第二章『Gospel of the Throttle 狂奔』

☠ Ⅰ ☠

 迷子の子犬、タロこと〝ティンダロスの猟犬〟の捜索を開始してから数時間後――玖朗は私立図書館の読書スペースで、ぐったりと倒れ伏していた。

 元より入館規制があるため利用者の数はいつも疎らだったが、現在は開館して間もないこともあって、玖朗以外は誰もいなかった。

「全く、貴様というヤツは。ここはあの化け猫の喫茶店ではなくて図書館なのだぞ。来て早々、水をくれとはどういう了見だ」

「いやあ、本当にすいません、ダンテさん……」

 玖朗の目の前に、水滴の滴るコップが置かれた。

 持ってきたのは、図書館の主、ダンタリオン。

 艶やかな漆黒の長髪を、赤い紐で結っている。中性的な顔立ちをしており、切れ長の目や、真一文字に結ばれた口、よく響く美しい声色は、時としてダンタリオンを美形の男性に見せてしまう。全身を覆い隠すような長袖のシャツに、パンツルックスタイルがよりそれを助長させる。

 ダンタリオンは本の虫ならぬ、本の悪魔であった。

 この図書館も、ダンタリオンが個人的に開設したものであり、そこいらの書店などよりも品揃えが良かった。ただし個人の所蔵物であるため、入館、そして貸し出しには彼女の許可が必要であるが。

 玖朗も当初、仁に紹介されて足を運んだ際は、入館を拒否された。何度もしつこく頼み込み、を説明したところ、ダンタリオンの知的好奇心を刺激し、何とか許可を頂戴することが出来たという次第であった。

 以来、暇さえあれば玖朗は図書館に足げく通い、吸血鬼関連の書物を読み漁っている。

「貴様はここへ来るたびにボロボロだな」

「あはは、お恥ずかしい限りで」

 玖朗も歩けばチンピラに絡まれる。

 それはティンダロスの猟犬の探索中も例外ではなく、むしろ普段以上に街中を駆けずり回っていたため、何人ものチンピラに絡まれた。

 そうなることは予想していたため、今日は一銭も持ち歩いていなかった。途中、カツアゲに来たチンピラに逆に同情され、お金を恵んでもらうという奇異な体験もした。ほんの少し心と懐が暖かくなったかと思いきや、別のチンピラに持っていかれた。

 捜索とチンピラを捌くことで疲弊し切っていた玖朗であったが、自販機で咽喉を潤すこと叶わなかった。

 そこで図書館へ訪れるなり、ダンタリオンに不躾とは思いながらも一杯水を恵んでくれるように頼んだという次第だ。

「それで、今日は何の本を探しに来たのだ? また吸血鬼関連か? それとも宗教? あるいは魔導書の類か? ……まさか、水をねだりに来ただけというワケはあるまいな?」

 ダンタリオンが腕を組み、じとりとした目で玖朗を睨み付けた。

「や、違う、違いますって。ちゃんと本を探しに来ましたって!」

「ほう、ではどんな書物をご所望だ?」

「ティンダロスの猟犬について」

「……ほう?」

 玖朗は捜索対象の生態について、あまりにも無知だった。

 例えば猫であれば、隙間を好むとか、柑橘系の匂いが苦手だとかを知っていれば、少しばかりだが捜索の範囲が絞れる。

 数時間走り回ってようやく、玖朗はそのことに気が付いた。

 姿形、それと断片的な情報を仁からもらい、知ったつもりになってしまっていた。

「くっく、何やら少々面倒な仕事を仁のヤツに任されたらしいな、貴様。本は探してやる。代わりに事情を説明しろ。私の知的好奇心を満たせ」

「……依頼内容を話すのって、問題ないんですかね」

「『調律師団』からの依頼でもなければ問題なかろう。仁から箝口令も出されていないのだろう? 雑に見えてもアイツはそういうところは抜かりない。というか、半端者の貴様に任せる時点で事の程度の低さが窺い知れる」

