奪還
怪獣は神の裁きだ、という声が上がった。
その声はネット上の、自称アメリカ在住の誰かさんから。その誰かさん曰く、人類の自然破壊は神への反逆うんたらかんたら、聖書の記述がどうたらこうたら、近年の異常気象はなんたらかんたら、異教が蔓延しているインドネシアと不信心な日本がああたらどうたら……
要約すると、「怪獣がどれだけ暴れ回ろうとも敬虔なキリスト教徒である自分達は助かる」というもの。
「なんだ、何時もの勧誘じゃねぇか」
ツッコミどころ満載な論調に、彼は思わず独りごちた。
彼は五十代の社会人。今は休憩時間を迎え、現場の同僚と共に休憩室で過ごしていた。休憩室と言ってもテレビも雑誌もなく、精々小さな観葉植物の鉢植えがあるだけ。暇潰しは自分で用意する必要があり、彼にとってそれはスマホでのネット巡りだった。今日は昼頃から話題になっている『怪獣』について情報を集めており、その結果先の話に辿り着いたのである。
「お。なんか面白いネタでもあったかい?」
彼の独り言を聞いた同僚が、興味津々で尋ねてくる。彼はスマホを弄りつつ、同僚の問いに答えた。
「おう。熱心なキリスト教徒様によると、日本に来たあの怪獣は、自然破壊をする人類に神が裁きとして遣わしたものらしい」
「へぇ。神様云々は兎も角、自然破壊が怪獣出現の理由というのはお約束だね」
「だから敬虔なキリスト教徒は助かるそうだ」
「成程。二十世紀にキリスト教徒達が世界中の大型動物を絶滅させたのはノーカンという事か。神様は身内には心が広い訳だね」
同僚は皮肉めいた言い方をしながら、ネット上の誰かを馬鹿にする。彼もげらげらと笑って、その意見に同意した。
「はははっ! これが本当に神様の裁きなら、此処で働いている俺等の身も安泰だろうな」
「あはは。確かにね。怪獣が僕達を殺したら、他ならぬ神様の手で環境破壊を推進する訳だし」
それから彼がジョークを言えば、今度は同僚が笑う。
「実際問題、あの怪獣はどんな理由で誕生したんだろうね。本当に環境破壊が原因なのかな」
「それはないだろ。環境破壊なんて、今は回復傾向にあるじゃないか。特に地球温暖化はな」
「そうだよねぇ。自然の裁きとやらは、今の状況も見えていないのかな?」
「所詮畜生だ。出たい時に出るんだろうさ」
つらつらと無駄話をしながら、彼はスマホの時間をチラリと見る。
まだ休み時間内だが、もう少ししたら終わる頃。彼と同僚はこの職場ではそこそこ地位のある身だ。少し早めに戻り、時間ピッタリで仕事を始めるところを部下に示さねばならない。
「さて、そろそろ休憩時間も終わりだし、神様に怒られないよう仕事をするかね」
「そうだね」
彼は机の上に置いていたヘルメットを被り、着ていた作業着の乱れを整える。同僚も同じくヘルメットを被り、二人して休憩室から出た。部屋の外にある殺風景な廊下を渡り、突き当たりにある扉を開ければ――――
そこは大勢の人々が椅子に座りながら大きな機器と向き合い、備え付けられたキーボードやコンソールを用いて作業している部屋だった。
部屋は大きく、三十人ほどの作業員と、その作業員の操作している機械があっても広々としているように感じられる。作業員は誰もが分厚い作業着を着て、ヘルメットを被っていた。作業員達の見ている器機は主にメーターや温度、気圧などが表示されている。
作業員達はキーボードを打ったり、マイクで何処かと連絡を取り合うばかり。その姿は技術者というより、事務員のようだ。実際上から物が落ちてくるような環境ではないし、大概の事は機械の操作で終わるため肉体作業もなく、此処にいる人員はほぼ事務職のようなもの。だからスーツ姿で仕事をしても効率や安全上の問題はないのだが、しかし此処は所謂土木系の現場であり、ならばヘルメットと作業服は『作業員』としての制服のようなものだろう……と此処の一作業員にして現場監督である彼は思っている。
