第6話 入学式

 先ほどの少女の名前を聞かなかったことに今更気付いた俺は、がっくりと肩を落として当てもなく彷徨っていた。

 あの騒がしいレアはというと、今朝方早くに「新任教師としてやるべきことがある」だとか言って、何処かへと行ってしまった。

 服の管理までしている俺だからこそ気付いたが、今日はなんと珍しくキチンとした衣装を着て行ったようだ。

 彼女の正装は《剣聖》レア・ツヴァイヘンの戦闘用服。かつての栄光ながら、エレノアに着て来いと言われたらしく、渋々と着用していた。

 だがそれにしても、彼女の戦闘衣は美しい限りだった。荘厳なマント、豪奢な騎士礼服はどちらも白と空色をベースカラーとした、汚れ無き聖人を彷彿とさせる。

 現在の彼女を見ていると見る影もなくて悲しくなってしまうが、昔の、それこそ出会った当初の彼女は、とても高潔で誇り高く、《七聖剣》という栄光も相応しいと感じるほど、素晴らしい立ち居振る舞いをしていたというのに。

 人の堕落とは恐ろしいものだ。


 そんな俺は、以前から届けられていた真新しい制服に腕を通していた。

 青黒い礼服を基調とし、前は五つのボタンで留める仕様だ。形を維持できるほど丈夫な素材ながら、とても軽く、吸湿性もいい。

 ズボンは灰色。だがこちらも、一見するだけでは分からない、驚くほどの軽さと柔らかさを持ち合わせている。

 正装と戦闘衣を、ほぼ同時に叶えてしまうとは恐るべし、だ。

 俺は鞄に軽く荷物を入れて、肩に担いでいる。そして、事前に通達された入学式場に向けて歩いていた。

 先ほどまでの暇な時間から一転。生徒の数はとても増えている。何人かで談笑する者、自らの得物の自慢話に興ずる者、などなど。

 皆修羅場を潜り抜けた歴戦の猛者、という風格は一切感じられない。

 というか、あの戦争以降、戦場が発生した試しがないことを、今更ながらに思い出し、歩きながらに嘆息する。

 俺とは見ている世界が違うようだ。


     ——————————


 式場はとても混雑していた。子供達の晴れ舞台を逃さんとする親兄弟と、入学式で後輩の質を見定める先輩方とで、酷くごった返している。

 会場の扉には座席の番号が指定されていて、この番号通りに着席するようだ。

 俺の番号は三桁。「一般人候補生」のグループ。

 もう一つの二桁の番号は「貴族候補生」と呼ばれ、まあ察しの通り貴族のボンボン連中だ。

 さらに番号は、赤と青に分かれていた。俺の場合は赤だが、この色分けの意味は、理解できなかった。

 先に席について待っていると、だんだんと人の数も増えてきた。

 ここまで人が集まると、さすがに粒も揃うようだ。新入生、在校生問わず、それなりの秀才がちょこちょこと見える。粒は確かにあるようだ。

 そのまま眠るように時間を過ごしていると、やがて静かになり、入学式が始まった。まずはエレノアからの、理事長の言葉だ。


「未だ固かった桜の目も開き始め、よく積もった雪が溶ける麗かな今日この頃。諸君らにおいては、このレギアス聖騎士学園の門を叩くことになった。入学、おめでとう」


 通常通りの定型文のような言葉が並び連なる。

 まさに催眠だ。相手を眠気のどん底に叩き落とす。絶望的に興味のない話が延々と続く。

 しかし彼女は、途中で話を切った。


「では、これより少し違う話をしよう。

 まずお前たちは、ごく一部を除いて実戦ではなんの役にも立たない連中だ。このまま世界に放り出しでもしてみれば、すぐに殺されて終わる脆弱な存在だ」


 綺麗事から、現実を突きつける唐突な変化に、少なからず生徒たちに動揺が走る。

 だが彼女もまた《七聖剣》。なんの根拠もなく言っているわけではない。

 そう、彼女の言葉は、間違いなく真実なのだから。

 とある理由で実戦経験を積んでいる俺とは違い、この場のほとんどの人間は、本当の戦闘を理解していない。

 この段階で現実を突きつけるのは、彼女なりの優しさなのだろう。


「いいか。お前たちは、決して特別なわけではない。何千といる聖騎士たちの卵でしかない。そのことを忘れるな。

 以上で、私の答辞は終わりだ」


 そう言って、マイクから立ち去ろうとしたとき、不意に立ち止まり、振り返って一つ爆弾を落として行った。


「ああ、そうだ。一つ言い忘れていた。今年は、入試をパスして入ってきた奴がいるからな」


 その一言で、その場の全員に緊張が走った。何しろ、入試をすっ飛ばしたということは、《剣鬼》エレノア・リンバース自身が、その実力を認めている、ということなのだから。

 この女狐め。俺に色々と手駒にされたことを恨んでいるのか。

 そんな奴が俺だとバレた暁には、きっと面倒ごとが起こる。未来予知も反応しているが、そんなものがなくても簡単に分かってしまう。


 結局、俺は入学式のその後の工程は、ほとんど記憶に残ることなく終わることになった。

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