害悪

 数日前インドネシアより出現し、核兵器で倒されるまでの間に一千万もの人命を奪った存在――――怪獣は、どうして誕生したのか。

 科学者は未だその答えを出せていない。こんなにも明白な事はないのに、自分達のしてきた誤りを認められないからだ。

 一部のキリスト教徒はそれが神の裁きであり、故に敬虔なキリスト教徒である自分達は助かると宣っていた。思い違いも甚だしいとはこの事。神が裁きを与えるための存在が、核兵器一発で倒されるとは。天地を創造した神の力は、存外大したものではないらしい。

 他にも様々な意見が出ているが、どれも的外れ。答えは明白だ。

 自然環境を破壊した事による、裁きだ。神は神でも宗教家が想像したものではなく、そこに存在する、肉体を持つ神。肉体があるからこそ、核というおぞましい力により討たれたが……されど自然の恐ろしさは、圧倒的な強さなどではない。本当の怖さは何度でも巡り、幾度でも蘇る事。

 事実怪獣は昨日、見事復活を遂げた。それも何千という数に増えて。

 アメリカは大発生した怪獣に対抗しようとしたが、ここまでの大群を全て核攻撃で倒そうとすれば放射性物質により米国そのものが人の住めない大地と化すだろう。故に通常兵器で対抗するしかなく、しかし通常兵器が通じなかったから核を使った訳なのだから勝てる筈もない。

 数の力で圧倒されて米軍は壊滅。人口密集地は毒ガスに汚染され、たった一晩で大勢のアメリカ国民が殺された。犠牲者数は不明だ……数えていられるような暇人がいないのだから。

 アメリカを一夜で壊滅させた怪獣達は一部を残してあちこちに飛び去り、世界中に分散。全世界の人間を殺すためだろう。核保有国は他にもあるが、アメリカでも止められなかった相手である。怪獣達を駆逐出来る国などある訳ない。虐殺は世界中で行われ、多くの人が死ぬ。

 しかし恐れる必要はない。

 怪獣達は地球を汚染する者だけ殺すだろう。何故なら自然には、人間のような無駄はないのだから。ならば地球を汚染していない、自然を守り続ける人間がどうして殺されるというのか。そんな『無駄』な事を彼等はするまい。

 故にイギリスの山奥で、自然と共生している自分達は安全なのだ。

「だからお前達もこっちに来なさい……と。ふぅ。歳を取ると、手紙を書くのも一苦労だね」

 そうした旨を手紙に書き連ねた老婆は、一筆終えたところで息を吐いた。

 ……そのままぼうっとしていたら、お昼寝しそうになった事に気付き、慌てて首を横に振る。机の上に置いてある封筒に手紙を入れ、宛先を書き込み、糊付けすれば準備良し。

 老婆は椅子の傍に置いていた杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。最近痛くなってきた腰をとんとんと叩きながら玄関へと向かい、戸を開けて外へと出た。

 老婆の家の外は、森のように無数の木々が立ち並んでいる。

 否、森のようなという表現は正しくないだろう。事実此処は森の中なのだ。イギリスでは国土の僅か一割しか残っていない、大変貴重な森林である。

 彼女の家はこの森の景色によく溶け込んでいた。屋根から土台まで、全てが木で作られている。塗装などはしておらず、木材の色がそのまま露わとなっていた。雲一つない空からの陽光を浴び、優しい色合いで艶々と輝く。作られた物という意味では間違いなく人工物だが、『自然』を失っていないもの。

 先進国では早々お目に掛かれない、素朴な建物だ。尤も、この地域においてこのような家は、数こそ疎らだが珍しいものではない。十数メートルも歩けば、隣の家が見付かる。

「よお、婆さん。何処かに出掛けるのかい?」

 故に外へと出れば、こうして通りすがりの人に声を掛けられもするのだ。

 老婆は話し掛けてきた三十代の男 ― 筋肉質で如何にも『山男』といった様相だ ― に、にっこり微笑みながら答えた。

「ああ、息子家族に手紙を出そうと思ってね。こっちに来なさいって伝えるのさ」

「おいおい、大丈夫か? いや、婆さんの息子が悪い人って意味じゃあないが、その」

「心配するのは分かるさ、どう取り繕ったところで『余所者』には変わりないからね。なぁに、向こうも私がどんな生活をしているか知っているんだから、納得した上で来るだろう。そもそも物資以外は、割と都会と変わらん生活さ。案外私みたいにすぐ馴染むんじゃないかね?」

「そういう事ならオレは構わんが……」

 肩を竦めてあまり納得していない事を示しつつ、男はそれ以上強く言わなかった。

 老婆としても、男の言いたい事は分かる。都会暮らしをしている老婆の息子夫婦も、この地域の住人からすれば、良くて『余所者』なのだから。そしてこの地の住人は、一般的な英国市民とは言い難い存在だ。

 実のところ老婆の家があるこの地域は、イギリス政府に行政区として認められていない。

 此処はある考えを持った人々が集まり、自らの手だけで作り上げた集落なのだ。その考えとは、「人はもっと自然と一体になるべきだ」というもの。即ち現代のように森を切り開いて開発するのではなく、森と共に生きていく道を選んだのである。

