学園の派閥騒動 前編 1

 王都にある学園、中等部へ入学が決まってからしばらく経ったある日。俺はソフィアお嬢様のお供として馬車に揺られていた。

 入学が決まったため、学園の制服を作るために服飾の店に向かっている。


「服を作るのにお店に出向くなんて、なんだか新鮮で楽しみです」

「平民はそれが普通なんですが、お嬢様の場合は服職人をお屋敷に招きますからね」


 お嬢様が洋服を作るときはいつも、デザイナーやパタンナーを呼びつけている。服を作るのに自分から出向くというのは、お嬢様にとって初めての経験だ。


 以前にも言った通り、学園では身分を平等に扱うという校則がある。その一環で制服を作る場合は、貴族であろうと店に出向くことになっているらしい。

 いわゆる社会勉強という奴だ。


 お嬢様が平民の暮らしを学ぶ良い機会ではあるが、今後もこういうことが続くと警備的な面で不安が出てくる。学生として紛れ込めるような護衛が必要かも知れない。


「……シリル? なにを考えているんですか?」

「すみません、お嬢様のことを少し考えていました」

「ふえっ!? そ、そぅですか……じゃあ、その……もう少し考えていても良い、ですよ?」

「いえ、もう大丈夫です。それより、服飾の店が見えてきましたよ」


 ほどなく、王都にある服飾店の前で馬車が停止する。俺は先に降りて周囲に危険がないことを確認してからお嬢様に向かって手を差し出した。


「お手をどうぞ、ソフィアお嬢様」

「……えいっ」


 なぜか、差し出した手がお嬢様に叩かれる。


「……お嬢様? 私の手は必要ありませんか?」


 戸惑った俺が尋ねると、お嬢様はなぜか拗ねた表情で「……いります」と答えた。

 しなやかな手が俺の手を握り、お嬢様が石畳の上に降り立った。ドレスの裾がふわりと広がり、ヒールがカツンと音を鳴らす。


「では、お店に案内してください」

「お嬢様?」

「なにか問題がありますか?」

「……いいえ、それではご案内いたします」


 お嬢様が手を放してくれない。俺は執事であってエスコート役ではないんだが……かしこまりましたと手を引いて案内する。


 店に入るとなにやら言い争う声が聞こえてきた。詰め寄っているのは貴族の子息らしき少年で、詰め寄られているのが店員のようだ。


 漏れ聞こえる声を拾った感じ、いまから注文していただいても入学式には間に合わないと口にする店員に対して、少年は自分の制服を優先しろと詰め寄っているようだ。

 ……なるほど、社会勉強だな。


「あのようなことを言っていますが、わたくし達は大丈夫なのですか?」

「むろんです。我々は予約してありますから」

「さすがシリルですね」

「お嬢様の専属執事ですから、このくらいは当然です」


 お嬢様の専属執事として根回しは当然だ――と言いたいところだが、この件についてはあらかじめ知っていた。高等部に入学するときのヒロインが彼と同じ理由で困っていたからだ。


「でも、あちらの使用人は予約を取っていなかったようですよ?」

「……おそらくですが、子供に自分でさせようという教育方針なのでしょう」


 店に赴くと言うことは、家の力を使わないと言うこと。そう考えれば、予約等を含めて子供にさせようとする親がいてもおかしくはない。


 その証拠に、彼の執事は動揺した素振りもなく、静かに控えている。

 店の者もいい迷惑……と言いたいところだが、店員は少しもたじろいでいない。貴族相手に平然としているところをみると、店員にもなんらかの力が働いている可能性がありそうだ。


「ねぇ、シリル。教育方針と言いましたが、もしかしたらわたくしも、自分で予約しなければいけなかったのではありませんか?」

「いいえ、教育方針の問題で、そういう決まりがある訳ではありません。お嬢様の場合は、一度お教えすれば問題なく出来るので。教え甲斐がないとも言いますが」

「あら? だったら、今度からは少しはシリルに迷惑を掛けた方がいいかしら?」


 お嬢様がイタズラっぽく笑う。最近は少しずつ茶目っ気をだすようになり、ますます可愛さに磨きが掛かってきた。

 まだ十二歳、されど十二歳。

 ゲームで王子に恋をする年齢だと考えればそれも当然か。こうして少しずつ大人びて、いつか俺の手を離れてしまうのだろうか? それとも――そこまで考えて俺は頭を振った。


 どちらにせよ、まだまだ先の話だ。

 それより、いつまでも聞くに堪えない言い争いをお嬢様の耳に入れる訳にはいかない。俺は別の店員に合図を送り、制服を作りに来たとローゼンベルク家の紋章を見せる。


「承っております。どうぞ、こちらへ」


 店員が店の奥へと案内しようとすると、別の店員に絡んでいた少年がこちらに気付いた。


「そこの店員、聞こえたぞ。僕の制服は間に合わないからと依頼を断っておきながら、そっちの男の仕事を受けるつもりなのか!」

「こちらのお客様は予約を入れてくださっていた方ですので」

「予約だって? そんなものがあるなんて僕は聞いていないぞ! それに、僕は伯爵の息子だぞ! おい、そこの執事――」


 少年の矛先が俺へと向いた瞬間、背後に控えていた執事が彼の袖を引いた。それとほぼ同時、ソフィアお嬢様が俺の半歩前に出る。


「それくらいにしておきなさいませ。権力はみだりに振りかざすものではありませんよ」

「なんだ、おまえ――」


 お嬢様を睨みつけた少年は硬直した。少年の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。決してお嬢様の顔を見て怒りを募らせたわけではないだろう。

