没収

 怪獣の『再出現』から二週間が過ぎた。

 今や怪獣は世界の何処にでも現れている。アメリカやヨーロッパだけでなく、アフリカやオーストラリア、そして此処中国でも一部地域で確認された。

 新たに現れた怪獣の強さや行動は、インドネシアに出現した個体と左程変わっていない。毒ガスにより大都市を壊滅させ、軍隊の攻撃などものともせずに突き進み、太陽光発電所やCCSの現場などを破壊し……正確な数は分からないが、死者は世界で二億人を突破したとも言われている。

 しかし人類もやられっぱなしではない。

 怪獣出現のパターンを解析し、森林や草原から突如現れる事を確信した。また攻撃行動は反撃時と都市部に限られ、森林などの自然環境には殆ど行わない、行われる時は発電所など高度な人工物がある場合だと分かった。毒ガスの主成分が青酸系である事も判明し、治療薬の開発も始まったという。

 そしてこの怪獣が植物性の存在である事も確定した。現在、世界各国で怪獣の『防除』方法を模索している。中国共産党も全面的に協力し、怪獣という人類共通の敵を倒そうとしている……

「ふん。植物風情にこんなにもやられるなんて、軍隊ってのも案外大した事ないな」

 そのような事が書かれている新聞記事を読んだ男は、鼻で笑いながら悪態を吐いた。

 彼は中国のとある農村に暮らす、生粋の農家である。もう四十にもなるが、なんやかんや縁がなく、当人も一人の方が気楽という事で結婚はしていない。収入は農村の中でも中の下で、住んでいる家も狭苦しいアパートだ。しかし元々衣食住にあまり興味がなく、難しい事を考えるよりも身体を動かす方が向いている彼は、親から継いだこの仕事をそこそこ気に入っていた。

 そんな彼は、植物というのは弱者の代表格だと考えていた。

 身を守る術など何もなく、動く事も考える事も出来ない。獣どころか虫にも食べられ続け、人間様がその気になれば機械で根こそぎ絶滅させられる。彼が育てているキャベツだって、人間様が農薬や肥料を与えねばまともに育たない。

 彼は教養がないのであまり科学に詳しくないが、自然界には生態系と呼ばれるものがあり、弱肉強食の世界であると理解していた。つまりあらゆる生物に食べられる植物というのは、この世で最も弱い生物という事だ。対して人間は植物どころか動物だって滅ぼせる、世界で一番強い生き物。

 生き物としての格が違うのだ。怪獣だろうがなんだろうが、植物なんかに負ける道理はない。

「ま、そのうち薬かなんかで倒されるだろう……そろそろ家を出ねぇとな」

 新聞を畳みながら、彼は自分の畑に『出勤』する準備を始めた

 途端、外からサイレンが聞こえてくる。

 救急車か? とも思う彼だったが、そのサイレンは普段聞き慣れているものとは明らかに音色が違う。しばし聞いて、彼はこれが役所が村全体に放送する際、注目を集めるために流す音だと気付いた。

【……緊急事態発生。緊急事態発生。怪獣の出現が確認されました。怪獣は現在北西方面から接近中で――――】

 そして放送が告げたのは、彼が今し方馬鹿にした相手。

 いざ脅威が襲来し、彼は……特段慌てなかった。

 怪獣の研究は進み、今では対策も色々と施されているのだ。例えばこの村では中古品とはいえガスマスクが配布され、家族全員分に行き渡っていた。彼も自分のガスマスクを役所から受け取っており、それを装着する。どの程度効果があるかは ― 政府は絶対安全と謳っているが正直怪しい ― 不明なものの、精神的には落ち着く事が出来る。

 落ち着けば次に何をするべきか見えてくるもの。彼は箪笥の上に置いていた、役所から届いた紙を手に取る。

 紙に書かれているのは、もし怪獣が現れた時に向かうべき『避難所』の位置だ。避難所といっても公園や学校ではなく、近隣にある森の中。怪獣が森を攻撃する事はまずないのだから、森の中に逃げ込めば攻撃を避けられる。市街地のど真ん中の公園より、怪獣の誕生地点である森の方が安全なのだ。

 怪獣の動きは非常に速いので、完全に被害をゼロにする事は難しいだろう。しかし日に日に被害は小さくなり、そう遠からぬうちに微々たるものとなる筈だ。恐るべき災厄は、ちょっと大規模な台風程度になろうとしている。

