ソフィアお嬢様の望み 5

 シャルロッテ皇女殿下の案内役となって今日まで、実に忙しい日々が続いている。

 朝はソフィアお嬢様と共に登校して、それぞれのコースで別々に授業を受ける。その日常に変化はないが、放課後の予定が大きく変化した。


 いままではソフィアお嬢様の各種レッスンに付き合っていたその時間を、いまはシャルロッテ皇女殿下との研究に費やしている。

 いままではずっとソフィアお嬢様の側にいたのでなんだか妙な気分だ。


 夕暮れのエントランスホール。

 屋敷に帰還した俺をルーシェが出迎えた。


「ルーシェ、ソフィアお嬢様はお戻りですか?」

「いいえ、今日はハロルド皇子殿下の案内役として参加しているパーティーが長引いているようで、お戻りはもう少し後になると思います」

「……そうですか」


 研究に没頭するシャルロッテ皇女殿下と違い、ハロルド皇子殿下は精力的に大小様々なパーティーに参加している。

 この国の有力者との顔繋ぎという意図もあるはずだが、おそらくはソフィアお嬢様が自分の婚約者候補であるという印象づけるのが目的だろう。


「お嬢様と会う時間が減って寂しいんですか?」


 唐突にそう口にする、ルーシェの全部お見通しですと言いたげな顔が憎たらしい。俺はその問いには答えずに踵を返した。


「私はまた少し出掛けてきます。ソフィアお嬢様には遅くなるとお伝えください」

「え、すぐ出掛けるのに一度帰ってきたんですか? あ、もしかして、ソフィアお嬢様の顔を見るために、一度帰ってきたんですか?」

「あなたは新作お菓子の試食に興味はないようですね」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください」

「残念ですが待ちません」


 お菓子に釣られて慌てるルーシェを置いて、俺は再び屋敷を後にした。

 まずは街にある活動拠点で目立たない恰好に着替え、それからスラム街へと足を運ぶ。そうしてやってきたのは闇ギルド。招かれたVIPルームでノーネームと向き合っていた。


 ちなみに、最初に会ったとき以来、彼は影武者を使っていない。部屋の外には何人か控えているが、後ろに護衛を立たせることもなく密室で俺と向き合っている。

 ガキ一人くらいどうにでもなる――と侮っている訳ではないだろう。

 俺を商談相手として認めてくれているようだ。原作では傲慢な貴族のイヌとして追い落とされる未来が待っていたが、この世界では彼の信頼を得られたようだ。


「シリルか、今日はなんの用だ? 前回の報告書を送ったはずだが?」

「ええ、相変わらず良い仕事ぶりでしたよ」

「……ということは別件か。最近、ことあるごとにうちに依頼をもってきやがるな。俺達を便利屋かなにかと勘違いしている訳じゃないだろうな?」

「まさか、そのようなことは決して」


 彼らをスラムの人間だと見下して、金を渡せばなんだってすると考えれば痛い目を見る。それは原作の俺が身をもって体験していることなので言われるまでもない。


「依頼内容はどれも、貴方達の流儀に反していないはずですよ?」

「まぁ……たしかにな。それで、今回はなにをさせようというんだ?」

「確認していただきたい情報があります」


 俺は笑って、一枚の植物紙を押し出した。テーブルの上を滑ったその紙は、狙い違わずノーネームの前でピタリと止まる。


「おまえ、これは……」

「その情報の精査をお願いいたします。報酬は――これだけを予定しています」


 指で報酬額を示すと、彼はわずかに目を見開いた。いまの報酬を見てその程度の反応に抑えるとは、さすがノーネームだ。


「受けていただけますか?」

「その前に一つだけ質問に答えろ」


 もとよりそのつもりだと応じると、彼は目を細めて俺の姿を見据えた。こちらの一挙動から、どのような嘘も見逃さないと考えているのだろう。

 だから俺も姿勢をあらため「なんでしょう?」と応じる。


「おまえは皇国とエフェニア国で戦争を起こすつもりか?」

「……なにをおっしゃるかと思えば、私がそのようなことを考えるとお思いですか?」

「さぁ、どうだろうな。普通に考えれば、一介の執事がそのような大それたことを考えるとは到底思えないが……質問に答えろよ」


 質問に質問で返したのははぐらかしたから――ではなく、想定外の質問だったからなんだが、どうやら俺は妙な誤解を受けているらしい。


「これは隣国との関係を円滑にするための一手であり、私は――むろんお嬢様も、隣国と戦争を引き起こすつもりなどありませんよ」

「それを信じろと? この依頼内容を見れば、フレイムフィールド皇国と戦争を引き起こそうとしていると言われても仕方ないぞ?」

「そのようなことをしてなんの意味があるというのですか?」

「だから、おまえのご主人様を政略結婚から護るための一手、なんだろ?」


 通常、貴族社会での話が平民まで下りるには相応の時間が掛かるはずなのだが、彼は既にソフィアお嬢様を取り巻く状況を知っているらしい。

 さすが闇ギルドの主、と言いたいところだが――


「違いますね。その認識は間違っていますよ」

「ほう、なにが違うんだ? おまえのご主人様が政略結婚の渦中にいることは掴んでいる。そして、おまえがその状況を看過するはずがない。この予想のなにが違うというんだ?」

