第3話「召喚士、空を飛ぶ。」

 再度目を覚ます。

 魔力を使いすぎたせいか、頭の奥が鈍い痛みを発している。

 酷使しすぎた足もギンギンと痛んで、ろくに立つことすらできない。

 空は真っ暗だった。

 星一つ、月の光すらない。

 どこまでも暗い、漆黒の霧が覆っていた。


「夜霧荒野は、夜になるとこの霧が出るから動けない」


 ばぢっ、と薪の弾ける音がした。

 なんとか上半身を起こすと、あの少女が青い炎の焚き火の前で座っていた。

 私を助けてくれた、と思う。

 艶のある、長くて黒い髪。すっと筋の通った鼻の上には、眠たげに細められた黒曜石のような瞳。

 夜に溶けてしまいそうに真っ黒い服を着ている。

 あの大きな悪魔を一刀のもとに切り伏せたとは思えないほど、華奢で可愛らしい女の子だ。


「あの、助けてくれて……ありがとうございます」


 ちらりと彼女が私の方を見る。

 確か名前は……。


「システィナ、さん」

「システィナでいい。わたしもメリアって呼ぶから」


 霧を晴らすような涼やかな声にはっとする。


「な、なんで名前を?」


 ばぢっ、薪が爆ぜる。

 青い炎で燃える木なんて、人間界では見たことが無かった。


「レスティエラに聞いた。ここに来れば、メリアに出会えるって」


 新しく出てきたのは知らない名前。

 私がきょとんと首を傾げていると、システィナは更に説明を続けた。


「夜霧荒野を支配する古龍エルダー。過去とか未来とか、見ることができる」

「え、えるだー? 過去とか未来……」


 分からない。

 説明されればされるほどに分からない単語が増えていくばかり。

 魔界なんてところにやってくるのは初めてなんだし、分からないことだらけなのも当然なんだけれど、やっぱり泣けてくる。


「古龍は魔界を支配する存在。レスティエラ以外にもたくさん居るけど、みんな自分の土地から出ない」

「はぁ……。この土地の王様が、そのレスティエラさん? なんですか」

「女王だけどね。レスティエラは女だよ」


 上級悪魔、だろうか。

 魔界を支配するということは、かなり強い存在なのは確定している。問題は、その悪魔が友好的な存在なのかどうか、という点だ。


「あの、システィナ、はなんで私を助けてくれたの?」


 質問の内容が拙かったのか、彼女は不思議そうな顔で首を傾げた。


「レスティエラが、メリアを助ければ退屈から救ってくれるって教えてくれたから」

「退屈から、救う?」


 確か、記憶が途切れる直前にも聞いたような?

