第11話「召喚士、登山する。」

 情報屋から色々と教えて貰った後、私たちはロゼトニエルで宿をとった。私たち、というよりも私の疲れを癒やすためだ。

 システィナは相変わらず椅子に座って私の召喚魔法大全を読んでいて、私はベッドに寝転がって手帳に書き写した地図を見ていた。


「うーん、何にも掴めない」


 規則性があるようで無い。

 というより丸の数が少なくて、取ろうと思えばどうとでも取れる。

 強いて言うなら、上手いことロゼトニエルの町を避けているくらいかな。


「うーん……。うーむむむ……」


 逆さまにしたり透かしてみたり、色々とやってみるけど、どんどんとドツボに嵌まっていく気もする。


「メリア」

「はいなんでしょう」


 煮詰まっていると、メリアが本を開いたまま声を掛けてきた。

 上半身を起こしてそちらを見ると、彼女は魔導書のページを指で抑えながら言った。


「この触媒って、絶対に必要?」

「え? そりゃあ触媒がないと門が開かないから……」


 当然の話だ。

 “門”を開くには召喚陣と鍵と触媒が必須。それは召喚魔法における根幹の部分で、絶対に揺らぐことはない。


「なんで触媒が必要なの?」

「うーん、色々説はあるんだけど」


 実はその点については不明な点も多い。

 というのも召喚魔法大全にはそこが明記されていないのだ。


「一つは召喚対象と対等な立場になるため。人間は弱いから、触媒の力で嵩増しするの」


 聖杯や剣、聖銀の鎖なんかは魔力的な意味を持つ。

 それによって力を誇示して、少しでも優位性を示すという説。


「あとは召喚対象を区別するためだとか、世界の壁を越えるためだとか」

「ふぅん」


 私の曖昧な説明を受けて、システィナは頷く。

 相変わらず表情からは何も読み取れないけれど、あれはきっとあんまり納得してない。


「召喚陣だけを描いたら、どうなるの?」

「ええ、考えたこともなかったなぁ」


 予備知識が無いからか、システィナの質問は私にとっても新鮮だった。

 召喚陣は大まかに五つのパーツに分けられる。

 外側の円、楔の記号、内側の円、五芒星。

 外側の円は召喚対象の反撃から術者を保護する障壁を、楔の記号は“門”を固定することを、内側の円は“門”そのものを表す。


「五芒星は?」

「魔力を流すための回路だよ。それぞれの頂点に触媒を置いて、相互に接続するの」


 あとはより詳細に召喚対象を確定するために、魔法言語ルーンで色々なワードを書いたりと、高度な術式になればなるほど手間とパーツは増える。

 けれど基本的にはその四つ召喚陣の構成要素だ。


「門の円だけを描いたらどうなる?」

「それは意味を持たないから、ただの円だね」


 召喚魔法にとって“意味”という要素はとても重要だ。

 ただの円を壁に見立てたり、門に見立てたり。術者の認識というものがとても大切になる。

 術者の中で図形の“意味”が揺らぐと、それだけで召喚陣は機能しなくなる。


「じゃあ、二重の円は?」

「それも多分、単純に二重の円でしかないんじゃないかなぁ」


 そう言いながら、私の中でも少し好奇心が湧き出してきた。

 結局のところ、私が知っている召喚魔法の知識というものは、学院で教えて貰ったことだけだ。

 最初から完成された召喚陣から要素を省くなんて、考えたこともなかった。


「召喚陣の意味、か……」


 “意味”は召喚魔法の重要な要素だ。

 私はベッドに寝転がり、その“意味”を考えた。


* * *


「――リア、朝」


 ゆさゆさと肩を揺らされて目覚める。

 重たい瞼を擦って開けば、目の前にシスティナが立っていた。


「あれ、私寝ちゃってた?」

「うん。すやすや」

「ご、ごめん! 話の途中だったのに」

