第13話「召喚士、目を覚ます。」

 召喚術とは、人界と魔界、二つの世界を隔てる壁を越える唯一の魔法である。根本的な法則の異なる二者を接続するには大いなる危険が伴い、ひとたび誤れば甚大な被害を被る。

 それ故に召喚術において“意味”というものは、その言葉に対して多くの者が抱く以上に重要な意味が存在する。

 “意味”とは、意思の力。

 あらゆる法則において絶対的なものとして君臨し、法則の異なる世界すら貫通する不滅の槍。

 ひとたび術者が信じさえすれば、強固な壁は崩れ去り、強靱な糸は断ち切れる。信念の剣は不壊の盾を壊し、確信の盾は必断の剣を阻む。

 たとえあらゆる法則が融解し、全ての理が崩れ去り、遍く起源が消滅しても、人の意思とは確かにそこに存在し、その証明として眩い輝きと共に世界を改変する。

* * *


「――んぁ」


 暖かい光を瞼越しに感じて目を覚ます。

 そこは柔らかなベッドの上だった。

 私はお腹にぐるぐると包帯を巻かれ、そこに横たわっていた。


「メリア、目覚めた?」

「システィなびびっ!!? うきゅぅぅ」


 すぐ耳元でシスティナの声がした。

 思わず起き上がろうとするけれど、その瞬間に全身を強烈な痛みが走ってベッドに沈む。


「動かないで。全身の骨が折れてる」

「えええっ!? わ、私なんで生きてるの?」


 驚くとそれだけでまた全身が痛む。


「わたしが魔力を補充してた。ちょっと間違えると爆発しそうだったから、難しかったけど」

「ば、爆発……」


 おそらく、それは比喩でもなんでもないんだろう。

 彼女と私の魔力差を考えれば、地面にある針の穴を目掛けて二階から糸を通すようなもの。もはや神業と言ってもいいくらい。

 私は五体満足なのを確認して、大きく胸をなで下ろした。

 あのベリトの一撃を受けて吹き飛んで、それでも全身骨折程度で済んだのは、まさしく幸運だった。


「ありがとう、システィナ」

「うん」


 彼女はそっと私の手を握る。

 ひんやりとした白い手を握り返し、私は静かに息を吐いた。


「システィナ、私の荷物は無事かな」

「うん。服は全部壊しちゃったけど、リュックとベルトは金になってなかった」

「良かった……。ベルトに吊ってる巾着袋を取ってくれない?」

「分かった」


 ベッドの側のテーブルの上に私の荷物は置かれていた。

 見える限りでは、全て無事なようで一安心だ。


「はい」

「ありがとう。中に入ってるのを出して、胸の上に置いて頂戴」


 システィナは巾着袋の紐を緩め、口を開く。

 中から出てきたのは、硫黄の欠片と水銀の入ったガラス瓶。

 彼女は首を傾げながらも、手早くその二つを私の胸の上に載せてくれた。


「治癒魔法は、あんまり得意じゃないけど。――熱き血潮、巡り巡れ。四つの均衡を保ち、あるべき姿へと立ち返れ」


 胸元に重みを感じながら詠唱し、魔力を流す。

 全身をぐるぐると力の流れが巡るのを感じる。

 あるべき状態へと組み変わる。

 ボキボキと音を立て、ずれた骨が移動する。


「ぐっ、ぎぃ……」


 奥歯を噛み締め、痛みに耐える。

 割けていた肉が結合し、途切れていた血管が結ばれる。

 全身をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、整えられる。

 古い血と膿が傷口から吹き出し、シーツを汚す。新たな体液で満たされるまでの時間、全身を圧搾されるような激痛が襲う。脂汗を垂らし、荒く肩で呼吸する。

 全てが終わるまで、まだ時間が掛かる。


「ふぎぃぃ、いぎぎぎぃぃっ!!!!」

「大丈夫?」


 隣で心配そうな声がする。

 顔を向ける余裕はない。ましてや、その問いかけに答えることもできない。

 その代わり、魔力圧を上げて、治癒の速度を早めることに専念する。


「――はぁっ!」


 切れた皮膚が結合する。

 新鮮な血が巡り出す。

 最後に肺にたまった空気を吐き出し、全ての行程が終わる。


「もう治ったの?」

「なんとか、ね」


 額の汗を拭い、呼吸を整えながら頷く。

 システィナは少し驚いた様子で、私の顔をまじまじと見ていた。

 治癒魔法は苦手だ。

 傷口の治癒、欠損した組織の再生、流れ出た体液の補充、古い物質の排出など、幾つもの行程を立て続けにやらないと行けないから。

 上手い人ならもっと痛みもなく一瞬で全身の怪我を癒やせるし、達人なら全ての行程を同時に並列してやってのけるけれど、私にそこまでの才能は無い。

 それでもなんとか自己治癒ができたのは、システィナが私に魔力を流し込んでくれていたからだ。

