第12話「召喚士、吹き飛ばされる。」

 システィナが黒い皮膜を広げ、風を掴む。

 大きく羽ばたけば瞬く間に高度を上げ、私たちはすぐに雲を突き抜けた。

 バタバタと荒ぶる風を捉え、彼女は鋭く空を飛翔する。


「ゴーレムたちも流石に空飛ぶ相手には手出しできないみたいね」


 彼女の腕に抱えられて空を飛ぶのにも少し慣れた。

 私は金剛晶山の斜面から恨めしそうに見上げているゴーレムたちを見て優越感に浸っていた。


「けど流石に寒くなってきたわね」


 気がつけば吐く息も白くなっている。

 周囲の空気も薄くなり、気温がぐんぐんと下がっていく。

 システィナは平気そうだけれど、私はそうもいかない。

 服装もただの布のものだし、防寒らしいものは何も着けていない。


「赤き血を注ぎ、我は我に施す。極寒を阻む皮、不凍の血潮、我よ我に与えよ」


 とはいえ、私には魔法という便利な技がある。詠唱し、魔力を消費すると、代わりにじんわりと体感温度が上がってくる。

 より正確に言えば寒さを感じなくなって、凍えなくなった。


「人間は器用」


 時折翼を動かしながらシスティナが言った。

 私からすれば、彼女のほうがよっぽど便利な能力を持っていると思うけど。


「人間は魔力量が少ないから。できるだけ少ない魔力で効率的に使えることに重点を置いてるんだよ」

「悪魔や魔族は、人間に比べると魔法が大ぶり。メリアみたいな細かい制御はあんまり得意じゃない」

「魔力が私の何倍もあるからそれでも十分使えるんだよ。魔界は消費した魔力もすぐに回復しちゃうし」


 どちらが良いという話ではない。

 人間は瞬間的な出力は低いけれど、要所要所にもっとも効果的な魔力量を配分することができる。

 それに対して悪魔は圧倒的なパワーでもって全てを破壊する。

 一長一短なのだ。


「古龍の魔力量は、魔界の相場で見ても多いの?」

「うん」


 間髪入れず彼女は頷く。

 迷う余地もないほど、古龍という存在は魔界においても乖離したものなのだろう。


「それじゃあ、黄金王さんも?」

「かなりの魔力量。彼は七十二柱の大悪魔の一人」

「ななじゅ、何それ?」

「七十二人の、上級悪魔。彼は悪魔として生まれて、長い時間の中で階級を上げて古龍に至ったたたき上げ」

「そうなんだ……。実力は折り紙付きって訳ね」


 聞けば、七十二柱の大悪魔というのは魔界でも指折りの実力者集団の総称らしかった。

 千年以上の時を掛けて力を付け上級悪魔へと至った数少ない強者であり、古い盟約によって固く結束しているのだとか。


「……なんか、どっかで聞いたことあるような」

「メリアは知ってるの?」

「いや、多分初耳だよ」


 何故か引っかかる部分があって少し頭の奥がもやもやする。

 それが何だったか思い出そうと頭を悩ませていると、システィナが口を開いた。


「そろそろ、黄金宮廷に着く」


 顔を上げ、山の頂上を睨む。

 雲はもうずっと下方に過ぎたというのに、頂上付近は濃い靄のようなもので覆われていた。


「突っ込む」


 そう言ってシスティナが翼を羽ばたく。

 風を大きく捉え、一気にスピードが上がり、私たちは濃い靄のなかに突っ込んだ。


「ふわっ!」


 湿っぽい空気が顔と髪を濡らす。

 思わず目を閉じていた私は、やがて風が乾いていることに気がついた。


「うわぁ……!」


 思わず感嘆の声を上げる。

 黄金色の山の頂には、煌びやかな水晶の台座の上に築かれた荘厳な宮殿があった。


「あれが、黄金宮廷」

「うん。黄金王ベリトの住んでるところ」


 宮殿の周囲には人気が無く、斜面にはごろごろと居たゴーレムさえ一人も見掛けない。

 システィナがゆっくりと高度を下ろし、私たちは静かに着地した。


「さて、ここからどうしようか」

「とりあえず入る」


 確かに、あの宮廷に立ち入らないことには始まらない。

 私はてくてくと歩き出したシスティナの背中を追って歩いた。


「扉、開いてるね」


 宮廷にはレストニエルの外壁門よりも大きくて立派な金の扉があった。

 それはぱっくりと開け放たれており、光り輝く水晶が等間隔で埋め込まれた長い廊下が続いている。

 相変わらず私たち以外の気配は無かったけれど、システィナは臆することなくど真ん中を通って中へと入った。


「うわぁ」


 敷居を私は二度目の感嘆を上げた。

 照明だと思っていた輝く水晶は、大きな廊下の左右に並べられた、精巧な悪魔の彫像だった。

 今にも動き出しそうな生気を纏い、そのどれもが苦悶や怒りの表情を浮かべている。