 そうして余裕が出来ると、自分の日常を妨げられた事への不満が募るもので。

「全く、面倒な奴等だ。そろそろ作物を収穫しないといけないのに、これじゃあ今日は仕事になりゃしないな」

 彼はそうぼやきながら、避難を始めた。




 それから一週間後。

「全廃棄って、どういう事ですか!?」

 彼は困惑と憤りを露わにした。

 彼が声をぶつけたのは、自宅の玄関までやってきた役所の職員。彼の半分も生きてなさそうな若造と、彼と同じぐらいの歳であろう中年男性の二人だ。上司と部下と思われる。

 部下の方は彼の声にビビったのか後退りするものの、上司の方は怯んだ素振りもない。堂々と彼と向き合い、力強い言葉で告げた。

「検査により、この地域で収穫されたキャベツから基準値以上の発ガン性物質が検出されました。規定によりこの村から出荷されたキャベツは全廃棄。現在畑に植わっているものも検査し、発ガン性物質が確認され次第廃棄します」

「廃棄って……な、なら、補償は」

「現時点では未定ですが、検討はしています」

 何が検討しているだ、そう言って出した事なんてない癖に――――彼はそう思ったが、眼前の役人共に言っても仕方ない。この二人はあくまで役所の指示に従っているだけなのだから。

 しかし、だから受け入れるという訳でもないが。

「待ってくれよ。俺の畑は、確かに金持ち連中が買うような有機なんちゃらじゃねぇけどよ、普通の肥料と薬しか使ってないんだ。去年と同じように使っていて、去年はなんにも問題なく出荷出来た。周りの家の奴等だって同じさ。なんで今年、うちのキャベツだけが駄目なんだ?」

「いえ、あなたのだけという訳では。むしろ国中の作物が」

「おい」

 彼が抗議すると、部下が何かを話そうとし、上司に窘められて止められる。部下は慌てて口を閉ざしたが、言おうとしていた事は彼も察した。

 どうやら自分の身に起きた惨事は、中国全土で起きているらしい。

 被害者多数となれば行政はますますケチりそうだ、という自分の将来への悲観が脳裏を過ぎる。しかしそれ以上に気になるのが、どうして国中でこんな事が起きているのか、という点だ。農薬会社が事故でも起こしたのか?

 それとも、先日この村を襲撃した怪獣の仕業なのか。

 あり得る、と彼は思った。怪獣は毒ガスをばらまく。彼が暮らすこの村でも怪獣は毒ガスを撒き散らし、逃げ遅れた年寄りや親子が十人ほど死んだ。毒ガスの効果は丸一日も経てば治まり、村人は戻れるようになったが……分解された毒が土の中で変化して発ガン性物質に変わったのではなかろうか。

 などと分析したところで、学のない自分には分からないと彼はすぐに諦めた。考えたところで、調べる方法などないのだから無駄というもの。それに判明したところで、収穫したキャベツから発ガン性物質が消える訳でもない。

 今考えるべきは、これからの生活についてだ。

「……分かった。もう出荷した分の廃棄は仕方ないし、畑の検査も受け入れよう。だけどもし畑のやつからも発ガン性物質が出ても、廃棄はせず返してくれないか? うちで食べようと思うからさ」

「え? いやいや、食べちゃ駄目ですって! 発ガン性物質があるんですから!」

「ちょっと食べたぐらいじゃ死なねぇよ。だけど飯が買えなくて腹が減ったら一週間で倒れる。そうだろう? お前達の所為で収入がないんだから、それぐらい許してくれても良いんじゃないか?」

「い、いや、でも」

 彼の言い分に部下はしどろもどろ。なんとか止めさせたいが、言葉がないのが如実に表れていた。

 それがなんとも奇妙だと彼は感じる。発ガン性物質というのは勿論恐ろしいものだが、一口食べたら全身に皮膚ガンが! というような代物ではない。含有量にもよるが正確にはというだけであり、一口二口では死なないどころか、ガンになるかも怪しいものなのだ。食べない方が賢明なのは違いないが、飢えて死ぬよりは万倍マシである。