 ……どうやら俺は、少年が恋に堕ちる瞬間を目撃してしまったようだ。


 ――なんて、お嬢様の執事をしていると、良く目の当たりにする光景だ。お嬢様は無自覚に幼気な少年の心を弄ぶから厄介なんだよな。

 なんて思っていたら彼は執事になにか耳打ちされて、その顔を青ざめさせた。


「こ、侯爵家のご令嬢とは知らずにすまな――いや、申し訳ありませんでした」

「いいえ、わたくしこそ差し出口を申しました」

「さ、差し出口?」


 再び執事に耳打ちをされ、「なるほど、お節介という意味か」と呟いた。


「――坊ちゃん」

「あ、いや……もちろん、そんなことはない、です。父上に全て自分で準備をしろと言われたのに、間に合わないと言われて取り乱してしまったみたいです。すまな……ごめんなさい」


 少年はソフィアお嬢様に頭を下げると、詰め寄っていた店員に対しても、無茶を押しつけようとしてすまなかったと謝罪した。

 頭に血が上っていただけで、傲慢な貴族の子供ではないようだ。それが分かって、お嬢様の表情も和らいだのだが――その笑顔を前に、彼は逆に冷静さを失ってしまう。


「そ、それでは、その……と、とにかく僕はこれで失礼します!」

「――お待ちなさい」


 逃げるように踵を返す。お嬢様はそんな少年を呼び止める。彼が止まるのを見届けると、俺に「何着ですか?」と問い掛けてきた。


「私は二着、お嬢様の分は三着です」

「分かりました。ねぇ、あなた。このままだと制服が間に合わないのでしょう? どうするつもりですか?」

「えっと、それは……その……分からないです」


 頼りない答えが返ってくる。お嬢様と接していると貴族の子供がみんな大人びているように誤解しがちだけど、十二歳ならこんなものだろう。


「実はわたくし、三着分の制服を予約をしているんです。よろしければ、一着分の権利をお譲りいたしましょうか?」

「それは、助かりますが……良いんですか?」

「一着は予備ですから、入学式までに作る必要はありませんもの」

「えっと……」


 少年が使用人に意見を求めるように視線を向けた。その使用人はこくりと頷く――が、少年に意見を求められる直前、少し戸惑うような素振りを見せていた。


 これは俺の予想だが、子息の成長を促すために一人でやらせているとはいえ、フォローはちゃんとするはずだ。つまり、制服は用意されていると思われる。

 少なくとも、俺が彼の使用人ならそうする。


 だから、本当は必要ないと言いたいところだが、この流れで実は準備できているから侯爵家の令嬢に借りを作る必要はない――とは言えない。

 だから、戸惑った素振りを見せたのだろう。


 そこまで気付いた上で貸しを作ろうとしているのなら恐ろしいが、さすがにいまのお嬢様がそこまで気付いていると言うことはないはずだ。

 十二歳としてはとても大人びているが、その辺りはまだ少し成長の余地がありそうだ。


 そんなことを考えているうちにお嬢様は店員の許可を得て、少年に制服一着分の予約の権利を譲り渡した。店員に問題ないか確認するあたりにお嬢様の気遣いが感じられる。


 ちなみに、彼はリード伯爵の息子だそうだ。パーティーでヒロイン――アリシアに絡んだのが長男だったので、おそらく彼はその弟だろう。

 兄は完全にどら息子だったが、こちらはそんなこともなさそうだ。お嬢様に何度もお礼を言うと、あらためて予約を入れて帰っていった。



 その後、制服のパターンオーダー――つまりは決まったデザインの制服を、お嬢様の身体に合わせて特注するために奥のフロアへと移動する。


 俺の制服に関しては、お嬢様がいないときに注文を終えている。ゆえに採寸するための仕切りの手前で待機し、お嬢様の採寸が終わるのを待っていた。


 部屋には先客がいたようで、仕切りの向こうから話し声が漏れ聞こえてくる。

 見覚えのある相手だったのか「あら、あなたは……」とお嬢様が声を上げ、「ごめんなさい、どこかで会いましたか?」と戸惑うような声が応じる。


 漏れ聞こえる程度だが、お嬢様に負けないくらい綺麗な声だ。ゲームの世界が舞台になっているだけあって、声優のように綺麗な声の人物が多いのかも知れない。


「すみません。以前、あなたがダンスをしているところを見たものですから」

「え、もしかして第一王子の誕生パーティーですか? ……恥ずかしいです。下手っぴで、相手の足を踏んでしまって、きっと情けなく見えましたよね」

「……いいえ、とても素敵でしたよ」

