ファンディスクの海 6 後編

 フレイムフィールドの海辺にある街で、平民に扮したソフィアお嬢様と並んで歩く。

 その正体は侯爵令嬢とその執事だが、客観的には十三歳の子供が二人っきり。面倒に巻き込まれたっておかしくはないのだが、街の人々はとても親切で治安もいい。


 仕入れた情報が事実なら、先代の領主がとても優秀だったのだろう。だが、代替わりしたことで、いずれはこの活気も失われていくのかもしれない。

 それをシャルロッテ殿下が見過ごすのなら、だけどな。


「シリル、なにを考えているのですか?」

「ソフィアお嬢様が領主になれば、街はとても豊かになるだろうな、と」

「……あぁ、お店の方々が噂していた領主のことですね。……もしかして、別荘を何事もなく抜け出せたのは、シャルロッテ殿下となにか取り引きがあったのですか?」


 はぐらかしたのだが、見事に見破られてしまった。


「ソフィアお嬢様には敵いませんね。少し、この街の領主について調べて欲しいと言われたのです。ただ、なぜ私に身内の恥をさらすような真似をしたのかが分かりません」

「……シリルのことをまだ諦めていないから、ではありませんか?」

「私のことを、ですか?」

「ええ、貴方に悪徳領主の不正を暴かせる。貴方の評判が上がれば、周囲からも貴方を望む声が上がるでしょう。そうすれば、貴方を研究所に引き込むための行動が取りやすくなります」

「……なるほど」


 シャルロッテ殿下は俺の持つ知識を欲しているが、魔力過給症の知識については伏せられている情報も多い。ゆえに、俺が持つ知識の重要性を知る者は多くない。

 一介の、それも他国の執事を引き抜くのは、シャルロッテ殿下の周囲も反対するだろう。だが、俺がなんらかの手柄を立てれば、身内を説得する材料くらいにはなる。


 身辺調査をしたくらいで大げさかと思うかもしれないが、こういうのは建前が重要だ。俺の調べた情報を元に悪事を暴いた――とか理由を付ければ手柄とすることは難しくない。

 もちろん、これ一つではなく、積み重ねれば、だけどな。


 しかし、ソフィアお嬢様はよく一瞬でそんなことを思い付いたな。

 ……あぁ、そうか。婚約者候補として、周囲に俺を認めさせるときに使ったんだな。自分の使った手だから、すぐに気が付いたと、そういうことだろう。


「……そうなると、これ以上は深入りしない方がよろしいでしょうか? シャルロッテ殿下への借りは、魔導具の知識などで返すことが可能ですが……」

「いいえ、一度でどうこうなる訳ではありませんし、わたくしも同行しています。それに……こっそり悪事を暴くのもお忍びっぽくて楽しいですよ?」


 いたずらっ子が顔を覗かせた。


「では、存分に楽しみましょう、ソフィアお嬢様」

「ええ、もちろんですわ、シリル」


 ちょっと恥ずかしそうに腕を絡めてくる。可愛らしい。そんなソフィアお嬢様と並んで、引き続き街並みを歩く。この街には、様々なお店が並んでいた。

 この気候にあったファッションのお店や、ピアノを始めとした楽器のお店もあった。魔導飛行船が隣国と行き来しているからだろう。自国で見慣れた食品もならんでいた。


 その行く先々で買い物を楽しむと同時に、領主についての情報を集めていく。ひとしきりの情報収集を終え、また十分に楽しんだ俺達は、最後に宝石店へと立ち寄ることにした。


「いらっしゃいませ、なにをお探しですか?」


 即座に店員の女性が対応にやってくる。決して表には出ていないが、子供が二人だけで宝石店に足を運ぶことに対して、少しばかりの警戒もあるのだろう。

 とはいえ、警備を考えれば当然の対応だ。


「私達はロンドベルから観光で来ました。この地に立ち寄ったという思い出になるような装飾品はありませんか?」


 正式な客であることをアピールしつつ、求めている商品への要望を伝える。店員はかしこまりましたと笑みを浮かべた。その上で、奥の棚からアクセサリーをいくつか取り出してくれた。


「こちらはこの海辺の街の特産である真珠のアクセサリーです」

「……まぁ、綺麗な粒が揃っているのね」


 ソフィアお嬢様が感嘆の溜め息を零した。

 天然の真珠はあまり数が取れず、大きさを揃えるのも一苦労だ。ゆえに、大きさを揃えた真珠というのはわりと珍しい。この海辺の街はおそらく、真珠の養殖をおこなっているのだろう。

