第5話「召喚士、愕然とする。」

 レストニエルの宿は石造りの頑丈さだけを追求したような無骨な作りだった。古いところと新しいところがつぎはぎの様に重なっていて、幾度となく繰り返された破壊と補修の連鎖を物語っている。

 二つのベッドが置かれた部屋は埃臭くて、たまらず私は窓を開け放った。


「ごめんね、私の分の宿代まで出して貰って」


 宿代と言ってもお金じゃなくて魔力なんだけれど。

 システィナは二人部屋を取り、その代金を全て肩代わりしてくれた。

 今の私は殆ど魔力が残っていないから、素寒貧と同じなのだ。


「いい。多分メリアの最大魔力量の三割程度だったし」

「三割も一気に使っちゃったら、下手したら気絶しちゃうんだけど……」


 流石は魔界。魔力の相場が高すぎる。

 人間は魔力に乏しい種族だということが知らしめられる。

 仮に私が悪魔の魔法を使おうとしても、そもそも必要な魔力量の桁が違うので足りないし、無理に使おうとすれと下手をすれば死んでしまう。


「システィナの魔力が100だとしたら、私の魔力はどれくらい?」

「……」


 ふと興味本位で尋ねる。

 ベッドの縁に座り、システィナはじっと私を見て考える。


「……1の半分にもならない?」

「そっか……。分かってたけど……。そっか……」

「メリアが1だとしたら、わたしが10,000くらいかな」

「わ、私の一万倍の魔力。これでも普通の人よりは魔力量も多い筈なんだけどなぁ」


 やっぱり魔界は桁が違う。彼女はきっと、その魔界の中でも破格の実力を持っているんだろう。

 そう思わないと、やっていけない気がした。


「召喚士に召喚されて人間界に行った悪魔って多い?」

「悪魔全体から見ると殆ど居ない。大抵は抵抗力を持ってるから、下級悪魔くらいじゃないと連れて行かれない」


 システィナの答えは少々予想外だった。

 というのも、悪魔の召喚はかなり頻繁に行われていたし、中級悪魔や上級悪魔もよく契約されていたからだ。


「私、さっきもあの上級悪魔を召喚しようとしてたんだけど……」

「え? あれは下級悪魔だよ」

「えっ!?」


 何を言ってるの? とシスティナが首を傾げる。

 私も彼女の言葉が理解できず、しばし硬直した。


「え、あの悪魔は、上級じゃ……」


 山羊頭で筋骨隆々のおぞましいあの姿を思い出す。

 あの迫力、強さ、オーラは間違いなく上級悪魔だ。

 そもそも私が構築したあの召喚陣は上級悪魔を探して召喚するために設計したものなのだから、下級悪魔であるはずがない。


「あれは言葉も話さなかった。年齢も多分100才に満たない。あと数十年で中級になれたかもしれないけど」


 滔々と告げられる事実に、私はある一つの恐ろしい仮説を組み立てる。


「もしかして、人間界の基準と魔界での基準が違う?」

「中級悪魔になれば十分魔力もあるから、召喚陣に引っかかることはないはず」


 がっくりとベッドに手をつく。

 私が学院で培ってきた常識が、根底から崩れていく。


「人間界の基準だとあれは上級悪魔イフリートで、人間より背丈が小さかったら中級悪魔デーモン。自我の無い非力な悪魔が下級悪魔インプって分類されるの」

「魔界だとあれは下級悪魔。言葉を話せるようになると中級悪魔で、上級悪魔はめったに見ないけど古龍エルダーに匹敵する力も持ってる」

「単位が、スケールが全然違うッ!」


 シーツに顔を埋めて叫ぶ。

 私たちが中級だ上級だと喜んでいたあの悪魔たちも皆、下級悪魔だったなんて!


「たぶん、中級悪魔を人間が制御することはできないと思う」

「たまに聞く人語を解する悪魔って、大体甚大な被害を出して帰っちゃうんだよね。古い文献にしか載ってないんだけど、文明が滅びるレベルで」

「かもしれないね。上級悪魔が召喚されなくて良かったね」


 もしかしたらうっかり上級悪魔がやってきたせいで滅びた種族とかもあるんじゃないだろうか。

 自分が何番目の人間なのかと考えはじめ、深淵を覗きかけた気がして背筋が凍る。


「ちなみに魔界には悪魔と魔族以外にも種族はあるの?」

「魔族は悪魔以外の総称みたいなものだから、沢山いる。けど、魔族と悪魔以外なら、精霊がいる」

「精霊って魔界にもいるんだね」


 聞き慣れた名前が出て、思わず安堵する。

 精霊は自然を司る神秘の種族で、魔術を扱える数少ない存在だ。

 人間界にも普遍的に存在していて、彼らを使役する精霊術師という人もいるくらいだ。


「精霊は意思疎通はあまりできないから、殆ど現象みたいなもの」

「たしかに、人間界でも大体そんな認識だよ」


 一部の精霊術師の中には精霊と心を通わせ、その言葉さえ理解してしまうような人もいるらしいけど。

 基本的には彼らは自然と同等のものであり、良き隣人なのだ。


「それじゃあ、レスティリアの言ってた黄金王とか月光城主とかは? 魔族なのかな」

「彼らはレスティリアと同じ古龍。三人とも、元々は魔獣だったけど長い月日の中で力を付けて古龍になった」

「魔獣が古龍になることもあるんだ?」


 魔獣は知性を持たない獣だ。

 ただの獣と違う点は、体内に魔石という器官を持ち人間や悪魔と同じように魔法を使うことができるという点。

 人間界でもよく見られる存在で、それを討伐する事を生業とした人々を傭兵と言った。


「魔界は多分、人間界よりも魔力濃度が高い。だから魔獣も力を付けやすいし、精霊も現れやすい」

「そっかぁ。確かに魔力の回復が早いような気がするんだよね」


 完全に感覚的なものだから確証はないのだけれど、空っぽだった魔力がもう半分程度まで回復している気がする。

 呼吸を通じて空気中の魔力を魔石に蓄えることで回復していくから、きっと彼女の言葉は正しい。


「うぅ……。やっぱり魔界だと私は役立たずだろうなぁ」


 システィナの話を聞いていてよく分かった。

 ただの人間でしかない私は、この魔界に於いて取るに足らない木っ端のような存在だろう。

 もしも攻撃魔法や治癒魔法、強化魔法なんかを専門的に違うのかも知れない。

 けれど私は召喚士としての教育を受けていて、召喚士は魔界の悪魔の力を使う人だ。


「大丈夫」


 ぐったりと項垂れる私に、システィナが言った。

 顔を上げると、相変わらず表情の無い顔がこちらを見ている。


「メリアはきっと、魔界でも活躍できる」

「……だといいなぁ」


 その時の私には、それがただの慰めにしか聞こえなかった。

 冷たい風の吹き込む開け放たれた窓から外を見る。

 黒々とした霧が夜空を覆い尽くして、星も月もなにも見えない。

 私はこてんとベッドに横になり、今更ながらに遠くへと来たんだと実感した。

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