第4話「召喚士、導かれる。」

「ねえシスティナ、レスティエラはどこにいるの?」


 霧の上を滑るように飛ぶ彼女の腕に抱かれながら、私は尋ねる。

 もう随分と長い時間飛んでいる気がする。

 システィナにがっちりと抱えられているのは凄く安心感があるけれど、流石にいろんなところが痛くなってきた。


「夜霧荒野の真ん中にあるレストニエルの宮殿だよ」

「レストニエル……。魔界にも町があるの?」

「悪魔も魔族もいるから。町があるのも当然」


 それもそうか。

 なんとな魔界は文明的な物が何も無い荒涼とした土地だと思っていたし、そのせいで荒野のど真ん中に放り出されても違和感は無かった。

 けれどシスティナのように人間と変わらない種族もいるのだから、暮らしがあって然るべきだ。


「ごめんね」

「どうして謝る?」

「なんだか、知らないうちに見下してた気がする」

「メリアは魔界のこと知らないから仕方ない」


 そう言って、システィナは気分を害した様子も無く飛び続ける。

 彼女が長い時を生きてきてドライになっているからなのか、そもそもあまり物事を気にしない性格なのか、分からない。


「見えてきたよ」

「え、どこ? ぴっ!?」


 彼女が片手で下を指し示す。

 突然抱かれていた腕が離されて悲鳴をあげたけど、彼女は片手で楽々と私を抱え続けてくれた。

 恐る恐るシスティナの指し示す方向を見てみるけれど、真っ黒な霧ばかりで何も見えない。


「……人間って目が悪い」


 ちょっとむすっとしたようにシスティナが言う。

 むしろこの霧を見通せる貴女の目が良すぎるのだと言いたかったけど、両腕離されると困るので何も言わない。


「下に降りる」


 そう言ってシスティナが急降下する。

 重力の速度を越えて、羽ばたきによって更に加速する。

 一瞬で黒い霧に突っ込み、また視界が覆われる。


「あそこが、レストニエル」


 そう言って今度はまっすぐ前方が指さされる。

 相変わらず、私の目にはなにも映らなかった。


「夜霧荒野で一番大きい町。いろんな魔族が住んでる」


 地表すれすれを飛びながらシスティナが軽く説明を施してくれる。

 夜霧の町という通称もあるその町は、支配者たる古龍エルダーレスティエラの住む宮殿があることもあって、夜霧荒野で最も栄えている町なんだとか。

 彼女の予知を当てにしてやってくる魔族が一番多いけれど、その力を貸して貰うには強さを示さないといけないらしい。


「お金を払うとかじゃなくて、強さなんだ?」

「魔界では魔力が通貨になってるから。結局は強い奴がお金持ち」

「ううん、悪魔的な……」


 魔力は悪魔にとっては自身を構成するための重要な要素だ。

 それをやりとりするというのは、文字通り身を削るような思いだろう。

 基本的に魔力が多ければ多いほどに強く、少なければ弱い。魔力を差し出しすぎると、それだけで弱体化してしまうことになる。

 差し出せる魔力があるということは、それがストレートにその人物の強さを示す。

 そしてそんな実力至上主義の世界に、私みたいなただの人間が一人で放り込まれたら三秒で死ぬ。


「システィナはレスティエラと仲が良いみたいだけど、やっぱり強いから?」

「300年前くらいにレスティエラの部下を2,000人くらい倒したら、フリーパスが貰えた」

「フリーパス……。色々言葉がおかしいなぁ」


 言葉の端々に人間には通用しないような世界がにじみ出ている。

 部下を2,000人も倒されてしまったレスティエラという方は、実は彼女の被害者なのでは?


「そろそろ見えてきた?」

「え? あ、見えるよ! 私にも町の明かりが見える!」


 顔をあげると薄らと、本当に薄らと青い炎の明かりが見えた。

 だんだんと近づくほどに光は多く大きくなっていき、やがて大都市の影を浮かび上がらせる。


「うわぁ、おっきい……」


 夜霧荒野最大の都市というのは嘘では無いらしい。

 聳え立つ壁を見上げて思わず歓声を上げた。

 壁には門があって、その前には沢山の悪魔が並んでいる。というか、乱闘騒ぎをしていた。


「うわ、あれ大丈夫なの?」


 蹴りや殴りがそこかしこで炸裂する大乱闘を上空から眺める。

 私が召喚しかけた山羊頭みたいな上級悪魔も何人かいるし、全身からぬらぬらした触手を生やした奴もいる。どれが悪魔でどれが魔族なのか区別も付かないけれど、魔界というものはバラエティ豊かな世界らしい。


