学園の派閥騒動 前編 7

 お嬢様の願いを叶えるのが俺の役目だが、その願いが分からなければ手助けは出来ない。お茶会が終わって教室へと戻る途中、俺はお嬢様の真意を確認することにした。


「お嬢様はなにを考えておいでなのですか?」

「第二王子の周囲に、選民思想の強い方々がいらっしゃるんです」


 遠回しな表現だが、それは第二王子が選民派だという意味だ。

 お嬢様の言葉でなければ疑っただろう。ゲームの中ではむしろ、お嬢様が選民思想を持っていて、第二王子はそれを嫌っている側の人間だった。


 選民思想の強い連中――しかもこの短期間でソフィアお嬢様が断言すると言うことは、それを隠そうとしていない連中ということ。

 王子がそんな連中を引き連れているというのは想定外だ。


 ゲームが始まる三年後までに心変わりするのが設定なのか、お嬢様同様になんらかの外的な影響を受けて、ゲームと考え方がズレているのか……どっちにしても注視する必要がある。


「……ところで、お嬢様はそれを理解した上で、派閥をお作りになったのですか?」

「ええ、その通りです」


 第二王子が選民派ともなれば、その影響力は計り知れない。放っておけば嫌でもその勢力に飲み込まれる。それを防ぐには、早急に対策を取る必要があったのは分かる。

 だけど――


「両方の勢力から距離を取る方法もあったのではないですか?」

「嫌です」

「え、嫌、ですか?」


 即答で拒絶されると思っていなくて反応に困ってしまう。


「両勢力から距離を取るには、中立的な行動を取る必要があります。それはつまり、シリルとも距離を取らなくてはいけないということではありませんか」

「必要ならばそうするべきです」

「必要ではありません。どうしてそんなイジワルを言うのですか?」

「イジワルでもありません。お嬢様はこの国の王子と対立しようとなさっているんですよ?」


 王子が選民派の旗印だとしても、ソフィアお嬢様はそれに対抗できるだけの力がある。だからこそ、相手もお嬢様を放ってはおかない。対立の激化は必至だ。


「ローゼンベルク家の令嬢としては避けるべきなのでしょうね」

「はい。いまからでも、中立として立ち回るべきです」

「心配いりません。わたくしも、なにも正面からやりあおうとしている訳ではありません。極力、対立は避けるつもりです。だからこそ、立場も明確にはしなかったんですから」

「……そうですか」


 お嬢様がちゃんと考えていることに安堵するが、お嬢様は「ですが――」と付け加えた。


「それはあくまで可能な限りです。貴族としてあなたを排除しなくてはならないと言われたら、わたくしは神々を敵に回したとしてもその運命に抗います」

「……お嬢様。そのような冗談を口にするものではありませんよ」

「わたくしは冗談でこのようなことは申しません」


 俺をまっすぐに見つめる一対のアメジストには一点の曇りもない。お嬢様は本気で、俺を遠ざけるくらいなら神々を敵に回すと言っている。


 そのときに俺が抱いた感情はとても言葉では言い表せない。自分では制御できない激情が胸の内で膨れあがる。

 執事として、お嬢様の幸せを願う者として、なにが正しくてどうするべきなのか。葛藤の末に、俺は小さなため息を吐いた。


「分かりました。お嬢様がそこまでおっしゃるのなら、さきほどの言葉は撤回させていただきます。そのうえで、神々と敵対させるようなマネは私がさせません」

「ええ。シリルを信じています」


 お嬢様は選民派に対抗する勢力だとは明確にしないと言った。しばらくは時間を稼ぐことが出来るはずだが、近いうちに両方の勢力から接触があるだろう。


 第二王子と正面切って派閥争いをすることは望ましくない。であれば、内々に庶民派と連絡を取って味方だと伝え、表面上は中立の立場を取ることが望ましい。


 だが、選民派がどこで目を光らせているか分からない以上、不用意に庶民派と接触することは出来ない。どこか、自然に会えるタイミングを利用するべきだ。


 思いつくのは、新入生歓迎パーティー。

 ヒロインが学園に現れるまでにラクール商会のリベルトと接触して、お嬢様が選民思想を持っていない、味方であると理解してもらう。


