第10話「召喚士、書き写す。」

 ロゼトニエルはお隣の金剛晶山との境界に近い都市だ。

 そのため多くの金と水晶が運び込まれ、それらを扱う宝石商や装飾職人などが多く軒を連ねていた。

 石造りの建物が目立つのはレストニエルとよく似ているが、軒下や欄干、塀などの細部には精巧なレリーフがいくつも施されている。

 レストニエルほどではないとはいえ、通りは活気づき、姿形も様々な魔族たちが闊歩している。


「でも、ごはんはあんまり種類がなさそうだね」


 私たちが立ち寄った食堂は、レストニエルのお店よりもメニューの数が少なかった。

 芋や根菜類などの厳しい環境でもよく育つ食材や、魔獣のお肉なんかを使った料理がよく目立つ。


「そういえば、ニンニクとかが苦手っていうのはほんと?」


 運ばれてきたベーコンのキッシュを見て、ふとそんな疑問が浮かんだ。

 対面するシスティナに尋ねると、彼女は少し悩んでから頷く。


「ニンニクだけじゃなくて、匂いのきつい食材が苦手」

「別に毒になるわけじゃないんだね。吸血鬼の習性っていうよりも嗅覚が敏感だからなのかな」

「そういうこと」


 キッシュを切り分けながらシスティナが頷く。

 彼女は随分目も良かったし、感覚が人間よりも遙かに敏感なのは確かだ。

 それなら、人間でも苦手な人がいるニンニクを嫌っていてもおかしくはない。


「でも、逆にそういうのを好む吸血鬼もいる」

「結局そこも個人に依るんだね」


 そういうこと、と彼女は大きく切ったキッシュを食べて頷いた。

 マッシュされたポテトがほくほくとしてて、バターの甘みがじんわりと広がる。ベーコンの塩気とジューシーな油を良く吸い込んで、とても美味しい。

 魔界の料理というのもなかなか侮れない。


「ていうよりそんなに違いがないんだよね。魔界と人間界」

「召喚された後戻ってきた悪魔が色々覚えて帰ってくるからかも」

「そういうこともあるんだ」


 確かに基本的に悪魔召喚の際の契約は一時的なもので、術者の要件が終われば解放されて魔界へと送還される。

 となれば人間界の知識も結構広がっているのも納得だった。

 人間たちが知らないだけで、文化の流入があるらしい。


「特に料理は色々人間界のものがある」

「そうなの?」

「野菜の種とか、くすねて持って帰ってくる。あと魔獣はそんなに変わんないから」

「そっか。野菜の種……。悪魔に持たせてあげたら喜ぶのかな」


 まあ契約の内容に野菜の種を盗んではいけないとか書かないしね。ていうかそんなの想定しているわけがない。もっと、術者を殺さない、とか書くべきだし。


「って、それよりも今はあの重たい荷物だよ」


 キッシュを食べたことで力が戻ってきた。

 頭に潤滑油も注せたようで、私は気を取り直す。

 今この時点で重要なのは野菜の種をくすねる悪魔じゃなくて、あのドデカい鉄の塊だ。


「やっぱりあれは黄金王の持ち物?」

「分からない。けど純金がいっぱいだった」

「あれだけの純金を持ってるのは黄金王くらいってこと?」


 口いっぱいにキッシュを頬張っていたシスティナが頷く。

 黄金王、一体どういう古龍なんだろう。


「けど、なんで黄金王はあんな鉄で覆った純金の塊を投げたんだろう」

「分からない」

「分からないことばっかりだなぁ」


 とりあえず、テーブルに着いて話しているだけじゃなにも進歩しないことだけは分かった。

 私は半分のキッシュを急いで食べると水と一緒に飲み干す。


「よし、それじゃあちょっと聞き込み調査しよう」

「聞き込み調査?」

「あの鉄塊は黄金王のものなのか、だとしたらなぜ黄金王はあれを投げたのか。そもそもあれ一つだけとも限らないし」

「分かった。行こう」


 システィナも頷いてキッシュを飲み込む。

 お会計を済ませるとき、手始めにお店の人に聞いてみる。


「鉄で覆われた純金の塊? 知らないなぁ。町の情報屋だったら知ってるかも」


 ぼよんとした白い弾力のある体をした悪魔の店主は、ぼにぼにと丸い手で額を掻きながら言った。

 大抵の町には情報通の悪魔がいて、彼らはその町のことなら何だって知っているらしい。

 当然、その情報には対価が必要なんだけど、その点はシスティナがなんとかすると胸を叩いてくれた。


「ありがとうございます。ごちそうさまでした」

「え? あ、うん。どういたしまして」


 ぺこりと頭を下げて店を出る。

 ぽよぽよの店主は少し呆気にとられた様子で見送った。


「なんか私、変なことしたかな?」

「あんまり『ありがとう』とか『ごちそうさま』とか言う悪魔はいない」

「そうなの?」


 意外なところで出てくる文化の違いに驚く。

 ここも魔界の実力至上主義的な価値観に基づいているらしい。

 まあたしかに、礼儀正しい悪魔っていうのもちょっとおかしいのかも知れない。


「それで、情報屋さんはどこにいるんだろう」

「大抵はそれっぽい路地裏なんかに」

「たしかにそんなイメージはあるけど……」


 話しながら手近な細い路地の暗がりを覗き込む。

 人気のない場所に一人だけ、みすぼらしい格好で地面に座り込んでいる痩せこけた悪魔がいた。

 比較的人間に近い外見で、ボサボサの髪の隙間から黒い角が三本ほど伸びている。


「あなた、情報屋?」

「ちょ、そんなストレートに聞く!?」


 いつの間にか路地に入っていたシスティナが単刀直入に聞いていた。

 慌てて追いかけて彼女の肩越しにその悪魔を見る。