部屋の奥には横幅二十メートルはあろうかというガラス窓があり、窓の先に広がるのは、土を削って作られた何百メートルにも渡る空洞だ。空洞には五十メートルもある四角い機械が一台とその機械につながる巨大パイプ数十本が通り、ヘルメットを被った職員が行き来していた。この部屋で行うのは主に管理業務で、実務はあちらの空洞側である。
穴の中とは如何にも土木系らしい作業環境。しかし此処は工事現場ではないし、採掘現場でもない。やっているのはあるものを埋める事だ。
そのあるものの名は二酸化炭素。
此処は関東圏の地下百メートル地点に建設された巨大施設。発電所や工場などで排出された二酸化炭素の埋め立て場所――――CCSと呼ばれる『二酸化炭素の回収・貯蔵』を行うための場所なのだ。
数十年前より問題視されていた地球温暖化は、二十一世紀半ばを迎えた現在少しずつだが解決に向かっていた。温室効果ガスの一つである二酸化炭素を、効果的に回収・地中に封入する技術が確立されたからである。この技術により石油や石炭などを燃やして排出された二酸化炭素は大気中に放出されず、石油などが元々存在していた地中へと帰っていく。二酸化炭素は大気中を漂うから温室効果が生じるのであり、存在する事自体は問題ではない。地中に埋めてしまえば温室効果はなくなる。
かくして先進国では現在、二酸化炭素の排出量はほぼゼロとなった。中国や米国もこのCCSを行っており、現在世界の二酸化炭素排出量は全盛期の十分の一以下にまで抑えられている。CCSには非常に金が掛かるため途上国では普及しておらず、未だ大気中の二酸化炭素濃度は上がり続けているが……あと三十年も経った頃にはゼロとなり、以降はマイナスに転じる見通しだ。二〇七〇年代、ようやく地球温暖化は本当に解決へと向かうのである。
地球温暖化は、今やのっぴきならない状態だ。災害は年々巨大化し、技術発展の速度すら追い抜こうとしている。高度な技術には多くのエネルギーを使う、つまり大量の二酸化炭素を排出する必要があるのだから当然の事だろう。二酸化炭素の排出そのものを減らさねば、いずれ人類文明は崩壊するに違いない。
この施設が地中へと戻している二酸化炭素の量は日本国内で最大、世界で見ても五本指に入る規模のもの。もしも此処の機能が停止すれば、日本の二酸化炭素排出量は一気に二〇一〇年代の水準に戻るだろう。
当然そのような施設で異常が起きれば、それは日本国のみならず、地球に住まう全人類の危機だ。彼は常にそう考え、日々誠実に職務に取り組んでいる。他の作業員も似たような気概だろう。
「現状を報告してくれ」
「地中温度、圧力共に問題ありません……少し、注入量が予定より遅れていますが」
「どれぐらいだ?」
「二パーセントです。加圧しますか?」
二酸化炭素の注入状況を監視している部下に尋ね、作業状況を把握。彼は顎を擦りながら考える。この施設は二十四時間稼働しており、夜勤と交代するまであと一時間に迫った現時点で二パーセントの遅れなら、普段なら夜間作業で遅延を解消出来るだろう。
しかし今日は普段に非ず。
怪獣という非常識が日本に現れているのだ。現代兵器の主役であるレーザーは大量の電気を使う。怪獣相手に使われるかは分からないが、もしたくさんのレーザーが怪獣に撃ち込まれれば、発電量 = 二酸化炭素排出量が増大するかも知れない。なら、早いうちに遅れは取り戻した方が……
「監督、少しよろしいでしょう」
考えていたところ、部下の一人が声を掛けてきた。
彼は声がした方へと振り返り、部下の顔を見る。禿げ頭の中年。彼の後輩であり、主に施設内外の連絡を担っている身だ。
