第15話「召喚士、門を開く。」
魔法円の描かれた紙が青い炎に飲まれ、灰燼と化す。
革のブーツに纏わり付いた塵を、床につま先を打ち付けて払い、私は不敵な笑みを浮かべる。
「おもしろい。――一応聞いておこう、どうやった?」
ごう、と暴風が吹き荒れる。
散乱したページたちが巻き上がり、宮廷の外へと吐き出される。
「随分、かっこいい姿になったわね」
風がやみ、私は目を庇っていた腕を下げる。
ベリトは翼のねじ切れた背中から、黄金でできた翼を生やして立っていた。
煌々と深紅の目が光り、私を見下げている。
私はそれをにらみ返し、口を開く。
「召喚士にとって大切なのは“意味”。術者がそうと認識しなければそれを“意味”を持たず、それは“実体”を失う」
召喚陣は術者が召喚陣だと意識することで初めて召喚陣たり得る。
それは
召喚陣に召喚陣という“意味”を見出さなければ、それはただの円と線の複合体でしかなく、召喚陣という“意味”を見出すことで召喚陣は世界をつなげる門になる。
「逆に言えば、術者がそうと認識しさえいれば、それは“意味”を持ち、“実体”を得る」
ベリトは片眉を上げる。
「お前はその円に、なんの“意味”を見出したんだ?」
「決まってるでしょう? ――“門”よ」
指先で宙に円を描きながら言う。
召喚陣を構成する三つの図形。二つの円と一つの五芒星。それらが表す三つの“意味”のうちの一つ。
“門”は召喚術における基礎。
人間界と魔界という二つの世界をつなげ、双方向の移動を可能とする、神秘の現象。
「私はただの円を“門”だと信じた。魔界と人間界をつなげるには触媒を置く台座である五芒星が、悪しき者を呼び出すには術者を保護する盾である円が必要だったけど」
ここは魔界だ。
人間界ではない。
台座は不要で、盾は無意味。
必要なのは、“意味”と“意思”。
「私が信じさえすれば、これは“門”になる。あとは簡単でしょう? だって、世界の壁すら越えられる“門”が、同じ世界の二地点を繋げるだけのことをできないはずがないもの」
それは、言ってしまえばただの思い込みだった。
けれど意思の力は時として世界の法則すらねじ曲げる。
私は幾重にも円を描き、その中に“門”という概念を見出した。
我ながら狂気的だった。今まで私が信じてきた既存の価値観を打ち壊すためには、膨大な量の円を書く必要があった。
それは
円が“門”であるならば、驚くほど簡単だ。
「私はロゼトニエルの宿屋からここまで“門”を通ってやってきた。ただ、それだけのことよ」
亜麻色の髪をはらりと払い、私は高らかに言う。
その言葉を濃緑の古龍は静聴し、堪えるように口角を震わせる。
「良い。面白い。――お前のような奴を見るのは」
「初めてではないでしょう?」
ベリトの言葉を遮る。
私を見て、龍は驚いたように目を見開いた。
メリアは薄い笑みを浮かべたまま、カツカツと床を叩いて近づく。
間近まで迫り、その雄姿を見上げて言う。
「
「――」
声は寒々とした廊下に響き渡る。
澄んだ残響が消えてゆくなか、ベリトは僅かに口を開き、ひくひくと鼻先を動かした。
沈黙する彼を見て、確信する。
「アストロは魔界を旅する中でいくつかの痕跡を残した。そのうちの一つが、強大な悪魔たちと交わした強固な契約。彼はそれによって絶大な力を手にし、人間界に戻ったあとも悪魔たちを使役した」
後ろを振り返る。
未だ深紅の剣を持って立つシスティナに視線を投げる。
彼女ははっとして、口を開く。
「――七十二柱の、大悪魔」
私は頷く。
古の盟約で結ばれた、七十二柱の強大な上級悪魔たち。
私はその言葉を聞いたときから、ずっと頭の奥底で何かが引っかかっていた。
その正体が分かったのは、召喚魔法大全――アストロの著書を読み返した時だった。
「七十二柱の大悪魔を結ぶ盟約は、アストロの契約のこと。七十二柱の大悪魔というのは、彼に使役された悪魔たちの事だったのよ」
分厚い本の片隅に書かれていた彼の魔界での逸話。
その中には名前だけ、七十二柱の大悪魔たちが連ねられている。
「ベリトは物質を黄金に、生物を水晶に変える能力を持つ悪魔。アストロは三日三晩の激闘の末、剣によってその翼を断ち、契約を交わした」
「後ろが違う」
ずっと口を噤んでいたベリトが言う。
彼は懐古するような表情を浮かべていた。
「一月だ。三十日の間ずっと、俺たちは戦った。金剛晶山は――この山はその時に積み上げられた瓦礫のなれの果てさ」
しみじみと語るその顔には、長い時の面影があった。