「いい。メリア弱いから」

「うぐっ」


 飾らない率直な言葉が胸を貫く。

 悪気は無いんだろうけど、耳が痛かった。


「今日は金剛晶山に行く?」

「うん。そうだね」


 宿屋近くの食堂で朝食を摂りながら今日の予定について話し合う。

 とはいえ金剛晶山に登って、黄金王に会おうというなんとも大まかなプランしか決まらなかったけど。


「あ、お水と軽食も準備したいな」


 昨日の反省を踏まえ、飲食料を持つことを提案する。

 システィナは別に飲まず食わずでいいらしいけど、私はか弱い人間である。

 ロゼトニエルの雑貨店で水筒を、食料品店でパンとベーコンとチーズを購入して貰う。


「準備できた?」

「うん。ばっちり!」


 それらを入れる革のショルダーバックまで買って貰って、なんとか私の装備も整った。

 昨日の広場で鉄塊を拾って、町の大通りを突っ切る。

 周囲の視線が痛いくらいに私たちに浴びせられるけど、システィナは気にした様子もなく一定の歩幅で歩いていた。


「あれ、こっちの門はあんまり混んでないね?」


 しばらく歩けば町の端にたどり着き、大きな外壁と門が見える。

 けれど私たちがやってきた方からみて裏側にあたるその門の前では、例の乱闘が起きていなかった。

 というより、門をくぐる人影が随分と少ない。


「金剛晶山に行く人がいないからだと思う」

「そういうことかぁ」


 情報屋も言っていた。

 黄金王の座する金剛晶山に立ち入れるのは彼の配下のゴーレムくらいなものだと。

 門を抜ける数少ない人たちも、目的地は金剛晶山ではないらしい。

 そんなわけで、今回は空を飛ぶことなく堂々と門をくぐって町を出る。

 相変わらずどこまでも荒涼とした地平線がよく見える。


「ほんとにこっちに山があるの?」


 手帳に写した地図を見る。

 それによれば、金剛晶山と夜霧荒野の境界線はロゼトニエルのすぐ側だ。

 けれど眼前に広がるのは、見渡す限りの大荒原だ。


「すぐに切り替わると思う」

「切り替わる?」


 てくてくと歩きながらシスティナが言う。

 彼女の言葉の意味を理解しかねて、私は首を傾げた。

 何時間か歩いて、お腹がくぅくぅと鳴き始めたので、少しお行儀が悪いけれど歩きながらサンドウィッチを食べる。


「システィナも食べる?」


 じっとこちらを見つめる視線に気がついて、半分に割って片方を渡す。

 彼女はこくんと頷くと、サンドウィッチを食べ始めた。

 飲まず食わずで何年も活動できるとはいえ、普通にお腹はすくみたいだしね。


「金剛晶山、見えてこないねぇ」

「ここからじゃ見えない。もぐ」


 夜の濃い霧が嘘みたいに、昼間の荒野は連日快晴だ。

 私はサンドウィッチの最後の一欠片を口に押し込んで、大きく伸びをした。

 それから少ししてロゼトニエルの町影も見えなくなった頃、それは唐突に起こった。


「――えっ!?」


 一歩踏み出すと、その瞬間に目の前の荒野が消える。

 ごろごろと私の背丈以上の大岩がそこかしこに転がり、目の前には黄金に輝く山が雄姿を見せる。


「えっ、えっ!?」

「一歩下がってみて」


 混乱する私に、システィナが言う。

 一歩後方に下がると、また視界が切り替わり、どこまでも続く荒野になった。


「ここが境界」

「境界って……。古龍の領土は地続きじゃないの?」

「物理的には繋がってる。けど、支配してる古龍の影響で、気候とか景色とかが変わる」

「変わるって、そんなレベルじゃ」


 前後に体を動かすだけで、目の前の山が現れたり消えたりとせわしない。まるで、別の世界を行き来しているような奇妙な感覚だ。

 人間界では絶対見られないような、不思議な光景だった。


「じゃあ、あれが金剛晶山?」