「そう見えたのなら嬉しいです。でも、私が上手いんじゃないんです。相手の人のリードが凄く上手だったんです。それに凄く優しくて、素敵な人でした」

「そ、そぅ、ですかぁ……」


 お嬢様の反応がなにやらぎこちない気がするが……同年代の同性と話す機会が少ないからだろうか? 教育優先で年上と接することを優先しすぎたかも知れない。

 学園に通うようになったら、友達を作るように薦めてみよう。


 しかし、こういう状況では、俺には護衛が出来ないから困る。

 いまは屋敷のメイドが付き添っているが、護衛としての能力はない。

 やはり、護衛を兼ねることが可能な、お嬢様と同じ年頃のメイドが欲しい。屋敷に戻ったら父上に相談してみよう――なんて思っているあいだにも会話は続く。


「ところで、あなたも学園に?」

「はい。うちは下級貴族だから高等部から通いなさいって親に言われたんですけど、礼儀作法を頑張るからって説得したんです。――あ、もしかして上級貴族の方ですか!?」

「えぇ。ですが、かしこまる必要はありませんよ。学園では身分に関係なくという話ですし、わたくしも身分を振りかざすつもりはありませんから」


 話し相手も学園に通う新入生のようだ。もしかしたら、お嬢様の最初の友達になるかも知れない。これはなかなか幸先が良い。


 ゲームと展開が変わっているため、これからどうなっていくかは分からない。

 いまお嬢様が憧れている相手は俺だけど、もしかしたらいつかゲーム通りに第二王子に恋をするかも知れないし、ヒロインがライバルになるかも知れない。

 ゆえに、お嬢様が闇堕ちしないように注意は必要だが、ヒロインが入学してくるまで三年の月日があるのだから焦ることはなにもない。

 どんなことがあっても、俺がお嬢様を護る。

 だから、お嬢様には恋だけじゃなく、友人との楽しい学園生活も知ってもらいたい。


 ――そんな風に考えていると、先客だった令嬢の採寸が終わったようで、それではお先に失礼しますと言った声が聞こえてくる。

 ここにいれば、お嬢様のご友人第一号となるかも知れない令嬢と会えそうだ。


 あまり派閥がどうのと言いたくはないが、お嬢様には侯爵家の令嬢としての立場がある。お嬢様を悲しませないためにも、相手がどこの誰か調べておいた方が良いだろう。

 そう思ったのだが、服職人が話しかけてきた。


「シリル様、仮縫いが終わった制服に一度袖を通していただけますか?」

「あぁ……そうですね。確認させていただきましょう」


 それを終わらせなければ、お嬢様を待たせてしまう。

 お嬢様の友人になるかもしれない令嬢の顔を見るよりも優先順位が高いと判断した俺は、職人の案内に従って男性の試着室へと移動する。


 その直後、背後から客を見送る店員の声と、それに応じる明るい声が聞こえてくる。振り返ると、青みがかった黒髪の令嬢がメイドを伴って退店するところだった。

 どうやらタイミングが悪かったようだ。


「シリル様?」

「いえ、なんでもありません」


 職人と共に男性の試着室へと移動して、仮縫い状態の制服に袖を通す。


「……ほぅ、仮縫いの段階でここまでぴったりに作りますか。学園の制服を扱う服飾店で、最高の店だと噂されているだけのことはある。素晴らしい腕前です」

「恐れ入ります。ですが、私の腕などまだまだでございます」


 動きが阻害されないぴったりサイズ――だが、職人はそれでも満足には至らないのか、裾の長さや身幅など、あちこちを微調整していく。

 ほどなく、調整の完了を告げられた俺は軽い感動を覚える。分厚い生地を使っているにもかかわらず、ほとんど動きを阻害されない。


 本当に素晴らしい職人に巡り会ったようだ。

 いずれ、お嬢様の私服の依頼も考えてみよう。細かい作りはデザイナーに丸投げすることになるが、いくつか前世のファッションに心当たりがある。

 そんな計画を立てているうちに試着は終わった。


 身だしなみを整えて戻るとお嬢様が待っていた。お嬢様の採寸も終わっていたようで、ソファで紅茶を片手にくつろいでいる。


「すみません、お待たせしてしまいましたか?」

「いいえ、わたくしの採寸もいま終わったところです」


 お嬢様はそう口にするが、手にするティーカップに注がれた紅茶は半ばまで減っている。どうやら待たせた上に、気まで使わせてしまったようだ。

 

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