ソフィアお嬢様の望み 6

 翌日の早朝、グレイブ様に執務室に呼び出された。ソフィアお嬢様との深夜のお茶会がバレたのかと戦慄したが、幸か不幸かその話ではなかった。

 幸運だったと言い切れないのは、俺が色々動いていることを指摘されたからだ。


「シリル、裏で色々と動いているようだな」


 ローゼンベルク侯爵家の当主、グレイブ様の言葉に俺は答えられない。

 いや、答えられるはずがない。

 ソフィアお嬢様や俺が案内役に選ばれたのは、グレイブ様が国の要請に応じたからに他ならない。つまりは、俺の行動はグレイブ様の意向に反している。


 俺はソフィアお嬢様の専属執事だが、雇い主はグレイブ様だ。そんな彼の意向に反したからには、本来であれば首になってもおかしくはない。

 もっとも、いまの俺はシャルロッテ皇女殿下の案内役でもあるので、よほどのことでもなければいますぐに首になるようなことはないだろうが――


「シリル、考えが顔に出ているぞ」

「――っ、失礼いたしました」


 相変わらずこちらを見透かしてくる。

 執事として、考えていることを顔に出さないというのは基本中の基本。だからこそ、顔に出さないように細心の注意を払っているのだが……グレイブ様には通用しないんだよな。


 だけど……おかしい。

 こちらの行動がバレていて、考えすらも見透かされている。だとすれば、それに対して釘を刺してこないのはどうしてだ?


 ……あぁ、そうか、そういうことか。

 考えてみれば自明の理だ。

 原作では普通の兄だったアーネスト坊ちゃんですら、愛らしく育ったソフィアお嬢様を相手にシスコンへとクラスチェンジを果たしている。原作ですら娘の望むままに婚約をごり押ししたグレイブ様が、娘の意向に沿わぬ婚約を認めるはずがない。


 だが、だったらどうして案内役を引き受けたんだ?

