第一章『READY STEADY GO』

☠ Ⅰ ☠

「――待てやコラア! 何コソコソ嗅ぎ回ってんだこのクソガキッ!」

「いやいやいや! そんな怖い顔で言われて止まる人いませんって! かっ、勘弁して!」

 陽の光の差し込まぬ、薄暗い汚れた裏路地を白木玖朗しらきくろうはひた駆ける。首だけを巡らして後方を窺い見れば、狭い通路いっぱいに広がって玖朗を追ってくるチンピラたちの姿がすぐそこにまで迫っていた。

 思わず、ひいっ、と情けない声を漏らす。

 数にして十数名――皆が皆、人間の姿形をしていなかった。

 緑色の鱗に覆われたトカゲ男、ふさふさの毛が生えた虎人、鋭い嘴を有する鳥人、エトセトラ、エトセトラ。本来ならば衣服など不要だろうに、律儀に皆、革のジャケットやジーンズなどで着飾っていた。

 捕まったらただではすまないという確信が、玖朗を駆り立てる。

「なっ、何が少し様子を見てくるだけ、安全だから大丈夫、だよぉぉ! 仁さんの嘘吐きィ!」

 玖朗の悲痛な叫びは路地裏に反響し、曇り空へと高く突き抜けて行く。そしてそれが、断末魔となった。

 如何にも走るのが得意と言わんばかりの、下半身が雄々しい馬の四足である〝怪人ヴィラン〟が躍り出て、玖朗の肩と腕を掴んだ。

 不意に拘束されたことにより足がもつれ、そのまま玖朗は顔面から地面に激突する。数メートルほど汚れたアスファルトの上を滑り、やがて静止した。倒れる玖朗の周囲に、下卑た笑い声を上げながらゴロツキ共が人壁を作る。

「やーっと捕まえたぜ、手間取らせやがって。事情はオレたちのアジトでじっくり聞かせてもらおうかねえ、へへへっ」

「ぐっ……」

 強引に腕を引っ張り上げられ、立ち上がらせられる。〝怪人〟たちの力は強く、玖朗の体を片腕で易々と持ち上げた。

 背中を押され、連れ去られそうになった、その時。


「何がオレたちのアジト、よ。誰も使ってない廃墟にたむろしてるだけじゃない」


 玖朗から最も離れた、人壁を形成する〝怪人〟の何人かが、勢いよく宙を飛んだ。よほどの膂力で勝ち上げられたらしく、血の飛沫が軌道にそって舞っていた。

 薄暗い裏路地には似つかわしくない、愛らしい声――その声に、玖朗は聞き覚えがあった。

「はっ、灰音ちゃん! 助けに来てくれたの!?」

「あなた助けに来たワケじゃなくて、ただ私は私の仕事を全うしにきただけよ」

 言葉が淡々と紡がれ、その度に何人かの体が宙に舞った。人壁の一角が崩れていき、その愛らしい声の主の姿が玖朗の目に飛びこんで来た。

 暗く、淀んだ路地裏においてもキラキラと輝く白銀の髪をした、女の子だった。

 銀を溶かして細く細く紡ぎ上げたかのような銀髪は肩口で切り揃えられており、毛先がゆったりとウェーブを描いている。髪の毛と同じく光り輝くまつ毛が燃える紅玉の瞳を縁取っていた。色白な肌のため、一層瞳の紅く際立つ。年齢は玖朗と同じく十七歳程度のハズだが、童顔のせいで幼く見える。とろんとした眠たげな目付き、加えて小柄で華奢な体が、彼女の幼さを助長していた。白と青を基調としたセーラー服に身を包み、胸元の赤いタイを風になびかせていたが、中学生ぐらいにしか見えなかった。

