学園の派閥騒動 後編 2

 選民派に対抗する平民の一大勢力。そのリーダーとも言えるリベルトとのファーストコンタクトは失敗に終わった。

 俺は立ち去っていくリベルトを見送りため息を吐く。

 巻き返しの機会はいくらでもあると思いたいが、いくら三年のズレがあるとはいえ、ゲームのイベントに似た状況が発生していると考えると楽観は出来ない。

 可能な限り早く、リベルトと再接触するしかない。


 問題は、彼の誤解をとく方法だ。

 彼はとある過去が原因で貴族に対する不信感が強い。ゆえに作中のアリシアも最初は警戒され、リベルトがデレるまでずいぶんと苦労させられた。

 ちなみに、現実のアリシアがあっさりとリベルトの信頼を得たのは作中よりも幼いことが原因だろう。無邪気で未熟、ゆえにリベルトの警戒心をすり抜けたのだと思われる。

 俺やお嬢様には真似できない方法だ。


 だが、下手なことをしても警戒心を抱かせるだけ。堂々と会うことは難しいが、それでも可能な限り正面から説得する必要がある。

 だとすれば、お嬢様に手紙をしたためてもらうのが最善だろう。


 そんな風に考えながら、取り巻きの片割れと踊るお嬢様を観察する。

 照明を浴びたプラチナブロンドが煌めいている。その髪に縁取られた顔には笑みが浮かんでいるが、あれは侯爵令嬢としての作り物の笑顔だ。

 ……かなり不機嫌っぽい。

 もしかしたら、ダンスを踊りながら口説かれでもしているのかも知れない。


「ソフィア様、凄くダンスがお上手ですね」

「え? あ、あぁ……そうですね」


 不意に掛けられた声に驚く。

 そういえば、アリシアが側にいることを忘れていた。

 予想外の問題が重なったせいで忘れていたが、三年後に入学してくるはずのアリシアがここにいることもかなりの異常事態だ。


「ところで、なぜアリシア様が学園に?」

「ふふっ、どうしてだと思います?」


 人差し指を口の端に沿え、小首をかしげてみせる。その仕草はさすがヒロインといった可愛らしさだが、俺は思わず頬を引き攣らせた。

 いまの反応だけで、答えの予想が付いてしまった。


「もう一度、あなたに会えるかもって思ったんです」


 あぁぁあぁあぁ、やっぱりかっ!

 そのセリフは本来、第二王子とアリシアがダンスを踊る幸せそうなスチルに、ボイスに合わせて表示されるハッピーエンドへと向かうセリフだ。

 なのに、なんで、俺に向かって言ってるんだよ!


 俺はたしかに、第二王子の代わりにアリシアを救った。だから、アリシアが第二王子ではなく、俺に好意を抱くというのは百歩譲って分からなくはない。


 だが、王子と俺が成り代わっただけなら、アリシアが三年早く入学する理由にはならない。

 ましてや、再会して三秒でダンスを申し込んでくるなんて意味が分からない。ヒロインが攻略対象とダンスをするのは本来、ルートが確定したときだけのはずだ。

 なのに、一体この状況はなんなんだ。


「ねぇシリルさん。今日は諦めますけど、いつかまた、私とダンスを踊ってくださいね」


 ゲームのヒロインと言うだけあって、アリシアは愛らしい容姿をしている。

 そんなアリシアに情熱的なセリフを言われて嬉しくない訳じゃない。けれど、俺は執事で彼女は貴族。それに俺は、ソフィアお嬢様を幸せにすると誓った。

 どんな結末になるとしても、俺が自らお嬢様のもとを離れることだけは絶対にない。


「申し訳ありません。アリシアお嬢様の要望には応じられません」

「それは……どうしてですか?」


 明確に拒絶したにも拘らず、アリシアは諦めない。作中のアリシアも明るくて根性のある女の子だったが、更にメンタルが強くなっている気がする。


「私はあくまで執事。決してあの煌びやかな光の下で、あなたと踊るような身分ではないのです。ですから、私はあなたの要望には応じられません」

「でも、この学園の校則によると、身分は関係ないって聞いてます」

「……たしかにそうかも知れません。ですが、どこにいようと、どんなときだって、私はお嬢様の執事。その役目を捨てるつもりはありません」

「むぅ~。ちょっと踊るくらい良いじゃないですか」

「申し訳ありません」


 ここで下手に同情するのは逆効果だ。罪悪感があるからこそ、俺は決して可能性があるような態度は取らない。

 アリシアは頬を膨らませていたが、不意にイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「分かりました。そこまで言うのなら、もう踊って欲しいとは言いません。その代わり、今度私にダンスを教えてください」