 貴族社会が主流だった時代がベースだが、乙女ゲームを彩るあれこれは揃っている。そんな原作ゲームが舞台になっている世界らしい商品である。


 ネックレスにイヤリング、それに真珠に縁取られた、小さな宝石をあしらったブローチ。お嬢様は真珠の輝きに魅入られたようにアクセサリーを眺めている。

 俺はそのうちの一つ、ソフィアお嬢様がもっとも視線を向けていたブローチを手に取った。


「ソフィアお嬢様はこれがお気に入りですか?」

「はい。これならば、ドレスに合わすことも出来るのではないかと」

「では、このブローチは旅の思い出に、私からプレゼントさせてください」

「……いいのですか?」

「もちろんです」

「ありがとう、シリルっ」


 素の声で喜ぶソフィアお嬢様が可愛らしい。俺は店員に商品の購入を伝える。彼女はかしこまりましたと笑みを浮かべ、他の商品を片付けようとする。

 そこに新たな客が店に入ってきた。


 若い男――といっても、俺達よりはずっと年上の青年と、そのお付きの者達。いかにもやんごとなき男が俺達の隣にやってくると、別の店員が飛んできた。


「よ、ようこそいらっしゃいました。まさかこちらにお越しになるとは光栄です。お呼びいただけましたらいつでも飛んでいきますのに」

「御託はいい。俺が自ら急いで選ぶ必要があるからわざわざ足を運んだのだ。他国の者がこの街に立ち寄った記念になるような装飾品を見せろ」


 急用でなければ来るものかと言いたげな高圧的な態度。横で見ているだけでも、そんな雰囲気が伝わってくるのだ。店員はさぞ肝が冷えただろう。

 店員は慌ててコクコクと頷く。


「で、では、真珠のアクセサリーなどいかがでしょう?」

「ふむ、いいな。見せてみろ」


 対応している店員が真珠のアクセサリーを取りに行こうとして、俺達の対応をしていた店員が、俺が購入を決めたブローチを除いた真珠のアクセサリーを手渡した。


「これですべてです。……いかがでしょうか?」

「……待て。そこにもう一つ残っているだろう」


 彼が視線を向けたのは、俺が購入を決定したブローチだ。それに気付いた俺達の担当がゴクリと生唾を飲み込んだ。それから俺達と横暴な客を見比べる、ぎゅっと目を瞑った。

 そして――


「申し訳ありません。こちらの商品は既に売約済みとなっています」


 その言葉は俺達にとっても少し予想外だった。

 だが――


「なるほど。そちらの子供と取り引きしろ、ということか」


 横暴な客――もう、おそらく間違いない。この街の領主がニヤリと笑った。彼はどうやら、店員の言葉を都合良く解釈したらしい。


「おいおまえ、そのブローチをこちらに渡せ」

「このブローチは我々が購入したものですが?」


 俺がお嬢様とのあいだに入って答えた。


「はっ、どうせその様子なら、まだ金を払っていないのだろう? それともなにか? この街の領主である俺に逆らうつもりか?」

「……ルールではなく、身分を振りかざす、と?」


 俺の問い掛けに、彼は嘲笑うかのように俺を見下した。


「それのなにが悪い? 身分が違うのだから当然だろう」


 それは、ある一面では正しい。

 だが同時に、身分がある者には責任が伴う。少なくとも、平民の暮らしを蔑ろにしたり、平民に自分勝手な横暴をぶつけても許されるのが身分ではないはずだ。


 だが、だからこそ、俺は対応を決めかねていた。

 ここでシャルロッテ殿下の名を出せば相手はひれ伏すだろう。あるいは、ローゼンベルク侯爵家の名前を出すだけでも相手は顔色を変えるはずだ。


 だが、それは身分を振りかざす彼と同じレベルに下りる、ということだ。そこまでして対抗する必要があるかどうか――などと考えていた訳ではない。


 シャルロッテ殿下の望みと、ソフィアお嬢様の望み。それらを考えた上で、どのように対応するのがいいかを考えていた。

 ……まあ、お嬢様を傷付けるつもりなら、手段なんて選ぶつもりはないけどな。


 そんな風に思っていると、ソフィアお嬢様が俺の袖を引いた。ここで、自ら前に立つのではなく、こっそりと俺の袖を引いた。ここはいったん引くという意思表示だと理解した。


「……分かりました。では、貴方の言葉に従いましょう」

「ふんっ、最初からそうしていればいいのだ」


 横暴な領主は嘲笑い、店員が示した真珠のアクセサリーをすべて購入して去っていった。