 婚約させるつもりなら当然の判断ではある。だが婚約させるつもりがないのなら、案内役を依頼された時点で遠回しに断るのが最善だったはずだ。


 実は皇子殿下にその気がなくて、グレイブ様はその事実を知っている、とかか? いや、そういう事情があれば、前夜祭のシナリオを知る姉さんが知らないはずがない。


「シリル、私の問いに答えるつもりはないのか?」

「いいえ、そのようなことは決して」


 考えが纏まらないが、グレイブ様の娘に対する愛情は本物だ。だとすれば、ここで彼の追求を逃れようとする行為は悪手だろう。


「グレイブ様がご存じの通り、私は裏で色々と動いています」

「それは、なんのためにだ?」

「むろん、ソフィアお嬢様の願いを叶えるためです」

「それはローゼンベルク侯爵家の利益ではなく、娘の願いを優先すると言うことか? そなたの雇い主はソフィアではなく、この私だということを理解しているのか?」

「雇い主がグレイブ様であっても、私が仕えるお方はソフィアお嬢様です。ゆえに私が一番に優先するのは、ソフィアお嬢様の幸せをおいて他にありません」


 他の貴族達を値踏みしてきたであろう侯爵の青い瞳が俺をまっすぐに捉えた。その瞳には欺瞞は許さないという強い意思が込められている。

 続けろという彼の声に、俺は渇いた口を開く。


「私は、そのことを以前にもこの部屋で宣言いたしました。そして、それを聞いた貴方は、見習いだった私を正式な専属執事へと引き上げた。私の考えを認めたのは貴方です」

「ふむ、たしかにあのときはそう言った。だが、いまは事情が変わったのだ」

「だとしても、私が一番に優先するのはソフィアお嬢様の望みに他なりません」


 それが気に入らないというのなら、解雇にでもなんでもすれば良い。それくらいの気概を持って自分の雇い主をまっすぐに見据える。

 果たして、グレイブ様は声を上げて笑い始めた。


「くくっ、まさか、この状況でもあの日と同じセリフを吐けるとはな」

「……グレイブ様?」

「いや、すまんな。少し試させてもらった」


 試すとはどういうことか――という疑問の答えはすぐに返ってきた。

 あのときの俺はまだ見習いで、上を目指す立場だった。そういう人間が冒険をし、がむしゃらに突き進むのは珍しくない。


 だが、いまの俺はソフィアお嬢様の専属執事となり、その地位を護る立場となった。

 その状況下でも――つまりは自分の立場を失うことを恐れず、ソフィアお嬢様の願いを優先することが出来るのか、その答えを知りたかったらしい。


「そなたを試したことを謝罪しよう」

「いいえ、謝罪は必要ありません」


 グレイブ様と俺がこうして接触する機会は少ない。俺が以前と変わらずソフィアお嬢様を護る気概を持っているのか疑問に思うのは当然だ。

 そう考える俺に、グレイブ様は「ならば――」と笑った。


「謝罪ではなく、信頼の証として、そなたがしていることへの追及はなしとしよう」

「それは……」


 お目こぼしをするという意味であり、俺の独断に責任を持つと明言した訳ではない。

 だが、グレイブ様はローゼンベルク侯爵家の当主だ。後で知らなかったと弁解すれば済む話ではない。ゆえにこれは容認するも同然だ。


「では、私もグレイブ様の信頼に応えるために計画をお話しましょう」

「いいや、その必要はない」

「……は?」


 思わず間の抜けた声が零れた。

 グレイブ様がどこまで俺の計画を掴んでいるかは分からない。だが、その実はローゼンベルク侯爵家の行く末を一介の執事に委ねているも同然だ。


「いくらなんでも無謀だと思っているな?」


 一瞬、自分が考えを声に出してしまったのかと錯覚した。それくらい、俺の心の声と同調するようなタイミングでグレイブ様がその言葉を発したのだ。


「そなたは顔に出し過ぎだ」

「申し訳ありません。精進いたします」


 自分の至らなさを実感する。

 いまはまだ、周囲にいるのは子供ばかりだが、社交界に進出すれば大人の貴族達が相手になる。そうしたら、グレイブ様同様にこちらの表情を読む人間が増えるのだろう。

 その日が来るよりも早く、もっと取り繕えるようにならないとな。


「そなたがなんのために暗躍しているかはさきほど聞かせてもらった。ゆえに説明は必要ない。そなたは下がって、自分の役目を果たすが良い」

「……ありがとう存じます」


 執事が許可なく主に質問を投げかけることは許されない。説明を求められなかったということは、こちらから質問をする機会も得られなかったと言うことでもある。


 もしかしたら、グレイブ様は自分が案内役を引き受けた理由を答えたくなかったのではなかろうか……なんて、少し考えすぎだろうか?


 どちらにせよ、俺がやることに変わりはない。

 ソフィアお嬢様の望む結末を掴み取るために突き進むだけだ。そう考えて踵を返す。俺が部屋を退出する寸前、グレイブ様に引き留められる。


「――シリル、娘のことをよろしく頼む」

「承りました。ソフィアお嬢様の幸せを脅かす者がいるならば、たとえそれが神々だとしても、必ず排除いたしましょう」





 グレイブ様との対話を終えた後、俺はソフィアお嬢様と共に登校する。

 馬車に揺られながら学園に向かうわずかな時間だけが、誰にも邪魔されずにソフィアお嬢様とコミュニケーションを取ることの出来る機会だ。


「シリル、今日の放課後の予定はどうなっていますか?」

「ソフィアお嬢様はハロルド皇子殿下と薔薇園の視察となっています」

「シリルも一緒ですか?」

「いいえ、私はシャルロッテ皇女殿下と研究をすることになっていますので、ソフィアお嬢様にはルーシェ、それにロイとエマがお供します」

「そうですか……」


 ソフィアお嬢様の長いまつげが寂しげに伏せられた。


「ソフィアお嬢様、最近はお勉強やお稽古を見ることが出来ませんが、学園で困ったりはしていませんか?」

「それは大丈夫、ですけど……」


 ソフィアお嬢様が言葉を濁して顔を逸らした。


「なにか、問題でもありましたか?」

「もう少しシリルと一緒にいたいかな、なんて」


 上目遣いを向けてくるお嬢様が可愛すぎる。まだ昨夜の人懐っこいお嬢様が隠れていないようだ。お嬢様もそれに気付いたのか、誤魔化すように両手を振った。


「も、もちろん、シリルが忙しいのは分かっています。ですから、わがままを言うつもりはないですよ? ただ、叶うならそうしたいかなぁ……って」

「そうですね。いまはお互い忙しい身ですが、この件が片付いたら何処かへ出掛けましょう」

「……え? 本当ですか?」

「はい。お嬢様はどこが良いですか?」

「わたくし、合宿で行った港街が良いです。知っていましたか? 平民達はあの海で泳いで遊んだりするんですよ? わたくしも海で泳いでみたいです」


 海、か。

 もし本当に海で泳ぐことになれば、ソフィアお嬢様の水着を用意する必要がある。だが、そんなソフィアお嬢様の望みはきっと叶わない。

 ……いや、ソフィアお嬢様の望みを叶えるのが俺の仕事だな。


「では、暖かくなったら遊びに行きましょう」

「本当ですかっ、約束ですよ?」

「はい、約束いたします」


 必ず叶えてみせると、俺は執事としての自分に誓った。

 そうこうしているうちに学園の敷地内へと入り、校舎の前で馬車が止まる。俺は馬車から先に降りて、ソフィアお嬢様に手を差し出した。

 

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