☠ Ⅱ ☠
「――と言うワケで、手伝ってください琥珀さん」
「……いやいやいや、何がと言うワケで、にゃ、クロ坊。喫茶『迷い家』、絶賛営業中で忙しいのが見てわからないかにゃ?」
「……忙しいって、常連のおじさんが一人いるだけじゃないですか」
初老の常連客のカップには湯気の立つコーヒーが注がれており、また彼は読書に勤しんでいた。しばらくの間は琥珀に声がかかりそうな気配はない。
「……うにゃー、まあ、そうなんだけどにゃあ」
ダンタリオンから猫の手を借りればいいとのアドバイスを受けた玖朗は、事務所の階下にある喫茶店『迷い家』へと足を運んだ。
店内は木目調で統一されており、薄暗いオレンジ色のライトで微かに照らされていた。流れるジャズのBGMは軽やかで、居心地は非常に良い。コーヒーはとても香り高く、提供される料理は喫茶店のものとは思えないぐらいに凝っており、美味い。
『Killing Dead』の面々は玖朗も含め、家事がからっきしなのでよくお世話になっている。
店主の琥珀はケット・シー、あるいは猫又と呼ばれる化け猫の〝怪人〟であり、人の形をしていながら猫だった頃の面影が随所に残る。
セミロングの黒髪の天辺には猫耳が付随しており、時折ピコピコと揺れた。黒シャツにジーンズ、その上からロングエプロンを着けており、猫の肉球のアップリケが刺繍されていた。またジーンズの臀部には穴が開けられており、二股に別れた黒い尾が、生き物のようにうねる。
琥珀色の澄んだ猫目に、口元から覗く八重歯。全身真っ黒なその出で立ちから、人の姿になる以前は黒猫だったのだろうと容易に想像が出来た。
「てか、前々から気になってたんですけど、何でこんな路地裏で喫茶店なんかやってるんスか。お客入らないでしょう」
「うにゃあ、それはもちろん、隠れ家な雰囲気を重視したかったから」
「その結果、常連以外に売り上げが出ないってのもどうなんですか」
「――じゃなくて、上に仁がいるからにゃ」
「仁さん? アレですか、琥珀さんは仁さんが好きなんですか? やめといたほうがいいですよ、あんなロクデナシ」
「んなこと言われなくたってわかってるのにゃ。何でもかんでも恋で考えるなよ、クロ坊。あいつの事務所の下で喫茶店やってれば、他よりも安全に経営していけるのにゃ。仁に喧嘩を売ろうとするヤツなんて、仁を知らない馬鹿か、ただの命知らずだからにゃ」
「……結構打算的ですね」
「じゃなきゃ店なんて経営出来ないのにゃ。ちなみに、客が入らなくても弁当の受注とか、他のところで稼げてるから問題ないんだにゃ、これが。どこぞの大馬鹿が高い酒を酔っ払って注文してくれたりするしにゃ」
「その大馬鹿な上客、僕知ってる気がする」
「さっきも灰音を連れて昼飯食いに来てたにゃ。すれ違いだったにゃー」
「もう明言したも同じッスよね、それ」
ナイショにゃー、と言いながら、琥珀が口元に人差し指を当てた。それから、頼んでもいないのにコーヒーを一杯、玖朗に差し出してくる。
玖朗はカウンター席に腰掛け、有り難くコーヒーをいただくことにする。
「そうやって疎らでも、昼間も常連客がやって来るからにゃー。クロ坊には贔屓にしてもらってるし、手伝いたいのは山々なんだけど、難しいにゃあ」
「うーん、マジですかあ。困ったな、万策尽きた……」
ダンタリオンのアドバイスは、猫又である琥珀の手を借りろ、ということだと思ったのだが。彼女に手伝ってもらえないとなると、もう他に人のアテはない。
さてどうしたものか、と思案しながらコーヒーを飲む。
そうしていると、背後から猫の鳴き声が聞こえた。椅子を回転させ、振り返って見ると、そこには雄の三毛猫が行儀よく座っていた。この店にたむろする野良猫のボス的存在、ミケランジェロこと通称ミケだ。
ミケはその名に恥じぬ凛々しい顔付きをしており、毛並も野良猫とは思えないほどに整っていた。
それでも野良猫は野良猫。飲食店として動物が出入りしているのはどうなのだろうと玖朗は時折思う。しかしいつも結論として、ここは〝怪物街〟だから衛生法を守らなかったところで些細な問題だ、となる。それに猫の毛などが混じったぐらいでどうこうなるようなヤワな客ではない。むしろ、彼らを目当てとして通う常連も少なからずいるぐらいだった。