「程度が低くても、知りたいんですか?」

「当然だ。私は本の悪魔、ダンタリオンだぞ。己が知的好奇心を満たす――それが〝怪人〟としての私の〝衝動イド〟だ。私は何でも知りたい」

 〝怪人〟は各々、種族別に〝衝動〟と呼ばれるものを持っている。

 わかりやすいのが吸血鬼の吸血衝動だろう。

 まだ玖朗は血への渇望に襲われたことはないが、これを満たせなかった場合、〝衝動〟に自我を飲まれ、人を襲う〝怪物〟へと成り果てることも珍しくないのだとか。

「……わかりましたよ、お話します。代わりに、知恵を貸してくださいね」

「ふん、言われるまでもない」

 それから三分ほどかけ、玖朗は依頼内容をダンタリオンに話した。手持ちの写真も彼女に見せた。説明が終わると、彼女は細い眉をひそめ、顎に手を当て、唸り始める。

「……幼体のティンダロスの猟犬が能力を発露させて逃亡、か」

「何か引っかかることでも?」

「いやなに、この手の話は特別珍しくもない。自分の愛玩動物ペットの成長も見抜けぬ馬鹿な飼い主など、掃いて捨てるほどいるからな。ただこの写真を見る限り、能力の発露があまりにも早すぎる」

「……はあ」

 成体のティンダロスの猟犬を見たことがない玖朗からしてみれば、写真のタロが生後何ヶ月かなど推し量れるワケもない。

「まあでも、そういうこともあるんじゃないですか? タロの成長が他と比べて早かったってだけの話でしょう」

「自分の物差しで事を推し量りおって。思考の停止は死も同じだぞ。、思考の、理性の生き物なのだから」

「我ら人は、ですか……」

 〝怪人〟たちは〝怪物〟を恐れ、忌避する。

 それは〝衝動〟に飲まれてしまった哀れなものたちであるのと同時に、いつしか自身にも訪れるかもしれない、未来の姿でもあるためだ。

 だから〝怪人〟と〝怪物〟と区別して呼ぶ。

 自分たちを人と呼ぶ。

 彼らの多くは人間と同じように思考をし、理性を持ち、心を躍らせる生き物であると自負している。

 自分はここにいるぞと、叫び続けている。

 だからこそこの〝怪物街〟は狂騒を伴いながらも歯車が絡み合い、一つの社会として今日も回り続けているのだろう。

 そして、明日からも。

 〝怪物街〟が明日も回り続けることが〝怪人〟たちにとって誇りであるのと同時に、ある種のアイデンティティーであることを玖朗はこの一ヶ月間で何とあなしに感じ取っていた。

 それは〝怪人〟であることの、人であることの証明に成り得るから。

「――思考もまずは知識がなければ叶わない。というワケで、存分に読み、存分に考え給えよ」

 コップが飛び跳ねるほどの勢いで、ダンタリオンが本の束をテーブルに置いた。その量は玖朗の座高などよりもうず高かった。

「……えっ、これ全部〝ティンダロスの猟犬〟に関する本ですか?」

「それ自体のものもあれば、間接的なものもある。選り抜いてきたが、探せばまだある」

「……ちょっとこの量を読むのは、厳しいかな~って」

 読書は嫌いではない。休日を丸々読書で潰すことも、人間だった頃は珍しくなかった。他と比べれば読書家という自負がないワケではなかった。

 だがこの本の悪魔の前では、口が裂けてもそんなことは言えない。

 外観はただの一軒家、されど中身は空間を押し広げ、無限とも思えるほどに本を陳列したダンタリオンの大図書館。古紙とインク、革、それに木の匂いで満たされたこの書物の巣窟の主は、ここにある全ての本を読破しているのだから。