 笑えばもっと愛らしいだろうに、彼女――大神おおがみ灰音はいねは常に仏頂面だった。

 玖朗の同居人その一にして、バイト先の先輩、そして玖朗の天敵。

 事あるごとに灰音は、玖朗を目の敵にしていた。

 今だって、灰音であれば玖朗が囲まれるよりも早く助けに入ることも可能だっただろうに、わざと見送ったに違いない。

「酷い言いがかりをするものね。結果的とは言え、私はあなたの恩人なのよ? 感謝されることはあっても、そんなことを言われる理由はないんじゃないかしら」

「それにしては割って入るタイミング良かったよね!? 絶対近くから見てたでしょ!」

「そんな、まさか。あなたが見事な顔面スライディングをかまして、無様にも地べたを這って鼻血を流している様を楽しむような真似、私は一切していないわ」

 悪びれもせずさらりと言う灰音に、玖朗はそれ以上言い返す気力を奪われる。

「……あの、もう追求しませんので、早く助けてはもらえませんか? 真実を知ればしるほど僕の心が砕けていく」

「はっ、女々しい心ね」

「うぐうっ……」

 その悲鳴を最後に、玖朗は口と噤むことを誓う。喋れば喋るほど、灰音に反撃の材料を与えてしまうからだ。

 沈黙を守り始めた玖朗の代わり、それまで圧倒され、唖然としていることしか出来ないでいたゴロツキたちが我を取り戻し、啖呵を切る。

「舐めたマネしやがってえ……! タダじゃおかねえぞコノアマ」

 怒気を孕んだ声を向けられるも、灰音はどこ吹く風で、全く意に介さなかった。むしろ、言葉尻を捉えて煽るぐらいに、余裕綽々であった。

「こんなカビ臭いところに仲良しこよしで群れるような連中だから、程度は知れると思っていたのだけれど……なるほど、カビって人にも移るものなのね。いつの時代のセリフよ、あなたたち。自分たちを映画の登場人物とかと勘違いしているんじゃないの?」

「なっ……」

 彼らに捕まっている状況だというのに、玖朗は素直にゴロツキたちに同情した。散々な言い様だ、もう少し手心を加えてやってもいいだろうに、と。

 この街にやって来てからの一ヶ月間というもの、灰音の毒舌に散々苦しめられた玖朗だからこそ、彼女の言葉の暴力に晒される彼らの痛みが自分のことのようにわかった。

 それでも怯まず、ゴロツキたちは臨戦体勢を整える。

 玖朗を拘束する、リーダー格と思わしきトカゲ男の〝怪人〟が、鬨の声を上げるのを静かに待っていた。

 トカゲ男が高らかに、やっちまえ、と声を荒げるも――背後から轟いた雷鳴が、その場の全ての音を飲み込み、蹴散らした。

「はっ……?」

 音に遅れ、紫電が縦一閃に突き抜け、その軌道上に立っていた数名のゴロツキたちを射抜き、意識を刈り取る。白目を剥いた彼らは糸の切れた人形のように力なく、地面に倒れ伏した。

 雁首揃えて灰音を睨み付けていたゴロツキたちは、恐る恐る背後を振り返る。

 灰音と、そして玖朗は自らの目で目視せずとも、そこに誰が立っているか、承知していた。


「なァにチンタラやってんだ、お前ら……そいつらが今回のターゲットって裏取り出来たンだからさっさと片付けて帰ンぞ。こちとら金にならねェ仕事やらされてイライラしてンだから、帰って酒の一杯でもひっかけてェと思うのが人情ってモンだろ、ああ?」


 指先から雷の残滓を迸らせる、身長二メートルにも届こうかという大男が悠然と構えていた。

 大男はくすんだ金髪を乱雑に掻き上げ、赤黒い丸サングラスをかけていた。顔立ちは整っているというのに、顔中には線路図のように縫合痕が這っていて、痛々しい。黒いタンクトップシャツの襟首から覗く肉体は相当に鍛えられており、顔と同様、無数の縫合痕が伸びていた。安物のジーンズの裾は擦り切れており、彼が履く紅い鼻緒の下駄もくたびれてボロボロだった。それらの上から重たそうな深緑色のミリタリーコートを着込み、片手をポケットに深々と突っ込み、気だるそうに立ち尽くす。

