学園の派閥騒動 後編 1

 新入生歓迎パーティーで庶民派が接触することは予想していたし、ソフィアお嬢様の可愛さにやられた第二王子がダンスを申し込んでくることも予想の範囲内ではある。

 三年後に入学してくるはずのヒロインがここに現れる可能性だって少しは予想していた。


 だが、ソフィアお嬢様が俺と踊りたそうにしている状況。リベルトがお嬢様にダンスを申し込み、アリシアが俺にダンスを申し込み、更には第二王子がお嬢様にダンスを申し込む。

 そんな予想なんて出来るはずがない。


 だが、それでも、俺はソフィアお嬢様の専属執事。この修羅場に優先順位をつけて、お嬢様の被害を最小限に留めなければいけない。

 ……修羅場に優先順位って言葉にすると笑える。


 いや、現実逃避している場合ではない。いまこうして思考を巡らせている刹那の時間にも、ソフィアお嬢様は苦境に立たされている。

 重要なのはお嬢様をお守りすること。そのためには、派閥の対立を避けるのが最優先だ。

 だが、問題は第二王子だ。

 彼のダンスのお誘いに対しては、執事の俺が矢面に立つ訳にはいかない。出過ぎた真似だと咎められればそれまでだし、ソフィアお嬢様の能力が疑われる結果にもなりかねない。


 お嬢様が縋るような目を向けてくるが、俺が替わるわけにはいかない。だから俺は自分の胸に手を当てて、揺れるアメジストの瞳を見つめる。


 ただ護ってきただけじゃない。こんな状況に対処できるようにお嬢様を育ててきた。いまのお嬢様なら、きっとこの状況だって切り抜けられる。

 大丈夫、俺が側に付いています。あふれそうになる想いを心の中で繰り返す。


 ――やがて、ソフィアお嬢様はこくりと頷いた。背筋をピンと伸ばし、侯爵令嬢としての顔を取り戻したお嬢様は、悠然とした微笑みを浮かべて第二王子へと向き直った。


「アルフォース様、大変光栄なお誘いですが、いまは彼女達とお話をしていたところです。あとで必ず伺いますのでいまはご遠慮ください」


 お嬢様の言葉に、成り行きを見守っていた者達が息を呑む。

 だが、それがいま出来る唯一の対応だ。俺がお嬢様の立場でも同じ選択をしただろう。


 より上位の貴族に配慮するというマナーは存在するが、そもそも第二王子の行動が配慮に欠けている。なにより、学園には身分に関係なく対等という校則が存在する。

 この状況下で、第二王子を特別扱いする訳にはいかない。


 だが、あからさまに庶民派の味方をする訳にもいかない。そんな態度を取れば、第二王子と真っ向から対立することになってしまう。


 ゆえにお嬢様が選べる手段は一つだけ。先約である彼女達(・・・)を優先することだ。

 優先するのはあくまでも先約である貴族令嬢。そうすることで立場を明確にせず、実質的には先約のリベルトを優先している。

 第二王子を蔑ろにしたようにも取れるが、後ほどこちらから訪ねると明言したことで、第二王子との時間をしっかり取れるように配慮したとも受け取れる。


 それに、女性からダンスをねだるのははしたないとされている。

 ゆえに、ダンスのお誘いをする殿方に、自分から会いに行くという返答は……なんというか、相当に情熱的な返答だと受け取られてもおかしくない。

 これには第二王子も満足だろうと様子を窺うと、あからさまに不満気な顔をしていた。

 ……なんでだよ。


 まさか、選民派である自分に、この場で恭順を示せと言っているのか? だからこその、こんな公の場で、選民派と対立勢力との邂逅に割り込んだのか?

