第3話 《剣鬼》エレノア・リンバース

《剣鬼》エレノア・リンバース。

 彼女もまた、大陸にその女ありと、一騎当千と謳われる聖騎士だ。

 その名を知らぬ者はおらず、またその名を恐れぬ者もいない。


 西方諸国の連盟には、聖騎士と呼ばれる連中がいる。

 強力な能力を持ち、卓越した技を持ち、人々を守る使命を持つ、正義の使者。

 そんな連中を、畏敬の念を込めて聖騎士と呼ぶのだ。

 そして彼らの中で、最も強い七人の聖騎士こそ、《七聖剣》と呼ばれる存在だ。

 そいつらは、ごまんといる聖騎士たちとは一線を画する猛者たちで、レアもまた、その《七聖剣》の一角、《剣聖》の名を冠していた存在だ。

 そしてこの場にいる唐突な来訪者、エレノアもまた、《剣鬼》の異名で恐れられる聖騎士である。


 そう。この場には、世界に名高き天下の《七聖剣》が二人もいるのだ。片方は元、だが。


 俺がこの場の空気に当てられないのは、レアという存在に慣れたことが一番の理由だろう。

 もしくは、ドアの破壊と同時に聞こえた、プチッ、という音が原因かもしれない。

 ドアを破壊して強引に突入してきた彼女は、悠々と斧槍ハルバードを構えながら進み、俺たちのいるところ、即ち玄関に上がろうとする。

 その時点でカチッと何かの嵌まるような音がした俺は、次の瞬間には飛び出していて、彼女の白い首筋に、自身の《心器》を突きつけていた。

 一瞬目を見開いた彼女は、すぐに冷静になると俺を睨みつける。


「おい、子供が私に何のようだ?」

「行き遅れに言われることではないな」


 俺の言葉に、彼女の額に青筋が走る。分かりやすいというか単純というか、実は意外と気にしていたりするのかもしれない。


「おい、餓鬼……。今すぐ剣を下げて頭を下げるのなら——」

「そんなことはどうでもいい。俺が言いたいことはただ一つ」


 エレノアの言葉を遮り、一つ溜めを入れて口に出す。


「人様の家に上がるのなら、まずは靴を脱いでから。当たり前だろう?」

「お前、誰に向かって——」

「アンタ以外に誰がいる。《剣鬼》エレノア・リンバース」


 魔力で威圧し、睨みを利かせ、ドスの効いた低音で、フルネームで呼ぶ。

 これほどの怒りを、一体どこで買ってしまったのかさっぱりわからない彼女は、俺の言葉に素直に従い、ヒールを脱いで整える。

 そしてこの場で、ただ一人状況を掴めているレアに飛びついた。


「なあ、アイツは一体何なんだ?」

「リゲルは昔から、マナーを守らない奴に対してはガチギレする、変な奴なんだよ」

「……レア、今日晩飯抜きな」


 ご勘弁をと泣き付くレアを強引に引っ張って、エレノアをリビングに案内する。

 先程レアを呼びに行った時は汚れていなかったので、すぐに使える。

 俺はレアを引き剥がしてソファに投げると、エレノアにソファを勧め、手早く紅茶を準備しに台所へ駆け込む。



「レア、彼は誰だ?」

「アイツはリゲル・ツヴァイヘン。私の息子だ。と言っても、拾い子だがな」


 俺が紅茶の準備に急いでいる間に、エレノアは気になったことを聞いた。


「拾い子って、一体いつ、どこで……」

「……まあ、訳ありだ。こればかりは私の一存では語れない」

「……そうか、《大東戦役》関係か……」


 エレノアが、語るも嫌うその単語をポツリと溢した時、丁度俺が、紅茶と簡易のティーセットを持って、リビングへと戻ってきた。


「どうぞ。おもてなしとか一切考えてない場所なので、この位しか用意できませんが、これでお納め下さい」

「お、おう。どうも、これはご丁寧に……」

「リゲル、この茶菓子、一体どこから……」


 エレノアは、先程の修羅と俺のしていることの理解が追いつかないのか、妙に堅くなり、レアは俺の仕事ぶりに感嘆しつつも呆れていた。

 ちなみに茶菓子として出したのはマドレーヌ。今日のおやつとして朝のうちに焼いておいたものだ。

 料理に洗濯、掃除に接待、何でもござれのオールマイティー。養子というか執事のような扱いを受けてきたせいで、俺の家庭スキルは万能である。

 俺は紅茶を一口啜り、皿をテーブルに置く。


「さて、まずは歓迎の意を示したところで、ドアの修理代の方について聞いておきましょう」


 先ほどとは打って変わった口調の俺の言葉で、優雅に紅茶を啜っていたエレノアの行動がピタリと止まる。


「当屋敷の扉は、レアの知り合いの木造加工職人に頼み込んで作らせた特注品。それにかなり精巧に作られていて、修理はかなりの額になります」


 俺は丁寧に説明して、一枚の紙をエレノアに渡す。

 それを見た彼女は、顔を真っ青にして硬直した。


「弁償総額は、扉代、修理工事代、迷惑料慰謝料込みで、七百万エルスになります。ご確認頂き、この署名欄にサインと血判を頂けば受領となります」


 それは、七百万という高額の請求額が記された、受領書だった。

 ちなみにレアは、優雅に紅茶を賞味中。キレている時の俺の行動に口出しするのはあまりに悪手だということを、彼女は経験則から読み取っていた。

 そう。俺は怒っていた。この理不尽と高慢を捏ね合わせたような女王気取りの彼女に、最高にキレていた。

 その請求額に、エレノアは震えながら、紙面から俺に視線を上げる。


「い、いや、払えはするんだよ? でもほら、さすがに七百はボッタクリというか……」

「いえ、《七聖剣》の方々は、年俸一千万は出ると、レアから聞いていますので。それに当屋敷は、こちらからは一切の攻撃を加えておりません。でしたら、これだけの額の請求は、権利として可能です。

 まさか、既にギャンブルで溶かしたとか、できればなかったことにとか、買収すればとか、そんなことを考えてはいませんよね?」


 怒涛のラッシュ。追い込むように語りかけ、心の余裕を無くしていく。

 一般人ならここで折れるが、さすがは《七聖剣》というべきか、思ったよりも粘る。


「いや、ね? 確かに、扉を壊したのはこちらの責任だし、不徳の存ずることだとは認めよう。しかし——」

「そうですかそうですか。天下に名高き《七聖剣》の一角たる《剣鬼》ともあろう方が、あろうことか自身の厄介ごとは出来るだけ負担せずに、なんて考えるのですか。

 そうなると私は、この話を近隣の街や村に片端から触れ回って行くしか——」

「よし分かった、ここに署名と血判を押せばいいんだな? いいともいいともこれは私の責任だしっかりと払わせてもらおう!」


 あっさりと落ちた。

 商人のような、立場を重視する人間は、世間体を一番気にするものだ。かの《剣鬼》も例に漏れず、そそくさと受領書に署名している。

 これは今後もなにかと使えるなという考えが、俺の中でふつふつと沸き起こっていた。

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