「……はい?」

「私、ダンスが苦手なんです。だから教えてください。出来の悪いお嬢様の教育も、執事の立派な役目ですよね?」

「……機会がありましたら」


 それは本来、アリシアの教育係の役目と言いたいところだが、賓客の要望を叶えるのも仕事の内と言われると返答に困る。

 だから俺は『機会があれば』と実質的な断り文句を口にしたのだが――


「ホントですか? 約束ですよ、シリルさん!」


 裏表のないアリシアには通用しなかった。いまのは断り文句だと伝えようとするが、アリシアは胸元に手のひらを添えて、恋する乙女のように微笑んでいる。


「……執事である私に、あなたがそう望まれるのであれば」


 執事の役目としてであれば応じましょう――と、俺は溜め息交じりに答えた。



 それからほどなく、アリシアはクラスメイトらしきお嬢様に呼ばれて席を外した。

 それと入れ替わるように、ダンスを終えたソフィアお嬢様が帰ってきたのだが、彼女はなにやら疲れ切った顔をしていた。


「お嬢様、お疲れ様でした」

「……ありがとう、シリル。本当に疲れました」


 お嬢様が表情を取り繕いもせず、席を外したいという。その要望に従い、生徒に貸し出している休憩室へと移動した。


 お嬢様お付きのメイドが濡れタオルを差し出す。それを受け取ったお嬢様は汗を拭う。両手を念入りに拭いているあたり、相当取り巻き達とのダンスが嫌だったようだ。


「ところで、リベルトさんの対応はどうなりましたか?」

「申し訳ありません」


 俺は頭を下げ、お嬢様が平民を軽視していると、リベルトに誤解されてしまったことを打ち明ける。それを聞いたお嬢様は目を丸くした。


「シリルに任せたのに、リベルトさんがそのように判断なさったのですか?」

「力及ばず申し訳ありません」

「いいえ、シリルが謝る必要はありません。ただ、リベルトさんがそう判断することが予想外だっただけです。シリルはわたくしにとって――あ」


 わたくしにとってと口にしたことで、他人もそう思うとは限らないと気がついたようだ。


「ごめんなさい、シリル。わたくしの判断が間違っていたのですね」

「いいえ。お嬢様は十分にしっかりとした対応をなさっています」


 成人した侯爵令嬢として見るのなら反省すべき点はある。だが、十二歳の女の子であることを考えれば、十分すぎるほどによくやっている。

 それに成人した令嬢とて、あの状況で完璧な対応が出来る者がどれだけいるだろうか? そう考えれば、お嬢様はもう十二分に立派なレディだ。

 だけど、それでも――


「ありがとう、シリル。でもわたくしを甘やかしてはダメ。ちゃんとわたくしに謝らせて。わたくしのせいで、シリルに嫌な思いをさせてしまったのだから」

「いいえ、私は嫌な思いなどしておりません。むしろ、私の方こそ申し訳ありません」


 皮肉られた程度のことはどうでも良い。そんなことよりも、お嬢様に望まぬダンスをさせてしまったことの方が申し訳なく思うと頭を下げた。


「……いいえ、シリルはなにも悪くありません。それに、わたくしも同じです。あなたに嫌な思いをさせるくらいなら、嫌な相手とダンスを踊るくらいなんてことはありません」

「お嬢様……」


 嬉しくないわけじゃないが、お嬢様に護られる執事など本末転倒だ。俺は困った顔をしたのだが、ソフィアお嬢様は静かな口調で言葉を続ける。


「言ったでしょう。あなたを遠ざけるくらいなら、神々すら敵に回してかまわないと。あなたに嫌な思いをさせる庶民派など、選民派もろとも潰してしまえばいいのです」

「お、お嬢様?」


 俺は驚きに目を剥くが、ソフィアお嬢様は唇に指を当ててあれこれ考え始めた。


「そうですね。そうすれば、派閥争いなどという面倒なことにも煩わされなくなりますし、わたくしとシリルの邪魔をする者もいなくなるでしょう。良いことずくめですね」

「……本気で、おっしゃっているのですか?」

「本気だと言ったら……ついてきてくれますか?」


 アメジストの瞳がジッと見つめてくる。俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 第二王子を失脚させ、リベルトを破滅に追い込む。