 この考えを立ち上げた者――――今はこの集落の『村長』をしている男は、この生き方を自然人ネイティスと呼んでいる。老婆や、話し掛けてきた男も、村長が語る自然人としての生き方が正しいと感じ、こうして集落で暮らしている身だ。集落には現在五十人ほどの自然人が生活している。

 此処での暮らしは基本的に自給自足だ。森の中で野ウサギや鹿を狩り、山菜や果実を収穫し、川では魚を釣る。畑や畜産もするが、それは自然を傷付けない範囲の、ごく小さな規模で留めていた。老婆も自宅の庭で少しだけ野菜を穫り、山菜と果実、そして川の魚で日々を生きている身だ。

 この生き方に近いものを挙げるなら、アーミッシュだろうか。しかし彼等が移民時代……古来の生き方を理想とするのに対し、自然人の生き方は未来へと向かうもの。新しい技術であっても、自然との共生を可能とするものなら取り入れる。集落中心に置かれた太陽光発電施設は、正に最新技術の筆頭だろう。アレのお陰でテレビやラジオ、冷蔵庫や電子書籍も使える。生活水準は都会とそう変わるまい。

 とはいえ維持費もただではなく、集落の人々の年金や収入は『集金』され、こうした最新技術の維持に使われていた。快適で自然に優しい生活には、多少お金が掛かるもの。むしろ自然との共生が完全に成し遂げられた日には、自然から生きる糧が得られるため、資本経済が成り立たなくなる。故に今あるお金は、村の皆のためにどんどん使うべきだ。集金額が多い人には何か恩恵があるという訳ではないが、集落の人々からの感謝は得られる。使う事で人に感謝されるのだから、最高の金遣いというものだろう。

 これらは村長からの受け売りだ。息子夫婦に宛てた手紙の内容も、村長が語っていた話である。村長は何時も朗らかで優しい人であり、まだ若いのに老人の話にも耳を傾けてくれる。こんな良い人が誰かを騙す筈がないし、誤ってもいないだろう。

 ……都会の人間にはこうした生き方や考え方が怪しく思えるようで、自然人は『自然派カルト』というレッテルを貼られているが。息子夫婦からも騙されているとよく言われたが、少なくとも此処での生活は自分に合っていると老婆は思っていた。正しい事をしているという実感があると日々を満ち足りた気持ちで過ごせるし、お金の心配をしなくて良いのは楽だ。病気になったらどうすると息子達は言うが、それで死ぬのは『寿命』だろう。薬という自然にないものを使うと、自然な死に方すら出来ないのだ。

「さてと。それじゃあ私はそろそろ行くよ。私の足腰じゃあ、ちんたらしてたら夕方になっちまう」

「おう、そうか。難ならオレが出してきても良いぞ。ポストまでひとっ走りだ」

「遠慮しとくよ。甘えてばかりで歩かずにいたら、都会人みたく寝たきりになっちまう」

「ははっ! それもそうだな」

 じゃあな、と手を振りながら別れを告げる男に、老婆も手を振り返す。杖で身体を支えながら、ゆったりとした歩みで老婆は集落外側にあるポストを目指した。

 ポストは集落の最も外側に存在している。老婆の家からは、ざっと五百メートルほど離れた場所だ。ポストと言っても正規のものではなく、集落が独自に置いたもの。日に一度集落の若者が回収し、麓の町へと運んでくれるという仕組みだ。

 木々の枝葉の隙間から降り注ぐ光を浴び、ぽかぽかと身体が温まってきた。老婆の足は調子を取り戻し、軽快に道を行く。やはり自分はこういう自然の中の生き方が向いていると、老婆はますます実感した。

 やがてポストの前へと辿り着いた老婆は、手にしていた手紙をポストに投函。ようやく一仕事を終えた彼女は、視線を高く上げた。

 ポストのある場所は小高い丘になっていて、家を建てるために木を切った場所でもある。持続可能な生活のため伐採後はすぐ若木を植えたが、そんなのは精々数年前の事。視界を遮るほど育ってはいない。

 お陰でポストの場所からは、遙か彼方にある麓の町が見えた。町と言っても老婆の故郷ではないし、息子夫婦が生活している訳でもない。

 しかし自然の中でずっと暮らしていると、人間の世界である『町』がなんとなく気になる時もあるもので。

「……やれやれ。この生活を続けて二年ぐらいじゃ、性根の方は中々変わらんね」

 自分が未だ自然人として未熟だと思いながら、老婆は踵を返そうとした。

 丁度、その時である。

 麓の町の上空を、大きな何かが飛んでいる事に気付いたのは。

「……ん?」

 違和感を覚えた老婆は足を止め、改めて町の様子を凝視。

 見間違いではない。確かに、町の上空を何かが飛んでいた。遠いが故老婆にはそれがなんであるかよく見えないものの、しかし飛行機にしては随分と低い位置を飛んでいるし……数も多い。十は飛んでいるようだ。航空機の知識など殆どないが、あまりにも密度が高いような気がしてならない。

