうことが日常茶飯事なのか。

 木の枠だけ残った扉をくぐり、外に出る。

 周囲も分厚い頑丈な石造りが殆どだというのに、問答無用で瓦礫の山と化している。

 道行く魔族たちは平然とそれを跨ぎ、談笑しながら歩いている。


「ロゼトニエルは石工が多いから。すぐに直る」

「でも今夜の宿はないんだよ」


 空はどす黒い霧が覆い始め、夜の訪れを感じさせる。

 早くゆっくり休める場所を探し出さないと、治安も加速度的に悪くなっていく。


「あ! あそこの宿は?」


 歩きながらキョロキョロと視線を彷徨わせていると、ベッドのマークが描かれた看板を掲げている建物を見つける。

 私の背丈の二倍はあろうかという鉄の扉の、全体的にサイズ感が大きな建物だ。


「あれは巨人系向けのお店。階段登るのも面倒くさい」

「そういうのもあるんだ……」


 確かに往来に目を向けてみれば多種多様な姿がある。

 翼がある者、角がある者、棘がある者。大きい者、小さい者、四本足、六本足、いっぱい。ぶっちゃけ、魔獣かと思いそうな姿の魔族も沢山居る。

 彼ら全てのニーズに合わせるなんて到底できないだろうし、大抵の宿屋は一定の種族に合わせて調度品や間取りを選んでいるらしい。


「あそこは?」

「羽根付き用。鳥かごみたいなベッドだよ」

「あそこ……」

「小人用。まず入り口が入れない」

「……あっち」

「半獣用。藁敷き」


 宿屋のマークは頻繁に見つけるのだけれど、そのことごとくが人間に合わない。

 だんだんと自分が感情を無くしていくのが分かった。 いっそ藁敷きでも寝れるんじゃないか? 人間昔はシーツ無しで寝てたんだ。可能性を信じ――


「あそこ、人間でもいけそう」

「よしそこにしよう! シーツと枕があればいい!」


 ぴっとシスティナが指さしたのは小さな宿屋。

 なんともボロボロな、ひび割れた壁や欠けた窓枠が目立つ佇まい。

 とはいえもう、四の五の言っていられる状況じゃない。

 ここを逃せばもう限界だ。私はシスティナの手を引いて、その小さな宿屋のドアをくぐった。


「こんばんはー」

「……」


 店内は薄暗く、人気も無い静かな場所だった。

 小さな照明の頼りない光の奥で、カウンターに立つ大柄な人影が見える。

 条件反射的に挨拶するも、返事はない。

 少し困惑しながらも、人影がはっきりと見えるところまで踏み入り、そこで私は思わず目を見開いた。


「う、し……!」

「……ゃい」


 岩から乱暴に削り出されたかのような荒々しい筋肉。サラシのような布を巻いた胸部には私の顔ほどもあろうかというたわわに実りきった乳房。

 二本足ですっくと佇む彼女は、伝承の中でのみ知られるミノタウロスにそっくりだった。

 ふごふごと鼻先をひくつかせ、彼女は微かに頭を下げる。

 おぼろげな照明を、太く黒々とした二本の角が艶々と反射した。


「し、システィナ! ミノタウロスだよ!」


 私は反射的に後ずさり、システィナの背後に隠れる。

 服の裾を引っ張る私の手をそのままに、彼女は冷静に頷いた。


「ミノタウロス。珍しい?」

「珍しいというか、伝説の存在だよ!」


 私の反応を見て、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「獣みたいな特徴を持った魔族は、多い」


 たしかにそれはそうだ。下半身が馬のようだったり、蜥蜴みたいな手足をしていたり、鳥のような羽を持っていたり、魔界を歩く魔族たちの姿は多種多様。

 正直驚くのにも飽きてきたし、ミノタウロスだってそれだけなら人間っぽい牛のような外見であるというだけの種族だ。


「ミノタウロスの特別な所は、魔界とも人間界とも違う異界に出入りできる力を持ってるところなんだよ」

「異界? 聞いたことない」


 不可解だと言うシスティナに、私は幼少期から聞かされてきた一つのお伽噺を教える。

 昔、とある国の王様がお抱えの召喚士に豊穣をもたらす悪魔を召喚せよと命じた。召喚士は生娘の血、牛の乳、穀物などを触媒にして“門”を開く。そこから現れたのは、牛と人間を混ぜ合わせたような悪魔、つまりはミノタウロスだった。

 召喚士はミノタウロスの乳を絞り、ミノタウロスの肉を抉り、ミノタウロスの皮を剥いだ。死んではならないという誓約と、生粋の生命力により、それでもミノタウロスは死ななかった。

 しかし行き過ぎた酷使はミノタウロスの憤怒を買い、召喚士は殺される。誓約から解き放たれたミノタウロスは王の娘を攫い、魔界でも人間界でもない空間である“異界”へと逃げ込んだのだ。


「そのあとは人によって変わるんだけどね。王様が改心したり、お姫様とミノタウロスが結婚したり、死んだはずの召喚士が生き返ったり」


 重要なのは、ミノタウロスが逃げ込んだ“異界”。そこが人間界でも魔界でもないということだけは誰の話でも共通していて、だからこそミノタウロスという悪魔は第三の世界への“門”を持つ種族として知られていた。


「……聞いたことない」

「そんなぁ」


 散々説明したあとにシスティナの反応を伺うと、彼女は一言の元にばっさりと切り捨てた。

 彼女が知らないということは、やっぱりお伽噺はお伽噺でしか無かったと言うことなんだろうか。


「あの……」


 その時、奥から控えめな声がした。

 顔を上げる、今にも泣き出しそうな顔をしたミノタウロスの女性が黒い爪の指を絡ませてこっちを見ていた。


「ごめんなさい! 忘れてました」


 私は慌てて宿屋で貰ったチケットを渡す。

 事情を説明すると、彼女も倒壊の騒動を知っていたらしく、目を細めて頷いた。


「そ、そういうことでしたか――。……部屋数に余裕がないので、同室でもよろしいでしょうか?」


 蚊の鳴くような声だった。

 大柄な体格の割に声が小さくて可愛らしい。なんのギャップ萌えなんだろう……。


「えっと、はい。これが、鍵です」


 カウンターの後ろに掛けられた真鍮の鍵を受け取る。

 その時、どうしても気になって彼女に尋ねる。


「あの、やっぱりミノタウロスって異界への“門”を開けるんですか?」

「異界……? すみません、わたしは、知りません……」


 きゅっと肩身を縮めてミノタウロスの店主が言う。

 なんだかとても可哀想になってしまって、私は慌てて手を振った。


「ご、ご存じないならいいんです! ……ただのお伽噺だったのかなぁ」


 とはいえ落胆を隠すこともできない。

 私は部屋への道のりを、とぼとぼと歩いて行った。

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