第6話「召喚士、食事する。」
「ごはん食べに行くよ」
「ふえ?」
横になっているうちに、眠ってしまっていたらしい。
私はトントンと軽く肩を叩くシスティナの声に起こされた。
見慣れない部屋。
窓の外には黒い空。
私は魔界にやってきたことを思い出す。
「ごめん、寝ちゃってた」
「疲れてたから仕方ない。ごはん食べたら元気出る」
もったりとした瞼を擦って立ち上がる。
システィナは変わらない無表情だ。
「ごはんって何を食べるの?」
乱れた服を整えながら尋ねる。
魔界に来て初めてのごはんだ。人の生首なんて食べさせられたら敵わない。
戦々恐々とする私に、システィナは少し悩むそぶりを見せた。
「お肉とお魚、どっちが好き?」
「お肉……はちょっと重いかも」
トラブルの連続で心身ともに疲労しきっている。できれば胃に優しいあっさりとしたものが食べたかった。
「分かった」
こくりとシスティナは頷くと、私の手を引いて部屋の外へ出る。
何が分かったのかも分からない私は、促されるまま彼女の後に付いていった。
システィナは宿屋を出て、石畳の通りを少し歩く。
周囲には色々な姿をした悪魔や魔族たち。
角が生えていたり、肌が青色だったり、毛むくじゃらだったり、骨だけだったり、その姿は千差万別だけれど、どれも禍々しいということに変わりは無い。
「に、人間が居るってばれたら食べられない?」
「悪魔は人間食べない」
「私はアレに食べられそうになったんですが!」
「アレは人間とか悪魔だとか区別も付かないくらい若い悪魔」
「つまり下級悪魔には食べられるかも知れないんだ……」
「町に下級悪魔がいることは殆ど無いから安心」
「安心できないなぁ」
まだあの時の光景は鮮明に覚えている。
あれほど身の毛のよだつような恐怖体験は、後にも先にもないだろう。ないといいな。
「わたしみたいにメリアと変わんない姿の悪魔や魔族も沢山居る。みんな、外見だけで判断しない」
彼女のその言葉は、強い説得力があった。
確かにシスティナは私と同じく若い少女に見える。けれど彼女は私はおろか古龍ですら一目置くほどに強い吸血鬼だ。
よくよく目を凝らしてみれば、確かに殆ど人間と変わらないような姿もいくつか見える。
外見だけで強さが判別できない世界だからこそ、外見にそれほど意味はないのかもしれない。
「まあ、無鉄砲に突っかかってくる奴は結構居るけど」
「うぉぉぉあああ!」
「ぴぃ!?」
ガッ、ドフッ。ヒューン、ドン。
突然殴りかかってきた牛頭の悪魔がシスティナに腕を折られ腹を蹴られて宙を舞って建物に突っ込む。
突然の出来事に硬直する私だったけど、周囲の人たちは平然と通り過ぎている。
「……えっと、今のは?」
「無鉄砲に突っかかってくる奴」
「いや、それは分かるけど……」
頭を完全に石の壁に貫通させている男と平然と歩き始めるシスティナを交互に見る。
男の元に屈強な悪魔が何人か近寄って来て、引きずっていった。
「賭け事か何かに負けたんじゃない?」
「そういうのもあるんだ」
耳を澄ませば常にどこかで乱闘の騒ぎが聞こえる。
治安が、治安が悪い。
「着いたよ」
愕然としながら歩いていると、システィナが袖を引っ張った。
意識を戻すと、食堂のような美味しい匂いを発する建物の前に立っていた。
暖簾をくぐって中に入ると、厨房にいた鳥頭の悪魔が振り返って出迎えてくれた。
「らっしゃい! なんにゃしょっ」
「えっ?」
物凄い早口で聞き取れなかった。
少し考えて、何にしましょうと言いたかったのだと思い至る。
システィナは壁に張られた沢山の紙を眺めている。
「あれがメニューかな? ……もしかしてあの文字って」
たらりと汗がにじむ。
私の国の人間が日常的に使っている文字じゃない。あれは、召喚陣を描く時に使う文字だった。
「えっと、強固なる油と共に燃え盛る劫火をくぐる豊穣の勲章?」
「堅揚げポテトだよ」
「……。長夜を経て数多もの精髄を取り込み凝固する大海の結晶」
「それは一夜干しって書いてる」
ギャップが酷い!