 そのためにも、新入生歓迎パーティーの設営を滞りなく進める必要がある。俺はクラスメイト達と共に、パーティーの設営を全力で推し進めることにした。




 生徒達は使用人の卵であってプロではない。トリスタン先生の言うように、クラスメイトの仕事には不備も多い。ローゼンベルク侯爵家に仕える使用人達とは比べるまでもない。


 けれど、彼らはただの卵ではなく優秀な卵でもあった。俺の知識と経験を、彼らは乾いた砂のように吸収していく。

 足りない部分はほかの者と補い合って、俺の要求するレベルに応えてくれる。


 クラスの三分の一という少数であることも有利に働いている。

 前世の学祭などなら、自分達で作業をするので人手は多い方が良い。けれど、歓迎パーティーはいわゆる社交界のパーティー。

 設営のあれこれには業者を雇う。

 ゆえに、それぞれを担当する人数が多すぎると、個々の責任感が薄れてしまう。人数が少ないからこそ、一致団結している部分もあるだろう。

 とにもかくにも、パーティーの設営は順調に進んだ。


 そうして、あっという間に一ヶ月が過ぎ、パーティーの前日になった。パーティー会場は、ローゼンベルク侯爵家のパーティーと比べても遜色のない高みへと至っている。


 だが、設営が終わって終了ではない。パーティーは明日が本番だ。明日の進行に万が一の不備も残さぬように、俺は教室に皆を集めて最終確認をおこなっていた。


「――楽団は予定通り今夜から泊まってもらうことになってる。それに会場の設営についても問題ないぜ。明日使うお菓子についても準備は完璧だ」


 ルークの報告を聞きながら、自分の目でも書類を確認をする。皆の協力もあり、お嬢様の専属執事として恥ずかしくない仕事が出来たと胸を張って言える。

 仲間達の働きも素晴らしかった。さすがAクラスの生徒だと胸を張って言えるだろう。


「――はい、全て問題ないようですね。皆様お疲れ様でした」


 俺がそう口にした瞬間、仲間達から歓声が上がる。


「シリル、お疲れ様!」

「お疲れ様、シリル。おまえと一緒に働けて楽しかったぜ!」

「みなさんもお疲れ様です。ただ、パーティーが終わるまで気を抜いてはいけませんよ。警備には引き続きパーティー会場を回らせてください」

「おう、その辺は抜かりないぜ!」


 ここ一ヶ月で仲間達ともかなり打ち解けた。もし再びパーティーの設営の仕事が回ってきたら、彼らは共に働いてくれるだろう。そう思えるだけの絆を手に入れた。

 俺自身、もしまた機会があるのなら彼らと共に設営をしたいと思う。


 そういえば、俺の周囲は年上ばかりだった。

 お嬢様は同い年だが俺の仕えるべき相手。俺にとってここにいる連中は、この世界に生まれ落ちて初めて手に入れた友人と言えるかも知れない。


「シリル? どうかしたのか?」

「いえ、なんでもありません」


 じわりと胸に広がる温もりを感じつつ、彼らとの仕事の締めに入る。


「それでは、みなさんは明日に備えて休んでください。本当にお疲れ様でした」


 仲間達に労いの言葉を掛けて解散させて、俺はもう一度全ての項目をチェックするためにパーティー会場へと向かった。


「シリル、どこへ行くんだ?」


 目聡く俺を見つけたルークが追い掛けてくる。


「最終チェックですよ。みなさんの報告を信じない訳ではありませんが、やはり最後は自分の目で確かめておきたいと思いましたので」

「なら、俺も付いていって構わないか?」


 尋ねておきながら、俺の返事を聞くより早く隣に並ぶ。

 それは予想通りの行動だ。この一ヶ月で、ルークとはずいぶんと親しくなった。最初に抱いた違和感もすっかり鳴りをひそめている。

 それだけじゃなくて、彼はこの一ヶ月で補佐としてずいぶんと手慣れてきたように思える。


「ここ一ヶ月、得る物はあったようですね」


 最初の頃のルークは色々と不慣れで、俺の代わりは任せられなかった。だが、最終的には指揮のほとんどをルークに任せられるに至った。

 おかげで、俺は皆のフォローに回ることが出来て、設営の質は確実に向上した。


「おまえの教え方が的確だからだよ。俺は人を纏めるのに向いてないって言われてたんだが、おまえのおかげでコツを掴めた気がする。感謝してるぜ」

「お役に立てたのならなによりです」


