秘匿
一時間前に大統領が死亡した。
陸軍所属の一兵士に過ぎない彼女でも、その話を聞けば事の重大さはすぐに理解出来た。
軍という組織は武力で国防を担う性質上、時には非情とも取れる合理的動きをせねばならない。町を死守しろと命じられればそうするし、逃げろと言われたなら住人が残っていても逃げる。そうして最終的に国を守り、敵を打ち破るのだ。
なのに複数の上官から様々な指示を出されたら、合理的動きを妨げられてしまう。町に迫る敵軍を前にして、逃げろと守れを同時に命じられたなら、一体どちらに従えば良いのか。逃げた結果敵に重要拠点を奪われるかも知れないし、守りを固めた結果より重要な地域の援軍に行けなくなってしまう可能性もある。
そうした混乱を防ぐためにも『誰の指示を聞くべきか』『自分は誰に命令出来るのか』『自分はどんな命令をして良いのか』――――所謂指揮系統をしっかりさせねばならない。
そして米国において大統領は、政治的トップであるのと同時に、米軍の最高司令官でもある。実態は兎も角として、米軍は大統領の指示なしに動いてはならない……故に大統領の死というのは、米軍そのものの機能停止を意味していた。
無論戦争において指揮官の『喪失』という事態は、ある程度避けられないもの。極端な話、自殺でもされたらどんなに守りを固めても無意味だ。故に指揮系統には『順位』が付けられ、司令官が死亡しても作戦に支障が出ないよう工夫されている。米国でも大統領死亡時は副大統領がその任を引き継ぐようになっており、大統領だけが死んだのならなんとかなるように出来ていた。
しかし此度死んだのは、大統領だけではない。副大統領以下、十数名の閣僚達も死亡した。原因は巨大飛行生物……巷で怪獣と呼ばれている生物の襲撃によりホワイトハウスが倒壊し、瓦礫の下敷きになったから。されど脱出には十分な時間があった筈であり、何故全員逃げ出せなかったのかは未だ不明である。誰が生き残っているかも分からず、そのため『最高司令官』が誰なのかも分からない。
おまけにその時、ついでとばかりに将軍など軍上層部の者も多数殺された。
そのような状況下で、「核兵器を怪獣に撃ち込め」という命令が来たなら?
「……大統領の署名は本物だった。故に作戦は間もなく実施される」
部隊の隊長から説明を受けても、彼女には納得出来なかった。
怪獣の進路上に位置するとある公園。そこに作られたテント内にて、彼女は作戦の説明を受けていた。作戦とはつまり、「何処の誰が出したかも分からない核攻撃」の事。彼女が属する部隊は、この作戦に参加するのだ。
正直な事を言えば、彼女としては拒否したかった。彼女と同じ小隊に属している六人の兵士達も同様だろう。男女混合の部隊であるが、性も年齢も関係なく表情が厳しい。核兵器が恐ろしいものである事は誰もが知るところであり、ましてや本当に出されたどうかも分からぬ作戦で、しかも自国内で使うなど拒否感が出て当然である。
しかし、戦車砲も艦砲射撃も空爆も通じないあの怪獣を倒す術は、もう核兵器しかないのも事実。
核兵器への『嫌悪』を理由に、三億人以上の米国市民の命を脅かすのは正しいのか? 作戦の真偽が不明確だからといって、大都市が襲撃されるのをただ見ているだけでいるのが正解なのか?