 だとしたら、相当に厄介だが――


「ソフィアさん、僕と踊って……くれないんですか?」


 全然違った。

 この第二王子、見た目通りの恋する少年である。


「いえ、そういう意味ではなく……えっと……」


 いまにして思えば、ソフィアお嬢様が派閥を作り上げたときも、お嬢様方は貴族社会では当たり前な迂遠なやりとりに対応できていなかった。

 お嬢様の大人顔負けの気遣いも、無邪気な子供には通用しないということ。

 そして――


「ソフィア嬢、まさか上位者である殿下を蔑ろにするつもりではないでしょうね?」


 第二王子の取り巻きの一人がそんな言葉を口にした。

 たしかに身分を考えれば、第二王子を優先するべきだ。身分に関係なく平等という校則があるが、上の者がそんなものは無効だと言えばそれに従うしかない。


 けれど、お嬢様は既に両方に配慮するという意思を示した。身分を重んじるというのであれば、彼の言葉は侯爵令嬢の意見を蔑ろにしている。


 ゆえに、判断はより上位の存在である第二王子に委ねられることとなったのだが――彼の顔にはダンスを踊りたいとしか書いていなかった。


 お嬢様は作り笑顔を張り付かせて「殿下を蔑ろにすることなどございません」と対処して、アリシアやリベルトに向かって「大変申し訳ありません」と頭を下げる。

 殿下のダンスをお受けすると言うことだ。


 リベルトは、こちらも同じような作り笑いを浮かべ「お気になさらず」と応じた。白々しい返答の裏には、お嬢様への失望が滲んでいる。


 どう巻き返すつもりかと見守っていると、お嬢様は「――シリル」と俺の名前を呼んだ。俺は即座に応じて一歩前に出る。


「お詫びと言ってはなんですが、彼がわたくしの代わりにおもてなしを致します。シリル、後のことはお願いしますね」

「仰せのままに、お嬢様」


 俺が応じると、ソフィアお嬢様は少しだけ素の笑顔を見せた。だがすぐに侯爵令嬢然として、第二王子のエスコートを受けてダンスホールへと歩いて行った。

 その両サイドには、当然のように取り巻き達が付き従っている。


 光と闇のエスプレッシーヴォにおける攻略対象筆頭があれで良いのかと問い詰めたい。

 ゲームではもっとしっかりしていたのだが……後三年でしっかりするのだろうか? お嬢様に相応しい相手として、俺が一から鍛え直したいレベルである。


 ……ふむ。『頼りないアルフォースきゅんを立派な王子様に育てよう』的な、ショタ好きの心をくすぐるスピンオフ作品と考えればありかもしれない。


 それはともかく、いまはリベルトへの対応だ。

 いまの状況、リベルトはお嬢様に失望している。このままでは、お嬢様が選民派の人間だと見切りをつけてしまうだろう。

 お嬢様が戻ってくるまで、俺がリベルトの相手を務める必要がある。俺は深呼吸を一つ、対応の手順を素早く汲み立てリベルトと向き直る。


「お嬢様が大変失礼をいたしました。ソフィアお嬢様の専属執事である私、シリルが精一杯のおもてなしをさせていただきます」


 選民派の視線を気にしつつ、俺がお嬢様の代理としてここに居ることを遠回しに伝える。

 それから、俺はアリシアへと向き直った。


「アリシア様、大変名誉なお誘いとは存じますが、私はただの執事で、いまはお嬢様の指示により、彼のもてなしを任されております。申し訳ありませんが……」

「分かりました。そういう事情ならダンスは諦めます。でも、一緒にお話しするくらいなら良いですよね?」

「それは……」


 俺の決められることではないと、リベルトに伺いの視線を向ける。


「俺は構わない。ただ、俺はしがない平民だが、そっちのお嬢様はかまわないのですか?」


 リベルトが探るように問い返す。俺達の動向をうかがっている者達からも緊張が走るが、アリシアは無垢な笑顔を浮かべて小首をかしげた。


「なにか問題があるんですか?」

「くっ、くく……そうか。たしかになにも問題はないな」