「ダンテさんが掻い摘んで説明してくれると、その、すごく助かるかなって」

「甘えるな。選り抜いてやっただけでも感謝しろ。熟読でなくとも自分の目で見、読み取れ。それが読書というものだろう? はあるんだろう、白木玖朗クン?」

「うぐっ……勝手に心を読みましたね」

「さて、どうかな。読んだかもしれんな。私は知的好奇心が旺盛なものでね」

「……心を読む能力を持ったダンテさんでも、はわからないんですよね?」

 玖朗が試すようにそう問うと、ダンタリオンはわざとらしく肩を竦めて見せた。

 元より期待していなかったことだし、何よりダンタリオンはわかっていたところで教えてくれそうもない。

「残念ながらな。いやはや、未知とはかくも恐ろしく、そして興味深い。この世には私が知らないことがまだまだまだまだまだまだ溢れている! 何と素晴らしい!」

 ははははは、とダンタリオンが高笑いをし、その場で身を躍らし始める。彼女の突然の奇行に最初こそ驚きはしたものの、今ではもう慣れた。

 しばらくし、ゼンマイが切れた人形のようにダンタリオンの動きがブツリと止まる。

「さて、雑談はここまでにして……読書を始め給えよ、君。こうしている間にも、知るべき事柄は刻一刻と生まれ続けているのだから。無為は罪だ」

「はあ……」

 そう言うと、ダンタリオンは玖朗に背を向け、床を軋ませて歩き出した。

「何、貴様の集中力が切れる頃には息抜きに茶と甘いものぐらいは出してやる」

 だから精々足掻けよと言い残し、ダンタリオンはカウンターの奥へと引っ込んでしまった。

 ふぅ、と玖朗はため息を一つこぼすと、目の前に聳える本の山を見据えた。

「……とりあえず、読むか」

 このぐらいでへこたれてなどいられない。

 目指すべき頂があるのなら、まずは一歩目を踏み出さないことにはどうしようもない。


 資料に目を通し始めてから二時間後――玖朗の集中力が切れるのを見計らっていたかのように、ダンタリオンがお茶とようかんを持って現れた。

 玖朗の前にそれらを差し出すと、対面の席に座る。

 いただく前に一言礼を言ってから、ようかんを口に運ぶ。

 疲れた脳に、ようかんの甘さが広がり渡る。口内に残った後味を渋めのお茶で流し込むと、玖朗からは自然と安堵のため息が漏れていた。

「大体は読み漁れただろう?」

「ええ、おかげさまで。何となく〝ティンダロスの猟犬〟って言うのがどんなやつかわかりましたよ」

「それは良い。では、それを私に聞かせてくれ給え」

「ええ……? でもダンテさん、僕より詳しいですよね。それに、心を読めばすぐに僕の考えなんてわかるじゃないですか」

「貴様は趣をわかってないな。映画を見たもの同士、自分の意見を交わしたいと思うことはそれほど不自然ではないだろう。それと同じだ。それを心を読んで一瞬で片付けるというのはつまらないだろう。あと一つ訂正をしておくが、私は四六時中人の心を読み漁っているワケではないぞ。そんなもの巻末から本を読むに等しい。人の心もじっくりと読み解くのが面白いのだ」

「言いたいことはわかりましたけど……僕に対しては容赦なく心読みますよね、ダンテさん」

「はっはっは、馬鹿者め。貴様がわかりやすいだけだ。能力を使わなくとも貴様が何を考えているかぐらいわかるわ」

「……単純って馬鹿にされた気がします」

「そこは素直と受け取っておけ、捻くれるな捻くれるな」

「ぬぅ……」

 照れを隠すように玖朗は一つ咳払いをすると、訥々とダンタリオンにティンダロスの猟犬の概要を話し始める。

 〝ティンダロスの猟犬〟――その外見は写真に写し出された通り、犬とは似ても似つかない。猟犬ハウンドドッグと呼ばれるようになった由来は、獲物を追う執念深さと、その特異な追跡能力にある。

 仁も言っていた、『鋭角九十度以下から出現する』能力だ。それだけを聞くと、単なるワープの類かと思いこんでしまうが、実際のところはそんな陳腐なものではなかった。正確には時間や次元を関係なしに、対象を追跡する能力。鋭角から出現する、というのは、その際に必要な特異点というだけにすぎない。