 大男の風貌を一言で言い表すのであれば、無頼漢。

 その無頼漢こそが玖朗の同居人その二であり、バイト先の社長――じんである。つまり、玖朗をこの危機的状況に送り込んだ張本人ということになる。

「金にならない仕事やらされたのは誰のせいッスか! そもそも仁さんが賭け事に負けなければこんなことにはならなかったんスよぉ! 何が安心安全、様子を見てくるだけッスか!」

 玖朗が吠えると、仁は爆発装甲のようにして切れ返す。彼が大口を開けると、ノコギリの歯のように鋭くギザついた歯が覗いた。

「るせェ! 俺サマだってなあ、負けたくて負けたワケじゃねェんだよ! あの時は勝てると思って勝負に乗ったんだ!」

「賭け事の話は今どーでもいい! 僕の身の安全についてが重要なんスよ!」

「あァ? テメェの身の安全なんか知るかよォ。安心安全なんて、聞くからに怪しい言葉に騙されンな、ダボが。ここァ天下の悪徳の街、〝怪物街モンスターストリート〟だぜェ? ンな甘い言葉、信じンなよ」

「雇い主とは思えない発言ッスね! あんた最低だ!」

 緊張感の欠片もなく、仁は小指を耳に突っ込み、垢を掘り返す。これから十数名の〝怪人〟を相手取り、戦うとは到底思えないほどに、緊張感がない。

「じっ……仁? 今、仁って言ったか?」

 玖朗の肩を掴むトカゲ男が、わずかにだが震えていた。

 リーダー格の動揺は仲間たちに伝播して行き、口々に驚きの声を上げる。

「仁って、あの処理屋の?」「〝フランケンシュタインの怪物〟の仁……〝怪物〟殺しの仁!?」「嘘だろ? 何でそんなやつらがオレたちのところに現れるんだよ。場違いにも程がある」「そ、そうだぜ。だってオレたちゃだぜ?」

 何気ない、ただの人攫い、というワードチョイスに玖朗は違和感を覚える。一ヶ月前まで街の外で普通に暮らしてきた玖朗には異常なことだが、ここにおいては取るに足らない、くだらない、日常の出来事――故に、ただの人攫いなどという言葉が使われる。

「あー、それだがなあ」

 アスファルトを下駄の歯で蹴り付けながら、面倒臭そうに仁が説明をする。

「お前らが使ってる拠点のビル、あんだろ。アレなあ、俺のギャンブル仲間の物件でな。お前らが人を攫ってきてはそこでを催したり、取引相手を連れてきたりしてで、建物が汚れて困ってるっつゥんだよ。そンでな、俺に負け分をチャラにしてやるから、テメェらを追い出せって言ってきやがってなァ……ったく人の弱みに付け込んで、嫌なやつだぜ」

 仁の話に登場するビルのオーナーの話も、若干ズレて感じられた。所有の物件で人攫いが起きていることを危惧しているのではなく、それに伴う汚れのほうを嫌っているのは、どこかやはりおかしい。

 仁の妙にズレた発言はしかし、ゴロツキたちの耳には届いていなかった。

「あいつが処理屋の仁だとすると……あの女は〝人狼〟の大神灰音か!?」「どうりで、一瞬で仲間がやられちまったワケだ……!」「ってことは、オレたちが今捕まえてるこいつも処理屋の一味ってことか!?」「じゃあこのガキは! …………おい、誰かこいつ知ってるか?」「いや、知らねえ……誰だこいつ」「処理屋って、二人だけじゃなかったか」「最近雇ったバイトかなんかか?」「多分そうだろ。あんまり強くねえし」「弱そうな面してるしな」「人畜無害そうだ」

 ゴロツキたちが好き放題に言うが、あながち間違いではないので玖朗は言い返すことも出来ない。

 実際に、つい一ヶ月ほど前から雇われたバイトであるし――しかも正確には見習いだ――仁や灰音のように腕っ節も強くない。それに街に来る前は人畜無害どころか、空気のような存在であったとも自負していた。

 集団には必ず一人はいるような没個性的、数合わせのような、エキストラその一、それが白木玖朗という存在。

「だが処理屋の一員ってことには変わりねえ! ツイてるぜ、オレたちは! オラァ、処理屋共! お前らの仲間は人質に取った! 仲間が殺されたくなけりゃあ、黙ってオレたちに殴られな! お前らを潰したとなりゃ、オレたちの名は〝怪物街〟に轟くぜ! うひゃひゃひゃ!」

