閑話 お嬢様のわりと良くある社会勉強 1

 王都にあるローゼンベルク侯爵家の別宅にある、手入れの行き届いた中庭の片隅。木漏れ日が降り注ぐテーブル席に腰掛けるのは、俺がお仕えするソフィアお嬢様だ。

 愛らしい彼女の前に、自作のミル・クレープと紅茶を並べていく。


「本日のティータイムにはミル・クレープをご用意いたしました。そして紅茶は、ローゼンベルク侯爵領で栽培を始めた茶葉による紅茶です」

「ミル・クレープというのですか? とても甘くて美味しそうな匂いがしていますね」


 ミル・クレープを小さく切り分けて口に運ぶ。その直後に起きた変化は劇的だった。ソフィアお嬢様の瞳がキラリと輝き、幸せそうに色付いていく。


「……美味しい。それに不思議な食感ですね。クレープと名がついていると言うことは、あのクレープを重ねているのですか?」

「ええ。レシピは若干異なりますが、基本的にはその通りです。手間が掛かりますので、あまり庶民向けではありませんが……」


 見た目が綺麗なので貴族には受けるとほのめかすと、ソフィアお嬢様は微笑みを浮かべた。

 関係者の反応を見ても、クレープが注目を浴びるのは疑いようがない。そのクレープを利用した新しいケーキを発表すれば、お嬢様の注目度は増していくだろう。

 俺がそれを計算してミル・クレープを作ったと気付いたのだろう。


「私はただ、ソフィアお嬢様に違う形のクレープを楽しんでいただきたかっただけです。もちろん、このレシピをどう扱うかはお嬢様にお任せいたしますが」


 俺の望みはお嬢様が幸せな日々を過ごすこと。だからお嬢様が自分の影響力を増すために使っても構わないし、自分だけで楽しんでも構わない。


「では、しばらくはわたくしとシリルの二人だけで楽しみましょう」

「私も、ですか?」


 どういう意味かと首を傾げる。その答えと言わんばかりに、一口サイズのミル・クレープを刺したフォークが差し出される。

 その意図に気付いた俺は「はしたないですよ、お嬢様」とたしなめた。


「あら、わたくしがそのようにはしたない真似をするはずがありません。これはシリルに毒味をお願いしているだけです」


 優雅な笑みを湛えているが、瞳の奥にはイタズラっ子が顔を覗かせている。そもそも自分が先に食べておいて、毒味もなにもあったものではない。

 だが言い訳としては面白い。

 仕方がないなと苦笑いを浮かべ、周囲に人の気配がないことをたしかめる。それからフォークを持つお嬢様の手を握り、その先にあるミル・クレープにかぶりついた。


「え……シリル?」


 まさか、俺がお嬢様の手ずからケーキをパクつくとは思っていなかったのだろう。優雅な笑みが崩れて、透けるような白い頬に朱が差した。


「ご心配なく。少し甘さが先行していますが、毒は入っていませんよ」

「ふえ? あ、毒味をお願いしたんでしたね。……って、甘さが先行しているのですか? わたくしはほどよい甘さだと思ったのですが……」


 自分の味覚に不安を覚えたのか、その愛らしい顔が曇った。取り繕うことに長けているはずなのに、俺の前では些細なことで表情をころころと変えるお嬢様が愛おしい。


「……シリル? どうして笑うのですか?」

「いいえ、なんでもありません。それより、お嬢様がほどよい甘さに感じるのは当然です。なぜならそのミル・クレープはソフィアお嬢様のためにお作りしたのですから」


 ソフィアお嬢様は俺よりも少しだけ甘い物を好む。そんなお嬢様のために作ったケーキが、俺にとって少し甘く感じるのは必然だ。


「そっか……それで、わたくしにはほどよい甘さだったのですね」


 お嬢様は感心した様子であらたにクレープを切り分けてフォークに突き刺す。だがそれを口元に運んだところで固まってしまった。


「……ソフィアお嬢様、新しいフォークをお使いになりますか?」

「ふぇっ!? そ、その必要はありません」

「そうですか……?」

「そ、そうですわ。そもそも、毒味などよくしていることではありませんか」


 たしかに毒味をするのは珍しくないが、同じフォークを使うことはない。さすがに不味かったかと思ったのだが、彼女はパクッとケーキにかぶりついた。


 それから真っ赤になって、だけどなんでもないようにすまし顔を装う。お嬢様は少しだけ上擦った声で「そういえば」と切り出した。


「シリルはお菓子のお店を出したりはしないのですか?」

「私が、ですか?」

「ええ。それだけの腕があれば、王都一の人気店を作るのも簡単でしょう?」