アストロが死んですでに数千年の時が経っている。人間界と魔界での時の流れる速度に違いがあるのかは分からないけれど、短くない時が彼をただの上級悪魔から古龍へと押し上げた。
「貴方は“どうやって”ここへたどり着いたのかと私に聞いたわよね。“なぜ”ではなかった」
「ああ、そうだ」
そして彼は、私たちが空を飛んでやってくるという裏道を使ったと知ると、怒って追い出した。
つまり私たちは彼の望む道のりを辿らなかったのだ。
「貴方は怒ったけれど、私たちを殺しはしなかった。水晶に変えることもしなかった。それに何より、召喚術に必要な魔導書と鍵束を避けて、服だけを黄金に変えた」
彼がそう思えば、私の身につけている物すべてを黄金に変え、私すら水晶に変えることができたはずだ。
今も左右に立ち並ぶ水晶像の中に、私というコレクションを加えることも雑作ではなかっただろう。
けれど彼はそうしなかった。
そこに“意味”があった。
「ベリト。貴方はアストロと何か約束をしたの?」
「――。……付いてこい」
私の質問に答える代わりに、彼は身を翻す。
大きな足音を立てながら、ベリトは廊下の奥へと進んでいった。
「行こう」
「うん」
システィナが頷いて駆け寄ってくる。
私たちは黄金の翼を生やしたベリトの背中を追って、黄金宮廷の中へと進んだ。
長い廊下を駆け抜けると、その最奥には巨大な扉があった。
いくつもの錠が掛けられ、濃密な魔力も感じる。
厳重な守りによって閉ざされていることが、ただの人間である私にもよく分かった。
「――開け」
ベリトが簡潔な言葉を投げる。
ただそれだけで、静寂を保っていた扉が蠢動する。
錠が外れ、回路がつながり、機構が動く。
鍵が回り、構造が組み代わり、溝を滑る。
そうしてゆっくりと、扉は開く。
「ここは……」
思わず声を上げる。
扉の奥は、漆黒の石材で作られた小さな部屋だった。
黄金色に覆われた金剛晶山に於いて、初めて見る水晶以外の物質だった。
部屋は小さく、とてもではないけれどベリトの巨体は入れない。
彼は長い首を床すれすれにまで下げ、扉の奥へと伸ばす。
「そこの台座の上のヴェールを取れ」
「いいの? 黄金に変えたりしない?」
「するか! お前は、俺の試練に合格したんだからな」
にやりと笑うベリト。
鋭い牙が輝いて、恐ろしい。
ちらりとシスティナを見ると、彼女はベリトの首筋に剣を当てていた。
「……入るよ」
ベリトが何かしたらシスティナがなんとかしてくれると信じて、扉のむこうへと足を踏み入れる。
冷たい空気が頬を撫で、自然と背筋が伸びる。
台座は部屋の中央にあった。
分厚いビロードのような布で、台座の上が覆われている。
恐る恐る手を伸ばし、布の端をつまみ上げる。
ずっしりと重く、分厚い。
「早く取れ」
苛々とした声でベリトが急かす。
私は覚悟を決めて、思い切りヴェールを持ち上げた。
「っ!? こ、これは……!」
そこにあったものを見て、私は目を見開く。
黄金色の、二つのものが鎮座していた。
「アストロの注文だ。材料は夜霧荒野で晒した黄金だ」
ベリトの声も耳に入らない。
私はヴェールを床に落とし、震える手でそれを握った。
「……聖杯と、剣」
ひんやりとした金属の触感。
手のひらに収まるくらいの小さなサイズだけれど、それは紛う事なき私の探し求めていた物。
しかも、純金でできた最上級のものだ。
「アストロの言葉通り、お前はやってきた。だからそれはお前のもんだ」
「……いいの?」
「そのために俺が居て、ゴーレム共がこの山を守ってるんだ。受け取らねえと水晶にしちまうぞ」
「あ、ありがとう!」
純金の聖杯と剣を抱え、私は深々と頭を下げる。
聖杯と剣は召喚術で必須の触媒だ。
今回ここに来るために使ったものではなくて、世界と世界を越える為の“門”を作るために必要なもの。
「そういうわけだ。システィナ」
「……わかった」
ぎろりとベリトが自分の首筋に剣を添えるシスティナを見る。
彼女は一度頷くと、剣を血液に戻して収めた。
「俺の役目はこれで終わりだ。他にも行くところがあるんだろう?」
「え? ああ、月光城主と草海の守人に会わないと行けないわ」
私の言葉に、ベリトはぴくりと眉を動かした。
その反応に引っかかって小首を傾げると、彼は眉間に皺を寄せていった。
「月光城主か……。死ぬなよ」
「ど、どういうこと!?」
突然物騒な言葉が飛び出て焦る。
ベリトはばさりと一度黄金の翼を動かして言った。
「月光城主――あいつはアストロが一度殺した相手だからな」
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