 少しくすぐったい。けど、俺はどうやら人にあれこれ教えるのが好きなようだ。ソフィアお嬢様と一緒に過ごすようになって、そんな自分の一面を知った。

 将来はトリスタン先生のように教師になるのも悪くないかも知れない。


 そうして雑談に花を咲かしているうちに、パーティー会場へとたどり着いた。警備のものに挨拶をして、最終チェックをするために会場内へと足を踏み入れる。


 パーティーには同学年だけではなくて、他の学年も任意でやってくる。

 数百人が収容できるパーティー会場は、俺が見慣れたローゼンベルク侯爵家のパーティー会場と比べても遜色がない。

 全体を見れば、プロの使用人が設営したといっても疑われないだろう。


 とはいえ、細かいところには不備がないとは言い切れない。調度品やテーブルなど、細部の確認をしていると、後ろで俺の動向を見守っていたルークが口を開く。


「……ところで、聞いても構わないか?」

「ええ。なんなりとお聞きください」

「おまえはその歳で、どうやってそこまでの能力を身に付けたんだ?」

「どうやってもなにも、特別なことはなにもしていません。私はただ、お嬢様の専属として相応しくあろうと日々精進しているだけですから」

「……身に付けようとして身に付くレベルを超えてると思うんだがなぁ」


 背後にいるルークがどこか呆れたような口調で呟いた。

 申し訳ないが、どれだけ仲良くなったとしても前世の記憶があることは秘密だ。それに前世の俺は魔術を専攻する学生であって、執事としての技術は持ち合わせていなかった。

 いまの俺があるのはやはり、ただひたすら努力したからに他ならない。


「今度は私からも聞いて構いませんか?」

「ん? なんだ、改まって」

「そうやって私の素性を知りたがるのは、ルークの好奇心ですか? それとも……誰かに私の動向を探るように言われているからですか?」


 背後に立つルークの表情はたしかめない。

 ルークやクロエがときどき俺の素性を探るような素振りを見せていることには気付いていたが、敵意は感じなかった。だから、隠したければ隠しても良いという意思を示した。


 そうして、彼が表情を取り繕えるだけの時間を空けて振り返った。けれど彼は表情を取り繕うことなく、参ったなと言いたげに苦笑いを浮かべていた。


「……いつから気付いていたんだ?」

「最初から疑っていました。クロエは初対面なのに私の名前を知っていましたし、ルークが私を睨んでいた直後に発したクロエのセリフは、いかにも説明臭かったですから」


 俺のように、光と闇のエスプレッシーヴォの登場キャラクターの立ち絵やスチルを見たことがあるのなら話は別だが、おそらくはそうじゃない。


 彼らは事前に、どこかで俺の容姿を確認する機会があったのだ。

 だから、ルークは俺を注視していた。それがあまりに露骨で俺が不審に思った。それに気付いたクロエが、ルークはあなたに嫉妬しているだけだと誤魔化した。

 それがあの茶番の真相。


 付け加えるのなら、他にも何人かそれらしい行動を取っている者達がいる。

 噂のソフィアちゃんと口にしたフォル。

 クラスメイトとの対立を煽り、俺の出方をうかがう素振りを見せたトリスタン先生。

 その他、考えればきりがない。


 無論、ただの気のせいだという可能性は否定できない。確率で言えば、気のせいである可能性の方が高いだろう。だが、そういった疑惑を持つ者達の中にルークとクロエがいた。


「参ったな。最初からお見通しだったわけか。ちなみに、俺が誰かの命令でおまえを調べているとしたら、おまえはどうするつもりだ?」

「別に、どうもしませんよ」

「……どういうことだ?」

「あなた方の目的がなにかは分かりませんが、この一ヶ月の仕事ぶりは見せていただきました。真面目で有能。そんなあなたを排除する理由はありません」


 優秀な侯爵令嬢であるソフィアお嬢様や、その周辺を探るのは不思議でもなんでもない。どこかの家に仕えている者ならば、多かれ少なかれ情報を手に入れようとするだろう。

 だから対応するつもりはなく、ただ疑問に思ったから聞いただけだと口にする。


「ホント、おまえは同い年とは思えねぇな。俺の師匠を相手にしてるみたいだ」

「……師匠、ですか?」

