閑話 お嬢様のわりと良くある社会勉強 2
急いでテーブルを片付け始めたレーナだが、見かねた客が手伝ってくれたために、思いのほか早く終わった。昼飯時を過ぎ、注文が途絶えた時期だったのも幸いだった。
そうしてテーブルを片付けたレーナは、急いで奥の部屋へと駆け込む。
母のレジーナは席を外しており、部屋には少女と少年の二人だけ。
少女はワンピースを脱ぎ、代わりに給仕服を身に着けていた。レーナの替えである為にサイズが合っていないが、妙にその立ち姿は板についている。
思わず見とれていたレーナだが、不意に我に返って頭を垂れた。
「申し訳ありませんでした。汚してしまったお召し物は必ずシミを綺麗に抜いてお返ししますので、どうかお許しください!」
「許します」
必死に許しを請うレーナに、少女は優しく微笑んだ。
貴族社会においてよく使われるのは『謝罪を受け入れる』という表現。今回の『許します』というのは、禍根を残さないという明確な表現である。
平民であるレーナには知り得ぬ言い回しだったが、少女の表情からそれを察して安堵する。
「ありがとうございます。それで、シミ抜きですが……」
「服のシミ抜きは貴方のお母様がしてくださっているので問題ありません。それより、フロアを放っておくのは不味いのではありませんか?」
「それは、そうなんですが……」
もちろん、フロアのことは気に掛かるが、それ以上に少女のことを放っておけるはずがない。そんなレーナの内心を読み取ったらしい、少女が小さく頷いた。
「たしかに、私達をここに置いておくのは不安でしょうね。シエル、フロアをお願いします」
「かしこまりました、エフィーお嬢様」
「え? ……え?」
混乱している内にシエルと呼ばれた少年はフロアへ向かう。我に返ったレーナは、どういうことかとエフィーに視線を向けた。
「フロアの方はシエルに任せておけば心配ありません」
「任せるって言っても……」
店の人間じゃない人に手伝ってもらう――ということに忌避感はない。ただ、自分より少なくとも三つは年下の子供に任せることに不安を抱く。
「心配なら様子を見てきてもかまいませんよ?」
「そ、そうさせてもらいます」
シエルの後を追い掛けてフロアを覗くと、シエルはよどみなく客の食べ終わった皿を片付けていた。ずっと手伝いをしているレーナから見ても恐ろしいほどの手際だ。
幸いにしてピークは過ぎて、あらたな客は入っていない。ゆえに、彼にフロアを任せても大丈夫だろうと判断した。レーナは色々と困惑しつつも部屋に戻る。
「安心しましたか?」
「はい。……でも、任せて良いのでしょうか?」
「では、他に手はありますか?」
「それは……」
答えることは出来なかった。
粗相をして迷惑を掛けたエフィーを放っておくことは出来ないが、店に来ている客を放り出す訳にもいかない。そうなると、たしかにシエルにフロアを任せる以外に手はないだろう。
どうしてこうなったのかと困惑しながら、お世話になりますと頭を下げる。
お茶を出したりして持てなしながらシミ抜きが終わるのを待っていると、エフィーが「一つ聞いてもよろしいでしょうか?」と口を開いた。
「は、はい、なんでしょう?」
「お店は随分と繁盛しているようですが、手が足りていないのではありませんか?」
「す、すみません!」
飲み物を零したことを責められているのだと思って慌てて謝罪する。
「いえ、責めているのではありませんわ。ただ、人手が足りていないように見えましたので、なにか事情があるのではないかと思いましたの」
「あ、それは……」
「なにか事情があるのですか?」
初対面の相手に話すような事情ではないと思う。だがそれ以上に、迷惑を掛けたこの少女に対して答えないことの方が不誠実だ。
そう判断したレーナは、自分の父親が過労で倒れ、そのうち治るはずだが、いまは起き上がれない状態であることを打ち明けた。
「父親が……それは大変ですね」
エフィーが複雑な表情を浮かべるが、すぐになにかに気付いたようにレーナを見た。
「それでは、いまは貴方とお母様の二人だけで店を回しているのですか?」
