第3話 金持ちで天才

 時は流れ、三時間目。空腹と疲労が増してくる時間帯だ。

 それに、夏のじめじめとした蒸し暑さが加わって、地獄である。


 「皆さん、教科書三十ページを開けてくださーい」


 このクラスの担任であり、国語教師の三波成美(みなみなみ)先生が生徒に呼び掛ける。が、


 「先生、聞こえません」


 多くの生徒がこう発言する。


 成美先生の授業では毎回このやり取りがある。


 成美先生は教師歴二年目の二十三歳。背が百五十センチ程しか無く小柄だが、決して童顔ではなく、大人びた顔立ちをしている。何事にも一生懸命で、生徒の人気は高い。ただ、ほとんど聞こえないくらい声が小さくて、少しの失敗で落ち込んでしまう程気が弱い。生徒からはリス先生と呼ばれている。


 当然、もう一度言っても聞こえない。木曜日のこの時間はただでさえイライラする時間帯であるのに、このぐだぐだ授業で怒りが収まらない生徒も出てくる。


 「声も出せねぇならさっさと辞めちまえよ。くそ教師が」

 「そうだ、そうだ」


 一人の生徒の怒鳴り声に二人の生徒が続く。この学校のチンピラ筆頭格リーダー安光介(あんこうすけ)と、本小太郎(ほんこたろう)、端燦人(たんさんと)の三人だ。この三人は口こそ悪いが、暴力をする事は無いので、「口だけトリオ」と言われている。


 

 「安君達止めなさい。イライラするのは分かる、あたしもしてるから。でも、だからと言って先生に暴言を吐くのは許さないわよ」


 成美先生に代わって、安達を注意したのは巴御月(ともえみずき)先生、成美先生の四年先輩にあたる二十七歳で、何時も成美先生の授業を補助している。本来は、このクラスの副担任で社会科教師。

 百七十センチを超える長身でモデル体型の持ち主。面倒見が良く、生徒からは姉さん先生と呼ばれている。

 御月先生の家は剣道一家であり、彼女も小さな頃から剣道をしていた。高校時代、全国大会を三連覇して「無敵」と呼ばれるほど強かった。こういう事もあり、礼儀がなっていない者には厳しく注意する。



 「うるせぇ!まな板。あんたもイライラしてんだろ?なら早くこんなくそ教師辞めさせろよ」

 「そうだ、そうだ」


 安が強い口調で言い返すと、他の二人も賛同した。

 この時、三人以外の生徒は悟った。「あの言葉を言ってしまったね、ご愁傷様です」と。


 「何がまな板じゃごら!調子に乗るな、このあんぽんたん!お前らちょっと来い。叩きのめしてやる」


 「まな板」という言葉を言われた瞬間、人間の巴御月は鬼と化す。まな板というのは体のある部分の事を言った言葉で、御月先生はこの部分が大の大のコンプレックスである。

 この状態での御月先生には「体罰」という言葉は存在しない。っていうか、理性が飛んでいるので、自分が何をやっているのか分かっていない。何をやられるのか考えるだけで恐ろしいので、この言葉を言う生徒はまず居ない。安達を除いては。


 それから、この時間中に安達が帰って来る事は無かった。



 ~~~~~~~~~~~~


 その後、何事も無かったかのように授業が再開された。



 「『子、曰く』の『子』とは誰の事を指しているでしょうか」


 成美先生が古文の問題を出した。安達が居なくなって教室が静かになったので、成美先生の声が後ろまで届くようになっている。

 問題の内容は、「論語」の基本中の基本の問題である。


 しかし、疲労と空腹がピークになっているのか、誰も手を挙げない。



 「さあ、ベリーベリーイージーな問題だから、ポンポン答えていきまSHOW」


 沈黙を嫌ったのか、一人の男が陽気な声でクラスメイトに呼び掛ける。この学校一番のチャラ男、藤本健吾(ふじもとけんご)だ。言葉は誰もが認めるチャラさだが、頭はクラスで五番以内に入るほど良く、礼儀も正しい。サッカー部のキャプテンをしている。



 「仕方ねぇなぁ。おらが答えてやるよ」


 健吾の呼び掛けに、雷太が名乗り出る。

 雷太は分かる問題分からない問題関係なく、何時も手を挙げているが、ほとんど間違えている。

 ただ、今回は何だか自信がありそうだ。

 でも、クラスメイトは確信する、また何時ものように間違えると。


 「本当に他の人は分からないんですか?なら仕方ないですね、睦月君どうぞ」


 「ねずみしかなくね」


 成美先生に当てられて、雷太は自信満々に正解の答えを言う……

 はずがなく、皆の予想通り間違えた。ただ、皆が思っていたのは恐らく「子供」という回答だったので、雷太の回答は予想の遥か上だった。

 静寂だった教室に笑い声が広がる。


 「何がおかしいんだよ。もしかして、おら間違えた?」


 雷太がようやく自分の間違いに気付きそうになる。


 「相変わらず頭が弱いねぇ、君は。これじゃあ、留年待ったなしだねぇ」


 皆の笑い声をよそに、誰かが隣から雷太をからかう。


 「うるせぇ、超人。何かお前の『頭が弱い』っていう言い方腹立つわぁ。まだ『おバカ』って言われた方が気持ち良いわ」


 雷太は強い口調で言い返す。


 雷太が「超人」と言っているのは金持天才(かねもちてんさい)。百九十センチの超える長身と引き締まった体から現役の高校生モデルをしており、カリスマ性が高く、世の女性から大人気である(だが、この学校での人気は雷太に負けている)。

 モデルの仕事で学校に来てない日が多くあるにも関わらず、定期テストの点数は一年の頃から誰にも負けたことが無い。しかも、運動神経良く、どんなスポーツでも簡単にこなしてしまう。

 これらの抜け目の無い事から、「超人」と呼ばれている。

 それから、彼の実家は超が付くほどの金持ちであり、城のような豪邸に住んでいる。


 「だって、おバカなんて直球に言ったら君が傷つくだろう?まあ、そう言われたくなければ、まず最下位から抜けることだねぇ」


 「そんな事分かってるわ。大会が終わったら死ね気で勉強するって決めてんだよ」


 しばらく、二人の会話が続く。


 「まあ、せいぜい卒業出来るように頑張りたまえ」


 「しつこいな、お前のそういう所が嫌いなんだよ。そんな事より、自分の心配をしたらどうですか?」


 「ははは、君にしては気の利く言葉だね。でも、君が心配する必要は無いよ。卒業なんて、当たり前の当たり前だからねぇ」


 「……」


 天才のこの言葉に、雷太は何も言葉を返せない。


 「でも、何で美湖ちゃんは僕みたいな金持ちで将来が決まっている人よりも、君みたいな頭が弱くて野球しか出来ないような人の方が良いんだろうねぇ」


 突然、天才が嘆く。


 天才は美湖に好意を抱いていて、どうにかして美湖から雷太を切り離そうとしている、kkの一人である。天才は美湖に対して、プレゼントをあげたり、勉強を教えたりしているが、全く振り向いて貰えない。そのため、頭が弱くて、野球しか出来ない雷太の行動を何時も監視している。


 「知らねぇよ、そんな事。お前には、おらにはある何かが足りねぇんじゃないの?」


 一体、雷太にはあって、天才には無い何かとは何なのだろうか。



 「キーンコーンカーンコーン」


 そんな話をしているうちに授業終了のチャイムが鳴った。



 滅茶苦茶な三時間目が終わった。

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