「そこは否定しません」


 俺の言葉を肯定して、ニヤリと笑って見せた。

 怪訝な顔をした彼は押し黙り、やがて驚きの顔で口を開く。


「おまえが俺に依頼したのは、まさか……」

「言ったでしょう。これは隣国との関係を円滑にする一手だと。さぁ……ノーネーム、私の依頼を受けてくださいますか?」


 俺の問い掛けに彼はゴクリと喉を鳴らし――やがて笑い声を上げた。


「最初はただの生意気がガキだと思ったが……良いだろう。この依頼、闇ギルドが引き受けた。おまえがなにをするつもりなのか、この目で見極めてやる」




 その後、闇ギルドを後にした俺は、続けてリベルトの実家を訪れた。用件はラクール商会との取り引きだが、今回はその前段階としてリベルトとの話し合いを希望した。

 事前に面会の約束を取り付けていたおかげで、問題なく応接間に通される。そこには、私服姿のリベルトが待ち構えていた。


「まさか、おまえが俺の家にやってくる日が訪れるとはな」

「おや、貴方の別荘でもお世話になったはずですが?」

「そういう意味じゃない。最初は派閥の関係で、接触することすら困難だっただろう?」

「なるほど。たしかにその通りですね」


 最初の接触はパーティーのさなかで、周囲に盗み聞きされている状況で普通の会話すらままならなかった。あのときは、ずいぶんと回りくどいやりとりをしたものだ。


「では、今日は単刀直入に行きましょう。ラクール商会の力で取り寄せていただきたい商品があります」

「……ほう。それはつまり、うちですら扱っていない一品、ということか?」


 ラクール商会はこの国で最大規模と言って良い。そのラクール商会が扱っていない物などめったになくて、たとえ扱っていなくとも取り寄せが不可能な物など皆無に等しい。

 にもかかわらず、わざわざ段階を踏んできた意味に気付いたらしい。

 本当に話が早い。


「私が求めているのは、フレイムフィールド皇国で生産された最新式のデバイスです」

「最新式のデバイスだと? 一体なんの魔導具だ?」

「いいえ、魔導具ではなく、真っ新なデバイスです」

「おまえ、それは……」


 通常、デバイスは魔導具にしてから売りに出されるため一般には出回らない。とくにフレイムフィールド皇国の最新式ともなれば国で管理されているはずだ。

 取り引きが出来ない訳ではないが、よほどのコネでもなければ手に入らないだろう。


「……不可能とは言わないが、相当な割高になるぞ? むしろ、シャルロッテ皇女殿下に頼んだ方が良いんじゃないか? 案内役を引き受けたおまえなら可能だろう?」

「残念ながら、いまの段階で彼女に俺の目的を知られる訳にはいきませんので」


 デバイスが欲しいと口にすれば、彼女はおそらく俺の使用目的を探るだろう。ソフィアお嬢様に届かずとも、俺の目的に至るくらいはするはずだ。

 そうしたら、デバイスが俺に対する交渉材料にされてしまう。

 その事態は避けなければいけない。


「侯爵家の名前は愚か、おまえの名前すら出さずになんとかしろ、と? それはいくらなんでも無理だ。せめて、相応のコネが必要だ」

「それであれば、近日中に用意させていただきます」

「……おまえが、よその家とのコネを用意する、と?」

「ええ、その通りです。その上で、相応の対価は支払います。それに加えて……そうですね、フラウの人形師をご存じでしたよね?」


 俺がフラウの人形師に報酬として求めた人形は三つ。そのうちの一つを対価として提案すると、リベルトの眉が跳ね上がる。

 どうやら、彼の口から返事を聞く必要はなさそうだ。




 闇ギルドのノーネームと、ラクール商会のリベルトとの接触。その後はフラウの人形師と話をしたり、イザベラに少し依頼をしたり。

 屋敷に戻った頃にはすっかり深夜になっていた。


 ローゼンベルク侯爵家のお屋敷は深夜でも明かりが灯っている。夜勤の使用人達や警備の者達は起きているが、日勤の者達は既に寝静まっている。

 そんな時刻だと言うのに、部屋に戻ってほどなくすると扉がノックされた。


 警戒心は抱かない。ノックの仕方から、扉の向こうにいるのが誰か気が付いたからだ。

 扉を開けると、予想通り寝間着姿のお嬢様がちょこんと顔を覗かせる。


「シリル、お帰りなさい」

「ただいま戻りました。ソフィアお嬢様、このような時間にどうなされたのですか?」

「どうかしなければ、来てはいけないのですか?」


 小首をかしげる寝間着姿のお嬢様はとても可愛い。だが、侯爵家のご令嬢が深夜に執事の部屋を訪ねるのはさすがにダメだと思う。


「このようなところ、アーネスト坊ちゃんにでも見られたら叱られますよ?」

