第16話「召喚士、示される。」

「アストロが一度殺した?」


 私は聖杯と剣を握りしめたまま、鸚鵡返しに聞き直す。

 ベリトは頷き、黄金の翼を折りたたんで座った。


「システィナは月光城主を知ってるだろう?」


 彼は長い首を曲げて、足下に立つシスティナへ視線を向ける。

 その問いに彼女はこくりと頷いた。


「月光城の古龍。元々は魔物だったけど、長い月日の中で力を付けて、古龍になった」

「そうだ。魔物から古龍に成り上がった奴なんてのはそう居ないからな。魔界でもそれなりに有名な存在さ」


 システィナの解答に、ベリトは満足げに息を吐く。

 魔物から古龍になるなんて、とてもじゃないけれど信じられない。

 私の知っている魔物という存在は、レスティエラや目の前のベリトのような明確な知性というものを宿さない本能に生きる獣だ。

 もちろん、中には高度な魔法を扱う強力な魔物もいるけれど、人間界には古龍ほどの力を持つ魔物は居ないはずだ。


「その月光城主はどういう魔物なの?」

「知らない」

「知らんな」

「ええ……」


 間髪入れず返ってきた異口同音な答えに、私は思わず眉を寄せる。

 そんな私の反応が気に入らなかったのだろう。ベリトは仕方ないだろうとふてくされたように言った。


「月光城主はずっと月光城に引きこもってる古龍だ。他の古龍や魔族とも交流を持たず、対話もせず、何千年も孤独な時を過ごしてる」

「月光城にいるのは、月光城主だけ。他の存在が領土に立ち入ろうとすると、攻撃される」

「うーん、それだけ聞くとベリトと同じじゃない?」


 私はベリトの顔を見上げて言う。

 彼は心底不愉快そうな顔をして、長い首を横に振る。


「俺はこの金剛晶山を狙う不届き者から自衛してるだけだ。相応の代価を差し出す奴には適正な価格で金も水晶も売ってるからな」

「そっか。そういえばロゼトニエルは金剛晶山から産出されてる金の細工とかが盛んだったもんね」


 町の通りに立ち並んだ宝飾店を思い出す。

 確かにベリトは必要以上に交流は持たないけれど、必要なだけの交流は保っているらしい。

 ということは、その月光城主とやらはそんな必要最低限の交流すら断っているということか。


「システィナ、これから月光城に行っても大丈夫だと思う?」

「多分メリアは殺される」

「だよねぇ」


 そろそろ私も、この世界での私のか弱さというものが分かり始めてきた。

 即答で死を宣言されてもさほど驚かない自分に、少し泣けてくるけれど。

 せめて私にも、システィナの足手まといにならないくらいの実力があればいいんだけどなぁ。


「俺の所へ来たみたいに、システィナに特攻してもらってメリアは“門”を通ってきたらどうだ?」

「それだ!」


 ベリトの助言に思わず手を叩く。

 けれどそれも、システィナの毅然とした否定によってはね除けられる。


「だめ。“門”から出た瞬間に殺される」

「なんとか月光城主を説得できない?」

「話すのは、苦手」


 システィナが表情を曇らせる。

 まあなんとなく分かってはいた。一切動かない表情筋といい、ぶっきらぼうな口調といい、彼女はどうにもコミュニケーションに長けているようには見えない。


「うーん……」


 どうにも打開策が見つかりそうにない。

 閉塞感に息が詰まって、私は大きなため息をつく。


「月光城っていうのは、どういう所なの?」

「かなり小さい領土だ。湖とその湖畔に建つ城だけだからな」

「空には常に月が出てる。月光城主は、月が出ているととても強い」

「それは常にとても強いということでは?」

「そういうこと」


 なんだそれは。卑怯じゃないか。

 魔界のトンデモ具合には慣れたつもりで居たけれど、領土によっては天の動きすらねじ曲げられるらしい。


「月光城主がアストロに一度殺されているのにまだ生きているのも、その月が出ていることと関係あったりするの?」

「さあな。六百六十六個の命があるだとか、月に魂を置いているだとか、全ての星が奴の命だとか。まあ色々な憶測ならあるぜ」