 お嬢様が本気でその力を振るえば、決して不可能なことではない。

 だから――


「お嬢様が心から望まれるのなら、私はどこまでだってお供します」


 ソフィアお嬢様は口元を手で隠して、信じられないと目を見開いた。だけど、すぐに口を覆った指の隙間から笑みがこぼれる。


「……ありがとう、シリル。冗談だから安心してくださいね」

「はい、お嬢様」


 予想通りの答えに、俺はふっと笑った。

 第二王子やリベルトを排除することは難しくない。それに反発する者達をもねじ伏せ、お嬢様が統治する争いのない学園を作り上げることも可能だ。

 だけどそれじゃ悪役令嬢そのものだ。


 いまのお嬢様が、そんなことを望むはずがない。ただ選民派と庶民派のあれこれで溜めた不満をぶつけ先がなくて愚痴っているだけだ。

 少々過激だが、ストレスの発散は必要だろう。


「さて、話を逸らしてごめんなさい。今後について話し合いましょう」

「かしこまりました。今後の予測ですが……今回の一件はリベルト様の誤解を招いただけに留まらず、お嬢様の派閥にも動揺を招くこととなるでしょう」

「リベルトさんは分かりますが、わたくしの派閥、ですか?」

「ええ。お嬢様は平民よりの派閥だとほのめかして彼女らを仲間に引き入れたにもかかわらず、選民派に寄り添うような行動を取りましたから」


 ほのめかしただけで、平民に寄り添うとも、選民派に敵対するとも明言してない。だからこそ、派閥に入った彼女達に謀られたと判断される可能性がある。


「……その通りですね。わたくしは色々と甘く考えていたようです。分かりました。そう言うことであれば、お友達にはわたくしが話を通しておきます」

「ええ、それがよろしいかと」

「派閥の件はそれで良いとして、問題はリベルトさんの対応ですが、わたくしがいまから会いに行く訳にはいきませんよね?」

「ええ。お嬢様が動くのは目立ちすぎます」


 リベルトは既に会場を後にした。おそらくは中庭の会場へ戻ったのだろう。

 使用人の俺ですら動向を探られている可能性がある。お嬢様が中庭まで足を運べば、それだけで選民派を刺激しかねない。


「では、シリルが接触してくださいますか?」

「はい。お任せください。……と言っても、さすがに今日は私でも目立つでしょう。後日接触する機会をうかがうので、お嬢様の書状をいただけますでしょうか?」

「分かりました。部屋に戻ったらすぐに用意しましょう」

「よろしくお願いします」


 厄介ではあるが、対応できないレベルじゃない。このピンチを乗り越えて、お嬢様と俺が処刑されるエンドを回避してみせる。


「さて、話も一区切り付いたところでそろそろ本題に入りましょう」

「……本題、ですか?」


 庶民派の対策は話し終えたばかり。選民派の方は、ダンスを踊ったこともあり、しばらくは大丈夫なはずだが……他になにかあっただろうか?


