第8話「召喚士、潰されかける。」

 晴朗な空。

 風は穏やかな吹き、柔らかな白い雲が遠くの方がゆったりと流れている。

 そんな中、私は――


「はぁ、はぁ……。ちょ、ちょっと、きゅうけ……ぐふっ」


 荒野の真ん中で死にかけていた。


「大丈夫?」


 少し先を歩いていたシスティナが振り返って見下ろす。

 吸血鬼だというのに降り注ぐ陽光もものともせず、疲労の欠片も感じていないらしい。


「喉が、乾いた……。おなか、すいた……」


 対して私はただの人間。

 歩けば疲れるし喉は乾くしお腹がすく。

 私は杖代わりに拾った枝を支えによろよろと立ち上がり、システィナに懇願する。


「たべ、たべもの……。おみず……」

「人間、よわい」

「魔界が過酷なんだよぅ」


 水気など一切見当たらない乾いた荒れ地を出発する前に気付いておかないとならなかった。

 人間は、この荒野を一切の補給なしに歩ききれるほど屈強じゃない。


「近くに村とかないの?」

「ない。ある程度大きい町じゃないと三日で消える」

「魔界の治安はほんとどうなってるの……」


 殺伐とした世界の事情に愕然とする。

 システィナ曰く、この荒野で一定以上の防御機構のない村は、すぐに野党や凶暴な魔獣が夜霧に紛れて襲来してきて全てを略奪されてしまう。

 だからこそ、今朝出発したレストニエルは立派な外壁で町を囲っていたのだ。


「うぅ、私も吸血鬼だったらよかったのに」

「吸血鬼、不便だよ?」


 思わずこぼした泣き言にシスティナが言う。

 彼女を見ている限り、特に不便はしていなさそうなんだけれど……。


「不死性の低い若い吸血鬼は日中は歩けない。吸血鬼狩りに狙われやすい。大体死ぬ」

「大体死ぬ……」


 吸血鬼は、というよりシスティナほどの力を持たない吸血鬼は弱点が知られているだけあってかなり弱い存在らしい。


「十字架は苦手?」

「……? べつに、なんとも」


 指でバッテンを作って見せてみる。私の国で広く信仰されている宗教のサインだ。

 教団が言うには吸血鬼を含め不死性を持つもの、つまり神の理に反逆する者を浄化する力があるって話だったんだけど……。

 システィナはサインを見て、きょとんと首を傾げるだけだった。


「そっかぁ。まあ、教会の威信付けみたいなとこなんだろうな」


 誰だって普通に暮らしてて吸血鬼に出会うことなんてないし、実証ができない話だ。

 幽霊の正体を見たような気持ちで少しがっかりとする。


「他にも吸血鬼の弱点、しってる?」

「吸血鬼が吸血鬼の弱点に興味あるんだね」


 私の話に興味を持ったのか、彼女が隣に腰を下ろす。

 水や食べ物がなくてふらふらしてるけど、せめて休憩しようと思って私は学院で習ったことを思い出す。


「流水を渡れないとか」

「渡れる」

「細かい種が散らばってると数えちゃうとか、絡まってる紐があると解いちゃうとか」

「それはその吸血鬼の性格による」


 ですよねぇ。

 なんとなくそんな気はしてた。


「心臓に杭を打ったら死ぬっていうのは?」


 そんなことしたら大体の人は死ぬと思うけど。

 ここまでしないと死なない、みたいな逆説的な理由が付けられていた気がする。

 システィナはしばらく自分の胸元に視線を降ろして考えていた。


「気持ち悪そうだけど、死なないと思う」

「じゃどうやったら死ぬの?」

「私の不死性を上回る攻撃?」


 心臓直撃以上の攻撃ってなんなんだろうという疑問はこのさい置いておく。

 実際、彼女自身も自分を殺す方法というのが分かっているのかは定かでは無い。

 長い孤独の中で生きていたのなら、自ら死を選ぶという選択肢が思い浮かばないわけもない。


「あ、じゃあ鏡に映らないっていうのは本当?」

「普通にしてたら映る。映らないようになることもできるけど」

「そこも調節できるんだ」

「存在を希釈すれば。簡単」

「絶対簡単じゃないよそれ」


 存在を希釈って。どんな魔法を使えばそんなことができるんだろう。

 とりあえず、人間にできる業じゃなさそうだ。


「そういえば、あの魔法は? 私を助けてくれたときの」


 それは昨日、私が魔界に引きずり込まれたときの記憶。