というか召喚陣に書いてた呪文、どう読まれていたのか凄く気になる!
「どれにする? ここはお魚の品揃えが良かったと思う」
なんでも良いよとシスティナが言ってくれるけど、私にはメニューが碌に読めない。
結局、魚料理のおすすめを、という無難な注文を出すのだった。
「メリアの持ってる本には何が書いてるの?」
「この魔導書?」
厨房の悪魔のおじさん――で合ってるかは知らないけど――に注文して、私たちは開いているテーブルを挟んで座る。
落ち着いたところでシスティナがそんな事を聞いた。
私は腰のベルトに吊っていた分厚い本を取り出してテーブルに置く。
硬い木の表紙で、丈夫な紙のページを綴じた重厚な本だ。
サイズとしては私の手にも収まりの良い小さめの大きさだけど、外見に反してずっしりと重い。
「召喚魔法大全。その昔魔界を旅した偉大な魔術師さんが書き記したっていう本だよ」
適当なページを開きながら言う。
それは学院の授業でも教科書として使っている、召喚士の必須アイテムの一つだった。
「召喚陣の書き方とか、触媒のこととか。召喚術に関する大体の事が網羅されてるんだ」
「凄い。おもしろい」
ぱらぱらとページをめくっていくと、システィナは身を乗り出して覗き込んでいた。
魔界では必要の無いものだし、珍しいのだろう。
「例えば、悪魔召喚の時にはここの詠唱を唱えるの」
「悪魔以外も召喚できる?」
「一応、理論上はね」
そう言って、私は腰の反対側に下げていた鍵束を見せる。
それぞれに色の違う宝石がはめ込まれた、金色の鍵がじゃらりと揺れる。
「これはその本を書いた人が持ってた
そう言って、私はそのうちの一つを手に取る。
濃い青色の宝石がはめ込まれている。
「これが悪魔召喚のために使う、ゴエティア。他にも天使の鍵とか魔神の鍵とかもあるけど、一生使わないと思う」
「召喚できないの?」
「召喚しても、人間に御せる存在じゃないって言われてるの」
儀礼的な意味もあって召喚士はみんな魔導書と鍵束を身につけている。
けれどその中で使うのは鍵一本と魔導書数ページだけだ。
私は暇を持て余して魔導書を大体全部覚える程度に読み込んでたけど、中には全体の一割も覚えていない召喚士も多いし、それで十分やっていける。
「メリア、この本読んでも良い?」
「別に良いけど……。システィナって召喚される側な気もするけど」
「大丈夫」
ふんす、と鼻を鳴らしてシスティナが言う。
まあ下級悪魔を召喚するのがやっとな人間に、彼女みたいな存在を召喚できる可能性はないんだけど。
彼女は真剣な目をして魔導書のページをめくっている。
それをぼんやりと見ながら、私は彼女が言っていたことを思い出していた。
「退屈から救う、か……」
数千年の時を生きた彼女は、魔界のことも隅々まで知り尽くしてしまったのだろう。
だからこそ永遠の退屈に苛まれ、レスティエラに相談した。
彼女にとってあの魔導書は異なる世界の知識。全てが初めて知る物ばかりなんだ。
「ませっしゃ! しょみふらいっす!」
威勢の良い声と一緒に、どん! と勢いよくテーブルを揺らして料理の乗ったお皿が運ばれてきた。
びっくりした私は店員さんの言葉を聞き取れなかったけれど、お皿の上に乗っているのは美味しそうな魚のフライだ。ちゃんとサラダも添えられていて彩りも良い。
パンとスープも美味しそうだし、食の事情はそう変わらないのかも知れない。
「これ、なんですか?」
「しょみふらいっす!」
「すみません、メニューだと……」
聞き直しても聞き取れなかった。
鳥頭に羽みたいな腕をした悪魔のおじさんは、ぴしっと壁に並んだメニューの一つを指さした。
「永久氷河の銀魚、黄金の衣で純白の柔肌を包み、湧き上がる油を潜り……」
「シェルブフィッシュっていう白身魚のフライだよ」
サックリと揚がった白身魚のフライは、とても美味しかったです。
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