「うん」


 少し前に進み、現れた山を見上げる。

 急峻な岩山だ。左右にどこまでも尾根が長く続き、ギラギラと光り輝いている。


「あれ、全部黄金なの?」

「うん」


 金剛晶山の名前は、決して伊達ではなかった。

 丸々全て、純金でできた山。それが、黄金王の支配する領土だった。

 所々にはアクセントのように透明な水晶の柱が屹立し、どこに視線を向けてもまばゆい光が目に入る。


「あの頂上に、黄金王が住む金剛宮廷がある」

「金剛宮廷……。実際金剛の宮廷なんだろうなぁ」


 この景色を見れば嫌でも分かる。

 きっとその建物もまた、全てがまるっと金製なんだろう。


「それじゃ、行こう」

「う、うん」


 臆する様子もなく歩き出すシスティナ。

 彼女の後に続いて私もなだらかな斜面を登っていく。

 薄く刻まれた道を進むごとに斜面は急になり、地面には金や水晶の欠片が目立つようになる。

 これ、適当に拾って持ち帰るだけでもいいお値段になりそう。


「ここからが本番」


 先頭のシスティナが言う。

 彼女の前の地面は全てが黄金に輝いていた。

 いっそ毒々しいくらいの目に痛い景色だ。

 私は瞼を薄く閉じながら彼女の後に続く。

 そうして少し歩いた時だった。


『ア、アアア、アア……』


 巨大な金の大岩の影から、人の呻くような声が聞こえた。

 咄嗟に身構え、音の発信源を見る。


『アアア、アアアアア――』


 ぬらりとそれは姿を表した。

 純金の景色の中に溶けるような、金の体に水晶の目が光る。


「これは……」

「ゴーレム。黄金王の配下」

「これも魔族?」

「違う。黄金王が作った魔法生物。金剛晶山は、黄金王以外に魔族は住んでない」

『アアアアアアアッ!』


 私たちが悠長に話しているのが気に触ったのか、ゴーレムが怒りの声を上げる。

 それを見て、私は直感的に理解した。

 彼らはここを監視しているのだ。

 おそらく、ここから黄金の一欠片でも持ち帰ろうとすれば彼らがそれを許さない。


「下がってて」

「はひっ」


 警報器のようにけたたましい声を上げるゴーレムを見据え、システィナが深紅の刃を作り構える。

 それが開戦の鏑矢となり、ゴーレムがどすどすと地響きを立てて突進してくる。


『アアアアアアッ!』

「はっ――」


 一線。

 純金の表面を、赤い光が滑る。

 ただそれだけで亀裂が走る。

 システィナが剣を振り下ろした瞬間、ゴーレムが砕け散る。


「余裕」


 ガラガラと音を立てて崩れるゴーレムを見ながら、システィナが言った。

 私はその背後を見て咄嗟に口を開く。


「システィナ、後ろ!」

「ッ!?」



『――ァァアアアアアアアアッ!!!』


 さながら金の雪崩だった。

 体を丸くした無数のゴーレムたちが斜面を転がり落ちてくる。

 痛覚というものがないのか、もしくは黄金王への忠誠心がそうさせているのか。


「これはちょっと、厳しそう」


 システィナが細い眉を寄せる。


「でしょうね! 撤退、一時撤退!!」


 言われなくても分かってる。

 私は早速雪崩のようなゴーレムの波に背を向けて斜面を駆け下りる。

 キラキラした斜面が眩しすぎて、頭がだんだんと混乱してくる。

 焦りと恐怖もあって、いつの間にか涙目になる。


「ぴぃぃぃん!」

「掴まって」


 そんな私を、システィナが抱き上げる。

 バサバサと大きな羽ばたき。


「そうか、空飛べるんだった!」


 せっかく持ってきた鉄塊がゴーレムの波に消える。

 それを見下ろしながら、私たちは更に上を目指して進んでいった。

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