 曖昧な映像をたぐり寄せ、首を捻る。


「何千年も旅をして、魔界にも飽きてきた。困ったから、レスティエラに相談した」

「なん……ぜっ!?」


 何気なく彼女の口から飛び出した言葉に、私は目を丸くする。

 そこでようやく、彼女も魔界の住人、人間では無いことを思い出す。


「きゅ、吸血鬼……」


 不死者の王。夜の主。

 召喚に成功した事例は長い歴史を紐解いても数えるほどしかなく、その召喚主も数日以内に死んでしまった、文句なしの召喚最高難度を誇る存在。

 その力は折り紙付きで、圧倒的な不死性と様々な能力、そして吸血鬼のみが使える血の魔法により、絶大な戦闘能力を誇る。

 そして、とても信じがたいことだけれど、彼女はそんな最強種族の“始祖オリジナル”だと言っていた。


「吸血鬼は、平均500年くらい生きる。始祖わたしは、もっと生きる」


 自然の摂理。

 リンゴが木から落ちるくらいに当たり前のことのように、彼女はなんら気取ること無くそう言った。

 もっと生きる。

 その“もっと”は、きっと私のような平凡な人間の想像を絶する時間を何倍にもしたものなんだろう。


「魔界はずっと戦いがあるから変わらないものはないけど、それでも飽きてきた」


 表情を映さない鉄仮面のような顔でシスティナは言う。

 黒い瞳をじっと見つめていると、吸い込まれそうになる。


「だから、メリアに会いに来た。魔界とは違う、退屈を無くしてくれると思った」


 その姿に、孤独を感じた。

 黒々とした荒野の真ん中で座る美しい彼女は、数千年の孤独を慰めてきた。


「わたっ」


 乾いた口を濡らす。


「私は、人間界に戻りたい」


 システィナの表情は動かない。

 彼女の機嫌を損ねたら、私は殺されるだろうか。さっきの上級悪魔のように、体が半分になってしまうだろうか。


「私は人間界に、元いた場所に戻りたい。――でも」


 軋む体を動かして、彼女の前に立つ。

 頭がぐらぐらする。空っぽになった魔力を補充したいと、傷ついた体を癒やしたいと全身が叫ぶ。

 私はまっすぐにシスティナを見て言った。


「でも、何も無い。私は、召喚陣を、“門”を開くためのものを何も持ってない。だから助けて欲しい。私を、助けて欲しいです」


 一息に捲し立て、肩で息をする。

 システィナはまっすぐに私の方を見て、少しだけ――


「いいよ」


 小さな白い花のような笑み。

 彼女はすっと立ち上がると、私の後ろに回り込み、手を回した。


「へ? えっ!?」

「大丈夫。いける」

「いけるって何が!?」

「行こう。ちゃんと掴まっててね」

「行く!? ど、どこに!? え、ちょ!?」


 シュルシュルと絹擦れのような音がしたかと思ったら、システィナの背中から大きな蝙蝠のような翼が生えていた。

 訳も分からずキョロキョロしていると、彼女は翼を大きく振る。

 それだけで、勢いよく私の体が浮いた。

 地面が急激に遠ざかっていく。

 青い炎が小さな点になる。


「わ、え、ちょ、飛んでる! 私飛んでる!?」

「わたし、吸血鬼だから飛べる」

「良いの!? く、黒い霧が」


 真っ暗な霧が立ちこめている空は、右も左も上下すらも分からない。

 私は一瞬であらゆる感覚を無くしてしまってきゅっと胸が痛くなる。


「大丈夫。わたしは吸血鬼。夜の王は、とっても強い」


 薄い皮膜が空気を掴む。

 大きく羽ばたいたかと思うと、すさまじい風が頬を撫でる。

 暗闇の中を、システィナは迷い無く飛翔していた。


「ぴっ」


 悲鳴が飛び出しかけた口を慌てて抑える。

 凄まじいスピードで、私は16年の人生で初めて空を飛んでいた。

 どこもかしこも黒一色で飛んでいる実感はほとんど無かったけれど、背中に当たる彼女の柔らかな感触が夢じゃ無いぞと訴える。


「気持ちいい」


 自然とそんな言葉が零れ出た。

 それが聞こえたのか、システィナが大きく上昇する。


「空は、なかなか飽きない」

「飛ぶのが好きなの?」

「好きだった。空を飛べる魔族は、あんまりいない」


 ごうごうと風の音がうるさかったけど、彼女は私の耳元に口を近づけて言った。

 私の声が聞こえていると言うことは、吸血鬼は耳もかなり良いらしい。


「ねえ、システィナ」

「何?」

「これはどこへ向かってるの?」

「レスティエラのところ。困ったら、彼女のところに行けば教えてくれる」


 レスティエラ。

 システィナと私が出会うように導いた張本人。

 いったいどんな悪魔なんだろう。


「レスティエラは、どんな悪魔なの?」

「レスティエラは悪魔じゃないよ」

「えっ?」


 悪魔じゃないということは、システィナと同じ吸血鬼なんだろうか。


「レスティエラは魔族。レスティエラ以外は見たことがないから、種族の名前は分からない」

「そ、そうなんだ……」


 魔界というのを、私は全然知らないらしい。

 召喚士として一般人よりは詳しい自負があったけれど、そんな自信はすぐに砕け散ってしまった。


「そろそろ抜けるよ」

「抜ける? うわっ!?」


 ぼん、と霧が突然晴れる。

 眩しい月の明かりがあたりを埋め尽くす。じっとりとした湿気が乾き、さらさらとした風に変わる。

 レスティアに抱かれ、霧を突き抜けたらしい。


「ほんとに、私は何も知らない」


 空を見上げ、呟く。

 魔界の星空はとても輝いていて、その月はとても大きかった。

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