 何故それを止めるのか。事がバレたのか? ネットの通販などを使えば誤魔化せると踏んでいたのだが……

「……申し訳ありません。私達の言い方が悪くて、誤解をさせてしまいました」

 考え込んでいると、今度は上司が出てきた。

 誤解をさせていた、とはどういう意味か。彼は首を傾げる。

「正確に言えば、この地で生産されたキャベツに含まれていたのは、発ガン性物質と呼べるものではありません……毒物です。人間にとって、致死的なレベルの」

 そして上司の言葉により、疑問は混乱へと変わった。

「は? ……ど、毒ってなんの話だ?」

「この地で生産されたキャベツは有毒化しています。含まれているのは確かに発ガン性物質なのですが、あまりにも濃度が高過ぎる。五十グラムも摂取した場合、嘔吐や腹痛が起こり、最悪死に至ります。ガン以前の問題です」

「な、何を言うんだ! キャベツが、そんな毒なんて……!」

「難なら食べてみますか? あなたが食べる分には、止めません」

 反論しようとするも、上司の強気な言葉に気圧される。ハッタリに決まってる……そう思うが、しかしもしも本当だったなら……

 彼の口は、ごくりと息を飲んだだけだった。

「……なんで……こんな……」

「原因は不明です。ですがここ二週間の間に中国全土、いえ、世界各国で確認されている現象との事です」

「世界中で……」

「学者が言うには、植物というのは動物や細菌の被害を受けた際、様々な物質を合成して身を守るそうです。例えばアカシアという木は、キリンなどの草食動物に食べらるとタンニンという物質を作り出し、身を守ります。タンニンは有害な物質であり、大量に摂取し続けた場合、その動物は死んでしまうそうです。今回、作物でそれが起きたのではと言われていますが、ここまで大規模なものは例がなく、詳細は不明です」

 彼が漏らした疑問の言葉を、上司は丁寧に説明してくれた。落ち着いた話し方のお陰で彼の方も少し冷静さを取り戻せたが……やはり納得まではいかない。いや、何をどうすれば納得出来るというのか。食べてすぐに影響が出るようなものとなれば、こっそり売る事なんて出来やしない。補償なんて期待出来ないのに、これからどうやって生活すれば――――

 頭の中を駆け巡る不安。首を括る自分の姿が末路として過ぎった、そんな時だった。

 何かが、走ってくるような音が聞こえてくる。

 彼はなんの気なしに音の方へと振り返った。そしてその目を大きく見開き、飛び跳ねるように仰け反ってしまう。

 何故なら今し方目を向けた方角から、見知らぬ人間が何十人と来ているからだ。しかも全員が血眼で、一目で暴徒だと分かる。

 暴徒達は四方八方に散りながら、道々にあった農家の家へと押し入る。家の中から悲鳴が上がり、ものが壊される音が聞こえた。やがて家に押し入った者達が出てくると、そいつ等は両手に段ボール箱を抱えていた。

 略奪だ。彼はそれをすぐに理解した。理解したが……全く飲み込めない。何故こんな片田舎で略奪が起きるのか? 彼は困惑から立ち尽くし、役人二人も呆然とその場に立ったまま。

 唖然としている三人に、暴徒達は容赦なく押し寄せた。

「おらぁ! 食い物出せ!」

 そして暴徒の中で、一番血気盛んな若者が怒鳴り散らす。

 食い物を出せとは、この飽食の時代になんとも情けない脅し文句だ。しかし暴徒達の誰もがそれを恥じるでもなく、今にも殴り掛かりそうなほど怒りを全身に滾らせていた。

 彼は混乱と恐怖の中、この暴徒の正体を察する。

 暴徒達は都会人だ。

 役人達は言っていた。この二週間で世界中の作物が有毒化していると。発ガン性程度ならばまだしも、明らかに毒性のあるものを市場に出せる筈もないから、それらは廃棄された筈。つまり供給が一気に途絶えたのだ。収穫した野菜がスーパーなどに並ぶ時間は、輸送経路にもよるが凡そ丸一日。日持ちするものでも二日ぐらいには出される。二週間も経てば市場から野菜は消え去るだろう。肉や魚でその穴を産めようとしても、一~二週間で増産出来るものではあるまい。都市から食べ物が激減した事は、容易に想像出来た。

 しかしまだ米や小麦など穀物がある。これら穀物は国がたっぷりと備蓄し、一年間は国民が飢えないよう備えてあるものだ。食のレパートリーは激減しただろうが、まだ飢えには見舞われていない筈。こんな事で略奪に走るなど、いくらなんでも民度が低過ぎる。これではまるで中世の蛮族ではないか。