「ああ、ミケかにゃ。どうかしたのかにゃ?」
『そろそろ残飯が出る頃合かと思いまして、伺わせていただきました』
「にゃー、わざわざ来てもらって悪いにゃー。いつもの裏口に置いてあるから、他の野良たちに配給お願いするにゃ」
『いえ、姐さんには感謝してもしきれないです。俺たち野良にこんなに良くしてくれて……足を運ぶことぐらい、どうってことは』
「感謝してるのはこっちも同じなのにゃ。ミケたちのおかげで売り上げが伸びてるのにゃ」
ミケは猫のクセに、随分と渋い声をしていた。
元猫である琥珀が猫語を解するのは当然のことながら、玖朗にもミケが何と言っているのか聞き取ることが出来た。というのも、動物の隷属化という能力を有しているためだ。コミュニケーションが取れないのでは、隷属化など到底不可能。玖朗の数少ない、使用可能な能力の一つであった。
会話中はニュースの同時通訳のように、動物の鳴き声と人語の訳が脳裏に響く。
また猫の他にも犬や鴉、蝙蝠などと会話することも可能だ。
『おや、白木の旦那じゃありませんか。ご無沙汰してます。お元気そうで何よりです』
恭しくミケが頭を下げた。本当に野良猫なのかと疑いたくなる礼儀正しさだ。思わず玖朗も会釈する。
「ミケも元気?」
玖朗がそう問うと、器用にもミケは眉をしかめて見せた。
『それが、ちょっと不安の種がありまして』
「不安の種?」
『ええ。ここ数日、野良の暗黙のルールを守らないやつが餌場を荒らしてるんです。餌は足りてるんですが見逃すとあっては俺たちの面子が丸潰れです。しかしとっちめようにも滅法強くて、爪がたちません』
〝怪物街〟の野良たちは、外界のそれらよりも雄々しく、強かに生きている。その彼らが束になっても敵わないというのならば、相当な相手なのだろう。
「うにゃあ。アタシが出てってどうこうするっていうのも違うしにゃあ」
『姐さんに手を煩わせるなんて、滅相もありません』
「ちなみに、どんな野良なの? っていうか、犬、猫、鴉? それとも誰かが野放しにした蛇とかワニ?」
ミケが首を傾げ、咽喉を鳴らして唸る。そんなにも難しい問いかけだっただろうか。
『アレは何と言えばいいんでしょうか……多分、犬だと思うんですけど。でもただの犬じゃなくて、ゾンビ犬、なんでしょうかね。肉がドロドロに溶けて、骨が剥き出しになってやがるんですよ。それでもって、舌が鋭利でね。それで何匹も仲間がやられました。皆、一命は取り留めているんですが』
「……肉がドロドロに溶けて、骨が剥き出し?」
まさかと思い、玖朗はパーカーのポケットからティンダロスの猟犬の写真を取り出し、ミケに見せた。
「もしかして、こんなやつ?」
『ああ、まさにこいつです!』
「マジか……」
ミケたち野良が敵うワケがない。相手は品種改良が加えられているとはいえ、元は獰猛な怪獣の類なのだから。
やはり猟犬を早急にどうにか捕まえなければ、とは思うものの、追跡する手立てがない。どうしたものか、と玖朗が頭を悩ませていると、店の一角で読書をしていた常連客が本を閉じ、天啓を授けてくれた。
「さっきから耳をそば立てていたんだが」
「あっ、すいません、うるさかったですよね」
「いやいや、とても面白いものを見せてもらった。いやあ、すごいな。店長だけでなく、君も猫と言語を交わせるのかい? 人間の私には、ただ鳴いているようにしか聞こえないよ。これなら諺通り、猫の手も借りられるというものだね、うはは。やっぱりこの街は不可思議だなあ」
「猫の手を借りる……そうか……!」
ダンタリオンの助言を難しく考える必要はなかったのだ。言葉の通り、猫の手を借りる。常人には不可能であろうが、動物と会話を交わすことが出来る玖朗であれば、可能だ。
人手が足りないのなら、猫の手を借りればいい。
〝怪物街〟の各地区に広がった、野良のネットワーク。それを駆使すれば、ティンダロスの猟犬を見つけることも、そう難しくはない。
「なあミケ、実はさ――……」
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