 彼は胡乱な目つきで見上げていたけれど、システィナの顔を見るや否やぱっと飛び上がって目を見開いた。

 充血したような真っ赤な瞳が彼女を見る。


「おめえ、鮮血姫か!? なんでこんなとこに……」

「せ、鮮血姫?」


 初めて聞く名前に首を傾げると、男は信じられないと私の方を見た。


「てめぇはそんなのも知らずにこいつに付いてるのか? 始祖吸血鬼のシスティナって言やぁ――」

「今それ聞いてない。あなた、情報屋?」


 話しかけた男の声を遮り、システィナが再度尋ねる。

 私としては男の人の続きが聞きたかったんだけれど……。


「そうだよ。この辺のことならだいたい知ってるぜ」


 ボリボリと首の後ろを掻きながら情報屋さんが言う。

 もうちょっと正体とか隠すものかと思ってたんだけど、そうでもないらしい。

 しかしまあこうもすぐに見つかるのは僥倖だ。

 早速私は鉄塊の件について何か知らないか尋ねる。


「へっ、いかに鮮血姫さんといえどもタダで情報渡すのは情報屋じゃねえや」

「これくらいでいい?」


 渋る情報屋の枯れ枝のような手をシスティナが握る。

 すると彼は驚いてまた目を見開いた。


「こんなに貰って良いのか!? いいぜ、何でも教えてやらぁ」


 よく分からないけど、かなり大量の魔力を渡したらしい。

 食事の支払いとかでもそうだけど、この世界では魔力が通貨として使われているからお会計の時は二人が握手するような光景がよく見られる。

 なんとなく、そこだけ見れば凄く平和な世界だ。


「全部教えて。まずはあれの持ち主」

「いいぜ。とはいえあんたらも大体予想は付いてるんだろう?」


 ニヒルな笑みを浮かべて、情報屋が言う。

 彼の口から出てきた名前は。


「やっぱり黄金王なのね」

「あんな代物、黄金王くらいしか作れやしないさ」

「じゃあ、あれを飛ばす理由は?」

「それは知らん」

「情報屋のくせに……」

「情報屋は別に全知全能じゃねえっつの! 誰も知らねえことが知りたきゃ天使にでも聞きやがれ」


 ぼそっと文句を付けると、彼は耳聡く反応する。

 その耳の良さが彼の商売道具なのだろう。

 魔族はキーキーと金属の擦れるような声で文句を言っていたけれど、少しして落ち着いたのか大きく息を吐いた。


「けどまあ、結構な頻度で同じ様な鉄球を飛ばしてるって話だ」

「規則性があったりするの?」

「うんにゃ、分からん。一応金剛晶山のてっぺんから投げてるっぽいことくらいだな」


 そう言って彼はボロボロの服の下から一枚の地図を取り出す。

 私たちの真ん中で広げられたそれは、ロゼトニエル周辺の地図のようだった。


「ここが金剛晶山。んで、この赤い丸が鉄球が落ちてきた場所だ」

「確かに、見ようによっては同心円状って感じはするけど……」

「バラバラ」


 簡潔にシスティナが言った言葉に私と情報屋が頷く。

 かなり大まかに見れば円形になっているような気がしないでもないけれど、いくつか記された丸はどれもバラバラだった。

 かなり離れている場所にぽつんとあるものから、同じような場所に三つほど密集しているものもある。


「この地図ちょうだい」

「アホか! こりゃ俺の商売道具だっての!」


 システィナの無慈悲な要求に、情報屋は涙目で断る。

 仕方がないから、私は懐から手帳を取り出して言う。

「じゃあ書き写させてもらえる?」

「それくらいならいいぜ」


 そんなわけで手早く地図と丸を書き写す。


「姉ちゃん上手えもんだな」

「まあ職業柄、こういう図形的なのを描くのは得意だから」


 召喚士は召喚陣を正確に描けるようになるのが最低条件だ。

 それこそ学院では死ぬほど図形を描いてきたし、ペンも何本潰したか覚えてすらいない。

 そんなわけでお絵かきにはそれなりに自信があるのだ。


「この線は何かの境界?」


 書き写していると、地図に薄く点線が引かれているのを見つけた。

 それは緩くカーブを描きながら紙を斜めに縦断し、何かを区切っているようだった。


「うん? ああ、そりゃ領土の境界だな。こっち側が夜霧荒野で、そっちが金剛晶山だ」

「そっかぁ。――ほい完了。あ、この鉄球って誰か人を狙ってるっていうのはある?」

「さてねぇ。俺はこいつに押しつぶされて死んだ奴は知らねぇな」


 それじゃあ何故あれは私の頭上に飛んできたんだろう。

 ただの偶然?

 偶然だとするなら、何という不運だろう。普通に生活してて、頭上に鉄球が振ってくる確率は如何ほど?


「あんたらはなんでこの鉄球について調べてるんだ?」

「わたしたちの所に飛んできたから。黄金王に返しに行く」

「はぁ!? 随分酔狂なことするんだな」


 売り払って財産にすればいいのに、と情報屋が言外に言う。

 とはいえ、システィナはあまりそういうのに興味がないのかもしれない。


「というか、金剛晶山に入る算段は付いてるのか?」

「へ?」


 驚く私に、彼は呆れた表情になる。


「あそこに入れるのは、黄金王の配下のゴーレムくらいなもんだぞ? 強行突破は難しいぜ」

「大丈夫。問題ない」

「……そうかい。ま、せいぜい頑張りな」


 システィナが即答する。情報屋は胡乱な目で彼女を見た後、そう言ってひらひらと手を振った。

 私は手帳をしまい、システィナと共に大通りへと戻った。

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