代償

 あるところに、一人の少年がいた。

 彼はアフリカ某国に暮らす、十四歳の男の子である。学校には通った事すらなく、歳が一桁の頃から仕事をしている身……所謂児童労働であるが、彼はそれがいけない事だと知らない。世界を知らないまま身売りされた彼は、過酷な労働を『普通』だと考えていた。

 とはいえ今の環境を幸福だと考えた事もない。自分より小さな子供が落石で死に、自分より大きな子供が肺炎で死に、上司である大人達は自分達が少しでも休もうとすれば体罰を加えてくる。上司達は美味しいお菓子を毎日食べているのに、自分達子供はトウモロコシの粥しかもらっていない。

 だから逃げ出す機会があれば逃げ出そうと考えていた。そしてついにその時が来た。

 しかし、彼は逃げられなかった。

上司クソ野郎の殆どが死んだのは良いんだけど、どうしたもんかなぁ」

 彼は寝そべりながら、ぽつりとぼやく。

 彼が居るのは大きな崖の上で、頭を乗り出して崖下を覗き込んでいた。この崖は彼の仕事である『採掘』により作られた、人工の地形。深さは百メートルほどあり、底には大きな広間が出来ている。

 その広間の奥にある、彼が居る場所と反対側にそびえる崖に作られた『穴』……それが彼の職場である炭鉱への入口だ。入口周りは広く掘られていて、陽が真上から照り付ける今の時刻なら全てがハッキリと視認出来る。

 そしてよく見えるのは入口だけでなく、入口の前に陣取る怪獣の姿も、だ。

 巨大な怪獣は大きな翅を閉じ、それでも少し窮屈なのか身体を少し曲げた状態で座り込んでいる。かれこれ数時間ほどこの体勢のまま、ぴくりとも動かない。入口をじぃっと見つめているのか、偶々視線の先に炭鉱の入口があるだけなのか。表情のない昆虫的な頭から意図を窺い知るのは難しかった。

 彼は思い返す。あの怪獣が、この炭鉱を襲撃してきた時の事を。

 怪獣の脚により、広間でだらだらと休んでいた嫌な上司は叩き潰された。それで終われば万々歳だったのだが、怪獣は炭鉱の入口から腹を突っ込み、毒ガスを噴出。大人も子供も関係なく、炭鉱内に居た者達を皆殺しにしたのである。

 彼含め数人の子供と大人は炭鉱で生じたゴミを捨てる ― 及びそれを監視する ― ため炭鉱の外に出ており、運良く助かった。そして助かった者達の大半は怪獣から一秒でも早く離れるため、散り散りに逃げ出している。未だ此処に残っているのは彼だけ。

 無論残っているのには彼なりに理由がある。此処から我が身一つで逃げても死ぬだけだと、彼は考えていた。

 彼が働いていた炭鉱は、乾燥地帯に存在しているのだ。

 もしも今が雨期であればたくさんの雨が振り、炭鉱の周りにはたくさんの草が生い茂っているだろう。草を餌にして虫が大発生し、ウサギやネズミの姿も見られる筈だ。水場も大きくなり、飲み水の確保も容易である。

 しかし間の悪い事に、今は乾季。炭鉱の周りに広がるのは乾ききった大地であり、虫一匹どころか瑞々しい草すら生えていない。道中食糧を得る事は出来ず、川や沼も殆ど干からびているため水も飲めない。そして炭鉱があるこの小高い丘から見る限り、荒れ地は地平線の彼方まで広がっている。

 怪獣は森の中に逃げ込んだ人間は殆ど襲わないと、大人である上司達は話していた。故に避難するなら森なのだが……その森に辿り着くまで何日掛かるか分かったものじゃない。食糧や水を持たねば、途中で行き倒れるのがオチだろう。

 彼が知る限り、この付近に食糧が置かれているのは炭鉱内……上司達が使っていた休憩室の菓子か、自分達の食事である粥の材料が積まれた倉庫だけ。どちらでも良いので確保しなければ、避難は失敗するだろう。

 ……その炭鉱内への入口に怪獣が陣取っている訳だが。かれこれ数時間も。

「しっかし、アイツはなんで炭鉱前から動かないんだ……サボりか?」

 彼は疑問に思いつつ、それでも食糧は諦められないので、じっと怪獣の姿を見つめ続ける。そうしていると、ふと怪獣がその身を身動ぎさせた。元々苦しそうな体勢を更に丸めて、僅かに炭鉱の入口から後退りしている。

 ようやく飛び立つのか。そう願う彼だが、生憎願いは叶わない。

 炭鉱の入口から、が這い出てきたのだから。

 小さいといっても、人間よりはずっと大きな……体長三メートルはあるだろうか。しかし炭鉱を襲撃した、五十メートル超えの怪獣と比べれば、子供とも言えないようなサイズだ。身体も、翅を持っていない、触角を持っていないなど、細かな違いが幾つか見られる。