 違和感は疑念へと変わり、老婆は更に注意深く空に浮かぶ影を見る。年老いたとはいえ視力はまだまだ健在。凝視を続ければ、老婆はやがて影の正体に気付く。

 怪獣だった。

 テレビで散々やっていた、蛾のような姿をした怪獣が町を襲っていたのだ。よく見れば町の上空を飛んでいる影は、黄色いガスを大量に撒き散らしている。あのガスが猛毒である事はテレビでもやっていた。今頃町の中は大惨事を迎えているだろう。いや、もしかするともう誰も生き残っていないのではないか。

 だとすれば、今になって彼方から飛んできた戦闘機達は、あまりにも遅過ぎる到着だ。

 それでも戦闘機達はミサイルを発射し、怪獣に戦いを挑む。やってきた戦闘機はざっと三十機。数の上では圧倒しているが、怪獣からしたら羽虫の群れでしかないだろう。勝敗は明らかである。

 しかし戦闘機達が負ける事は大した問題ではない。そう、本当の問題は別にある。

 ……これこそが最大の問題なのだ。

「ひ、ひぃっ!?」

 ついに怪獣は老婆の目前まで迫り、驚いた老婆は腰を抜かしてしまった。尻餅を撞いた影響で腰がぴきりと鳴り、やってしまったと老婆にも分かる。

 身動きが取れなくなってしまった老婆だが、怪獣はその老婆を無視するように頭上を通り過ぎた。まるで目に入らなかったかのような怪獣の動きに、老婆は一瞬呆けてしまう。が、すぐに得心がいった。

 自分達は自然と共生している。

 怪獣は自然から人類に下された罰だ。ならばどうして自分達が攻撃されるというのか。自然の恵みに感謝し、自然を壊さぬよう生きている自分達が殺されるなどあり得ない。

 そうだ、あの怪獣は森を飛び越えようとしているだけ。何もしなければ自分達に危害など加えられない。村長もそう言っていて――――

 老婆は自分が襲われない理由を、頭の中で並び立てる。それら一つ一つに『説得力』を感じ、老婆は少しずつ落ち着きを取り戻した。とはいえ痛めた腰は治らず、夜までに誰かこっちに来てくれないかしらと悩ましく思い始めた

 瞬間、爆音が轟く。

 老婆は後ろへと振り向いた。何故振り向いたのか? 背後から音が聞こえてきたからだ。

 では、何故音が背後から聞こえてくる?

 背後にあるのは麓の町ではなく、自分達が暮らす、自然と共生している村なのに。

「あ、あぁ……」

 振り返った老婆は、掠れた声を漏らす。

 彼女の目に映るのは、地上に降り立った怪獣の姿。テレビで約五十メートルと言っていた身体は、想像よりも遥かに大きなものだった。怪獣は四枚の翅を閉じた状態で、殴り付けるように大きな腕を大地に振り下ろしている。何度も何度も、執拗に。

 そして腕が上がる度に、ガラスのようなパネルが空を舞う。

 太陽光発電のパネルだ。飛んできた怪獣が真っ先に降り立ち、猛然と壊し始めたのは、この村の生活基盤である太陽光発電装置だったのである。怪獣の攻撃は徹底的なもので、叩き割ったパネルを更に細かく砕くように殴り続けていた。絶対に再利用させまいという強い意志を感じさせる。

 老婆は混乱した。怪獣が壊しているものは、確かに人間が豊かな生活を送るために作り出した、完全な人工物であるが……だけどそれは太陽から降り注ぐ光により発電するもの。二酸化炭素などの温室効果ガスなんて出さないし、放射性物質だって使っていない。自然の力を借りているだけの、自然を傷付けない発電だ。

 なのに、どうして怪獣はそれを目の敵にする?

【ペキ、ペキギィィイィキイイイィィィィ……!】

 呆然と眺めていると、やがて怪獣は高らかな鳴き声を上げる。喜びに満ちたその叫びに、自分のした事への後悔や悩みは一切感じ取れない。

 そして一通り鳴き終えた怪獣は、くるりと老婆の方を振り向く。

 それはきっと偶々か、或いは飛んだ時に偶然目に入ったのを覚えていたとか……そういった理由なのだと老婆は思った。怪獣と向き合った老婆は、自分の心の中からすっと恐怖心が消えていくのが分かる。

 老婆は悟ったのだ。此処が自分の死に場所なのだと。

 諦めてしまえば、怖くなかった。村の中では混乱した人々が逃げ惑っている姿も見えたが、ああして恐怖に震えるより、余程充実した死を迎えられるだろう。

 ただ一つ、未練があるとすれば。

「何が、気に入らないんだい……?」

 怪獣が自分達に向けてくる、『不満』のような感情。

 自分の感じた感情が、本当に怪獣が抱いているものかどうか老婆には分からない。怪獣は言葉による返答は行わなかった。

 代わりに返されたのは、羽ばたきと共に舞い上がる黄色いガス。

 老婆の意識は答えを知る事なく、この世から消え去った。

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