「私はお嬢様のためにお菓子を作るだけですので、お店を開きたいとは思いません。それに、リベルトがお店の準備中ですし――」


 そこまで口にした俺はあるアイディアを思い付き、お嬢様に笑顔を向けた。


「ソフィアお嬢様、社会勉強をいたしましょう」

「あら、今度はどのような社会勉強ですか?」


 実際に見て覚えるは、俺が主軸としている教育方針だ。これまでにも何度か社会勉強をしているため、お嬢様は最初から内容に興味を示した。

 目を輝かせるソフィアお嬢様に、俺は「ウィッグを用意しましょう」と言い放った。


     ◆◆◆


 王都にある表通りの一角にとある定食屋が存在する。そんなお店の看板娘、レーナは給仕でせわしなく店内を回っていた。


 オープンして数年のお店だが、料理の味がよいと徐々に評判を集めている。以前から少しずつ客足が増えていたのだが、ここ数日はそれが目に見て多くなった。


 原因は斜め向かいでおこなわれている工事である。

 工事現場で働いている者達が客としてやってきているのだ。


(本当なら、喜ぶことなんだけどね……)


 赤い髪を揺らしながら、せわしなく店内を回る彼女の笑顔には陰りが見える。

 先日、店主の父が過労で倒れてしまった。いまはベッドから起き上がることが出来ないでいるが、幸いにして命に別状はなく、寝ていればそのうち治るとのことだ。


 だが、ここは夫婦と娘であるレーナの三人で切り盛りしてる小さなお店。料理は母が担当なのでいまはなんとかなっているが、仕入れに行く余裕すらない。

 このままでは店が回らなくなってしまう。


 それに――と、レーナは窓から見える斜め向かいの工事現場に視線を向けた。ラクール商会という、この町でその名を知らない者がいないほど有名な商会がお店を作るらしい。

 それも、客の噂話によるとなにやら食事関係のお店なのだという。


 ラクール商会のお店ならば富裕層を対象としているはずなので競合はしないはずだと父は言っていたが、それでも客を取られるかもという心配は尽きない。

 父が倒れたのだって、その心労がないとは言い切れない。


 レーナの家は決して裕福ではない。親が店を持ち、レーナはその跡を継ぐのが夢だが、少し躓けば全て泡と消えてしまう。

 だからこそ、このピンチを家族みんなで乗り越えなくてはいけない。


 ――と、そんな風に気負いながら給仕していたのがいけなかったのだろう。とあるテーブル席にお代わりの飲み物を運んだとき、レーナは手を滑らせてカップを落としてしまう。

 一瞬の時間が引き延ばされたのかのようにカップがテーブルに落ち、カシャンと乾いた音と共にテーブルの上に飲み物が広がる。


「ご、ごめんなさい。――っ」


 謝罪を口にしたレーナは、飲み物を飛ばしてしまった相手を見て凍り付いた。

 まだ十歳を超えたくらいだろうか? 自分と同じような赤毛の少女だが、上品な刺繍を施したワンピースを身に纏う彼女の佇まいは、明らかに高貴な生まれであるとうかがえる。


(ど、どどどどうしよう! 弁償? 弁償だよね!?)


 高価な服の中には、レーナが一生働いても買えないような服も存在する。借金を負って奴隷に堕とされる未来を想像したレーナが硬直したのも無理からぬことだ。


 そんなレーナに代わり、少女の向かいに座っていた少年が立ち上がり、素早く彼女の顔に飛んだ飲み物をハンカチで拭き取っていく。

 その少年が、レーナをじろりと睨んだ。


「なにを呆けているのですか? テーブルを拭く布を持ってきてください」

「し、失礼しました!」


 慌てて厨房に飛び込んだレーナは、そこにあった布巾を掴んで席に戻る。そのときには既に少女はテーブルから避難しており、服についたシミを少年に拭かせていた。


「あ、あの、手伝います」

「いえ、こちらの手は足りています。それより、部屋を貸していただけないでしょうか?」


 少年に言われて気付く。周囲の注目を明らかに集めてしまっている。飲み物にまみれたお嬢様の姿を人目に晒し続ける訳にはいかない。


「失礼しました。奥に部屋があるので案内します」

「いいえ。心配そうにこちらを見ているあの方にお尋ねするのでそれには及びません。それより、貴方はテーブルを片付けてください」


 他の客を優先しろとの気遣いだが、いまのレーナに気付く余裕はない。

 騒ぎを聞きつけて様子を見に来たであろう母が真っ青になりながら二人を奥へと案内するのを尻目に、レーナは半泣きでテーブルの片付けを始めた。

 

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