 それを見届け、俺はソフィアお嬢様に向き直る。お嬢様が望んだ結果とはいえ、あのように侮蔑の視線を向けられることには慣れていないはずだから。

 ――と、思ったのだが、ソフィアお嬢様は冷たく笑っていた。


「ソフィアお嬢様?」

「なんでもありません。ただ、彼の行く末を哀れに思っただけです」

「……お嬢様、悪い顔をしていますよ」


 心配するべきなのは、あの当主の方だったようだ。

 とはいえ、彼は普段からあの調子なのだろう。相手が身分の低い平民だからと好き放題して、咎められることもない。そう考えれば同情の余地はない。


「彼のことは後で対処するとして、これからどうしますか? あの者が購入したのは真珠に関連する者だけのようですから、他のアクセサリーを選ぶことは出来ますが……?」

「そうですね。真珠以外にもなにかあるでしょうか?」


 お嬢様が小首をかしげると、店員が俺に向かって「もしよろしければ――」と切り出した。


「さきほどのブローチ、この店に在庫はありませんが、すぐに取り寄せることは可能です。もしよろしければ、今日中に配達させていただきますが、いかがですか?」


 問われた俺はお嬢様と顔を見合わせる。彼女が頷いたので、俺は代金を支払い、注文書に配達先を書き込んだ。値段が思ったより安かったのは、おそらく値引きしてくれたのだろう。

 なお、配達先を目にした店員が驚いていたので、おそらく色々とバレたのだろう。



 その後、俺達は無事にシャルロッテ殿下の別荘へと帰還した。

 大半の者はソフィアお嬢様が抜け出したことを知らなかったが、ルーシェはもちろん、警備の担当などの耳には入っているようだ。当然ながら別荘の主――さきほど、魔導飛行船で到着したシャルロッテ殿下の耳には入っているだろう。

 だが、ひとまずは突っ込まれることもなく一日が過ぎた。


 そして翌日は、シャルロッテ殿下が開いたパーティーに出席する。近辺の貴族や、シャルロッテ殿下の身内。そして――留学先の学生である俺達といった面々。

 そして――


「ソフィア様、こちらはこの海辺の街を治める伯爵です」


 シャルロッテ殿下に連れられてきたのはこの街の領主だった。


「彼女はソフィア・ローゼンベルク。あたしの友人でこの国の賓客よ。もし無礼があれば、貴方の地位すら吹き飛ぶような存在だから気を付けなさい?」


 冗談めかしているが、昨日の一件はおそらく、監視を兼ねた護衛から伝わっているだろう。既に手遅れなことを知っての発言だと思うとまったくもって笑えない。

 だが、とうの領主はいまだなにも知らない。


「はは、言われるまでもありません。お目にかかれて光栄です。ソフィア様――」


 殿下の許しを得て顔を上げた彼は、ソフィアお嬢様の顔を見て、そしてそのドレスに輝く真珠のブローチを目の当たりにして、最後に斜め後ろに控える俺を見て顔を青ざめさせた。


「ご機嫌よう。昨日ぶりですね。昨日は大変貴重な意見をご教授いただき感謝しております。たしか、身分は振りかざすもの、だってかしら?」


 静かに笑うソフィアお嬢様を前に、この街の領主は泡を吹いてくずおれた。


「ソフィア様、もしや、昨日なにかございましたか?」


 知っているはずのシャルロッテ殿下が尋ねる。それはつまり、この場で話して欲しい――ということだろう。それを理解したソフィアお嬢様はかくかくしかじかと昨日の出来事を口にした。


「まあ! なんと言うことかしら。あたくしの友人であり、隣国からの賓客でもあるソフィア様にそのようなことを。彼に変わって、心より謝罪申し上げます」

「シャルロッテ殿下が謝罪なさることではございません」

「では、彼の処分はあたしに任せていただけますか?」

「ええ、もちろんですわ」


 流れるような予定調和。

 こうして、この地を治める当主の行く末は決まった。


 ちなみに、シャルロッテ殿下も相応のダメージを負ったはずである。なぜそこまでと思ったのだが、あの当主は彼女の妹にちょっかいを掛けていたらしい。

 結局のところ、この世界のシスコンやブラコンの逆鱗に触れてはいけない、という話である。

 



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


本日、コミカライズ版の二巻が発売されました。

書き下ろしの短編小説も載っています。


また、原作の三巻は年内を予定しています。

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