「大丈夫。あれで入場順を決めてる」

「魔界って……」


 どこまで実力至上主義なんだ。弱者に辛すぎる。

 その大乱闘を遠くに見ながら、システィナは悠々と自慢の翼で背の高い壁を飛び越えて中に入る。

 関所とか無いのかと聞くと、そんなものは一瞬で壊されると答えられた。

 魔界の町に治安という概念はないらしい。


「ふわぁ、久しぶりの地面……」


 人気の無い小さな広場に下ろして貰い、地面に足をつけた瞬間に倒れ込む。

 なんだかふわふわとしていてまだ空を飛んでいるような気分だ。


「大丈夫?」

「腰砕けてるだけだから、少し待ってくれたら立てると思う」


 本当なら治癒魔法を掛けて体力を回復させておきたいところだけれど、肝心の魔力が底を尽きているのでそれもできない。

 私はシスティナに少し待って貰って、どうにか自力で歩ける程度にまで復帰した。


「凄く大きい町なんだね。建物も立派だ」


 改めて見るレストニエルの町並みは、思っていた以上に壮麗だった。

 しっかりとした灰色の石が積み上げられて、頑丈な建物が幾つも建ち並び、そっと覗き込んだ大通りには沢山の悪魔たちが歩いていた。

 予想外だったのは、至る所で喧嘩が勃発しているのかと思いきやかなり平和的な光景があったことだ。

 露店や商店が建ち並び、人間界の市場みたいに客寄せの声もそこかしこで上がっている。

 子連れっぽい風貌の悪魔も何人か見掛けたし、みんな――恐らくは――穏やかな表情だ。


「わざわざ吹っ掛けて殺されるのも嫌だから、みんな喧嘩しない」


 と、レスティアが言う。

 それならばさっきの門前の騒ぎは何だったのかと聞いてみれば、町の外は危険なので話が違うと言われた。

 色々と常識が違って、慣れるのにはまだ時間が掛かりそうだった。


「それじゃあ、レスティエラに会いに行く」

「じゃあ彼女の宮殿に行くの?」


 私の体力が十分回復したのを見て、システィナが立ち上がる。

 けれど、私の言葉に彼女は首を横に振った。


「その必要は無い」


 え? と首を傾げるよりも早く、背後の小さな路地の暗がりから女性の声がした。


「こんばんは、システィナ。――良い出会いがあったようですね」

「ぴっ!?」


 慌てて振り向く。

 顔を分厚い面紗で覆った背の高い女性が現れる。

 キラキラとしたシルクのようなドレスを纏ったその女性は、私とシスティナの顔を見て小さく笑った。


「あ、あなたがレスティエラ?」


 たしかに、彼女は悪魔ではなかった。

 確証は無いけれど、彼女が全身から放つ圧倒的な雰囲気が、そう感じさせる。

 怒りや狂気の無い、むしろ物腰の柔らかな優しげな空気を醸す女性だった。


「メリア。人間の子。良かった、貴女が四肢を引き裂かれて生きたまま食べられる未来は来なかったようですね」

「ぴぃ……」


 そんな未来があったかも知れないのか!

 平然と告げられる残酷な話に、思わず足が震えた。

 あの山羊顔の悪魔はそんな方法で私を食べようとしていたのか。


「あの、ありがとうございます」


 私は腰を折ってレスティエラに頭を下げる。

 面紗のむこう側で、彼女がきょとんとしているのが分かった。


「貴女がシスティナに私のことを言わなければ、私は死んでました。私は彼女に会えないまま、えっと、四肢を……。だ、だから、ありがとうございます」


 これはずっと言いたかったこと。

 システィナに抱えられて空を飛びながら、ずっと言おうと決めていたことだった。

 けれどそれを言われたレスティエラは呆気にとられたのか少しだけ硬直していた。


「この未来も視ていましたが、実際に言われる可能性は低いと思っていました」


 少しだけ私から顔を反らして彼女が言う。

 幾つもの未来が視えるレスティエラも、どの未来がやってくるかは分からないらしい。


「私は人間界と魔界の過去・現在・未来を見通すことができます。ですから、貴女が聞きたいこと、成すこと、その道程から顛末まで全て知っています」


 レスティエラはゆっくりと面紗を上げる。

 そこには、七つの眼が並んでいた。


「未来は無数に分岐していて、あらゆる可能性を内包している。私は、私がより良いと思う未来へと貴女を導きましょう」


 七つの眼はそれぞれに小刻みに動き続けていた。

 中央の一つだけが私を一点に視ている。

 彼女のその透き通った眼を見返して、口を開く。


「“門”を作るのに必要な触媒を集めたいんです」


 人間界へと帰るには、世界を越える手段が必要だ。召喚士である私にとって、それは召喚陣によって作られる“門”だ。

 レスティエラが一度頷いた。

 彼女の中で未来が確定したらしい。


「黄金王、月光城主、草海の守人。三人の古龍が貴女を導き助けるでしょう」


 厳かな声が小さな広場に響く。

 どれも私には分からない。けれどちらりとシスティナの方へ目を向けると、彼女がしっかりと頷いた。


「やがて天使が現れます。貴女は貴女の選択をし続けなさい」


 そう言って、彼女は七つの眼で微笑んだ。

 面紗を下ろし、静寂が戻る。


「一晩はレストニエルで休んだ方がいいでしょう。魔界の空気は、人間が慣れるのに少し時間が掛かります」

「は、はい。ありがとうございます」


 レスティアラは小さく頷くと、さらりと身を翻して暗がりへと消えていく。

 その背中を見送って、私はまたへなへなと膝を折った。


「また腰が砕けた?」

「き、緊張したぁ……」


 システィナが駆け寄ってきて私を支えてくれる。

 私は彼女の腰に抱きついて、冷たいおなかに顔を埋めた。

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