誰も、そうだとは言えないのだ。
「今回使われる核兵器は『ガーディアン』。総出力四百キロトンの熱核兵器であり、海軍保有の潜水艦より発射される……が、これは遠く離れた海の話だ。我々の任務ではない」
部隊の隊長はテント内に設置されたホワイトボードに書き込みながら、彼女達が為すべき任務について話す。
彼女達の任務は、端的に言えば『死亡確認』。
核兵器の熱量により怪獣を焼き尽くす、というのが此度の作戦だ。生半可な生物、いや、存在ならばこれで跡形もなく消し飛ぶだろう。しかし怪獣は謎の原理により身を守り、これまであらゆる攻撃に耐えてきた存在。MOABすら少し怯ませるのが限度なのだ。ガーディアンの出力はMOABの四万倍もあるが、その防御能力の原理が不明である以上、もしかするとなんらかの方法で生還する可能性も否定出来ない。もしも肉体が残れば、生死確認が必要だ。
その危険な作業を行うのが、彼女達の役目。
生死確認はある程度詳細な調査を行うため、怪獣と肉薄する必要がある。悪足掻きで暴れ出せば呆気なく踏み潰され、命を落とすかも知れない。それ以前に水爆の使用直後となれば周辺には放射性物質が拡散し、多かれ少なかれ被曝もあるだろう。無論防護服は装備していくが……どれほど信用出来るのやら。
命懸けの任務だ。しかしそれ自体は、彼女達を怯ませるものではない。軍に入隊した時から命を賭けるのは覚悟済みである。
「危険な任務に参加してくれる、諸君等の愛国心に感謝する」
説明を終えた隊長は敬礼し、彼女達小隊員達も敬礼を返す。
愛国心。
本当に愛国心があるなら、核使用の指令書を破り捨てているところだと、彼女は内心毒づくのであった。
幅十メートルはあるモニターに、雲一つない青空の映像が映し出される。
画質はかなり荒い。酸素通信が使えないため、電波通信で撮影した映像データを飛ばしているからだ。酸素通信による高解像度の映像に慣れていた彼女は、少し違和感を覚えてしまう。全身を白くて分厚い防護服で身を固め、ガラス製のマスク越しに見ているから、というのもあるだろう。
しかし、大空を飛ぶ『怪獣』の姿を見るのに支障はない。
怪獣は悠々と空を飛んでいた。周りではぼろぼろと戦闘機が落ちていき、まるでクラッカーのように怪獣の周りを飾る。死の間際戦闘機達は全てのミサイルを放ち、全弾命中するが、怪獣は微動だにしなかった。
その怪獣の周りから戦闘機達がいなくなった頃、空の彼方から一つの眩い明かりが現れる。
光の正体はミサイル。戦闘機達が撃ち出したそれとは比較にならない巨大さの代物で、大きな炎を噴き出しながら直進していた。怪獣の視力がどの程度のものかは不明だが、真っ正面から飛来するそいつが見えていないという事はあるまい。
だからなんの手立ても打たなかったのは、そんな攻撃など怖くないと考えていたからだろう。事実怪獣は、これまでその身に受けたどんな攻撃でも傷を負っていない。今更ミサイルが一基飛んできたところで、わざわざ撃墜する必要などないのだ。
そのミサイルがただのミサイルならば、の話だが。
一瞬だった。
一瞬にして、モニターいっぱいに広がっていた空が、光に飲み込まれた。爽やかな青空が、地獄のように赤く染まる。何秒かした後、映像が激しく震え、ビリビリという地鳴りのような音が鳴り響いた。赤い光はすぐに消えたが、代わりに空を満たすのは白煙。モニター全域を埋め尽くし、何時まで経っても消えやしない。
これが、核兵器の爆発なのだ。
核兵器が使われる『映像』なんて、ただの一般人の生まれである彼女でも幾度となく見てきた。それは映画やゲームで出てくるフィクションのものだけでなく、核実験の映像のような『本物』だってある。
そうした本物の、もう百年近い大昔の映像と何が違うかと言われれば、何も違わないのだろう。だけどアメリカ国内で、ほんの今さっき使われた事を示すこの映像を見た時――――彼女は、自分達のした事の大きさを突き付けられた気がした。
されどこれ以外の手があったかと言えば、やはり今でも案は浮かばない。