「落ち着いて! どうしてこんな事を……」

 上司も疑問に思ったのか、暴徒達に問う。すると暴徒達はこれを隙と見たかのように、ぐるりと三人を取り囲んだ。もう、逃げ場がない。

「お前等政府とぐるになって野菜を出し惜しみしてるんだろ? 穀物の倉庫が怪獣によって叩き潰されて、価格を吊り上げるために!」

「は? 穀物倉庫が……?」

「今朝のニュースでやってたんだ! 知らないなんて言わさない!」

「ネットで拡散されたんだ! お前等農家が野菜を隠し持ってるって!」

 弁明しようとすると、暴徒達は次々と罵声を浴びせ掛ける。その怒りは彼等をますます困惑させた。

 彼は今朝のニュースを見ていない。だから暴徒達の言い分が本当かどうかは分からないが、もしも本当なら、状況は自分達が考えるよりも遥かに悪いものだろう。野菜も肉も魚も足りない中、更に穀物までも失ったのなら、いよいよ食べ物がない。そこに悪質なデマが加わり、人々の不安が爆発したのだろう。

 まさか怪獣は意図して穀物倉庫を狙ったのか? それとも偶然なのか? 怪獣が大量発生すれば、偶々そうした事も起きるだろうが……あまりにもタイミングが悪過ぎる。

「お、落ち着いてください! ここの野菜は、みな有毒で食べられないんです!」

 あまりにも理不尽な状況に、部下は悲鳴のような声で弁明する。が、それは暴徒達の怒りを煽るだけ。

「嘘を吐くな!」

「がふっ!?」

 部下は暴徒の一人に殴られ、倒れてしまった。良い一撃が入ったらしく、すっかり伸びている。しばらくは立ち上がれまい。

「わ、分かった。こ、この家の中に、キャベツがある。持っていけ」

 上司は倒れた部下に歩み寄りながら、暴徒達に屈した。

「あ、案内する。その、収穫したキャベツがあるのはこっちだ」

 睨み付けてくる暴徒達に、彼もまた降参した。どうせ毒入りなのだから渡しても惜しくない。それで命が助かるなら、むしろ儲けものというものだ。

 彼は五人ほどの暴徒達を自宅の倉庫へと案内する。そこには出荷準備を終え、十以上の段ボール箱に詰め込まれたキャベツがあった。暴徒達はそれを見るや段ボール箱に駆け寄り、箱を乱暴に開け始める。

 取り出される、丸々と育ったキャベツ。

 役人達の話が確かならアレらも有毒化していて、一銭にもならないだろう。仮に無毒だとしても、これだけじゃ大した額にもならない。だけど折角育てたものを、こんな乱暴に奪われるのは、一農家として心が痛んだ。

 しかし、感傷に浸る暇はない。

「……う、うぐぅええ……!?」

 倉庫の中で、突然呻きが聞こえてきたのだから。

 彼は反射的に呻きの方を見遣る。そこには、小太りの若造が蹲っていた。若造は口からどぽどぽと吐瀉物を撒き散らし、大きく見開いた目は苦悶を物語る。

 そして若造の傍には、如何にも一齧りしたような歯形の付いたキャベツが転がっていた。

 どうやらこの小太りの若造、我慢出来ずにこの場で味見したらしい。本来ならその意地汚さに驚くところだろうが、しかし男はもっと別のところに驚愕する。

 早過ぎる。

 若造がキャベツを齧ったのが何時かは分からないが、暴徒達を倉庫に連れてきてからまだ五分も経っていない。どれだけ長くとも食べてから僅か五分でこんな、『毒物』を喰らったかのような反応になるなんて彼は想像もしていなかった。

 こんなのは有毒化なんて生温いものではない。何かもっと、としか思えない。

「おい!? どうした!?」

 唖然とする彼だったが、暴徒の一人が小太りの異変に気付いた。しまった、と彼が思った時にはもう襲い。

 喜びに満ちていた暴徒達は、一気に怒りを燃え上がらせた。

「テメェ……!」

「ま、待て!? や、役人が言ってただろ!? そのキャベツは毒で……」

「うるせぇ! 嘗めた真似しやがって!」

 彼は弁明、というよりも正論を述べるも、怒り狂った暴徒達は話を聞かない。

 ついに暴徒の一人が、倉庫に置かれていた角材を掴んだ。そしてじりじりと、彼に躙り寄ってくる。

 何をするつもりなのかは明白だ。

「や、止め……」

 懇願すれど、激昂した暴徒は止まる気配すらなく。

 自分の育てたキャベツに翻弄された男の最期は、仲間である筈の人間の手により下されるのだった。

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