その彼が話し掛けてきたからには、何か連絡があったという事。十中八九悪い連絡だ。頭の中の考えを一旦脇に退けた彼は、眉を顰めつつ後輩の話に耳を傾ける。
「ああ、どうした?」
「実は通信で不具合が……外部、内部共に全て繋がりません。施設内作業員の通信端末も不通になっています」
「何?」
後輩からの報告に、彼は一層眉を顰めた。しかしそれは、報告された事態を問題だと感じたからではない。
あり得ない、と思ったからだ。
「通信が通じないって、そんな馬鹿な。どの機械でも通信は全て『酸素通信』だろ。不通になる訳がない」
「ええ、そうです。その筈なんです」
彼は思った事をそのまま伝え、後輩はこくこくと頷いた。
酸素通信とは二〇二八年に実用化された、最新鋭の通信技術だ。酸素に情報伝達能力があるという論文が発表され、その理論を元に作られた……らしい。彼は専門家ではないので詳しい原理は理解していないが、この酸素通信に三つの利点がある事は知っている。
一つは大気に存在している酸素を媒介にしているので、衛星や中継基地を介さず、気候や遮蔽物の影響を殆ど受けずに情報を飛ばせるという点。
二つ目は酸素がある限りどんな方法を用いても、通信を遮断出来ないという点。
そして三つ目の利点は通信波形により通信先を特定の一つに絞れるため、秘匿性が高い点だ。
現在では非常に普及した技術であり、スマホの通信にも用いられている。彼が地下百メートルに位置する休憩室でネットが使えたのも、この酸素通信のお陰だ。施設の通信機器も全て酸素通信を使用しており、電波のように通信状態の悪化はないし、施設の周りを真空パックにでもされない限り遮断もされない。通信先・通信元の機械が故障すれば流石に途絶えるが、本社及び施設内の通信機器が全て同時に故障などあり得ない。
どう考えても通信が途切れる理由などないのだ。とはいえ後輩がこんなしょうもない嘘を吐くとも思えず、だからこそ一層困惑するのだが。
「……分かった。整備班を呼んで、通信機を調べさせよう。通信以外は問題が起きていないんだな?」
「ええ、はい。そうだと思います。ただ通信が使えないので、注入装置近くの人員には確認が取れていなくて」
「すぐに確認してくれ。平行して進められない作業は夜勤に回しても良いから、現場の把握を最優先にするんだ」
後輩に指示を出しつつ、彼は自分のスマホを取り出す。現場の通信機が使えないなら、スマホで直接整備班を呼べば良い。
そう思ったのだが……
「……? なんだ、ぷつぷつって……」
電話から奇妙な音がする。
電波に代わり、酸素通信になってから聞かなくなった音。そうだ。これはスマホの通信が電波で行われていた頃、アンテナが立たない場所でよく聞いた――――
自分のスマホに起きた『異常』。だがそれを理解する暇は、彼にはなかった。
突然の轟音と振動に見舞われたからである。
彼は体勢を崩し、思わず近くの機器に手を突いた。他の職員も体勢を崩し、中には椅子から転がり落ちる者も居る。怪我人も出たかも知れない……しかし窓の向こう側に広がる空洞にて、二酸化炭素貯蔵作業をしていた作業員に比べれば、室内に居る自分達は遥かにマシだ。
空洞内で作業していた者達は、頭上から落ちてくる大岩の雨を受けたのだから。
窓ガラスは分厚く、空洞内で働いていた職員の悲鳴は聞こえてこない。或いは上げる暇もなく生き埋めか。なんにせよこんな地下深くで起きた崩落となれば、救助されるのは何十時間、何百時間も後になるだろう。まず間違いなく、あそこで働いていた何百という職員は助からない。
その尊い人命を奪ったのは。
【ペキギギィイイギギギギギイイイ!】
まるで樹木をへし折るような鳴き声と共に、崩落する岩盤を押し退けて現れた『怪獣』だった。
