ファンディスクの海 6 前編

 フレイムフィールド国にある、シャルロッテ殿下の別荘。俺がテラスから見える水平線を眺めていると、背後から気配が近寄ってきた。

 足音や気配で振り返らずとも、それがソフィアお嬢様だと理解する。ゆえにクルリと振り返った俺は、そこにたたずむ少女を目の当たりにして思わず息を呑んだ。

 お嬢様は、町娘風の洋服に身を包んでいた。


「シリル、デートを開始します。準備なさい」


 可憐な少女が、可愛げのある単語を勇ましく言い放った。


「……ソフィアお嬢様。デートを戦いの隠語かなにかに使ってらっしゃいますか……?」

「シリルはなにを言っているのですか?」


 コテリと首を傾げるお嬢様に自覚はないらしい。


「いえ、なにやら意気込んでいらっしゃったようですので」

「それはデートをしたいからです。普通に出掛けたら、デートなんて出来ないでしょう? それに、明日はシャルロッテ殿下主催のパーティーがありますから」

「……なるほど」


 ここは他国だ。

 屋敷やプライベートビーチがシャルロッテ殿下の所有地ということもあり、かなり自由な行動を許されているが、万が一にも俺達になにかあれば国際問題に発展しかねない。

 実際の危険が万が一以下だとしても、警備の者達は無視できないだろう。


 ゆえに、外出の許可が下りたとしても、物々しい護衛やお付きが同行せざるを得ない。ソフィアお嬢様はそれを避けて、俺と二人で出かける算段を立てている、ということのようだ。


「しかしソフィアお嬢様、その服に着替えたときに、外出はバレているのでは?」

「ルーシェに偽装工作をさせていますし、この服は――自作です」

「えっ!?」


 思わずマジマジとソフィアお嬢様が身に着けている洋服に視線を向ける。フレイムフィールド国の暑い気候にあわせた薄手の肩出しのワンピース。

 デザインは平民向けだし、生地も決して高級ではない――が、縫い目だけは一流。ローゼンベルク侯爵御用達の服職人に平民向けの服を作らせたと思っていたが……まさかの自作。


「ソフィアお嬢様が刺繍をなさっているのは存じておりましたが、まさか縫製まで得意とは存じませんでした。もしや、密かにたしなんでいたのですか?」

「今回のために頑張って覚えました」

「……そうですか、頑張ったら覚えられたのですか」


 ソフィアお嬢様は幼少期の頃から努力家だったけど、最近はその才能に磨きが掛かっている。おそらく、様々な技術を身に付けることで、共通点のある技術の習熟が速くなっているのだろう。

 今回で言えば、刺繍の腕とかがもろに影響していると思われる。


 もっとも、ソフィアお嬢様を護衛もなしに連れ出すのは好ましくない。好ましくないのだが……と、俺はソフィアお嬢様にもう一度視線を向けた。

 平民向けのデザインながら、とてもとても丁寧に作られた洋服。いくらお嬢様が才能に恵まれていようとも限界はある。この日のために、相当な努力が必要だったはずだ。

 だから――


「準備をするので、少しだけ待っていてくださいますか?」


 俺の問い掛けに、ソフィアお嬢様はつぼみが花開くように微笑んだ。



 その後、俺とソフィアお嬢様は上手く別荘から抜け出した。

 ――といっても、本当の意味で別荘の警備をすり抜けた訳ではない。王族や高位の貴族令嬢が滞在する別荘の護りは厳重なので、中から外へのチェックだって厳しく調べられる。


 抜け出せたのは――正確には、抜け出す許可を得られたのは、こんなこともあろうかと、明日到着するはずのシャルロッテ殿下とある取り引きをしていたからだ。

 その取り引きを用い、俺はソフィアお嬢様と屋敷を抜け出した。


 そんな訳で、二人で並んで常夏の街を歩く。

 ソフィアお嬢様は侯爵令嬢で、俺はその専属執事。彼女の婚約者候補という肩書きはあれど、二人で並んで歩く機会は非常に少ない。その機会を得たソフィアお嬢様はとてもご機嫌だ。

 無邪気に笑いながら肩をぶつけてくる。


「ねぇシリル、わたくしは貴方の隣を歩けていますか?」


 少し考えるが、言葉通りの意味ではあり得ない。

 ならば、精神的な意味だろう。だとしても、答えはやはり変わらない。


「もちろん、ソフィアお嬢様はとっくに私に追いついていますよ。むしろ、いまは私が置いて行かれないようにするのに必死です」


 ソフィアお嬢様は相好を崩した。

 凜とした、ややもすればきつめの印象を持つソフィアお嬢様が柔らかな表情で微笑む。


「ありがとう。でも、置いて行かれそうで必死なのはわたくしの方ですよ」


 そんなことはない――とは口にしない。俺に前世の記憶分の経験があることは言っても仕方のないことだし、お嬢様の成長的にもためにならない。

 だから俺は小さく笑う。


「もし私が前を歩いていたとしても、ソフィアお嬢様を置いて行くことはありませんよ」

「わたくしも同じです。もし自分が前を歩いていても、シリルを置いていったりはしません」


 俺とソフィアお嬢様は交互に続け、「「だけど――」」と同時に続ける。「「貴方に相応しくなれるように、これからも精進いたします」」と。


 お互いのセリフが綺麗に重なり、俺達は顔を見合わせて笑う。


「そうですね。いまのシリルに比べても仕方なかったですね。私が成長するように、シリルもこれからもどんどん成長するでしょうから」

「ええ、そうしなければ、認めていただけないでしょうからね」


 なにがとは言わなかったが、ソフィアお嬢様の婚約者として、である。

 たしかに、いまの俺はソフィアお嬢様の父、ローゼンベルク侯爵に認められている。だがそれは、十三歳の子供としては、でしかない。

 成長なくして成人すれば失望されるだろう。


 ……その点、お嬢様よりも俺の方が障害は多い。

 ソフィアお嬢様は才能に恵まれた努力家だが、俺は前世によって底上げされている子供でしかない。いわゆる十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人を地で行く可能性がある。