 トカゲ男が舌舐めずりをしながら、勝利を確信した笑みを浮かべる。それに釣られ、不安に押し潰されそうになっていた他のゴロツキたちも強気な姿勢を取り戻していく。

 仁はやれやれ、とため息を吐き、灰音は呆れたように首を左右に振った。捕まっている玖朗はと言うと、全身から脂汗を流していた。

「……ったくよォ、大人しく手を引いてりゃ痛い目見ないですむっつゥのに」

「こんな連中に損得勘定が出来るワケないでしょ」

「まー、それもそうだな」

「……あの、仁さん、灰音ちゃん? 僕たちは同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に暮らす、切っても切れない縁っていうか、その、仲間ですよね? まさか、そんな」

 ――やばいやばいやばいやばいやばい! この二人にその手の脅しはきっと利かない!

 玖朗の中の危険アラートが全力で警報を鳴らしていた。

「安心しろって、クロウよォ」

「骨は拾ってあげるわ、仲間だものね」

「それ仲間って言わな――……」

 玖朗が言い終わるよりも早く、仁が振りかぶった。さながら、野球の投手がボールを放るような、大振りのスイング。しかし投擲するのはボールなどではない。彼の体内に蓄えた、超高圧の雷。いかに人智を超越した肉体を持つ〝怪人〟だとて、当たれば意識は確実に刈り取られ、肉体もタダではすまない。だというのに彼は玖朗もいるというのに――躊躇いもなくそれを、敵陣目掛けて放ったのだ。

 路地裏に雷鳴が轟き、また幾人もの絶叫が響き渡った。その中には無論、玖朗の声も混じっていた。

 十数人の〝怪人〟が瞬く間に黒焦げになり、殺虫剤を吹きかけられた羽虫のごとく地を這い、わずかに四肢を痙攣させる。

「これだけ痛い目みりゃあ、もうあのビルで商売はしねェだろ」

「そうね。でも彼ら、仲間内だけでやってたみたいだし、遅かれ早かれ大きな組織に潰されるのがオチだったんじゃない?」

「俺もそう言ったんだけどよォ、早急に処理しろって聞かなくてなァ。まァ何にせよ、これで一件落着! 俺サマの借金もチャラ! めでたしめでたし、だな。かっかっか」

 玖朗を見捨てた事実などないとでも言うかのように、仁が晴れやかな笑い声を上げる。

 だがこんな理不尽な結末を、玖朗は認めるワケにはいかなかった。


「何もめでたくねぇ――ッ!!」


 焦げ付いた皮膚を撒き散らしながら、玖朗が勢いよく起き上がった。

「何してくれてんスか仁さん! 危うく死ぬところでしたよ、僕!」

 声を荒げながら抗議するものの、仁はどこ吹く風で、意にも止めようとしない。

「あァー? あの程度でくたばるなら苦労はしねェよ、生身の人間じゃああるまいし。クロウ、クロウ、クロウ、クロウよォ……テメェはもう人間じゃねェ、〝怪人〟なんだぜ?」

 頬皮を歪ませ、ギザついた歯を覗かせて仁が意地悪く笑う。既に受け止めて、受け入れたハズの事実なのに、その言葉はグサリと玖朗の心に刺さった。わかっているつもりだったが、改めて言われると――そして身を持って体感すると――その事実が痛いほど現実味を帯びる。

 焼け焦げた皮膚が剥がれ落ち、その下から真新しい、白い肌が覗く。物の数分で、玖朗の体からは落雷の痕跡が綺麗さっぱり消え失せた。

 指先を這わせ、自分の輪郭を確認して行く。

 目にギリギリかからない程度に伸びた、野暮ったい黒髪。付きすぎず、痩せ細りすぎない肉付きの顔立ち。中肉中背の、高校生男子の平均的より少し劣る体――改めて触っていて、凡庸だな、と自ら感じ、玖朗は思わず苦笑を浮かべる。