 本来なら到底足りない量の魔力を贅沢に使うことで、足りない技量を埋めることができた。


「ありがとう、システィナ」

「うん」


 魔力を一気に使いすぎて、また瞼が重くなる。

 全身の痛みがだんだんと引いていき、ベッドの暖かさを感じられるようになる。


「ごめん……。また、眠たく……」

「うん。おやすみ」


 システィナの細い手が頬を撫でる。

 そして私は抗えず、ぼやける意識を手放した。


* * *


 次に目を覚ましたとき、窓の外は真っ黒い夜霧に覆われていた。

 金剛晶山のすぐ隣とはいえ、ロゼトニエルの町も夜霧荒野にあるため、夜は例外なくこの霧に覆われてしまう。


「起きた?」

「起きたよ」


 ベッドのすぐ側で彼女は座っていた。

 システィナはずっと側についてくれていたみたいだった。

 彼女は読みかけの魔導書を閉じて私の顔を覗き込む。


「もう大丈夫。……これからどうしよっか」

「もう一回登る」

「同じ手がまた通用するとは思えないけど……」


 記憶の糸をたぐり寄せ、ベリトとの邂逅を思い出す。

 彼は私が空を飛んでやってきたと言うと、不機嫌になった。


「彼はなんで私たちに“どうやって来たか”なんて聞いたんだろう」


 唐突に、そんな疑問が胸の底に湧き出た。

 単純に何人も通さないというならば、そのようなことを聞くだろうか。


「……私たちに空を飛んできて欲しくなかった?」


 きちんと山道を通って、自分の足で登ってきた欲しかったとか? そんなことがあるだろうか。

 あの金ぴかゴーレムの雪崩は、とてもそのような思惑があるとは思えない。


「それなら、どうやって行けば正解だった?」


 考える。

 そこになにか、糸口があるような気がした。


「晩ごはん、買ってくる。ついでに、山の様子も見てくる」

「え、ああ。うん。お願いします」


 システィナが立ち上がり、窓から直接出て行った。

 夜風の吹き込む窓をぼんやりと見つめていると、テーブルに置かれた魔導書が目に入った。


「……七十二柱」


 ベリトは七十二柱の大悪魔の一人だと言っていた。

 それが何故か引っかかっていて、唐突に思い出す。


「黄金に変える、能力」


 手帳を引き寄せ、ペンを握る。

 七十二柱の大悪魔、黄金に変える能力、山を登る方法、レスティエラの予言。


「んん~~~、なんか、なんか見つかりそう!」


 わしゃわしゃと髪をかきむしる。

 亜麻色の髪の毛が数本、はらはらとページの上に落ちた。


「……」


 一本を指先で抓み、目の前に持ち上げる。

 青色の照明の光を浴びて、白っぽい光を反射する。


「どうして黄金王は私とシスティナを水晶像に変えなかったんだろう」


 黄金宮廷にはおびただしい数の彫像があった。

 彼はそれが生きているとも言った。

 それは真実だろう。あれは、彼が水晶に変えた、哀れな悪魔たち。

 だとしたら、なぜ私たちは服を金に変えられるだけにとどまって、問答無用で固められなかったんだろう。


「――なんで、私の荷物は無事だったんだろう」


 テーブルの上に置かれた荷物。

 服が全て駄目になったというのに、何故か荷物は全部無事だ。

 魔導書、鍵束、触媒などの、魔法を扱うために必須のものも。


「ベリトは、何を……」


 考える。

 思考を巡らせる。

 そこには、何か“意味”があるはずだ。


「――ッ! まさか、そういう!?」


 確固たる根拠はない。

 けれど考えれば考えるほどその仮説はすとんと腑に落ちる。


「それなら、きっと」


 私は手帳のページを破り取る。

 白紙のそれに、ペンを走らせる。

 一枚書き終えたら、すぐに別のページを。

 単純な形だ。書き間違えようもない。

 ただ、確証だけが、依り代になる“意味”が私の中にはなかった。

 だから――


「“意味”は術者が作るもの。“意味”がないところから、“意味”を見出すもの!」


 ペンを走らせる。

 インクが迸る。

 私は一心不乱に、そのことだけを繰り返した。


「おまたせ。服も買ってきた」


 バサバサと翼をはためかせてシスティナが窓から飛び込んでくる。

 彼女は私とその周囲を見て、きょとんとしていた。

 それも仕方ない。私の回りには、無数の破り取られた紙が散乱している。


「どうしたの? この紙」

「――システィナ」


 ペンを握りすぎて、握力が失われていた。

 私は顔を上げ、彼女に向かって言う。


「これを持って、黄金宮廷へ行って」

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