 そして小さな怪獣は、その前脚に何かを抱えていた。小さな怪獣が脚を広げると、抱えていたものはバラバラと地面に散らばる。

 落としたものはほんの僅かな量。おまけに彼から百メートルも離れている。しかし彼は優れた視力と長年の『勤務経験』から、小さな怪獣が持ってきたものの正体を察知した。

 石炭だ。

 小さな怪獣は炭鉱から、石炭を掘り出してきたらしい。翅がないのは炭鉱内では邪魔だから、という事か。採掘を行うための『奴隷』なのではないかと、彼は小さな怪獣に少し親近感を覚える。

 ……持ってきた石炭の量があまりに少ないとも感じたが。小さな怪獣が何時採掘を始めたのかは知らないが、彼は数時間崖の上でチャンスを窺っていた。なら小さな怪獣は、数時間炭鉱内で作業していた筈である。

 彼は『炭鉱夫』としてそこそこベテランの身だ。身体は小さいし、与えられている機材も乏しい。それでも、数時間もあれば小さな怪獣が持ってきた量の三倍は掘り出せると考えていた。それによくよく見れば、石炭以外の不純物も一緒に持ってきているではないか。

 なんというか、酷い無能を見ている気がした。怪獣はとんでもない生物だと上司達が話していたので、疑いなくそうなのかと思っていたが……怪獣の中にも色々な奴がいるらしい。

 小さな怪獣の成果に困惑したのは、彼だけではない。親分らしき巨大な怪獣も、ちょっとしかない石炭を見て困惑したように身動ぎ。悩むように頭を下げ、考え込むように頭を上げ……最後に諦めたように項垂れる。

 途端、小さな怪獣目掛け前脚を振り下ろした。

「なっ……!?」

 彼が驚きの声を上げた時、全てが終わっていた。小さな怪獣は大きな怪獣に、バラバラに砕け散る。怪獣には爆弾もミサイルも効かないという話だが、小さな怪獣には守りも何もなかったのか。小さな命が、あっという間に大地の染みと化した。

 炭鉱の上司達は、確かに嫌な奴等だった。食べ物だってろくにくれないし、炭鉱内の安全だって確保しない。常にこちらを見下し、罵声や暴力も振るった。

 しかし彼等幼い炭鉱夫の命を奪うような、直接的な行動を起こした事はない。炭鉱夫は虐げられている存在だが、大切な労働力でもあるのだ。無駄に『消費』すれば、困るのは上司達の方である。

 ところがあの怪獣は、自分の仲間を平然と殺した。仲間意識が希薄なのか、それとも別の理由があるのか。答えは分からないが、怪獣の恐ろしさを彼はひしひしと感じてしまう。気付けばガチガチと、凍えるように顎が震えていた。

 あんなヤバい奴が陣取ってる場所の近くにいるなんて、食糧を持たない旅より、そっちの方が自殺行為じゃないか。

 自分が選択ミスをしたと感じた彼は、すぐにこの場から逃げようとする……しかし身体が恐怖で強張り、動けない。

 そうして情けなくも身動きが取れないでいると、怪獣が新たな行動を見せた。

【ペキ、ペキキィイィィ……】

 小さな怪獣が持ってきた石炭に、唸りながら前脚を叩き付け始めたのである。何度も何度も執拗に叩き付け、飛んでいった欠片は丁寧に掻き集め、ひたすら叩き付けていく。

 何をしているんだ? 恐怖の中、小さな興味を抱いた彼は目を大きく見開いてその奇妙な行動を観察する。

 次いで彼が目にしたのは、叩き付けた脚から噴き出す炎。

 石炭が燃え始めたのだ。怪獣は火打ち石のように火花でも飛ばしたのか、石炭に火を付けたらしい。石炭はゆっくりと燃え、黒煙をもくもくと吐き出している。

 小さな怪獣の行いを無下にする行為。しかしそれを前にした彼は、怒りや恐怖よりも違和感を覚えた。

 小さな怪獣を殺した理由は分からないが、集めた石炭そのものは『成果』の筈。少量とはいえ、その成果を燃やしてしまってはゼロになってしまう。自ら損失を拡大させてどうするというのか。

 腹立ち紛れにやらかした、のだろうか。

「……所詮虫か」

 性悪な上司達でもやらないような怪獣の行動に、彼はぽつりと独りごちた。しかしどれだけ馬鹿にしても、生身で勝てるような相手ではないと理解している。

 やはり逃げよう。少しだけ落ち着きを取り戻した彼はこの場を離れようと、立ち上がろうとした。

 チャンスは、その時に訪れた。

【ペキィギィギイイィィィ……】

 怪獣は唸るような声を上げると、背中の翅を羽ばたかせる。ただし一度だけ。その一度で身体が上向くや、怪獣はあたかも滑るように飛び立ったのだ。

 あまりにも加速が速く、彼は咄嗟に身を隠す事も出来なかった。しかし怪獣は気付いた様子もなく空の彼方へと飛んでいく。今ではもう、豆粒ほどの小ささだ。

 突然の事に呆けながら、彼は難が去った事を理解する。そして怪獣がいなくなった今こそ、炭鉱内の食糧を漁る絶好の好機。

「へへ、なんだか分からんけど今のうち……」

 彼は立ち上がり、崖下にある炭鉱の入口目指して走り出す。炭鉱内には毒ガスを注入されたが、もう数時間も経っている。きっとガスの効果などもうないだろうと彼は考えていた。上司達が話していた噂曰く、半日もあれば完全に無害になるというぐらい長続きしないものなのだから。