「詳しくは言えないが、俺達の主の先生だ」

「ふむ。では、その方の命令で私を探っているのですか?」

「悪いがそれも言えねぇ。ただ、俺やクロエはもちろん、主や師匠もいまのところおまえに敵意は抱いていない。それだけは信じてくれるとありがたい」

「……正直ですね」


 いまは――つまり、俺という人間を調べた結果、敵対する可能性もあったと言うこと。もしくは、これからあるかもしれないということ。


 だが、それを打ち明けたルーク自身は、敵対する心配はないと判断したのだろう。ルークの主や師匠が誰なのかは気になるが、藪はつつかない方が良さそうだ。


「でもな、最初はおまえを監視するだけのつもりだったんだが、いまではおまえと一緒に設営が出来て良かったって心から思ってるぜ」

「それは光栄ですが……いきなりですね」

「中庭組の話を聞かされたからな。連中、俺達の話を聞いて羨ましがってたぜ」

「……羨ましい、ですか?」

「ああ。ライモンドの指揮で設営することになったんだけどな。あれをしろ、これをしろと押しつけがキツくて、こちらの事情を聞いてくれないって嘆いてたぜ」

「あぁ……なるほど」


 悪いやり方ではないが、その方法は皆を従える強力なカリスマが必要になる。

 ましてや、学生にはそれぞれやりたいことがある。そんな状況で一方的に指示をすれば反発を買うのは必至、上手くいくはずがない。


 設営自体に問題がないことは確認済みなのだが……話を聞く限り、決してモチベーションは高くない。設営が完了しているからと言って安心は出来ない。

 明日のパーティーでは、中庭で問題が起きないように注意する必要がありそうだ。


「ルーク、明日は手の空いている者を使って、中庭の会場の状況を確認させてください」

「あん? それはかまわないが……確認してどうするつもりだ?」

「彼らに対応できない問題が発生したらこちらで対処します」

「おいおい、敵に塩を送るつもりかよ」

「……敵? 違いますよ」


 ルークまでそんな勘違いをしているのかと笑う。

 トリスタン先生は俺達の対立を煽り、グループを分けた上でこう言った。


 あくまで、クラスの主席はシリルだ――と。


 主席、つまりはクラスの代表で設営の責任者。

 責任者はなにかあったときに責任を取る立場だ。そしてクラスの代表ということは、責任を取る範囲は、クラスでの問題が含まれる。

 中庭の設営組もクラスの一員に相違ない。

 彼らが大きな問題を起こしたとき、責任を取る立場にあるのは俺だ。


 明日、俺が中庭組の問題を放置して、自分達の設営の方が出来映えが良かったと勝利に酔いしれていたら、トリスタン先生はこう言うだろう。

 おまえはクラスの代表としての責任を怠った――と。


 ソフィアお嬢様の専属執事として以前の問題だ。クラスの代表としてそんな失態は犯さない。彼らのフォローは先生ではなく俺がする。

 だから――と、俺は明日の対策についてルークと話し合った。




 ――翌日、新入生歓迎パーティーは予定通りに開催された。今年中等部に入ったばかりの生徒達が、楽団による華やかな演奏を聴きながら楽しげに語り合っている。

 生徒はもちろん、先生方の反応も上々だ。


 もちろん、大小様々な問題は発生しているが、対策についても事前に話し合ったおかげで、皆は落ち着いて問題に対応している。


 けれど、ほどなくして中庭の会場で問題が発生しているという知らせが入った。どうやら、あちらの会場に現れた貴族とトラブルを起こしたらしい。


「ルーク、何人か連れて、ヘルプに入っていただけますか?」

「おう、任せておけっ!」


 俺が行くとライモンドが反発するだろう。そう考えた俺は、責任者が会場を離れる訳にはいかないという建前でルークに任せた。いまの彼なら安心して任せられる。


 という訳でルークを見送ったのだが、入れ替わりでソフィアお嬢様が訪ねてきているとの知らせを受けたので、この場をクロエに任せて会場へと足を運ぶ。


「お嬢様、お呼びとうかがいましたが?」

「シリル。忙しいところごめんなさい。いま、少し大丈夫ですか?」

「ええ、もちろんです」


 お嬢様の専属執事である以上、お嬢様の用件が最優先だ。