「はい、そうなんです。正直いうと、あなたの言うように手が足りていなくて……」
このままでは仕入れもままならず、母親かレーナまで過労で倒れてしまうかもしれない。けれど、店を建てた際の借金があり、今回の医療費も支払わなくてはいけない。
それらを賄うためにも、ここで店を閉める訳にはいかない。
臨時のバイトを探してはいるが、即戦力が必要であるにもかかわらず、それほど多くの給金を支払えないために人が捕まらない。
そういった事情を問われるがままに打ち明けると、エフィーがポンと手を打った。
「では、私とシエルがお店のお手伝いをしましょう」
「……え? な、なにを言っているんですか?」
「実は私とシエルは社会勉強中なのです。ですから、ここのお手伝いをさせて頂けるのであれば、私としても助かります」
「それは……」
シエルは間違いなく戦力になるが、お嬢様らしきエフィーが戦力になるとは思えない。それに、そもそも二人も雇う余裕はない。
それを遠回しに伝えると、エフィーは二人で一人分の賃金で良いと口にした。
お嬢様である少女を雇うことに不安はあるが、そこまで言って断ることなど出来ない。
それに、人手が足りなくて困っているのも事実で――レーナは母と相談した結果、エフィーとシエルの二人を臨時のバイトとして店で雇うことにした。
――結果から言うと、その選択は正解だった。
シエルが即戦力になり得ることはフロアでの働きぶりを見ただけでも分かっていたが、お嬢様と呼ばれていたエフィーまでもが、洗練された動きで給仕をこなしている。
しかもエフィーに至っては、厨房でのお手伝いが出来るほどの料理の腕があった。自分はまだ盛り付けくらいしかさせてもらえないのに――とレーナが嘆くほどである。
ともあれ、フロアはシエルが担当し、食堂は母とエフィーが担当する。そうして手が空いたレーナは、急いで食材の在庫を確認することにした。
「危ないところだったよ……」
食材はなにもかもがギリギリで、このままでは明日にも品切れを起こす。慌てたレーナは床に臥せっている父から話を聞いて、仕入れ先の卸売りのお店へと足を運んだ。
父に書いてもらった地図を頼りに小さな荷車を引いて、表通りから少し外れた店に顔を出す。古くも小綺麗な店に入り、無人のカウンターから奥へと声を掛けた。
「はぁい、少し待ってね~」
ほどなく姿を現したのは、元気が良さそうな黒髪の女の子だった。
「えっと、お客様だよね?」
「あ、はい、ごめんなさい。実はいままで父が仕入れに来ていたんですが、少し床に臥せっていて、代わりに代理できました」
そう言って、父に書いてもらった注文書を手渡す。
だが、自分がようやく読めるようになった文字。自分より小さな子供に読めるのかなと疑問に思うが、黒髪の女の子はささっと目を通して微笑んだ。
「用意するから、ちょっと待っててね~」
女の子が奥に向かって声を掛けると、奥から手伝いらしき少年が現れて食材を運んでくる。
それを荷車へと運んでもらい、不足がないことを確認したレーナが対価を払う。そこへ店番の女の子が一抱えほどの包みをもって来た。
「……それは?」
「ジャガイモだよっ。隣国から取り寄せて、最近栽培を始めたんだぁ~」
「ジャガイモ、ですか?」
「うんうん。安価で手に入る上に、ちゃんと調理したら美味しいんだよ。調理方法や簡単なレシピを書いたメモを上げるから、一度試してくれないかなぁ?」
珍しい食材を試供品として渡されるのは珍しくない。父が仕入れをしていたときも、ときどきこういった食材を持ち帰ることがあった。
もっとも、美味しい食材であれば宣伝せずとも売れるのが普通。こんな風に配る時点で、大半はろくに食べられないのだが……
断る理由はないと、レーナはありがたくそれを受け取った。
ちなみに、ジャガイモの芽に毒があることが一般には知られておらず、食あたりしやすいことから、この国ではよほどの貧乏人でなければ食べない外れ芋と忌み嫌われている。
その芋に手を出すことで、自身の運命が大きく変わることをレーナはまだ知らない。
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