 いまだに、表情が読みやすい、なんて言われているしな。


「シリル、なにか不安なのですか?」

「いいえ、不安などありません。それより、お嬢様はどこに行きたいですか?」

「残念ながら、わたくしは平民街をそれほど知りません。もしよろしければ、シリルが案内してくださいませんか?」

「……そうですね。では、案内します」


 ソフィアお嬢様の手を握る。

 貴族のエスコートは基本、男性が差し出した手や腕を、女性側が取ることで成立する。それをすっ飛ばして俺が手を握ったことにソフィアお嬢様は少しだけ驚いて――思いっ切り破顔した。


「では、案内、お願いしますね」


 ソフィアお嬢様の願い通り、俺は街を案内していく。といっても、俺もこの街については詳しくない。まずは目に付いた帽子屋に足を運んだ。


「いらっしゃいませ、なにをお探しですか?」

「彼女に似合う帽子を」

「かしこまりました。では……こちらの帽子などいかがでしょうか?」


 店員が取り出したのは、丁寧に編み込んだ麦わらの帽子だ。ただの麦藁ではあるが、本当に丁寧に編み込んであって触り心地も悪くない。


「ソフィアお嬢様、いかがですか?」

「……えっと、似合いますか?」


 俺から帽子を受け取り、ちょっと恥ずかしそうに麦わら帽子を被る。


 薄手のワンピースを身に着けたプラチナブロンドのお嬢様が、頭に麦わら帽子を被る。どこからどう見ても、平民のお嬢様といった風貌である。

 ちょっと前世の世界を思いだしてしまった。


「とても似合っていますよ。生来の気品もあって、平民といっても、育ちの良さそうなお嬢様にしか見えませんけどね。とても可愛らしいですよ」

「あ、ありがとう……シリル。では、この帽子をお願いします。梱包は不要です」

「かしこまりました」


 その場で会計を済ませ、そういえば――と、店員にお勧めの観光スポットを尋ねる。


「そうですね……やはり海が一望できる高台でしょうか?」

「海辺の丘の上にある高台ですか?」

「いいえ、その高台は王族のプライベートビーチなので立ち入りは禁じられています。ですが、あそこに見える高台は観光地となっているのでオススメですよ」

「……なるほど、ありがとうございます。それともう一つ、ここに来る途中に大きな屋敷がありましたが、あれはどなたのお屋敷なのですか?」


 俺が問い掛けた瞬間、店員さんは眉をひそめた。ついでに声もひそめ、この地を管理する領主の暮らしている屋敷だと教えてくれた。


 ――もっとも、そこまでは俺も既に知っている情報だ。この地には王族のプライベートビーチが存在するが、その地を管理するのはとある伯爵家だ。

 先代は立派な人物だったが、代替わりした当主は問題がある、と。


 シャルロッテ殿下から聞かされた情報である。

 彼女からは、当主の不穏な噂の真相を確かめて欲しいと頼まれている。本来なら、他国の、それも執事に頼むようなことではないが、彼女にもなにか思惑があるようだった。

 これが、俺達が外出できた理由である。


 そんな訳で、もう少し詳しい事情を聞かせて欲しいと店員さんに頼む。

 ただ、店員さんも警戒しているのか、近付かない方がいいという情報以外のこと話してくれなかった。こちらも、ソフィアお嬢様の前で迂闊なことはいえない。

 なんでもないことのように流し、ソフィアお嬢様と共に退店した。


「それでは、さっそく高台に行ってみますか?」

「もちろんです」


 自主的に手を差し出してくる。そんなソフィアお嬢様の手を引いて、俺は店員に聞いた海を一望できる観光名所へと足を運んだ。その高台から一緒に海を眺め、近くにあるカフェテラスで、魔導具を用いて作ったという氷菓子を一緒に食べる。


 もちろんその行く先々の店で、お嬢様の耳を盗んで領主について問い掛ける。

 最初の店では、あのお屋敷はと聞いた俺は、次の店では、あの屋敷に近付くなと言われたんだが? と、店を変えるごとに話を進めて情報を仕入れる。


 どうやら、汚職の類い――少なくとも、あからさまにしているような領主ではなさそうだが、強い選民思想のある人間のようだ。

 ……まあ、貴族ならよくある思想の持ち主だな。


 ただ、ここの領主は選民思想の持ち主であるにもかかわらず、街に出張ってくることがあるようだ。それで、ときどき平民とトラブルを起こしているようだ。


 シャルロッテ殿下にとって、身内の恥と言っても過言ではない情報。わざわざ俺に調べさせたくらいだし、シャルロッテ殿下もある程度は知っていたと思うんだが……

 さて、なんで俺に調べさせたんだろうな?

 

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