ソフィアお嬢様の望み 4
シャルロッテ皇女殿下が留学しているあいだは魔術の共同研究をおこなうと約束した。だが、他国の皇女をそこらの研究所に招くのは手続き上の手間が掛かる。
研究所とは普通、他国には漏らせないような機密情報が集まっているからだ。
そんな訳で俺が目を付けたのは、トリスタン先生の研究室だ。あの研究室で研究していたのは魔力過給症の対策全般なので丁度良いと、トリスタン先生に交渉。
数日経ったある日の放課後、俺はシャルロッテ皇女殿下と共に研究室を訪れた。
「トリスタン先生、無理を聞き入れてくださってありがとうございます」
シャルロッテ皇女殿下がカーテシーをおこなう。
本来、カーテシーは同等か目上の相手におこなう挨拶だ。それをここでして見せたのはおそらく、研究者としてのトリスタン先生を立てているのだろう。
ソフィアお嬢様を厄介な立場に追いやった片割れではあるが、こういうところを見ると決して悪人ではないのだろうと思わされる。
「ここは魔力過給症の研究をおこなっていたという話ですが、それは本当ですか?」
「事実ですよ、シャルロッテ皇女殿下」
「そうですか……少し見せていただいても?」
「むろんです。この研究室の中であれば、ご自由にご覧ください」
「ではお言葉に甘えて」
シャルロッテ皇女殿下はメイドを隅に控えさせて、一人で研究室の中を回り始めた。それを横目に、トリスタン先生がなにか言いたげに俺を見る。
「シリル、俺がなんのために忠告したと思っているんだ?」
「返す言葉もありません」
前夜祭のストーリーを事前に聞いていたのに、がっつりとシナリオに巻き込まれている。しかも、男女の役割が変わって、自分がプレイヤーのような立ち位置だ。
「間違っても、三つ巴バッドエンドだけにはなってくれるなよ?」
「……分かっていますよ」
悪役令嬢の三人がプレイヤーを破滅させるエンド。悪役令嬢の三人が闇堕ちするのも、悪役令嬢ポジになっている攻略対象の三人が闇堕ちするのも大問題だ。
とくに、俺が破滅回避をしようと抵抗するほど問題が大きくなりそうなのがまた。
「分かっているのなら良い。もしなにか協力できることがあれば頼ってくれ。おまえにはフォルお嬢様を救ってもらった恩があるからな」
「ソフィアお嬢様のためにしたことです。研究室を使わせてくれるだけで十分ですよ」
「ふむ、それで良いのなら好きに使え。いまはちょうどテーマもなく、暇をしていたところだからな。なにかあればリネット嬢に言ってくれ。協力するように言ってある」
トリスタン先生に言われて視線を向けると、それに気付いたリネットが会釈をする。彼女の方が爵位は上なのだが、トリスタン先生はずいぶんと慕われているようだ。
姉にはそれが手に取るように分かるらしくて、なんとも言えない気分になると言っていた。
だが、無自覚に人を誑し込んでしまうのは姉も同じだ。前世でお嬢様風の学生だった姉は、無自覚に色々な人の心を弄んでいた。
案外、自分のことになると気付かないものなのだろう。
「シリル、こっちに来てくださいますかしら?」
「かしこまりました」
シャルロッテ皇女殿下に呼ばれて駆けつける。彼女の小さな手の中には、トリスタン先生が研究中だったであろうデバイスが収まっている。
「この国では、このように旧式のデバイスを使っているのですか?」
「この国ではそれが最新式ですよ」
デバイスというのは魔導具のコアとなる部品のことである。世界観的にどうなのかと思わなくもないが、そこは前世の世界で呼ばれていた名称がそのまま使われている。
ちなみに、デバイスという名前ではあるが、中には魔法陣が刻み込まれている。その魔法陣の回路に魔力を流し込んで魔術を発動させるのが魔導具である。
そして、魔導具の性能を決めるのは魔石と魔法陣とデバイスだ。ゆえに、デバイスの性能が低いと、いくら優れた魔術師でも作れる魔導具が限られてくる。
「まぁ良いわ。そんなことだろうと思って、自国のデバイスをいくつか用意してあります。貴方に、このデバイスの良さが分かるかしら?」
シャルロッテ皇女殿下の言葉に、控えていたメイドがデバイスを差し出してきた。それを受け取って覗き込んだ俺は、思わず感嘆の声を零した。
「……マルチタスクが可能なデバイスですか」
デバイスに刻み込める魔法陣は通常一つ。ゆえに、魔導具を作成する場合に大変なのは、一つの魔法陣に必要な術式を組み込むことである。
サイズを気にしなければなんとでもなるのだが、複雑すぎる魔法陣は小さなデバイスに刻み込むことが出来なくなるし、魔力のロスも大きくなってしまう。
だが、シャルロッテ皇女殿下の用意したデバイスは、二つの魔法陣を刻めるようにした最新仕様である。これは前世の世界でもそこそこ高性能な部類に含まれる。
これこそ、俺の求めていたデバイスだ。
「……驚きましたわ。貴方、本当に何者なのかしら?」
「何者もなにも、私はただの執事です」
「これは最新式のデバイスで、存在を知っている人間は皇国でもまだ少数ですのよ? なのに、それをひと目で見抜いておきながら、ただの執事だと言い張るつもりですか?」