怪獣はのたうつように暴れながら、天井の岩を粉砕して空洞内へと入り込んでくる。次々と岩が崩れていき、怪獣の身体にも当たっていたが、されど巨大な怪獣は何処吹く風。まるで気にも留めず、施設内にどんどん押し入ってきた。最後にぶるりと身体を振るえば、傷一つない身体が見える。
恐らく地下百メートルの施設まで掘り進んできたというのに、怪獣は全く平然としているようだった。
「か、怪獣だ!?」
「なん、なんで……」
突然現れた怪獣に、室内に居た職員達に戸惑いが広がる。職員達も怪獣の存在はニュースなどで知っていた。人間が暮らしている都市を次々に襲う凶暴性と、毒ガスで百万以上の人々を殺した事も。
怪獣がこの近隣に来ていたのに、どうして本社からの連絡がなかった? 彼の脳裏を過ぎった疑問の答えは、すぐに思い至る。酸素通信が不通になっていた所為だ。今時の通信は全て酸素通信で行われている。酸素通信の途絶により、怪獣接近の知らせを受信出来なかったのだ。
不意を突かれた理由は分かった。しかしまだ疑問は残る。ここはCCSを行ってるだけの現場であり、都市部から遠く離れた平原地帯、ましてや地下百メートル地点に作られた施設だ。野生動物が本能のままうろうろ動き回るだけでは、絶対に辿り着く事は出来ない。
そう、怪獣が此処を襲ったのは偶然ではない筈。ならば答えは偶然の逆。
「(狙われた、という事か……!?)」
どうして? 何故? どうやって? 自分の脳裏を過ぎった『回答』に、次々と新たな疑問が噴き出してくる。しかし彼は自らの顔を力強く横に振り、頭を満たす考え全てを捨て去った。
疑問はある。されどその疑問は安全な場所で考えれば良いのだ。それよりも優先すべきは避難。五十メートルはあるという怪獣が暴れたなら、こんな施設簡単に壊されてしまう。
「全員避難しろ! 通信は使えない状態だ! もしも他の職員を見付けたら、怪獣の襲撃を教えるんだ!」
彼はすぐ避難指示を出した。本来なら本社に指示を扇ぐところだが、生憎通信が使えない現状独断で決めるしかない。規定違反で懲戒免職かも知れないが、命を失うのに比べれば、職を失うぐらいどうという事もない。
彼の指示を受け、作業員達はのろのろ立ち上がりながら部屋から出て行く。同僚に先頭を歩かせて避難誘導、彼自身は殿を受け持つ。
彼は後ろを振り向き、窓から怪獣の姿を見遣る。
【ベキキギギギギギッ! ミギギィ!】
怪獣は身の毛もよだつような声色で吼えながら、何度も何度も空洞内に置かれた機械に前脚を打ち付けていた。四枚の翅も地中であるにも関わらず羽ばたかせ、壁にある機器も全て破壊していく。空洞内に設置晴れた機械は完全に壊され、二酸化炭素を送るパイプがへし折られる。
この施設での惨状を知らせる術はなく、今も日本中から大量の二酸化炭素がこの施設に送られている筈だ。折られたパイプからどんどん二酸化炭素が溢れ出し、大気中に放出されているだろう。この施設で処理している二酸化炭素が一日垂れ流しになった程度で、致命的な温暖化進行は起きないだろうが……良い影響は与えないだろう。
どうしてこの怪獣は此処を襲撃した? どうしてこの施設を破壊した? もしもコイツが環境破壊により生まれたものなら、どうして環境破壊を促進させるのか?
「……お前は……一体……」
ぽつりと、彼は声を漏らす。
瞬間、怪獣はまるで彼の言葉を聞き付けたように振り向く。彼は心臓が跳ねたように感じ、慌てて職員の逃げ終えた部屋から自分も脱出しようとした。もう頭の中にあった疑問は彼方に吹き飛び、上司としての使命感も失われている有り様。
死にたくない。その一心で駆け出した彼だが、生憎怪獣から見ればアリがジタバタしているようなもの。
頭から部屋目掛け突撃してきた怪獣から逃げるのに、彼の全力疾走はなんの役にも立たなかった。
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