「すごい。生きてるみたい……」


 思わず見とれて足を止める。

 彫像は一定の間隔を空けてどこまでも奥へ奥へと並んでいる。

 一体、どれほどの数があるのだろう。

 それらはいっそ不気味なほどに生々しい。


「実際、生きてるからな」

「ッ!?!?」


 耳元でドスの聞いた低い男の声が囁いた。

 私は反射的に身を翻し、後ろへ下がる。


「システィナ!」

「来た」


 私を守るように、システィナが血の刃を構えて廊下の奥を睨む。

 そこへ、濁った笑い声が反響した。


「ぐはは。ここまでやってくる愚か者は、久しぶりだな」


 ずん、と宮殿が揺れる。

 それが三度繰り返されたところで、巨大な存在の足音だと気がついた。


「さあ、まずは名を名乗れ。そのあとに貴様らも水晶像にしてやろう」


 暗がりからその巨体がぬらりと現れた。

 濃緑の分厚い鱗が、まるで鎧のようにその体を覆っている。

 爛々と深紅の光を放つ目が鋭く私を睨む。それだけで全身が震え、足が竦む。


「黄金王ベリト。わたしたちは貴方に会いに来た」


 その偉容を目の当たりにしてなお、システィナは威風堂々と直立して告げる。

 黄金王――背中の翼を根元からもがれた四つ足の龍は、彼女を見て勢いよく鼻息を吹き出した。

 彼は私たちを睥睨し、不満げに長い首を振る。


「俺は、名を名乗れと言ったんだが?」

「システィナ」

「め、メリアです!」


 システィナが名乗り、私も慌てて続く。

 それを聞いて、彼は片眉をぴくりと動かした。


「ふん。……後ろはともかくお前は聞いたことがあるな。吸血鬼、始祖オリジナルか」


 レスティエラとは違い、彼女たちは初対面らしい。

 あの時とは違って和やかな雰囲気でもない。

 むしろピリピリと肌の表面が痺れるような、緊迫した空気で、私は気を強く持たないと今にも倒れそうだった。


「ここにてめぇらを呼んだ覚えはないぞ」


 厳つい表情で――ドラゴンの表情を知らないけど――ベリトが言う。

 彼が不機嫌だということは、私にもよく分かった。


「レスティエラに言われてきた」

「ちっ」


 レスティエラの名前を聞いた瞬間、ベリトは大きく舌打ちする。

 どうやら、あの二人はあまり仲が良くないらしい。


「――てめぇら、どうやってこの山を登り切った? ゴーレム共はどうした」

「そ、空を飛んで! というか、空を飛ぶシスティナに抱えて貰って来ました」


 居心地の悪い空気に耐えきれず、私は手を上げて言う。

 それを聞いたベリトは、眉間に深く皺を寄せた。


「ちっ。小癪なことを……。てめぇらに用はない、帰れ」

「わたしたちは用がある」

「知るか。帰らねえなら――」


 ベリトの背後から細長い枝の様なものが無数に飛来する。

 凄まじい速度でそれは私たちを目掛けて飛来し、


「メリアッ!」

「ぴっ!?」


 システィナが血の刃を振る。

 金属質な音が宮廷に響く。

 無数の金の枝を、彼女は一本の剣で防いでいた。

 しかし、それも長くは持たない。

 圧倒的な物量によって、そのうちの一本が彼女の腕から逃れる。


「ひぃっ!」


 枝の先端が私の服を掠める。

 その瞬間、まるで水がしみこむかのように、布が金色に変化していく。

 それとともに固く、重くなり、私は重心を崩して床に倒れる。


「くっ!」


 枝がシスティナの黒衣も掠める。

 じわじわと金へと変換されていく。


「これは……」

「ベリトの能力。触れたモノを、金にする」


 驚く私に、システィナが言った。

 ベリトは悠然と構えたまま、にたりと笑う。


「よく知ってるな。まあ、そういうことだ」


 服は完全に金の塊へと変換され、全身を包む拘束具と化した。

 その重さで私は動くことすらできない。

 幸いと言って良いのか、金の浸食は体にまでは及んでいなかった。


「さあ、とっとと帰りやがれ」


 金の枝が無数に絡まり合い、巨大な尾のように振るわれる。


「メリア!」

「かふっ」


 大きくしなったそれに巻き込まれ、私たちは吹き飛ぶ。

 宮廷の大きく開かれた門を飛び出し、空高く打ち出される。


「ぴぃぃぁあああああああああああっ!!」


 分厚い靄を貫通し、緩やかな弧を描いて地上へと落ちていった。

 吹きすさぶ風の轟音が埋め尽くす。

 薄らぐ意識の中で、彼女が腕を回したのを感じた。

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