「さきほど、アリシア様とずいぶん楽しげに話していましたね?」

「え? いえ、その……お嬢様のダンスが上手だと話していただけです、よ?」


 処刑エンドを避ける前に、俺だけが葬られるエンドを避ける必要がありそうだ。




 なにはともあれ、パーティー自体は無事に終わった。

 お嬢様が闇堕ちしかけるというトラブルにも見舞われたが、アリシアとなにを話したかを正直に伝えたら、わりとすんなりと納得してくれた。

 何事も誠意が大切だと身に染みて実感した。


 それはともかく、翌日は朝から反省会を兼ねた打ち上げで、その後は会場の片付け。という訳で教室に顔を出した瞬間、昨日はお疲れ様と盛大に出迎えられた。


 この一ヶ月、俺と一緒に会場の設営をおこなった者達とはずいぶんと仲良くなった。彼らは皆一様に表情が明るい。昨日の会場の評判が上々だったからだろう。

 対して、ライモンドを始めとした中庭組がなにやらどんよりしている。


「昨日、なにかあったのですか?」


 中庭のヘルプに出向いたルークに問い掛けると、メイン会場と比べられたせいで、かなりの低評価を受けたらしいと教えてくれた。

 それに、中庭にやって来た――つまりは庶民派寄りの貴族の不興を買ったこともある。

 そのトラブルを解決したのが、ヘルプに入ったルークということもあり、中庭組はAクラスの落ちこぼれとまで噂されているらしい。

 耳を澄ませば、どうして俺が……なんて声も聞こえてくる。


「――ちくしょう、お前のせいだ! 本当ならAクラスのエリートとして名家の使用人になれるはずだったのに、お前のせいで全部台無しだ!」


 不意にクラスメイトの一人がライモンドを罵倒した。


「う、く……わ、悪かったよ」


 誰よりも沈んでいたライモンドは悔しさを滲ませながらも謝罪の言葉を口にした。だが、それは他の者達を勢いづかせる結果となってしまう。


「悪かったですむかよ! おまえが頼りないから俺達がこんな目に遭ったんだ! あれこれ偉そうに命令しやがって、結果は散々じゃねぇか、どうしてくれる!」

「そうよ、責任取りなさいよ!」


 ライモンドと共に設営をしていた生徒達が次々にライモンドを責め立てる。

 だが、ライモンドは言い返さない。誰よりも、自分の責任を感じているのだろう。目には涙を浮かべながらも、ぎゅっと拳を握り締めて耐えている。


 だが、彼らの批判は収まらない。

 耐えきれなくなったライモンドが教室から飛び出してしまうが、彼らはトーンを落とすどころか、居なくなったライモンドの陰口をたたき始めた。


「そこまでになさい。あなた方は子供ですか!」


 机を叩いて立ち上がったのは、他でもない俺だった。ルークを始めとした、この一ヶ月俺と一緒に作業をしていた仲間達が驚いた顔で俺を見ている。

 俺が声を荒らげるのは初めてだったからだろう。


「あなた方はライモンドに同調して、中庭の設営を選んだはずです。なのに、失敗したら全部ライモンド一人のせい? あなた方は本気でそう思っているのですか?」

「そ、それは……」

「ライモンドにも落ち度はあったでしょう。ですが、彼一人で全てが回るわけではありません。あなた方の評価は、あなた方全員で得たもののはずです」


 もし彼らの言うとおり、成否の責任が責任者一人にあるというのなら、関わった他の連中に一切責任がないというのなら、成功した名誉も全て責任者一人のものということになる。