「魔力を放出する技術同様、とある書物で見ただけですよ」
「あくまで話すつもりはないってことね」
彼女がその真実を信じないことは予測していた。俺の発言によって、彼女は俺にとってこのデバイスが見慣れたモノだと認識する。
ゆえに、彼女に俺の目的がデバイスであると悟られることはないだろう。俺はなに食わぬ顔で、このデバイスを使って、どのような魔導具を創るのですか? と問いかける。
「ひとまず、なんの魔導具かは決めていないわ。でも、どんな魔導具かは決めている。今までにない、魔石を必要としない魔導具を創りたいの」
「魔石を必要としない……ですか」
魔導具とは本来、魔力を扱えない人間にも魔術が使えるようにするための道具だ。ゆえに、魔石を必要としないというのは、魔導具本来のコンセプトから外れる。
だが、魔石を必要としない魔導具には心当たりがある。ゆえに、シャルロッテ皇女殿下がなぜ俺の魔術に興味を示したのかも理解した。
「魔術師が放出した魔力を動力源に使う、と?」
「ええ、その通りです。出来るかしら?」
「出来るか出来ないかで言えば――可能ですよ」
俺は用をなさなくなった魔石を手に取って、放出した魔力を送り込んでいく。魔石が込められた魔力に染まっていくのを目にしたシャルロッテ皇女殿下が飛びついてくる。
「――いまのは魔石に魔力を込めたのですか!?」
「はい。少しコツはいりますが、チャージすることは可能です」
「ふわぁ……本当に魔力が込められている。と言うことは……?」
「人の魔力で魔導具を起動することは可能です。ゆえに魔石を使わずに魔導具を起動することも可能ですが、その場合は出力を一定にするのが少し大変です。それよりも……」
「なんでしょう?」
コテリと首を傾げる薄着の褐色美少女。
シャルロッテ皇女殿下のその体勢は俺に抱きついていると言っても過言ではないのだが……魔術に気を取られていて自覚がないようだ。
「シャルロッテ皇女殿下はずいぶんと大胆なのですね?」
「……え? ――っ、失礼いたしました。少し興奮しすぎていたようですわ」
慌てて身を離したシャルロッテ皇女殿下の頬がほのかに赤く染まった。エキゾチックな女の子というイメージだったが、意外と感情的な部分もあるようだ。
「と、ところで、いまの技術は教えていただけるのかしら?」
「では、この技術と引き換えに、私とソフィアお嬢様から手を引いていて欲しいとお願いしたらどういたしますか?」
断られるつもりで問い掛けるが、シャルロッテ皇女殿下は沈黙した。
それに驚いたのは俺の方だ。
ソフィアお嬢様の望みはただ政略結婚から逃れることではなく、穏便に状況を収めることにある。ゆえに、国益を損なうような結末には出来ない。
そして、婚約阻止の交換条件にこの技術を放出するのは国益を損なう行為だ。
それに――光と闇のエスプレッシーヴォ 前夜祭。
その物語にはソフィアお嬢様の破滅ルートが存在しない。無印の光と闇のエスプレッシーヴォで破滅することが決まっているから、前夜祭では破滅しないというのが理由だ。
だが、ゲームのシナリオとは既に大きく道を違えている。この現実世界では、ソフィアお嬢様が神々を敵に回して破滅するルートはきっと存在する。
そうでなくとも、ソフィアお嬢様の平穏な未来のためには敵を増やしたくない。
ゆえに、俺はその取り引きには応じられない。
「……一応言っておきますが、冗談ですよ?」
俺がそう切り出すと、シャルロッテ皇女殿下はハッと我に返った。
「もちろん分かっていますわ。こちらも、その程度で手を引くことは出来ませんわ」
取り繕っているが、シャルロッテ皇女殿下はこの技術に興味津々のようだ。彼らの全体の目的は不明だが、シャルロッテ皇女殿下の目的は魔術の技術で間違いないだろう。
ならばこの技術を餌に、シャルロッテ皇女殿下の目をそらすことが出来そうだ。
「魔力を放出する技術については、いずれで良ければ公開する用意があります。その際には、グレイブ様と交渉していただくことになりますが……」
「それは……いつごろかしら?」
――時間稼ぎをしようとしていることに気付かれたか? そんな風に緊張を覚えるが、シャルロッテ皇女殿下は続けて一ヶ月後くらいかしら? と問い掛けてくる。
……時間稼ぎを警戒されている訳ではない、のか?
むしろ、重要なのは時期? なぜこの状況でそこを重要視する? いくつもの疑問が思い浮かび、やがて一つの可能性に思い至る。
「交渉はおよそ一ヶ月後、ランスロット殿下の誕生パーティーの後でいかがでしょう?」
「……いいわ。殿下のパーティーが終わったら交渉させていただきましょう」
目的を果たせると知って安堵の表情を見せる。
俺がその提案で時間を買ったことに、シャルロッテ皇女殿下は気付かなかった。いや、気付いても気にしなかったのかもしれない。
だからたぶん、彼女の目的はきっと――
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