第7話「召喚士、出発する。」
お腹も膨れ、宿の部屋に戻ってきた私たちは、明日のことを話し合う。
「朝には町を出て、黄金王に会いに行く」
「その黄金王っていう人はどこに住んでるの?」
枕を胸に抱き、ベッドに腰掛ける。
枕を包む布やシーツの手触りが良くて、ついつい触ってしまう。
人間界のものよりも品質がいいのは、少し失礼かも知れないけれど、意外だった。
「彼は金剛晶山に住んでる。金と水晶でできた山だよ」
「金と水晶!? すごい、文字通り宝の山だね……」
それが本当なら、そこに住んでいる彼は確かに黄金王だろう。
とはいえ、そんな山があるのなら魔界での金の価値はそれほど高くないのかもしれない。
「黄金王は蒐集家で有名。所有欲が強くて、金剛晶山の採掘も殆ど許してない」
「そっか。なら魔界でも金は高価なんだね」
「それなりに」
それなり、というのは魔界には金を生成できる存在が多少なりとも存在するからだろう。
「その黄金王のところに行って、何をすれば良いんだろうね?」
「わかんない。でもレスティエラが言うんだから、行けばなんとかなると思う」
システィナは臆する様子も無く言う。
彼女はレスティエラにかなり信頼を置いているらしい。
「必要な触媒はなに?」
この旅は人間界に帰るための“門”を開くための触媒を集める旅だ。
けれど、私には一つだけ引っかかることがあった。
「それがよく分かんないんだよね。開く“門”が悪魔召喚の門でいいのか……」
悪魔召喚の門ならば、必要なのは聖杯と剣、術者の血、星屑の石、銀の鎖の五つだ。
けれどそれで開くのは魔界に通じる門。魔界で開いて、人間界に繋がる確証がない。
「触媒が一つでも手に入れば、そこから推測することはできるけど……」
「それなら、行ってみないと分かんない」
システィナの言葉に、私は「そうだね」と頷く。
結局は行動しなければ、未来は開けないのだ。
「明日の朝、出発する」
「また抱っこされて空を飛ぶの?」
「……」
あのときの足が竦む感覚はまだ覚えている。
慣れたら爽快だったけど、夜霧の中では方向感覚も平衡感覚も無くなって混乱してしまった。
「徒歩で行く」
少し考えてシスティナはそう言った。
てっきりまた空を飛ぶ物だと思っていた私は、驚いて声を上げる。
「えっ、どうして?」
「メリアも魔界知りたそう。案内する」
「そ、そんなことは……」
ない、とは言えなかった。
召喚士として、知り尽くしていたと思っていた魔界は私の想像を越えて広かった。
そこに何があるのか、好奇心が刺激されて私の胸が疼くのが分かる。
「大丈夫」
システィナが薄く微笑む。
「わたしがついてる」
その言葉を聞いて、ふわりと胸を締め付けていた何かが解けた。
そうだね、と私は頷く。
「この世界を、案内してくれる?」
「まかせて」
ぽむ、と彼女が胸を叩く。
その頼もしい姿を見て、私はふっと安堵した。
「それじゃ、明日の朝に備えてもう寝なきゃ」
「うん。しっかり休んで」
傍らに座るシスティナに見守られ、私は意識を手放す。
彼女は眠らないのか、読みかけの魔導書を開いていた。
* * *
窓から差し込む光で目が覚める。
使い慣れたベッドとは違う手触りに違和感を覚えて目を覚まし、そこが魔界だと思い出す。
「……青空だ」
窓の外には清々しい景色が広がっていた。
頭上には突き抜けるような広い空がある。
「夜霧荒野を霧が覆うのは夜だけ。昼間は普通」
背後で本を畳む音がする。
振り返れば、システィナが立ち上がって近づいてきた。
「もしかして一晩中それ読んでたの?」
「うん。夜は退屈だけど、おかげで楽しかった」
「吸血鬼は眠らなくて良いの……?」
彼女の吸血鬼らしい側面を垣間見て、私は思い直す。
年端もいかない少女のような姿をしているけれど、彼女は歴とした魔界の住人。
しかも夜の王の二つ名を持つ吸血鬼なのだ。
「むしろ夜が主な活動時間かも」
「日光浴びたら灰になったりする?」
「強い日差しは嫌い。でもそこまでじゃない」
相変わらず感情表現に乏しい表情でシスティナが言う。
一応アンデッドに属するだけあって日光は苦手らしいが、彼女の持つ不死性のほうが勝るとのことだった。
「じゃ、出発」
彼女の合図で、私たちは宿を出た。
明るい日差しの下を歩いていると、余計に人間界との区別が付かなくなる。
なんとなく、魔界は暗澹としていてジメジメとした場所だと思い込んでいたけれど、緑の植物も多いし水も綺麗だ。
「ほんと、あとは歩く人たちが異形の姿じゃなかったら区別も付かないわ」
唯一にして最大の違いがそこだ。
私の三倍はあろうかという巨人が横切ったかと思えば、膝にもみたいな小人が走る。長い牙を持つ人や、角、鱗、発光体、触手、蹄、髭。本当に色々な特徴を持った悪魔たちが闊歩している。
今日も早速至るところで暴言が沸き、拳が飛ぶ。悲鳴と喝采が入り交じり、朝から騒々しいことこの上ない。
「これに慣れるのはいつになるのかなぁ」
「町は楽しい?」
「退屈はしないわね」
システィナに抱かれ、レストニエルを囲う防壁を飛び越える。
雑然と栄える町中とは打って変わって、どこまでも見晴らせる荒涼とした風景だ。
「ふおっと」
町から少し離れた場所に降ろして貰い、周囲を眺める。
「畑とか、農業はしてないの?」
「夜霧荒野ではしてない。土に栄養が無い」
私の疑問にシスティナはすぐに答えてくれる。
確かに乾いた土は硬く、植物も碌に育たないだろう。
「その代わりレストニエルは貿易してる」
「そうなんだ? 結構大きな町だし、人も多かったもんね」
「夜霧荒野はいろんな領土に囲まれてる」
つまりは交易の要衝となっているのだ。
だからこそあの町は際だって多種多様な種族が生活しているのだとか。
「金剛晶山も月光城も草海も、レストニエルの隣だよ」
「えっと、それ全部レスティアラが言ってた古龍の領土?」
こくん、とシスティナが頷く。
私は思わず天を仰ぐ。
道のりは長そうだと思ったけれど、全てがこの土地に隣接しているのなら、そう過酷な旅ではないのかもしれない。
――そう思っていたんだ。
「それじゃあ金剛晶山に行こう」
「うん。案内、よろしくお願いします」
殺風景な荒野の真ん中を、レストニエルの防壁を背にして進む。
涼しい風が頬を撫でる。
胸のすくような快晴。
これからの私とシスティナの旅を祝福するかのような、軽やかな空気。
――その時の私は、何も考えていなかった。
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