 ベリトの言った話は、どれも眉唾物だった。

 六百以上の命があるとしても、月にあるとしても、どっちにしろ簡単に殺せる存在じゃないことは確かだ。

 いやまあ、私の目的は月光城主を殺すことではないんだけれど。


「う~ん、どうしよ……」


 聖杯と剣を抱えて床に座り込む。

 私の目的はただ一つ、月光城主と言葉を交わすこと。

 それさえできれば、何かしらの光明が見えてくると思うのだけれど、そもそも対話のテーブルに着くことが難しいのはどうしたものか。


「とりあえず、町に行く?」


 全員の声が途切れた時、システィナが言った。


「町があるの?」

「月光城に一番近い、夜霧荒野の町」

「ルティエルだったか。ロゼトニエルからは徒歩で二十日くらいだな」

「二十日!? よ、夜霧荒野って広いんだね」

「今更か。夜霧荒野はここいらじゃダントツの広さだぞ」


 ベリトの言葉に目を見開く。

 彼の言う徒歩もきっと、魔族基準の徒歩であって私のような人間はもっと掛かるだろう。

 レストニエルとロゼトニエルは、随分とご近所さんだったらしい。


「大丈夫。私が飛んでいく」

「それなら一週間くらいかね」


 システィナが一歩前に出て言う。

 彼女の飛行速度なら、私の歩速どころか駿馬すら敵わないだろう。

 それでも一週間かかるのだから、随分な長旅である。

 多分彼女がぶっ続けで飛べばもっと早いんだろうな、というのは分かっているけれど。


「急ぐ旅なのか?」


 不意にベリトがそんなことを聞いた。

 私は少し困り、悩む。


「急がないわけじゃないけど。めちゃくちゃ形振り構わないくらいに逼迫してるわけでもないよ」


 人間界に帰りたいという気持ちは変わらない。

 けれど、せっかくやってきた魔界を見てみたいという気持ちが無いわけでもない。

 魔界遍歴なんて、そろこそアストロ以降誰もしたことのない希有な経験なんだから。

 そんな私の答えを聞いて、ベリトは凶悪な人相で牙を剥いて笑う。


「それなら、荒野渡りキャラバンについていったらどうだ」

「荒野渡り?」

「夜霧荒野の各地を回ってる商人の集団だ。システィナなら腕利きの護衛として歓迎されるだろうよ」


 静かに立ったままの彼女を見てベリトが言う。

 彼が言うには、丁度今ロゼトニエルの町に有名な荒野渡りキャラバンがやってきているそうだ。

 彼らは月光城近くの町、ルティエルにも立ち寄るらしく、空路よりは遅くなるが楽に移動することができる。


「荒野渡りかぁ。おもしろそうね!」


 魔界にも独自の文化が花開いていることは、今までの経験からよく分かっている。

 そのせいか、私の胸の奥には『もっと魔界の生活を見てみたい』という好奇心が芽吹き始めていた。


「もしそれについていくなら、手土産も持たせてやるぜ」


 そう言ってベリトは大きな手を差し出す。

 ぎゅっと握った手のひらを開くと、私の拳よりも大きな黄金の塊がボロボロと溢れ出た。


「うわわ、何でも無いところからでも黄金が作れるの!?」

「空気を黄金に変えただけだ。正確に言やぁ空気中の塵やら埃やらも一緒に、だけどな」


 造作もなさそうに言うベリト。

 人間界の錬金術師たちが目の当たりにしたら卒倒しそうな光景なんだけれど。

 学院アカデミー錬金科ケミストでも、教授たちが授業の傍ら必死になって黄金を作る方法、ないしは万物を黄金に変える賢者の石エリクシルの発見に躍起になっているというのに、このドラゴンは平然とやってのける。


「どうする?」


 システィナがこちらを向いて聞く。

 ここまで言われてしまえば、殆ど決まったようなものだった。

 私は床に転がった黄金を拾い、ポケットに突っ込む。


荒野渡りキャラバンに付いていきたい!」


 こくりとシスティナが頷く。

 ベリトがにやりと恐ろしい形相で笑んだ。

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