ならば今はこの作戦に全力を尽くすべきである。とはいえ『普通』ならば、彼女の任務は行われる事などないのだが……やはり怪獣は普通ではなかった。
核兵器の爆発により生じた白煙から、何かが落ちてきたのである。白い煙を纏い、その姿はハッキリとは見えない。だが、答えは明らかだ。
落下物体は地面に墜落。轟音と共に、樹木がへし折れるような、不気味な鳴き声を上げた。
「良し、Aチーム出撃する!」
「「「「「「「了解!」」」」」」」
隊長の指示を受け、彼女達小隊員は走り出す。
公園内に建てられたテントから出た彼女達は防護服姿のまま、外に駐車されている三台のジープに分かれて乗り込む。彼女は助手席側に座り、後部座席にもう一人乗る。勿論運転席にも一人座り、彼が車のエンジンを掛けた。どるんどるんと響く車の駆動音を感じて間もなく、ジープは走り出す。他二台も同じく走り出し、安全かつ最高速度で『目的地』――――怪獣の墜落現場へと向かった。
怪獣からテントまでの距離は二十キロほど離れている。乗り込んだジープの速度は凡そ時速八十キロのため、単純計算で十五分、曲がり角などの存在を考慮しても二十分ほどの道のりだ。走らせるのは閑静な住宅地の中だが、通行を妨げる車も人もいない。町の人口が少なかったため、避難はどうにか間に合ったのである。
予定通り二十分で、彼女達の部隊は目的地に辿り着いた。
事前の打ち合わせで決めていた三人が運転席で待機し、彼女や隊長を含めた五人が車から降りる。そして彼女達は、『そいつ』と向き合う。
「……凄い」
彼女は思わず独りごちた。
現場は市街地のど真ん中。一軒家を複数巨体で押し潰し、芝生に覆われた庭は捲れ上がるように歪んでいた。ただ落ちただけでこの被害。『そいつ』の圧倒的な存在感を物語るよう。
そして地面に横たわる、この惨事の元凶――――怪獣は、まだ生きていた。
大空を羽ばたいていた翼は核爆発により吹き飛んだのか、半分以上失われている。ホワイトハウスを踏み潰した足も三本が関節とは違う場所から曲がり、大地に立てる状態ではない。全身が焼き溶けたように爛れ、所々黒いタールのようになっていた。
しかしそれでも怪獣は生きていた。彼女達が前に立てば、微かに頭を動かしてこちらに視線を向けてくる。口なんてないのに木が軋むような声を出し、へし折れた足をゆっくりと、藻掻くように動かす。
核の直撃を受けても死なないなんて! 現在のアメリカ軍でも、核兵器の直撃を耐える装甲など作れない。核シェルターのように、分厚さで耐え凌ぐのが精いっぱいだ。一体この生物の身体は、何で出来ているというのか。なんらかの未知の現象が起きているとしか思えない。
正しく、『怪獣』だ。
「ぼうっとするな。作戦を続けろ」
「! り、了解」
フィクションだけの存在と思っていたものを目の当たりにした彼女は、隊長に言われるまで唖然としてしまった。我を取り戻すや、他の隊員と共に怪獣の下へと駆け寄る。
本来最初の任務は死亡の確認だったが、怪獣は間違いなく生きていた。これによりどれを『最優先』の任務とするかが決まる。
生体組織の回収だ。死んでから行う方が安全ではあるが、生きている時にしか分からない事も多い。或いは時間経過で反応が変わる事もあるだろう。そうした情報から得られる知見が、この怪獣の正体を焙り出すヒントとなるかも知れないのだ。死ぬ前に調べられる事は徹底的に調べておかねばならない。
無論、生きている怪獣に接近するのは非常に危険である。如何に弱っていようとも、推定体重差五万倍超えの相手である。成人男性に重さ一グラムちょっとのコガネムシが接近するようなもの。向こうにその気がなくても殺されかねない体格差であり、ましてや敵意を剥き出しにされたなら……
恐る恐る、彼女は近付く。幸いにして踏み潰されはせず、怪獣の頭の表皮に触れる事が出来た。
「……ゴツゴツ、いえ、ザラザラとした手触りをしています。まるで、大きな木を触っているみたい」