「兄様は今夜は帰ってこないので大丈夫です。それに、最近はシリルもわたくしも忙しくて、こうでもしないとお話、出来ないじゃないですか?」


 どこか拗ねた様子のお嬢様は、どうやら俺とおしゃべりをしに来たらしい。ルーシェにからかわれたことを思い出し、少しだけイタズラ心を抱いた。


「もしかして、私と会う時間が減って寂しかったんですか?」

「……はい、って言ったら……ダメ、ですか?」


 ――ぐっ。寝間着の裾を引っ張って、恥ずかしそうに問い掛けてくるのは反則だ。最近はすっかり大人びてきたというのに、不意にこういう可愛い仕草を見せるのも反則だ。


「仕方ありませんね。少しのあいだだけ、ですよ?」

「……良いの?」


 素のお嬢様が問い掛けてくる。そんな年相応に可愛く聞かれて突き放せるはずがない。それに、ルーシェが少し離れた場所に控えているようだしな。


「ここ最近、お嬢様とコミュニケーションが取れていませんでしたからね。せっかくですから、食堂でホットミルクでも飲みながらお話しますか?」

「――うんっ」


 今日のお嬢様はすっかり甘えたモードのようだ。たった十三歳でこの国の行く末を左右するような重責に晒されながら、立派に頑張っているんだからそれも無理はない。

 食堂までご案内いたしますと、ソフィアお嬢様の手をそっと握った。



     ◆◆◆



 シリルが闇ギルドを後にした直後、隣の部屋に控えていた影武者のクィンシーと、その女であるアイリーンが姿を現した。

 本来なら影武者として来訪者と接する彼らだが、シリルにはノーネームの正体がばれている。ゆえに、本来の護衛としての役割を果たしているのだ。


「ギルマスよ。あのガキ、今度はどんな厄介事を持ち込んできたんだ」

「なにやら隣国と戦争とか、物騒な言葉が聞こえてきたね」


 隣の部屋には声が筒抜けになる設計だが、シリルの依頼は紙で伝えられた。ゆえに依頼内容を知らない二人がノーネームに問い掛ける。


 シリルがここに来るたびに、悪事を働いていた貴族の家が滅びたり弱みを握られて絡め取られたりと、普通では考えられないような事件が発生している。

 にわかには信じられない因果関係だが、依頼内容を知っていれば間違いなくそれらを引き起こしたのがシリル自身だと断言できる。


 そんなシリルの依頼に対して、ノーネームが隣国との戦争という言葉を口にしたのだ。クィンシー達が警戒するのは当然である。


「あぁ、今回はとびっきり厄介な依頼だ。だから、今回の依頼はおまえ達二人に担当してもらう。フレイムフィールド皇国に渡り、あっちの闇ギルドに接触してくれ」

「……隣国の闇ギルドだと? しかも目的は皇女殿下の――なるほど。たしかに戦争の引き金になりかねない情報だ。こいつぁそこらのヤツには任せられないな」


 ノーネームに渡された書類を目にしたクィンシーがニヤリと笑った。いまでこそノーネームの影武者に収まっているが、もともとは生え抜きの諜報員としてトップまで上り詰めた男だ。

 久しぶりの大仕事に心が疼いているらしい。


「だが、日程が短すぎるんじゃないか?」

「その分の報酬は上乗せされている。それに魔導飛行船の乗船許可もくれるらしいぞ」

「ひゅう~っ、マジかよ。お貴族様でもなかなか乗れないって話だろ。それの許可を得るってことは、あのガキじゃなくて、侯爵家が主導の計画なのか?」

「いや、どうだろうな……」


 当主ならもっと他の手を打てたはずだ。

 それを踏まえて、ノーネームはシリルとのやりとりを思い出す。彼はお嬢様を護るための一手ではなく、隣国との関係を円滑にするための一手だと言った。

 それはつまり、お嬢様を護るだけならどうにでも出来るという自信の現れに他ならない。


「まったく、あいつは何者なんだろうな?」


 今回の依頼はいままで以上に大きな変化をもたらすだろう。あるいは、国の行く末すらも左右してしまうかもしれない。

 まったく、本当に面白いガキだ――と、ノーネームは口の端を吊り上げた。

 



◆◆◆◆◆◆あとがき◆◆◆◆◆◆


 お読みいただきありがとうございます。

 キミラノにて悪役令嬢の執事様の短編が公開されました。URL先のツイートにあるURL>ドラゴンノベルス>悪役令嬢の執事様でご覧ください。

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 ちなみに5月1日から公開ですが、いつまで載ってるかは不明なので、気になる方はお早めに。

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