 だが、そんな馬鹿なことはない。

 俺達のグループが成功したのは、俺達が全員で協力し合ったからだ。


 ――と、そこまで捲し立てたところで、自分が少し熱くなっていたことを自覚する。

 最初に子供かと怒鳴ってしまったが、彼らは実際に十二歳の子供。彼らを責める理由としては不適切、こんな風に捲し立てる俺こそが大人げない。

 俺は深呼吸をして、自分の気持ちを落ち着けた。


「私の感想を言わせてもらうと、あなた方の設営は良く出来ていましたよ。色々と不運が重なって低評価となったようですが、理解を示してくれる者はいるはずです」


 たとえば先生方。

 毎年の設営を見ている先生方であれば、比較対象は例年の会場となる。であれば、決して中庭の設営がお粗末だったとは思わないはずだ。

 そう口にしたのだが、クラスメイトの反応は思わしくない。


「おまえは……敵対した俺達の設営を評価してくれるのか?」

「私は敵対した覚えなどありませんよ」


 トリスタン先生が彼らと俺の対立を煽ったのは生徒の成長を促すため。俺がその思惑に乗ったのも、お嬢様の名誉を守り、自分の実力を証明して認められるため。

 決して、彼らを蹴落とすためじゃない。


「もう一度言います。あなた方の設営は、十分にAクラスにたり得る出来映えでした。いまは色々言われていたとしてもそれは一時的なもの。その評価はすぐに覆せるはずです」

「そんなこと、本当に出来ると思ってるのか?」

「可能です。いずれ、他のクラスとも競うときが来るでしょう。そのときこそ一丸となって、見下している連中に格の違いを見せつけてやれば良いではありませんか」


 彼らは今回の設営で多くのことを学んだはずだ。そんな彼らと俺達が一丸となって動けば、最高の仕事が出来るだろう。

 そんな言葉を聞いた彼らは、俺が疎ましく思っているわけではないと知る。そして、自分達がまだ終わっていないと理解して、その表情を和らげた。

 俺はそこにココンと釘を刺す。


「――ただし、自分の失敗を他人のせいにしているようではダメです。それは使用人としての能力以前の問題ですよ」

「うくっ。わ、悪かった……」

「謝る相手は私ではありません」


 謝るべき相手はライモンド。彼が戻ったら仲直りするようにと言い含めて、俺は彼を探してくると教室を後にした――ところで、教室の外にいたトリスタン先生に出くわした。


「……先生? もしかして盗み聞きですか?」

「人聞きの悪いことを言うな。へこんでる連中のフォローをしようと思って待機していたんだ。おまえが、俺の役目をほとんど持って行っちまったがな」

「それは失礼いたしました。ですが、私を巻き込んだのは先生ですよ?」

「分かってるよ。だから、手柄はおまえに譲ってやっただろうが」


 口では悪態を吐いているが、トリスタン先生はきっと自分の手柄なんて望んでいない。彼が望むのはきっと生徒の成長。だから自分で仲裁に入らずに、俺の仲裁を見守った。

 やり方には問題も多いが、本当は優しい人間なのだ。


「ほら、ついでにライモンドのところへもお前が行ってやれ」


 彼はその精悍な顔に優しい表情を浮かべ、ライモンドが去った方向を指差した。



 トリスタン先生に送り出され俺はしばらく探し回り、中庭の片隅――まだ片付けの終わっていないパーティー会場で膝を抱えているライモンドを見つけた。


「ようやく見つけましたよ」

「……んだよ、なにしにきたんだよ。俺を笑いにきたのか?」

「いいえ、迎えに来たんです」

「迎えに来た? なに言ってやがる。笑えよ、滑稽だろ? おまえに突っかかって無様に負けて、他の連中にまでそっぽを向かれたんだぜ?」

「でも、あなたは自分の責任からは逃げなかった」


 仲間だった連中に罵倒されても言い返さなかった。最後は受け止めきれずに逃げ出してしまったが、それでも自分の責任ではないとは言わなかった。


「……おまえはホントに、話に聞いた通りの奴なんだな」

「話に聞いた、ですか?」

「おまえと同じグループの奴から、おまえは悪い奴じゃないって聞かされたんだよ。それに、おまえのダンスの成績が低かった理由も他の奴に聞いた」

「そうでしたか」


 51点が本来あり得ない数字だったことも聞いたのだろう。だとしたら、トリスタン先生が51点に言及した本当の意味や、あえて対立を促したことにも気付いたのかもしれない。

 そんな風に考えていると、ライモンドが頭を下げた。


「その、悪かった」

「なにに対しての謝罪でしょう?」

「全部だよ。おまえに突っかかって悪かった。それに、事情も聞かないでダンスの成績について馬鹿にして悪かった。あと、そのことを教室で騒いだこととか……とにかく悪かった!」