彼女は大きな声で自分の感じたものを口に出す。彼女達小隊員は集音器を装備しており、常に情報収集が行われているのだ。話した内容はリアルタイムで基地に送られ、データとして蓄積されていく。これなら彼女達の身に『万一』が起きても、最低限の情報は収集出来る。
彼女は怪獣の肌を触り続けながら動き、今度は折れた足に近付いた。
「足も、頭と同じようにザラザラしています。あ、此処はべとべと……いえ、これは恐らく、熱で溶けた部分です。火傷のような症状を負っています」
一度足から手を離し、彼女はナイフを取り出す。火傷のように溶けた部分にナイフを突き立てると、少し弾力があるものの、簡単に削れた。一センチほどの欠片が切り出せたので、それを腰に備え付けてある試験管に入れていく。
「……火傷のように溶けた部分の表皮はナイフで削れました。火傷で溶けていない部分も試します……少し硬いですが、人の手で削れる強度です。どうやら、皮膚そのものは硬くないようです」
淡々と報告する彼女は、しかし自分の言葉に違和感を覚える。
何故怪獣の表皮は、ナイフなんかで削れたのか? 相手は砲弾どころか核兵器にも耐えた存在だ。ナイフなんか通じない筈であり、仮に削れたとしても粉のように細かなものが精々だろう。
ところが実際に試せば、大した苦労もなく欠片を切り出せる。例えるなら、パイナップルの皮よりは硬い程度か。ナイフでなくとも、ちょっと頑張れば歯でも削り取れそうだ。
水爆の高熱で、体組織が変性したのだろうか。しかし熱で変化したと思われる場所は、どろどろのタール状になっている。そうでない表皮は核攻撃前と変わっていない色合いだ。分子構造や化学反応が起きたとは考え難い。
やはり核攻撃前までは、何かしらの『インチキ』が行われていたようだ。核によるダメージが大きく、今はそのインチキが使えなくなったと考えるのが自然。どんなインチキなのかは、一兵士に過ぎない彼女には想像も付かないが。
「……ナイフで突けた傷から、体液などは出ていません。もっと深く傷を付けてみます」
次にナイフで、より大きな傷を付けてみる。体液は重要なサンプルだ。どんな栄養が流れているのか、どんな仕組みで呼吸をしているのか、そうしたメカニズムが一気に明らかとなる可能性がある。生きている時のものは特に重要であり、採取出来次第すぐにジープ内に置かれている冷蔵装置で保管する手筈となっているほどだ。
ところがいくら傷を付けても、怪獣から体液は全く出てこない。
一メートルはある足の太さだから、数センチ削っただけでは血管に辿り着かないのか。そう考えた彼女はナイフで削るのは止め、縦に構えたナイフを突き立てた。ドスッ、という手応えと共に、ナイフの刃が十センチほど怪獣の足に刺さる……のだが、これでも体液は全く出てこなかった。
「……体液が出ません。深さ十センチぐらいの傷は付けたのですが」
人間の皮膚の場合、一ミリに満たないような傷でも真皮に達し、血が滲み出る。大量出血ではないのですぐに止まるが、皮膚というのはそれだけ表面近くまで血管が来ているのだ。いや、そもそも表面近くまで血管が来ていないと、栄養が届かない筈である。身体が大きいからといって、血の通わない場所を厚く出来る訳ではない。
毛細血管でも良いから『血』が来なければ動物の組織は駄目になる筈。何故血が出ないのか。ナイフで切り取った組織は中まで硬く、これは肉というよりは木部に近いような……
「まさか、コイツ動物じゃなくて植ぶ――――」
脳裏を過ぎった一つの推測。されど彼女が自分の考えを口にする時は来ない。
その前に、怪獣の身体がじわりと光り出したからだ。
「えっ、何が」
起きたのか。思わず呟こうとした次の瞬間、光は一気にその強さを増す。
その後に起きた出来事を、彼女とその仲間達は知る事がない。
何故なら赤く発光した怪獣の身体が半径百メートルを吹き飛ばすような大爆発を起こし、周り諸共粉微塵に吹き飛んだのだから。
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