 もう己の目では確かめることの出来ない、玖朗の器。

「しっかし、やっぱり成り損なっても〝吸血鬼〟だねェ。俺の落雷を食らったっていうのに、もう治癒しちまうたァなあ。自信なくすぜ、オイ」

 一ヶ月前の、夏休みのある夜――夜歩きをしていた玖朗は一人の美しい吸血鬼と出会い、血を吸われ、同じく吸血鬼と成り果てた。

 正しくは、成り損なった。

 吸血を初めとする壁歩き、霧化、人間の二十倍の身体能力、エトセトラ、エトセトラ。

 〝怪人〟の中でも群を抜いて多様な異能を行使する吸血鬼であったが、玖朗はそのほとんどが使用出来なかった。

 成り損ないの、出来損ない吸血鬼。それが白木玖朗だ。

 精々使えるのは、動物を隷属化するという、何ともメルヘンチックな能力程度。加えて、常に発動している超回復能力や、身体能力ぐらいのものだろうか。身体能力に関しては、他の吸血鬼と比べた場合、大分見劣りするらしい、とは仁の談だった。

 玖朗は血を吸われた彼女の他に、吸血鬼と呼ばれるものに遭遇したことがないため、自分の劣等生具合がイマイチわからない。

「さすがは吸血鬼、生命力はゴキブリ並ね」

「……比喩に悪意を感じるなあ」

 〝吸血鬼〟と〝人狼〟は大古の昔より、浅からぬ因縁があったと言うが、灰音の玖朗嫌いは種の根幹からいずるような、大それたものではない。ただ単純に、嗅覚に優れた彼女が玖朗の臭いを嫌悪しているにすぎない。

 夥しい血の臭い、さながら古戦場が歩き回っているかのようだ、と灰音は言い表した。

 だが、吸血鬼になってからというもの、誰からも血を吸ったことのない玖朗にそんなことを言われても困る。

 させたくて血の臭いを振りまいているワケではないのだ。

 そこらへんの事情は灰音も知っているハズだが――それを差っ引いても、やはり好きにはなれないのだろう。

 灰音と打ち解けることは、もう半ばあきらめていた。

 嫌悪していようとも、行く宛てのない玖朗を居候させておいてくれるだけ、灰音の心は寛大に違いない。ならば甘んじて蛇蠍のごとく嫌われ、罵倒されるぐらいのことは受け入れよう。

「つゥか、俺ァお前に敵上視察っていう、極々簡単なことを任せたハズなんだがなァ。なァんでバレて追われるようなハメになったかねェ?」

「うっ、いや、その、それは……」

「私、遠くから聞いていたのだけれども」

「……やっぱり聞こえてたんじゃん、助けてよ」

「話の腰を折らないくれるかしら?」

「すいません……」

 理不尽だ、と思いながらも、灰音の眠たげな目で睨まれると萎縮してしまう玖朗であった。

「人攫いの現場を目撃して、へっぴり腰でやめろって叫んだのよ、彼。そりゃバレるに決まってるでしょ」

「うっ……だって」

「だってじゃないわよ。その中途半端な偽善が、いつか身を滅ぼすわ。というか、ついさっき滅びかけたじゃない」

 言い返す言葉もなく、玖朗は押し黙り、俯く。

「くっくっく、まァ、これに懲りたらもう馬鹿な気は起こすんじゃねェやな、クロウ。そんなんだからオメェはいつまで経ってもバイト見習いなんだよ。やるならとことん振り切らねェとつまらんモンだぜ、なァ?」

 仁から出された助け舟に、玖朗が覇気のない声で頷いた。

 玖朗が頷くのを見届けると、仁は区切りを設けるようにして、

「うっし、それじゃあ面倒な仕事の話は終了、解散、解散。後ァ各自、好きにしろ」

 と言った。

 それだけを言い残すや、踵を返し、玖朗と灰音に背を向けてさっさと歩き出した。しかし仁が歩き出したほうは、三人の事務所がある方向とは真反対であった。どこかへ出掛けるんですか、と玖朗が問うと、彼は振り返らぬまま腕を掲げ、ちょっくらしっぽりと楽しんでくらァ、と答えた。