 私が上級悪魔だと思っていたあの山羊頭を一刀両断した赤い刃。


「あれは血の魔法」

「血の魔法? そういえば悪魔は人間界の学派では説明できない固有の魔法を使えるんだっけ」


 悪魔の中には私たちが学院なんかで習うものとは根本的に系統がことなる魔法を扱う存在も多く居る。

 そもそも魔法というのは世界の事象に干渉し、その情報を改竄する技術のことで、全ての魔法は世界の理を近似値的になぞるものだ。

 世界の理が完全に究明されていないために一つの学説だけでは完全にカバーすることはできず、複数の学派が存在している。

 学院では四元素理論、四性質理論、ガレノス四体液説なんかを交えた西洋魔法が一般的だけど、東方には東洋魔法という陰陽二元論を基礎に据える学派があるし、星海図法則を応用した天文魔法なんかもある。

 そもそも、召喚魔法からしてそれら全ての学派から乖離した独特な、一種の固有魔法みたいなものなのだ。 だから、システィナの使う血の魔法というものも、私の知る魔法の知識では到達し得ない領域にある固有魔法なんだろう。


「血の魔法は、自分の血液を操作する魔法。こんなふうに――」


 システィナが自分の指先に鋭い爪を立てる。

 小さな傷口から勢いよく鮮血が吹き出し、それは空中で形を変えていく。

 驚く私の頭上で固まり、それは真っ赤な傘になって日光を遮った。


「色々形を変えられる」

「す、すごい……。めちゃめちゃ便利なんだね」

「うん。便利」


 驕りも謙遜もなくシスティナは頷く。

 恐る恐るパラソルの柄に指先を触れると、鉄のように冷たく硬い感触が伝わる。

 影の中に入るだけで随分と体感温度も代わり、少し余裕も出る。


「変身能力は?」

「ある。空を飛ぶときは羽生やしてる」

「あれもその能力なんだね」


 レストニエルの外壁を飛び越えた、蝙蝠のような皮膜の張った翼。あれは彼女の変身能力によって現れたものだったらしい。


「全身を完全に変化させることはできないの?」

「できるけど、体の動かし方が変わるからあんまり好きじゃない」


 それもそうだ。体格も構造も違う姿になってしまったら、普段とは勝手が違うどころの話じゃない。

 変身能力も、世間で言われているほど万能ではないらしい。


「ふぅ。少し休憩したら体力も戻ってきたよ。強化魔法掛けてれば、まだ歩けると思う」

「そう。なら一番近い町まで行く」


 日陰で話しながら休憩して、僅かだけれど余裕を取り戻せた。

 立ち上がり、固まった足を揉みほぐしながら詠唱を始める。


「赤き血を注ぎ、我は我に施す。万難を阻む鉄の皮膚、百里を掛ける風の足、我よ我に与えよ」


 ビリビリと電流の走るような衝撃が全身に流れる。

 身体の耐久度が上昇し、脚力も強化される。

 幸い、体力とは違って魔力には余裕がある。これならもうしばらくは歩けるはずだった。


「よし、じゃあ出発――」


 そうして、私がシスティナの方へと振り向いた丁度その時のことだった。

 不意に暗い影が私の頭上に現れる。


「へ?」


 突然の出来事に判断力が麻痺する。

 思考が停止し、体が動かない。

 私は咄嗟に飛び出したシスティナに突き出され、影の外に出る。


「ぴぃぃぃぃ!?」


 その瞬間、巨大な鉄塊が落下する。

 システィナが助けてくれなければ、今頃あっけなく押しつぶされていたはずだ。


「って、システィナ!? だ、大丈夫?」


 私を庇って鉄塊に押しつぶされた彼女の名前を呼ぶ。

 黒々とした鉄の塊は深く地面にめり込んでいて、そのエネルギーを物語っている。


「ちょ、システィナ?」


 返事が無い。

 私はよろよろと膝を折る。

 だだっ広い荒野のど真ん中で、私はどうすることもできず――


「大丈夫?」


 ぼんっ! と勢いよく鉄塊が吹き飛ぶ。

 その真下にあるクレーターから現れたのは、相変わらず無表情なシスティナ。

 彼女はとことこと私の方へと歩み寄り、こてんと首を傾げた。


「システィナぁぁああああ!!」


 私は思わず彼女の細い体に抱きついて声を上げた。

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