 リベルトが破顔して口調を崩した。

 ……あぁ、なんか俺、このやりとりに覚えがある。鼻持ちならないと貴族を嫌っていたリベルトが、ヒロインであるアリシアの性格を知って興味を抱くシーンだ。

 三年後、ゲームが始まってから発生するイベントのはずなんだけどなぁ……


 アリシアに対しては、こちらの勝手な都合で第二王子の運命の出会いをぶち壊しにしてしまった負い目があるので、他の攻略対象との仲は出来れば応援してやりたい。

 やりたいのだが……アリシアとリベルト。この二人が仲良くなるのは、選民派と接触したお嬢様が無実の濡れ衣を着せられるルートだ。


 選民派の第二王子達と踊りに行ったお嬢様と、急接近したアリシアとリベルト。なにやら、思いっきり破滅エンドに向かっている気がする。


 不味い、ここでなんとか軌道修正をしなければ。

 ……どうする? 二人の仲を邪魔するのは悪手だ。貴族と平民が仲良くするのを阻止するなど、俺自身が選民思想の持ち主だと喧伝するようなものだ。


 選民派の貴族から見れば、執事の俺は平民でしかない。だが、一般的な平民から見れば、貴族に仕える俺は貴族の手先だ。

 その見解の違いを見誤るとややこしいことになる。


 しかも、アリシアの好意がなぜか俺に向いている。ここで二人のあいだに入ったら、泥沼の三角関係になりそうな気がする。


 ここはやはり、お嬢様は選民派ではないと理解してもらうのが一番だろう。

 ただ、アリシアがいることもあり、いまの俺達は注目を浴びている。

 ここで『お嬢様は平民の味方です』なんて宣言してしまったら、お嬢様が苦心して第二王子のダンスを受けた意味がない。

 周囲には気付かれないよう、遠回しに伝えるしかない。


「ところで、中庭の設営はずいぶんとずさんなようだな。侯爵家の執事ともなれば、中庭の設営などどうでも良いと言うことか?」


 リベルトからの探りが入れられる。

 その言葉はそのまま、平民なんてどうでも良いと言うことか? という意味である。


「実のところ、中庭の設営に私は関知していないのです」

「なにを言うかと思えば。新入生歓迎パーティーの設営をおこなうのは毎年、執事コースの主席が指揮をすることを、俺が知らないと思っているのか?」


 俺は返答に窮した。たとえば、ライモンドが中庭を担当したと打ち明けたとしても、中庭の設営を蔑ろにしたという疑惑を晴らすことにはならない。

 中庭で問題が起きれば俺の責任だが、品質に関してはライモンドの責任。なんて言っても通用しないだろう。


 だが――リベルトが執事クラスの対立を知らないというのがそもそも疑わしい。

 俺とライモンドが別々に会場を設営していることは一部で噂になっている。他でもないライモンドが、その事実を吹聴しているからだ。


 だとしたら、事情を知った上での質問。最初から、俺――と言うかお嬢様が選民派であることを疑って探りを入れているのだろう。


「中庭の設営は別の人間が担当しているのです」

「そこにお前の意思が働いたのではないか?」

「いいえ、グループ分けをしたのは先生ですから。もし私が中庭の設営に関わっていたら、必ずこの会場と同じように全力を尽くしたでしょう」


 自分に平民を蔑ろにする意思はないと遠回しに訴える。


「なるほど、おまえの言葉は聞いていて心地が良い。だが……俺はこう考える。分かりやすい奴ほど対処は簡単だ。問題なのは――」


 本心を隠す。もしくは本心を偽ることの出来る人間。つまり、俺やお嬢様が本音を偽り、リベルト達を油断させようとしていると疑われている。


「ずいぶんと買いかぶっておられるのでは?」

「ぬかせ。いまの一言だけでこちらの言いたいことを察した奴がなにを言う」


 ……たしかにその通りだな。

 アリシアなら、キョトンとした顔で「なんですか?」とか言いそうだ。そういう意味では、裏表のないアリシアはリベルトと相性が良いんだろう。