 深々と頭を下げて、そのまま上げようとしない。


「反省したのなら次に活かせば良いのです。私に謝罪する必要などありません」


 不確かな情報をもとに不用意に動いたことは反省すべきだが、先生の思惑に乗って弁解しなかったのは俺なので、彼が暴走した責任の一端は俺にある。

 むろん、試験会場で絡まれたときは面倒くさいと思ったりもしたが、クラスでの対立はある意味俺が望んだ結果だ。謝罪されるようなことはなにもない。


 それに、こんな風に謝れるライモンドは悪い奴じゃないと思う。だからさきほどの謝罪で、試験のときのことも含めてすべてを水に流すと決めた。


「許してくれるのか?」

「ええ、許します。その代わり、一つだけ教えてくれませんか?」

「……なんだ?」

「中庭の設営を見る限り、あなたは十分に有能です。無理をせずとも、卒業後には名家の使用人になれるでしょう。なのに、なにをそんなに焦っているのですか?」


 彼の実力なら、確実に貴族の目に留まるだろう。もしライモンドがお嬢様の不興を買っていなければ、俺が推薦していたかも知れない。

 彼のがっついた態度は明らかに逆効果だ。


「卒業まで待ってられなかったんだ」

「……どういうことでしょう?」

「父さんが……事故で死んだんだ」


 彼が唐突に口にしたのは悲しい現実だった。執事としての装いが剥がれ落ち、素のライモンドが顔を出す。彼は年相応な口調で、ポツポツと事情を話し始めた。

 彼の父はとある貴族に仕える執事だったそうだ。そして、ライモンドやその弟たちも、父のような貴族に仕える使用人を目指していたらしい。

 だが、そんな父が事故で急死した。


 多少の蓄えはあったが、それも家族が何年も暮らせるほどじゃない。どうするか家族で話し合った結果、ライモンドが学園に入学することになった。

 学費を支払えるのは一年程度。そのあいだに雇い主を見つけ、生活費と弟たちの学費を稼ぐ。そんな風に家族の命運をその小さな背中に負ってここにやって来た。


「だから……そんなにも気負っていたんですね」


 前世の俺が十二歳の頃なんて、なにも考えずに遊んでいた。もし前世の俺が彼と同じ状況になったのなら、訳も分からず泣き叫んでいただろう。


「なぁ……シリル。自主退学したら、学費の一部だけでも戻ってくると思うか?」

「それは……難しいでしょうね」


 入学を決めた時点で、学園は一人分の枠を確保している。退学したからといってお金が返ってくるとは思えない。


「そっか……まぁ仕方ないよな。シリル、おまえには色々と迷惑を掛けて悪かったな」


 ライモンドはそう言って立ち上がり、俺に背を向けて歩き出す。


「諦めるつもり、ですか?」


 その背中に問い掛けるがライモンドは止まらない。


「――本当に、それで良いのですか?」


 再び問い掛けると、ライモンドはようやく足を止めた。そうして振り返った彼は、この世の不条理に晒されて泣きそうな顔をしていた。


「だって……仕方ないだろ? なんとかしようと足掻いて、だけどおまえに負けて、一緒に頑張ってきた奴らからも見放されたんだ。これから、どうしろって言うんだよ?」

「なら、学園を辞めてどうするつもりですか?」

「……そうだな。いままでに学んだ知識を活かして、どこかで働かせてもらうさ。そうしたら、家族を養うくらいはなんとかなるかもしれないからな」


 家族のために、いま出来る精一杯を――か。


「諦めるのは、少し早いかも知れませんよ?」

「……なにを、言ってるんだ?」


 ライモンドはクルリと振り返る。その青みを帯びた瞳には、疑惑と期待をないまぜにしたような強い感情が滲んでいた。


「中庭の設営は決してお粗末なものではありませんでした。他のクラスと競うことになれば、それが明らかになるでしょう。次のチャンスを待ってはいかがですか?」

「無様に負けた俺にチャンスなんて来ない」

「いいえ、チャンスは来ます。私が、あなたにチャンスを与えます。それがクラスの代表となった私の役目ですから」

「おまえは……敵対した俺にチャンスをくれるって言うのか?」

「いまのうちに失敗をして学べとトリスタン先生が言っていたでしょう? こう言っては傲慢に聞こえるかも知れませんが、あなたが挫折するのも想定済みだと思いますよ」


 俺が転生者であるなんて想像もしていないとは思うが、異質な存在であることには気付いているだろう。であれば、俺が負ける可能性は低いと踏んでいたはずだ。


 そもそも、俺はお嬢様の専属執事として相応しい能力を見せつける必要がある。それに必要なのは、他人を蹴落とすことでなければ、他人を圧倒することでもない。


 使用人を統括する立場として、周囲の人間を上手く使うことだ。この程度のことで有能な人間を切り捨てるなんて、使用人の統括として相応しくない。


「ライモンド、私と仲間になりましょう」

「……仲間に? 俺と、おまえが?」

「ええ、そうです。私の仲間になってくれるのなら、あなたがこの一年でどこかの家に雇われるように協力を惜しみません。だから――」


 右手を差し出す。それを見たライモンドは目を大きく見開いて――


「ごめん、本当にごめん」


 顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。

 意地を張って強がっていても、本当はまだまだ十二歳の子供なんだろう。俺は仕方ありませんねと笑って、差し出していた手をライモンドの頭に乗せた。


「ほら、執事が人前でそのように感情を露わにするものではありませんよ?」

「――っ」


 ライモンドの頭を撫でつけると、彼は俺から逃れるように身をよじった。それからハンカチでゴシゴシと涙を拭って、どこかばつが悪そうな顔をする。

 クラスメイトの前で泣きじゃくったことが急に恥ずかしくなったようだ。


 俺は気づかないフリをして、教室へ戻ろうと促す。

 教室に戻ったライモンドは、俺に促されて仲違いをした仲間達と話し始めた。最初はぎこちなかった彼らだが、最終的には和解するに至る。

 少し時間は掛かってしまったが、クラスの結束は固くなった。後は落ち着いて、リベルトや第二王子の問題に対処するだけ。

 そう思った矢先――第二王子が俺達の教室に乗り込んできた。

 

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