 勿論何も考えずに突っ込むのも愚かというもの。ある程度炭鉱入口の近くに来たら、今度は慎重な歩みで距離を詰める。呼吸は小さく、ゆっくりと。苦しさを覚えたらすぐ止められるように。

 やがて彼は炭鉱の目の前までやってきた。息はまだ出来る。念のため深く息を吸い込み、炭鉱内に向かおうとした

 刹那の事である。

 キィィンという、飛行機のような音が聞こえてきたのは。それも鼓膜が破れそうなほどの爆音で。

「いっ……!? な、なん……」

 彼は思わず、音がした空を見上げた。

 次の瞬間、彼は自らの顔を真っ青に染め上げる。

 空には、怪獣が飛んでいた。

 しかも一匹だけではない――――視界に治まりきらないほどの大群が、一列に並んだ編隊を組んでいたのだ。編隊は決して高くない、精々高度数百メートルほどの位置を飛んでいる。崖下にある炭鉱入口から見たので全体は把握出来なかったが、五匹はいるだろうか。近さと数に怯んだ彼は、炭鉱に向かおうとしていた脚を鈍らせる。

 その大群は彼など見向きもせず、空を横切ったのだが……数十秒と経たずに、次の大群が彼の頭上を通り過ぎる。数十秒後には別の大群が、また数十秒には新たな大群がやってきた。

 途切れなく現れる怪獣の群れ。上司達が怪獣は群れでやってくると話していたが、こんな滅茶苦茶な大群だなんて聞いていない。混乱した彼は炭鉱へ入るのを止め、わたわたとこの場から離れる。無我夢中で崖を登り、その上に立った。

 次いで彼はその目を見開き、腰を抜かす。

 空は怪獣で

 五十メートルほどの等間隔で怪獣は並び、ずらりと左右の地平線の彼方まで広がっている。一列で何百匹も並んでいそうだが、そんな列が正面の地平線まで続いていた。こちらも何百列もあり、続々と前進して彼の頭上を過ぎ去る。怪獣の飛行速度は早く、数十秒で一列彼の上を通り過ぎるが、地平線の彼方にある列が途切れる様子はない。

 彼は算数など出来ない。学校に通った事がないのだから。しかしそれでも、この怪獣が数えきれないほど存在しているという事は理解した。

「なん、だよこれ……なんなんだよこれぇ!?」

 彼は思わず叫んでしまう。叫ばずにはいられない。

 世界中の怪獣がこの地に集まっているのだろうか? 怪獣が人間を殺しているのは知っているが、こんな大軍団でやってくるなんて常軌を逸している。

「逃げ、ないと……隠れないと……!」

 彼は慌てて何処か安全な、近くに身を隠せる物陰がないか探そうとした。生き延びるために思考を巡らせ、小さなチャンスを掴もうとする。

 故に、彼の脳裏にふと『違和感』が走る。

 もしも、この群れが荒野を逃げ惑っている人間を探すためのものなら……一列に並んで虱潰し、というのは強引ながら確実なやり方だろう。そして怪獣は効率を度外視し、人間を一人も生かしておくつもりがないのだと分かる。どうしてそこまで人間を殺したいのかは分からないが、並々ならぬ執念だ。命乞いなんて通じないだろうし、話し合いだってきっと出来ないだろう。

 なのに、どうして森の中は安全なのか?

 今や世界中で、大勢の人間が森に逃げ込んでいる。だったらこんな荒野を探し回るより、まずは森の中の人間を探すべきではないか。そっちの方が効率的にたくさんの人間を殺せるのは、学校に通っていない自分でも分かるというのに。

 どうして奴等は森に手を出さない? その理由を考えても答えは出てこない。

 しかし逆に考えてみたらどうか?

 。だけど――――

「だ、駄目だ、森は駄目だ……!」

 彼は逃げようとしていた森を諦めた。代わりに逃げ込もうとしたのは、散々離れたがっていた炭鉱。炭鉱内なら怪獣に見付からずに済む筈だと考え、大慌てで崖を降り、息を乱しながら逃げ込もうとした。

 しかしその抵抗は無意味だ。何故なら空飛ぶ怪獣の一匹だけが、彼の動きに反応するように頭を地上に向けたのだから。

 飛ぶ方角を変えたのはその一匹だけ。他は打ち合わせでもしていたかのように動かない。そして仕掛けるのは一匹だけで十分。

 飛行機のような速さで急降下してきた怪獣を振りきれなかった彼は、叩き付けられた二本の脚により、親近感を抱いた小さな命と同じ運命を辿った。

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