 しかし……困ったな。俺の言い回しが通じていない訳じゃない。通じてはいるが、俺の言うことは信用できないと言われている。

 やはり、お嬢様の口から直接伝えてもらう必要がありそうだ。


 幸いにして、リベルトはお嬢様をダンスに誘った。おそらく、内密に話をするのが目的だろう。ワルツを踊っているあいだなら、他の誰にも会話を盗み聞きされることもない。

 ダンスを誘われたお嬢様であれば、現状を思うままに打ち明けることができる。俺が説得するよりも、お嬢様が戻るまで引き留めるようにした方が良さそうだ。


「リベルト様のご懸念は理解いたしました。ですがそれは杞憂だと申し上げましょう」

「……ほう? それを証明してくれるというのか?」

「お嬢様はマナーを重んじる方。先約を無下にすることは決してないでしょう」


 第二王子の相手として、ダンスホールで脚光を浴びている。少しだけ不満気なお嬢様に視線を向けながら、俺は小さな声でそう口にした。

 お嬢様は、必ず後であなたと踊るという意味。そしてその結果は、お嬢様が平民を蔑ろにしていないという証明になる。誤解はすぐに解けるはず、だった。


 ――だが、俺はここで二つ、認識を誤った。

 一つは、第二王子の取り巻き達が思った以上に横暴だったということ。そしてもう一つは、俺に対するお嬢様の信頼がどれだけ強いのか理解していなかったことだ。



 ほどなく一曲が終わり、第二王子に会釈をしたお嬢様がこちらへと足を踏み出す。そんなお嬢様の行く手に、王子の取り巻き達が立ち塞がった。

 離れているために会話の内容は分からない。

 けれど、取り巻きの一人がお嬢様に手を差し出した。その仕草の意味は分かる。彼は、お嬢様に対してダンスを申し込んでいるのだ。


 お嬢様が第二王子に配慮して、アリシア達との会話を中断したことを知っている。

 そんな二人がお嬢様の都合を無視してダンスに誘う。身分を重んじるというのであれば、それは明らかに礼を失する行為だ。


 本来なら第二王子が窘めるべきだが、彼は当てにならない。であれば、多少の角が立つのは覚悟しても、二番目に地位が高いお嬢様が窘めるしかない。


 そう思ったのだが――俺の視線に気付いたお嬢様は小さく頷き、取り巻きの一人の手を取って、再びダンスホールへと足を運んでしまった。


「どうやらあのお嬢様は、平民ごときとの約束は覚えていないようだな」


 リベルトが不快そうに吐き捨てる。

 だが、現状だけを見れば、先約のアリシアを優先する素振りを見せた後、結局は王子のところへと行ってしまい、リベルトの応対は一介の執事に任せっきり。

 リベルトが不快に思うのも当然だ。

 第二王子との対立を避けたかったというのは理解できるが、お嬢様らしくない選択だ。


 理由を考えた俺はお嬢様の認識不足を理解した。

 お嬢様は俺のことを心から信頼してくれている。自分の専属執事が世界一だと本気で信じてくれている。誰よりも信頼できる味方だと思っている。

 ――だから、ほかの者にとっては違うという事実に理解が及んでいない。


 もしも俺が、ソフィアお嬢様の血縁であれば話は別だった。

 お嬢様が身内に対応を任せていれば、リベルトはお嬢様の誠意だと理解しただろう。だがリベルトにとって俺は一介の執事、十二歳の子供でしかない。

 俺に対応を任せたことが、お嬢様にとって最大限の誠意などとは夢にも思わない。


「申し訳ありません。お嬢様は事を荒立てることを嫌ったようです」

「どうかな。全てあのお嬢様の計算通りなのではないか?」

「いいえ、決してそのようなことはありません。ですが、リベルト様が不快に思うのは当然ですゆえ、主に変わり謹んでお詫び申し上げます。この埋め合わせは後日必ず」

「いいだろう。俺は、覚えておこう」


 リベルトは含みを残して、所用があるからと会場を後にした。

 

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