 そんな俺の反応を見た後、お嬢様は会場の奥へと視線を向けた。そこにあるのはダンスホール。楽団の音楽に合わせて、生徒達がワルツを踊っている。


「……ダンスホールがどうかいたしましたか?」

「えっと、その。あの……」


 お嬢様がなにを求めているかは察した。けれど俺は使用人で、しかも今回は参加者ではなく運営側の人間だ。さすがにお嬢様と踊るなんて出来ない。

 ローゼンベルク家のご令嬢であるお嬢様が自分からダンスを誘うなんて出来ないと理解した上で、俺はお嬢様の意図が理解できないフリをする。


 だが、ここで下手を打つとお嬢様が闇堕ちする可能性もある。どうしたものかと考えていると「お話中に失礼します。あなたがソフィア様ですか?」と少年が話しかけてきた。


 ブラウンの髪に縁取られた計算高そうな顔立ちには見覚えがある。選民派に対抗する庶民派のリーダーであり、ヒロインの攻略対象の一人でもあるリベルトだ。


 こちらが動くより先に動いたか。

 俺から接触するのが理想だったが、このパーティーで彼が接触してくることは予想の範囲内。俺は慌てず、ラクール商会長の息子ですとお嬢様に耳打ちする。


「まぁ、あなたがリベルトさんですか。お初にお目に掛かります」

「名前を覚えていただけているなんて光栄ですね。その上でぶしつけなお願いですが、俺にあなたと踊る栄誉をいただけませんか?」


 彼の言葉に、聞き耳を立てていた者達のあいだで緊張が走った。

 いまこの学園では、選民派と庶民派のあいだで対立が広がっている。お嬢様は自分の派閥を作りながらも、この一ヶ月はその方向性を明確にはしなかった。

 ここでお嬢様が平民の息子と踊ることとなれば、そのパワーバランスが大きく崩れる。


 リベルトからしてみれば、公の場で自分の味方であるという状況証拠を作りたいのだろう。

 出来れば大事にはせずに味方であると示したかったのだが、不用意な接触はそれだけで選民派を刺激する可能性があった。


 こうなったのは仕方がないが、出来るだけ穏便に味方であると知らせる必要がある。

 ――と、そう思った瞬間。


「やっと見つけました!」


 弾んだ少女の声が響いた。

 直後、声の方へと視線を向けた俺は硬直する。淡い色のドレスを身に着けているのは、青みがかった黒髪の少女。ここにいるはずのないヒロインだったからだ。


「――シリルさん、私と踊ってください!」


 彼女がなぜここにと考えるより早く、ダンスを申し込まれてしまう。

 意味が分からない。


 今度は子爵家のお嬢様が自ら、ただの執事にダンスを申し込んだ。ソフィアお嬢様が平民にダンスを誘われたとき以上の緊迫感に包まれる。

 自分の発言がどういった影響を及ぼすか、子爵家の令嬢としての自覚を持って欲しい。


「……シリル、彼女と踊るんですか?」


 ソフィアお嬢様がぼそりと呟いた。

 ……というか、お嬢様の瞳からハイライトが消えて赤みを帯びている。

 闇堕ち、闇堕ちしちゃいそうだ。


 いや、落ち着け、大丈夫、大丈夫だ!

 俺は執事、このパーティーの運営側の人間だ。もとより、参加者と踊るなどあり得ない。そう言って断ってしまえば済む話である。


「大変申し訳ありませんが――」


 口を開いた俺は飛び込んできた光景に言葉を失い、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 アリシアの向こう側。

 二つに割れている野次馬のあいだから、取り巻きの二人を引き連れた第二王子が向かってきているのを目の当たりにしてしまったからだ。

 彼は弾んだ足取りで駆け寄って来て、数多の光と闇のエスプレッシーヴォのプレイヤー達を虜にした無邪気な笑みを浮かべ――


「ソフィアさん、僕と踊ってください!」


 お嬢様に向かって右手を差し出した。

 ふざけるなっ! お嬢様が可愛すぎて舞い上がるのも分かるが、仮にも一国の王子ならちょっとは空気読めよ! 十二歳の子供だからって無邪気に笑えば許されると思うなよ!


 いや……取り乱すな。俺はシリル。ソフィアお嬢様にお仕えする専属執事として、これくらいの状況、難なく乗り……乗り切れる、はず……はずだ!

 

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