 この記述を見つけた際、捕まえるのは無理なんじゃないか、と玖朗はあきらめかけた。時間も次元も飛び越える怪獣を、ただ時間の流れに沿って生きているだけの吸血鬼が捕まえられるワケがない、と。

 しかし資料を読み進めて行くうちに、光明が見え始めた。

 時間と次元を超越するティンダロスの猟犬は野生のものであり、もはやそのほとんどが確認されていない。

 現在、〝怪物街〟にいるのは愛玩用に品種改良されたものであり、その能力もオリジナルに比べて大分劣化しているとのことだった。成体で精々数十メートルを瞬間移動する程度。幼体ともなれば、五メートルも鋭角を渡り歩くのが限界らしい。また彼らは本来は歪な異次元を住み家とするらしいが、瞬間移動の一瞬にしかそこへは入り込めない模様。つまりは現在もこの〝怪物街〟のどこかには現身は顕現し続けている。

 さらに玖朗にとって嬉しいことに、旺盛な闘争本能も品種改良に伴いなりを潜めているらしく、人を噛むことも珍しいようだ。

「最初写真を見せられた時は死を覚悟したんですけど、資料を読んだ感じ、何とか死なずにすみそうでよかったです」

「ははっ、どうせ貴様は写真と仁の言葉だけを聞いて怯えていたのだろう。知識とは、情報とは武器だよ少年。もし私が悪意を持って、貴様の恐怖心を煽るような情報だけを与えていたら、どうかね。貴様は足が竦んで捕獲になど行けなかったのではないか?」

「ダンテさんが口頭説明を渋った理由はわかりました。けど、ダンテさんがそんなことをするとは思ってませんよ」

「ハッ、随分と信用してくれているようだな。しかしな少年、人の心ほど不確かで不鮮明で、移り変わりの激しいものはないよ。昨日まで背中を預けていた相手に、今日は背中を刺されるかもしれない。そんなこともあると覚えておきたまえ」

 その助言は、きっと多くの人の心を覗き見てきたダンタリオンだからこそのものだったのだろう。

 ダンタリオンの表情には、怒りや悲しみ、諦観などをごっちゃ混ぜにした、複雑な感情が隠されているような気がした。

「――それで、これから具体的にはどう探索をするつもりなのだ?」

 わざとらしいぐらいに明るいトーンで、ダンタリオンが話題を戻す。落差に一瞬付いて行けなかった玖朗が戸惑い、言い淀む。

「えっと、そうですね、図書館に来るまでは地道に聞き込みをしたり、路地をうろつきまわってたんですけど、少し探す場所を変えてみようと思います」

「ふむ?」

「犬や猫なら、高層ビルとか、施錠のされた部屋とかに侵入することは難しいんでしょうけど、ティンダロスの猟犬は神出鬼没なので、そういう場所も捜索範囲に入れようかな、と」

「つまり?」

「……午前中より忙しくなりそうです、はい」

「だろうな。はっはっは」

「正直人手が足りないですね……ダンテさん手伝ってくれたりしませんか?」

「嫌に決まっているだろう。私は本の悪魔だぞ。図書館から出たくない」

「……そうなりますよね」

 仁と灰音に頼んだのでは、本末転倒だ。

 しかし〝怪物街〟にやって来てから一ヵ月程度の玖朗に、捜索の手伝いを頼めるような人物など他にいなかった。

 玖朗の落胆っぷりに同情してくれたのか、ダンタリオンが仕方のないやつだ、とため息を一つこぼし、

「手は貸せないが、代わりに知恵を貸してやろう」

 と提案してきた。玖朗の暗かった顔が、パッと明るくなる。

「何かいい策があるんですか?」

「策というほどでもない。単純なローラー作戦だ」

 明るくなった顔が、再び影を落とし始めた。

「や、そのローラー作戦をするのに、人手が足りないって話ですよ」

「人手が足りないのなら、猫の手でも借りればいいだろう」

「……猫の手?」

「ヒントは以上だ。ここからは自分の頭で考え給えよ。思考あゆみを止めるな、少年よ。貴様の前には、貴様の突破出来る壁しか現れないのだから」

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