 十中八九、お気に入りの娼館に出向くつもりだろう。

 去り行く仁の大きな背中を見送りながら、玖朗は懐疑的な視線を向ける。

「……あの人、本当に〝フランケンシュタインの怪物〟なんだよねえ……? 小説読んだ時の印象じゃ、あんなに俗物的じゃなかったんだけどなあ」

 創造主に見捨てられた、哀れな名も与えられなかった一人の怪物。己の存在に苦悩し、葛藤し、身も心も焼き尽くし、擦り切れていくその生き様は悲劇に満ちていた。つまり、仁の大雑把で喧しく、俗物なイメージとは決して結びつかない。

 当初、名乗られた時には仁が彼の〝フランケンシュタインの怪物〟だとは信じられなかった。というか、同居して一ヵ月経った今も信じられない。

「そう見せてるだけで、実際は酷く脆いのよ、あれでも」

 灰音のフォローに、玖朗は眉をひそめる。そんな風には全然見えない。

「私ももう行くわ。いつまでもあなたに付き合ってられないし。あなたは……兎にも角にも、事務所に帰ったほうがいいわね」

「……そうだね」

 肉体は綺麗に治癒しようとも、身に纏う衣服までは直らない。こんなボロボロに焼け焦げた服では、どこへ出掛けるにも不便だ。

 正真正銘の吸血鬼ともなれば衣類すら肉体の一部として好きに仕立てることも出来るらしいのだが、残念ながら玖朗には出来ない芸当だ。

「図書館に行こうと思ってたのに、今日はあきらめるしかないかな……灰音ちゃんは?」

「あなたに教える義務がある?」

「……そうッスね」

 言うや否や、灰音は地面を蹴り、ビルの壁を駆け上がってどこかへと行ってしまった。

 気絶してのびている〝怪人〟たちを跨ぎ、玖朗もまた、大通りへと続く道へと歩み出す。

 大通りに近付くにつれ、ビルの影になって薄暗かった路地裏に光が差し込んでくる。

 空には無数の提灯やランタンが浮かんでおり、煌々と光を放っていた。

 通りにはずらりと露店や商店が並び、店主たちが大声を張り上げて客引きをしていた。その声に引き止められるものもいれば、素通りするもの、また盗みを働こうとこそこそするものまでいる。

 異形。

 異形。

 異形。

 その誰も彼もが、人の形をしていない、異形ばかりであった。

 獣の体をしていながら、二足歩行で歩き、衣服に身を包むもの。

 腰から上が魚の鱗に覆われ、耳の代わりにエラが付いているもの。

 半液体状の体に無数の目を浮かべ、あらぬ方向を漠然と眺めるもの。

 人智を超越した彼らのような存在を誰かが〝怪人ヴィラン〟と呼んだ。

 そしてこの街は〝怪人〟たちの集う無法の街――名を〝怪物街モンスターストリート〟と言う。

 時折、人間の姿を見かけることもあるが、玖朗や灰音、仁のように、中身が人間とは違う何かであることのほうが多い。

 正真正銘の人間がいたとしても、彼らもまたまともではない。頭のネジの二本や三本、とっくの昔に外れた連中ばかりだった。

 例えば、真理を追い求め続け人体実験を繰り返す魔術師ウィザード。曰くや呪いの憑いた品ばかりを好んで取り扱う闇商人ブラックマーチャント。人を殺すばかりでは飽きたりなくなった殺人鬼シリアルキラー。古今東西ありとあらゆる食材を求める悪食な美食家グルマンティーズ――エトセトラ、エトセトラ。

 ここにいる誰も彼もが、人として大切な何かを置いてきてしまったものたちばかり。

 人でなしの集まる、魔都。

 故に彼らを縛る法はなく、自由だけが〝怪物街〟には存在した。

 奪おうが、薬を打とうが、殺そうが、それを罰するものはいない。

 〝怪物街〟は清も濁も受け入れる海のように懐が深く――そして底がなく、混沌とした街。

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